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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第1章 マルスブルグにて
3/18

宮廷三重奏は高らかに

 国と同じ名を冠する王都マルスブルグは、伝統と緑を多く残した町並みが美しい佇まいの街である。

 初代国王ラハルトI世がこの地に城を築き国を始めてよりおよそ500有余年。近隣諸国においてはその領地の広大さと国の豊かさもさる事ながら、乱を好まぬ穏やかな外交姿勢でよく知られていた。

 友好を結んでいる他国も多く、領地こそ建国以来増えていないものの減りもしないのは、ひとえに野心少ないながらもそれなりに名君が続いたせいもあっただろう。国を荒らす浪費な王も特にいなかったので、余剰な物資を貿易あるいは苦難の際の蓄えに備えた。貿易はそれなりに富を算出したし、たまに不作が訪れたとしても、そう飢えずに済んだものである。

 この様なマルスブルグの出来すぎなほどの平和は、実はただ在るがのみにて成立しているわけではない。その豊かさゆえにはるか過去には確かに他国の侵略を幾度か受けた。だが決して膝を屈する事なく全ての侵略を撥ねつけて現在に至る。その大きな理由が、ヴェンツェルらが所属する『王の騎士隊』の存在だった。

 またの名を王立直属軍という。この屈強にして不遜な猛者もさばかりが集まる、負け知らずの精鋭軍隊は、開闢かいびゃく時に「ラハルトの片翼」大将軍ゴドファーレンが厳しい訓練内容を定めて以来忠実にそれを守って来た。彼の遺した言葉「精神の剛なるを以て肉体の誇りとせよ」は今でも隊員達の間に語り継がれる名言であり、軍の第一則でもある。

 それなりに軍事力を持った文明の発達した国であれば知らぬ者はいないというほど、軍は勇猛の名を諸国に轟かせていた。無視して手を出すのはすなわち愚の骨頂。そして無視しなければ攻略するのは至難の業である――過去、誘惑に負けて行動を起こした者達が手にした悲惨な結果を目のあたりにすれば、赤子の頭にもそれは明白とも言えた。

 長い平和にむ事なく、整備され鍛練された彼らこそが、この国を強国たらしめている大きな所以ゆえんである。

 そして当代の隊長が老齢による引退を囁かれている現在、次代将軍の呼び声が高いのが「マルスブルグの両翼」エミネール公の息子ヴェンツェル卿と、王の秘蔵子と言われるウィリアード卿の二人であった。


※※※※


 磨き抜かれた石畳に軍靴が立てる、律動的な音。軍隊長の記章が縫い付けられた赤い軍服に褐色のマントを翻して、ヴェンツェルは足早に王宮門から中に進んだ。門扉の両脇に立つ近衛兵の敬礼に頷くと、それを合図に重々しく扉が開く。

 一見して頑健そうなそれを潜り抜けた先は明るい色をした壁に、等間隔で国花の紋章と蔓草意匠の燭灯が並んでいる。王族の住居たる宮殿を守る様に張り巡らされた回廊だった。彼は正面の内殿へと続く扉には目もくれず、右へ曲がり回廊を急いだ。廊下を護る衛兵に幾度目かの敬礼を受けた辺りで、大地を表す紋章と国花、それに剣を装飾として凝らした壮麗な内扉が彼を出迎える。

「おはようございます! ヴェンツェル隊長」

 扉を開け、室内に入ると向かって右側に置かれた椅子と長卓に付いていた若者が弾かれた様に立ち上がった。

「おはよう」

 返すヴェンツェルの挨拶は、短くも凛とした威厳に満ちている。彼は若者の席以外空の椅子達を眺めて視線を部屋の左奥、次の間に続く扉に移しながら問い掛けた。

「他の者達はどうした」

 今いる部屋は訓練をする部屋──練兵場の控室に当たる。王直属隊たる彼と彼の部下は、勤務時間前にこの部屋に集まり訓練を待つのがいつもの日課となっていた。それが今日は一人を除いて誰もいないとはどう言う訳か。ヴェンツェルは眉をひそめた。

