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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第1章 マルスブルグにて
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嵐の前触れ

 謁見の間は王宮の丁度中央に位置する内宮の2階、国王の執務室の手前にあった。

 都合4階分をぶち抜かれた大広間の周囲には、使用人の居室やら仕事場やらがぐるりと配置されていて、各部屋を内側から回廊が繋いでいる。

 王が客人や家臣に会う為に使われるこの部屋は、大国に相応しい豪奢な照明と絵画が彩る天井、床の中央に敷き詰められた緋色の毛氈もうせんと、豊かな国情を示して眩しい事この上ない。

「遅かったではないか、ウィリアード卿!」

 入室した三人に向かって開口一番苦情を申し立てたのは、主君ではなく傍らに控えた国務大臣アウグストス公爵だった。肩書きは大層威厳があり、非常に厳格な知識人なのだが、風船に目鼻口、それに不釣合いな大きい口髭を描いた様な滑稽な風貌の為か、どうも叱責にいまいち迫力がない。

 声も年に似合わぬ甲高い声なので、そうしてがなりたてていても仔犬が吼えている様にさえ思える。

 公爵の風貌に特に弱いウィリアードは、毎回の如く今日も失笑を堪えながら畏まってひざまずいた。

「申し訳ございません」

「まあまあ、そう目くじらを立てるでない。ルードよ」

 500年の永きを支える国の柱、ラハルト13世は背後に天井まで届く真緑の壮麗な天幕を従えた玉座から鷹揚に臣下をたしなめた。

 在位30年余りを越えた初老の王は、跡継ぎに恵まれないせいか若者が大好きだ。特にウィリアードには王妃イメリア共々非常に甘い。彼は幼い頃任務で父を、病で母を亡くしており、国王夫妻に引き取られ人生のほとんどをこの王宮で過ごした。故に一貴族という身分でありながら、どこか王族にも似た気ままさがある。

 公爵もそれは黙認する所なので、渋々口を閉ざした。今のところ辞退しているらしいが、王は養子にならないかと再三彼に持ちかけているという。年若の王族がほとんどいない現状では、ウィリアードが次期国王候補にならないとは決して言い切れないのである。

「それで三人とも、今回其方らを呼び出した理由なのだが。話す前に見て欲しいものがある。報告書をこれに」

 そう言いながら国王が目線で促すと、公爵が更に侍従の青年に指示を出した。三人に一振りの書物を持って来させる。頑丈な動物の皮で出来たそれは丸く巻いてあり、美しい織の綴じ紐で括られていた。

「これは、陛下への密書ではございませんか」

「その通りじゃ、ヴェンツェル卿。他に気づいた点は?」

 謎かけめいた主君の問いに戸惑いつつも、ヴェンツェルは文書を観察した。

「血が。端に僅かにではございますが、付いております」

 国王は頷いた。穏やかな表情は変わっていないが、どこかもの憂げな目をしていた。

「広げて読むが良い。それは先日、マルティエグから来た使者が携えて来た密書じゃ」

「マルティエグから?」

 ヴェンツェルが書物を開くと、両脇からウィリアードとエンディもそれを覗き込んだ。

「……中にもところどころ血が付いていますね」

「恐らくこれを書いた人物は、何者かに襲撃されている最中に急いで書いて使者に渡したのだろう。字も殴り書きだが、元の字は恐らくそう悪くは」

 エンディとウィリアードがそれぞれ推理を展開させている間、ふとひっかかりを感じてヴェンツェルは黙り込んだ。文書の字に何となく見覚えがある気がしたのだ。最近どこかでこれと似た字を見た様な。同時にとてつもなく嫌な予感がする。

「あっ」

 最後の一文のその後に、必ず書かれる自署捺印。眼に入った瞬間、二人は同時に驚愕の声を上げた。

──何という事だ。

 ただ一人、驚かなかったヴェンツェルの声が静かに室内に谺する。

「これは王太子の──ルクライエン大公の書いたものだ。マルティエグが魔物の襲撃にあって、壊滅したと」

「その通りじゃ」

 王の声もまた、沈みがちに聞こえた。

「今斥候をそちらに遣しているが、襲撃を受けたのは間違いない。我が国との境目にある関所は今、その際のオルグレイド山よりの落石により通行出来ぬそうじゃ」

 驚愕のざわめきが、広間を波の様に通り抜ける。

 東の山脈オルグレイドの内最も大きな山は、聞く限りではここ数百年全く沈黙を守っていたという。それが噴火したというだけでも非常事態だ。ましてやそれが、隣国の一大事と同時期とは。

