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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第1章 マルスブルグにて
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打算と憂鬱

 パヴェレル公爵家は女系家族である。

 今現在当主であるダインセルツにしてからが、彼を除いた全ての同胞が女という環境に生れついた。今年齢53歳になる彼はただ一人の公爵家の後継ぎとして、幼少より周囲から蝶よ花よと育てられたともっぱらの噂である。

 というのは家族の建前で、実際はこましゃくれた小姑にいびられまくったのが本当の所だった。特に彼の父は入り婿で、ほとんど母が当主の様なものだったから、家庭内における男性一般の地位は必然的に低くなった。朝な夕な、口ばかり達者な妹達の世話をしながら、その進化形の姉達に過剰な期待と小言をもらう日々。虎視眈眈こしたんたんと立場の逆転を狙っていたとしても、それは無理からぬ話と言えない事もない。

 成人した彼は、幸いにも姉達と同じ生物とは思えない程優しくしとやかな女性を妻にする事が出来た。がしかし、生まれて来る子供達は悲しいかなこれまたことごとく女。こよなく愛する妻の産褥を労りこそすれ、落胆を見せるわけにもいかない。彼はこっそり一族の血を罵り嘆いた。なぜならば末娘を除いてどれもパヴェレル家の呪われた性質──口やかましく、人の話を聞かない──を色濃く受け継いでいたからだ。

 喧喧囂囂けんけんごうごうたる子育ての挙句、病である時妻があっさりと亡くなると彼はいよいよあせった。こうなったら、早く彼女達を制御出来る器の広い男性を見つけてめあわせなければ。集中攻撃を自分ばかりが受けるのは納得いかない。

 しかし美しいだけにより一層娘達の矜持は高かった。最初は列をなす勢いだった求婚者達も、断崖絶壁よりも険しい障害(娘の性格)に次々と撃破され、現在では見る影もない。

 長女は穏やかに微笑んで見向きもせず、次女と四女はいいだけ使い走りにして飽きたらやはり見向きもしない。

 三女に至っては凍てつく様なまなざしで、「私と戦って十本のうち一本でも勝ちを収めたのなら」と宣言して斬りかかる始末だ。

 放置していてはいずれ娘達の悪評は遥か遠くの大陸にまで轟いてしまうだろう。久しぶりに訪れた王宮で、旧知の友に再会するまではダインセルツは頭を悩ませっぱなしだった。

「おお! ダインじゃないか。久しぶりだな、元気そうで何よりだ」

 他国に長い旅行に行っていたという、エミネール公爵リキウスが帰国の挨拶に来ていたのである。

「南の大陸に数年ほど滞在していてね。息子もようやく帰国を決めてくれてね。合わせて帰って来たのさ」

 ダインセルツの頭の後ろ辺りで、何やらはっきりと告げる声がした。

 そうだ、コイツには年頃の息子がまだ売れずに残っているじゃないか、と。

 聞けば長い間、諸国を修業の旅に出ていたのが独身の理由らしい。王の推薦を受けての旅と言うから、問題は全くなさそうだ。

 内心のほくそ笑みを表に出さぬ様、彼は穏やかに切り出した。「そう言えば、若い頃交わした約束を覚えているかい?」と。

 武人として技量抜きんでていたけれども、友人はひどく根がお人よしだった。全く記憶にない『約束』とやらに戸惑いを見せたのだ。挙句もしや大事な友との約束を忘れているのではないか、とすっかり不安になりさえした。その一瞬の隙を見逃さない程度には、ダインセルツは狡猾だった。

「もし私に娘が生まれて、おまえに息子が生まれたら、結婚させようと言ったじゃないか。アレだよ」

 約束なんてしていないのだから、覚えがなくとも当然である。

「……あ、ああ。そんなことあった……かもしれない」

「まさか忘れたなんて言わないよな? 名誉にかけて果たすと言ったじゃないか」

「も、もちろん覚えているさ!」

 ここで正直に知らぬと言えば、親友の信頼を裏切る事になる。引退したとは言え、騎士としての名誉にかけてそんな真似は出来ない。そして彼はダインセルツの手中に陥ちた。

 まあウチには娘が5人もいるから、どれを選んでも構わないよ──そうだ、いっその事、全員婚約者候補にしてくれてもいい。

 かくして理不尽にも交わされた親の約束と名誉に付き合わされ、静かな生活を望んでいた一人息子ヴェンツェルは渋々パヴェレル家の晩餐に出かけて行った。

 屈辱的とも思える取り決めに烈火の如く怒っていた娘達は、彼の姿を目にした途端、一人を除いて皆意見を翻した。琥珀を溶かし染めた様な髪に、浅黒く男性的で才知溢れる美貌。鍛え上げられた体躯。獲物に群がる猛禽達は、この晩より熾烈な争いを姉妹で繰り広げる事となった。