「そっ、それが……」

 猛獣でも片腕で殺せそうな体躯に似合わぬ、小動物紛いのか細い声である。厳しい隊長であるヴェンツェルはまた、恐怖ではなく畏怖と憧憬を以て部下を支配していた。

「マルカム? 何か知っているのか」

「──すっ」

 声音としてはごく穏やかなものだったに関わらず、若者はいきなり地に両手を付いて土下座した。

「すいません!! 止めれませんでしたっ」

「はあ?」

 万事に於いて動じる事を知らない彼ではあったが、さすがに面食らって間の抜けた声を返す。

──何だか嫌な予感がする。

「どういう意味だ」

 マルカムと呼ばれた青年は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「ネ、ネレウスさんが怒り出してしまいまして。『女の癖に生意気だ』とか怒鳴って連れ出してしまったんです──今はみんな練兵場に」

「練兵場に、何だって? もっと落ち着いて話してみろ」

 上司の勘気を知って怯えるあまり、青年の説明はまるで要領を得ない。

「いえ、だから彼女が」

「あのな、マルカム」

 さすがにやや苛立って問い詰めようとしたヴェンツェルは、耳にした言葉の断片に引っ掛かるものを感じてふと停止した。

「今おまえ『彼女』って言ったか?」

「はいっ」

 生意気。彼女。そんな風に部下が言う人間と言ったら限られて──いや。

 一人しかいない。

「くそっ。『また』か!」

 つかつかと彼は隣の部屋への扉に近寄り、それを勢い良く開け放つと練兵場に踏み込んだ。

「何だと!? もう一遍言ってみろ!!」

 ヴェンツェルの耳に、男の野太い怒鳴り声が飛び込んで来た。

 練兵場は他の部屋とは違い、石造りの壁に囲まれている。右手には隊員達が使う槍や剣などを架ける場所があり、その奥には鎧や兜を収納する場所が設けられている。しかし今朝、普段ならまだ空くべきでないその壁には数本を覗きほとんど武器がない。防具も同様だった。

 それもその筈、場の中央にいる男女二人を始めとする室内にいる者達全てが、既に装備を固めていたのだから。戦闘態勢は万全、殺気さえみなぎらせている。

「陛下にちょっとばかりお目をかけてもらっているからって付け上がりやがって。目上の者への礼儀作法ってものを教わらなかったのか? お嬢ちゃん」

 男女の内の男が、先程の怒鳴り声をいくぶん押さえて吐き捨てた。もっとも、侮蔑というには怒り有り余り、言葉尻は震えてさえいる。

「そう言う貴方こそ、お世辞にも紳士的とは言えない差別発言ですわね。女だと侮る前に、剣の技倆ぎりょうで私の言葉が誤りかお試しになってはいかがか」

 彼が対峙している女は滑稽こっけいな程落ち着き払った声で答えた。王立直属軍は隊長を除いて隊ごとに甲冑の色が決められている。この隊は紺青が象徴色、その中にただ一人立つほっそりとした白い姿は否が応でも人目を引いた。

 男は片頬を引きつらせる。

「剣の技倆だと? まさか本気でオマエ、俺と勝負するつもりか」

「そうした方が双方にも納得が行くでしょうから」

 男の顔が怒りの表情から嘲笑のそれに変わった。手にしていた幅の広い、いかにも破壊力がありそうな長剣をひと振りして正眼に構える。

「面白い。そんななよなよした剣で俺に勝てると思ったら大間違いだぜ」

 エンディもまた腰間から細く優美な紫色の装飾が施された剣を抜き、音もなく構えた。

「さあ、どこからでもかかって来――」

 挑発の言葉をネレウスが口にしたその刹那、間髪を入れずエンディは相手の間合いに踏み込んだ。

「――いっ!?」

 エンディが腕を振るうと同時に、鈍い音と共にネレウスの大剣が床に落ちる。周囲にどよめきが起こった。

 奇妙にも、二人の体勢は恋人同士が抱き合う様によく似た状態で固まっていた。ただ本物と違うのは、ネレウスの懐に入ったエンディが、青く光る剣の切っ先をしっかり喉元に当てているのと、ネレウスが剣に負けない位蒼ざめたまま両手を宙に浮かべている事だった。