 ヴェンツェルが静かに問いかけた。

「襲撃のみならばともかく、自然災害も重なったという事ですか? しかし、察知させる様な地震などはここ数日の内にはなかったと思うのですが」

「関所の監視兵の話では、黒い塊の様なものが山を襲ったと申しておる。山脈の一角がえぐれ、断面図から溶岩流が生まれ小爆発を起こしたと。確かに揺れが起こらなかったのも異常だが、落石も生半可な量ではないそうじゃ。まるで何者かが敢えて道を塞いだかの如くな」

「確かに学者に言わせるとオルグレイドは休火山、何らかの力が加われば噴火するやもしれませんな」

 公爵も傍らで口ひげを撫でながら思案げに付け加えた。

「それを考えれば、溶岩流が途中で止まったのは不幸中の幸いと呼べない事もない」

「然様。しかしながら、問題は王族の方々を始めとする『図書』の者達の安否じゃ」

 『図書』の壊滅。王の言葉の意味する所を理解して、一同に戦慄が走った。

 この世界は、『原初の言葉』を神が唱えたところから生まれたとされている。

 それは単なる神話ではない。

 実際に、普段自分達が使っている言葉には意思疎通以外の何の効力もないが、『原初の言葉』は言葉一つ一つが甚大な力を持っていた。

 組み合わせによっては世界を滅ぼしかねないという。歴史上においても『原初の言葉』を巡って多くの逸話が各地に残っている。だが最もよく知られているのは、最初に制御出来た人間──賢者レジェールの存在だった。

 “多くを知る者”の名を持つ彼は、神より『原初の言葉』を託され未だ混沌とした世界の統治を任された。以降賢者の末裔が代々、言葉を書物に封じて世の理を守って来たという伝説だ。

 その末裔がマルティエグの王族であり、書物が保管されている建物が『図書』だったのであるが──

「では魔物の目的はもしや」

 エンディが擦れた声で呟く。

「……『最後の言葉』の開放?」

 王はまた頷いた。

「恐らくは。あれの開放の仕方を知っているのは今、ルクライエン大公のみじゃろうからな。──そこで其方達に頼みがある。マルティエグに行き、大公の安否を確認してもらいたい。斥候だけでは魔物の襲撃に備えられまい」

「畏まりました」

 三人が異口同音いくどうおんに答えるのを微笑んで頷くと、王は更に公爵に目配せした。

「出立は明日の朝にするが良かろう。関所が通れぬ以上、西のフォルツィエットの森からプレアタジネールに下る遠回りをするしかあるまい。……急な話ではあるが、旅先で必要な物は揃えられる様に旅行為替ゲルドブリッツも用意してある。大臣から受け取るように」

「――はっ!」

 再び上がった了解の声を聞いて王は退出を促した。一礼して出て行きざま、それと知られぬ様振り返ったウィリアードの視界にひどく哀しげな王の姿が映る。

──陛下も不安を感じておられる。

 彼自身、不安を感じないと言えば嘘になる。

 もし『何者かが敢えて道を塞いだ』のならば、プレアタジネール側の関所も塞がっている可能性がある。であれば外の者になす術はなく、生き残りがいたとしても助けるのは絶望的だ。

 不吉な予感と共に、王の打ち沈む姿はしばらく彼の脳裏から離れなかった。


※※※※


「それにしても……今更お尋ねするのもお恥ずかしいのですが、『原初の言葉』はなぜ私達が使っている言葉と違うのです? 言い伝えとしては聞いておりますが、実際に使われたところを見る機会はなかったもので」

 謁見の間からの帰り、しばらく無言で歩いた後、重苦しい空気を払うかの様にエンディが二人に問いかけた。

「例えばの話だが、私達が普段使っている言葉を例にすると」

 答えたのはヴェンツェルだった。

「言葉は『А』から『Я』の30の音で構成されている。我々はこれを組み合わせて会話しているだろう。これを世界の事物全てに当て嵌める事が出来るのが『原初の言葉』なのだ」

「えっ?」

「つまり人間が30の言葉の内──そうだな、わかり易く『АБВГД』で作られているとする。もっと細かく言うと脳がそう作られているとすると、普通の言葉を同じ様に並べた所でただの言葉の羅列だが、『原初の言葉』を並べたらそれで脳が誕生してしまう。そういう話らしい」