「油断が過ぎますわね、ネレウス卿」

 宣告にも似た、耳元で囁かれる捨て台詞。明らかに非難の色が滲んでいた。

「貴様、それでも騎士か!」

「卑怯だぞ!」

 野次で騒然となった室内に内心舌打ちして、ヴェンツェルは人垣を押しのけ部屋の中央に割り込んだ。

「そこまで! エンデゲルド嬢、武器を収めよ!」

「隊長!!」

 慌てて居住まいを正したのは、呼ばれた当の本人ではなく彼の部下達だった。エンディはというと、標的からするりと離れ剣を鞘に収めはしたものの、瞳に剣呑な光を宿したまま呼んだ相手を睨み付けている。

「おまえ達、訓練の時間はとっくに過ぎているぞ! さっさと持ち場につけ!」

「は、はいっ!!」

 慌てた様に各自訓練に戻る隊員達を眺めてヴェンツェルは一つ溜め息を着くと、騒ぎの当事者二人に向き直った。

「それで、どんな経緯でこういった展開になったのか、一応教えてもらおうか」

 ばつが悪そうな顔をしているネレウスに、つらと無表情なままのエンディ。実は訊かずとも原因は大体見当が付く。

「この女が!」

 上司のたしなめる一睨みにあって彼は口を一旦閉ざした。

「あ、いえ、エンデゲルド嬢が俺達隊員を侮辱したんです。黙っていられなくて、つい」

「そうなのか?」

 ヴェンツェルはもう一方の当事者に問い掛けた。彼女は軽く眉を上げるものの、やはり表情を変えず答える。

「それは必ずしも正確な説明ではありませんね。私はネレウス卿と幾人かの隊員の方々が、『ライガスクを何頭倒したか』という稚拙な話題で盛り上がっていましたので『その程度の下っ端を倒した話で自慢なさるのは如何なものか。子供じゃあるまいし』と申し上げただけですわ」

「オイ、さっきは『子供云々』なんて言わなかったじゃないか!」

「あら、それは単に言い忘れです」

 再び険悪になり始めた二人にうんざりしながらヴェンツェルは「そこまで!」と改めて制止した。

「ライガスクがどうのではなく、戦績を誇りたい気持ちはわからないでもないが、あまり誉められた所作とも思えぬ。我らは国に仕える武人、永く国が平和ならば功績は吹聴するまでもない事だ。以後慎む様に」

 ネレウスはたちまち悄然とした。

「……申し訳ありません」

「それから、エンデゲルド嬢」

 ヴェンツェルの背後でそれまで忙しなく聞こえていた、武器を合わせる音が心なしか小さくなる。振り返らずとも、隊員達が聞き耳を立てているのは想像がついた。

「今聞いた話と、私がここに来た際の貴女達の会話から察するに、どうも私闘を誘発したのは貴女の様だ。宮廷武人ならばご存じだろうが、いかなる理由があっても宮廷内においての私闘は禁じられている。――これを私が指摘するのも今回で3回目かと。いい加減になされよ」

「私闘ではありません。剣の技倆を問う為の訓練の一環ですわ」

 空々しいまでに澱みない口調である。ヴェンツェルはまた溜め息をついた。

「そのお答えを聞くのも3回めですね」

「事実ですから。他に言い様もございません」

「この女、隊長に向かって何て口を!」

 横から怒り出したネレウスを右手で制して、彼はエンディを正面から厳しい眼差しで見据えた。

「隊員の和を乱されるのは私としては甚だ迷惑。今日の様に度々訓練の妨げになっては、陛下にも申し訳が立たぬ。よく覚えておかれるが良い。貴女は確かに腕の立つ剣士の様だが、次回この様な事があれば、隊員の責を負ってこのヴェンツェルがお相手しましょう」

 口調そのものは穏やかだったが、鋼の芯にも似た強い気迫が視線と態度から感じられる。凄味の点で言えばネレウスの比ではない。怒りの気配を感じ取って、周囲の方が先に静まり返った。