 普段無表情な事が多いエンディの珍しい顔──困惑──を見ても彼は驚きはしなかった。むしろ多分に同情する所である。最初聞いた時彼自身同じ顔をしていた筈だから。

「言霊、と言うわけではないのですか」

 言葉に魂が宿る、という説は彼女自身も学者から聞いた事があった。あまり信じてはいなかったが。

「『微妙に違う』のだそうだ、友人に聞いた話だが」

 既に構成された『言葉』に魂が宿るのが言霊で、端から『生きている言葉』を『組み合わせて違うモノを創る』のが『原初の言葉』だと言う。同じ様にしか聞こえない、とヴェンツェルが教えてくれた相手に告げると、『彼』がうっすらと笑ったのを覚えている。

──その後あいつはこう言った。

「つまり簡単に言うと、『原初の言葉』は使い方によっては無限にモノを創造出来るという事だ。人であろうと自然であろうと」

「……例え、魔物であろうと?」

 ヴェンツェルが廊下のあらぬ方向に流していた視線を傍らに戻す。彼女の面はこれまた珍しく「怯え」に彩られていた。

「少し違う。例え『この世にあってはならないモノ』であろうと、だ」

「そんな馬鹿な!」

 自分も確かそう答えたな。ヴェンツェルは奇妙な懐かしさに襲われる。まるで過去の会話の繰り返しの様だ。

──内容は恐ろしかったけれども。

「友人は──そいつはこうも言っていた。『原初の言葉』を手にすると、大抵の人間は何もかもが虚しくなってしまうんだそうだ。何故なら、この世界さえもが『原初の言葉』のある一定の組み合わせに過ぎないからと。ならば『ありえないモノ』を創るのも不可能じゃないと思わないか?」

 唐突にエンディが立ち止まったので、ヴェンツェルはやや進んだ辺りで気づいて振り返った。

「エンデゲルド嬢?」

「だとしたら……まさしく神の御業みわざですね」

 どこか張り詰めた様な彼女の視線の意味を図りかねて多少戸惑いながら頷く。

「ああ、そうだな。便宜上『言葉』などと呼んではいるが、どうやらアレは私達のそれとは似て非なるモノだ。現に『図書』の者が実際使っている所を見た事があるが、単なる詩の朗読にしか聞こえなかった」

「さっきから気になっていたのですが、そのご友人というのは、『図書』の方なのですか?」

 それまで二人の会話を黙って歩きながら聞いていたウィリアードが唐突に口を開いた。

「ルクライエン大公だよ。以前俺とヴェンツェルはマルティエグの大学に留学していたんだ。その時仲良くなって」

「そうだったんですか。道理でお詳しいと」

「貴女こそ」

 とウィリアードは切り返した。

「『最後の言葉』について知っているだけでも驚いたよ。『図書』に知り合いでもいなければわからないと思うが」

 エンディは少し躊躇ためらう様子を見せた。

「詳しくはないのですが、プレアタジネールにいる友人がその様な話をしておりまして。夢物語かとその時は思ってました」

「夢物語、か。単なる悪い夢だと良かったんだがな」

 ヴェンツェルはそう呟くと二人を置いて歩き出した。

「あっ、オイ!」

 見る間に遠ざかった友人の背中に伸ばした手を下ろすと、ウィリアードはエンディに向かって苦笑してみせた。

「すまない。アイツ、大公とは俺よりも仲が良くてさ。ショックなんだろう」

 不安気な顔をしたままエンディは頷いた。

「そうですね。しかし『最後の言葉』を大公が封印していたのなら、解放されていないと言うのはまだ彼が生存している可能性は高いと思うのですが」

「俺もそう思う。いずれにせよマルティエグに行ってみないとな。話はそれからだ」

 二人はそれきり、各々の部隊に戻るまで口を一切開かず歩き続けた。人対人の小競り合いなら恐ろしい事はまずない、剛毅で鳴らした彼等ではあったが、今回は違う。

 得体の知れない物に対する恐怖が、布を這い上がる水のごとく胸を満たしていくのだ。

「じゃ、明日の朝また会おう」

「はい」

 別れ際、喉まで出かかった質問をエンディは飲み込んだ。答えを知らなければならないと思い、また、知りたくないとも思っていた問い。


──『最後の言葉』を解放させたら、世界が滅びるというのは本当なのか。


 だが疑問は終に言葉にされる事はなく、彼女の体内をいつまでも巡るだけでこの日は終わった。

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