「──了解致しました」

 何の変化もない平坦な声だった。

「では慎んでくれるのですね」

 安堵が滲んだヴェンツェルの問い掛けに初めて彼女はくすりと笑った。笑う事が出来るのかと驚く程爽やかな笑みだった。

「最初からそうして頂ければ良うございましたのに。直属軍にヴェンツェル卿ありとうたわれた御方、お手合せ出来るならこれに勝る名誉はございませんもの」

「エンデゲルド嬢──」

 ヴェンツェルは鼻白む。まさか喜ばれるとは思ってなかったのだ。

「次回とおっしゃらず、何でしたら今これからでも私は構いませんが。お手合せ願えませんか?」

 相手を萎縮させるつもりが、たじろいだのはヴェンツェルの方だった。

「い、いや。私はこれから隊員の訓練を見なければ。第一、貴女には貴女の部隊での訓練があるではないか」

 彼女が所属するのは『白騎士隊』、女ばかりで構成される隊ではあるが、その技倆は中々のものと聞いている。長は強さにて選ばれるばかりではないが、彼女は一隊員に過ぎないのだから、隊長が剣の相手にならないと言う事ではないと思われた。

 それを指摘するとエンディは軽く一笑に付した。

「部隊の者達はお話になりません。十本の内私から一本でも取れる者さえいませんもの」

「しかし、隊長は貴女ではないではないか」

「まとめ役など煩わしいだけですわ。あんなものロゼットに押しつけました」

 彼は今更ながらパヴェレル公爵家の女の恐ろしさを再認識していた。世界広しと言えど、この姉妹程――特にこの三女が一番――傍若無人な女はいない。

「それで、どうなさいます? 何やら顔色が悪いみたいですけど。明日に致しますか」

「……いや。それはまたの機会に……」

「何だったら代わりに俺が相手しようか? エンディ」

 練兵場の奥、隊員達の向こうから聞こえる快活な声に二人は振り返った。視線を避ける様に人垣が割れる。

 壁の隅に一つだけ置かれた椅子に、深緑色の隊長服を着た男が座っていた。年の頃は二十なかばか三十の手前に見える。黒髪を短く刈り込んで、同じ色の眉に明るい翡翠色の瞳のせいか端正な顔立ちはくっきりと印象強い。やや下がり気味の眼尻が少々軽薄にも見えるが、笑うと人懐こい愛敬があった。

「ウィリアード」

 彼は騎士隊長としても同僚な友人の呼びかけに軽快な動作で立ち上がり、二人の所まで近づいて来た。すらりと背が高く、引き締まった体躯はヴェンツェルと並んでも全く遜色がない。

「見ていたのなら止めてくれ。仮にも別隊の隊長なんだから」

「いや、面白そうだと思ってさ。止めるのが勿体なかったもんで」

 青年は楽しくてたまらない、という風に笑っている。この男はいつもどこか、全てのものに対して娯楽の一つととらえている節があった。

「野郎の相手ばかりで食傷気味だった所だ。貴女程の技倆があるならば、相手にとっても不足はなし。喜んでお相手致しますよ」

「あのな」

 尚も文句を言おうとするヴェンツェルを軽く無視して、ウィリアードは不必要なほどエンディに近寄り顔を覗き込んだ。

「エンディ、こんな堅物放っておけよ。俺と訓練した方が楽しいと思うぜ」

「それはともかく、気安く愛称で呼ばないで頂けますか」

「どうしてだい?」

 彼女は青年のとぼけた顔を刃の様な視線で一撫でし、ついでに本物の刃を音もなく右の頬近くにかざした。

「私、卿とお話するのは今が初めてなもので」

「おいおい、訓練じゃなく殺意ならあるってのか。もう知り合いになったんだし、細かい事は気にするなよ」

 唐突にエンディは踵を返して扉へと歩きだした。

「あっ、ちょっと!」

「折角ですが、結構です。ヴェンツェル卿、訓練はまたの機会に」

「冗談だよ冗談! エンディ、俺は君を呼びに来たんだ」

 胡散臭いものを見る様な視線は、まるで刺さるがごとしである。

「私を?」

 ウィリアードは苦笑している。

「そう。そしてヴェンツェル、おまえをな」

「俺もか?」

 いきなり水を向けられ、思わず冷静な口調が友人に対するそれに変わる。

 ウィリアードは頷いた。

「使者を立てるのも面倒なんで直接来た。……陛下がお呼びなんだ。謁見の間に来る様にとな」

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