 そして1年の歳月が流れ、彼の心を射止める勝利者の気配は未だ見えない。──ダインセルツの憂欝は、まだまだ続くらしかった。


※※※※


 薔薇と銀と白磁に彩られた公爵家の食事の間は、穏やかな光に包まれていた。

 前国王時代から続くメルシュタイン様式の家具。流線形と植物模様の装飾、背と座張りは小花を散らした天鵞絨ビロード。花を好む家族はまた、室内にもそれを取り入れていた。

 一見ありふれて見える上流家庭の沈黙を、最初に壊したのは次女ミニアテューネだった。

「ちょっと遅いんじゃないかしら。ただお起こしして来るだけなのに」

「エンディが二階に上がってまだ5メルツと経ってないわよ」

 今にも立ち上がり二階へ行きかねない妹を、長姉マルグリートはたしなめる。

「昨日『襲撃』に失敗したばかりじゃない。今日はエンディ姉様の当番なのだから、ミニア姉様はおとなしくしていらっしゃいよ」

 8歳年下の妹をミニアテューネは睨み付けた。黒髪に白皙、紺青の瞳が美しい異国風な女性である。

 姉と対照的な、純マルスブルグ風な金髪に碧眼の四女イオネッタは小馬鹿にした様に笑う。

「ご心配なさらなくても、“あの”エンディ姉様がヴェンツェル様に迫るなんてありえないでしょ。朝っぱらから斬り掛かるならともかく」

「イオネッタ、はしたないわ。口を慎みなさい」

 名指しした妹と同じ古典的な美貌を持ちながら、どこか地味な印象を持つ年長の姉は、今朝何度目かのため息をついた。

「お父さまの御前なのですから、もう少し静かになさい」

「そう、お父様よ! お父様、わたくし納得いきませんわっ」

 むしろ数倍大きな声でミニアテューネは怒りの矛先を父親に向ける。

「な、何だね」

「どうしてわたくし達全員なんですの!? ヴェンツェル様の婚約者候補。マリー姉様とわたくしはともかく、エンディとこのイオネッタ達は必要ないじゃありませんか」

「ちょっと、ジェンナはわかるけどどうして私が必要ないなのよ」

「あんたはまだ14歳じゃないの! 年功序列ってもの知らないの」

 姉の意見をイオネッタは鼻で笑った。

「そんな事ないわよ。殿方からしてみれば、若い方がいいって場合もあるし。第一、『まだ』じゃなくて『もう』なんですー」

「はあ? 胸も大して育ってない小娘が何言ってんの。ヴェンツェル様に幼女趣味はなくてよ」

「何ですってえ!?」

「あーコレ、おまえ達。朝っぱらから止めなさい」

 父親らしく威厳を込めてしたつもりの咳払いは、せっかく逸れた娘の舌峰を自分に戻す事となった。

「エンディにしたってそうです。あの子は剣技を磨く事にしか興味がないんですよ? お父様。今だって随分嫌がっているじゃありませんか。そもそもヴェンツェル様を晩餐にお招きした次の朝、お起こしする役目だって、わたくし一人で充分なのです。エンディは朝稽古の時間を削られて大層怒っていますのよ?」

 娘の長広舌と剣幕に、ダインセルツは軽く背を仰け反らせる。

「た、確かにおまえ達全員を婚約者候補にしたのは私だが、選ぶのはヴェンツェル卿だ」

「だからどうして全員なのかと聞いているのです!」

 かすかな声で彼は呟いた。

「……数が多い方が確率が高いと思って」

「何ですって!? 聞こえませんわ」

「ミニア! いい加減になさい」

 姉の良識的な制止を、艶やかな形の良い唇でミニアテューネは笑い飛ばした。

「いい子ぶるのはお止しになったら? お姉様だって本当はそう思ってらっしゃるくせに」

「何て事を言うのです。それでもパヴェレル家の娘ですか! 恥を知りなさいっ」

 かくして花を好む優雅な貴族の朝食は、たちまち骨肉相食む罵り合いの場と化した。

「大体マリー姉様がぐずぐずと嫁がないでいるから、お父様が焦ってこんな真似を始めたんじゃないの。そうでなければ今頃、ヴェンツェル様は私を選んで下さってるわ。きっと周りに気兼ねしているのよ。お可哀相な方」

 うっとりとあらぬ方向を眺める姉にイオネッタは冷ややかな眼差しを向ける。

「ミニア姉様、どうしてそう言い切れるの? 年増の遊び人を選ぶのは、もの慣れていない若造か同じ位の遊び人が相場だっていうじゃない」

「遊び人って誰の事なんだい」

「あら、お父様知らないの?」

「なっ、何言ってるのイオネッタ! 大体どこからそんな、下世話な話題を仕入れてくるのよっ」

 慌てふためくミニアテューネの声に重なって聞こえる、ガチャガチャという金属音。

 号令をかけたわけでもないのに一斉に彼らが音のする方角を見た時、ゆっくりと食堂の扉が開いた。

「朝から何を喚いているのですか、姉様方」

 怒りを含んで部屋に響き渡る声。

 またも一同は申し合わせた様に目と口を開けて愕然とした。

「エンディ! あなたまさかそんな姿で二階へ行ったの?」

「はい」

 マルグリートの呆れ顔に、顔色一つ変えずに甲冑の女騎士は答える。

「朝の鍛練の途中で時間になった事に気付きましたので」

「だからって……」

 磨き抜かれた白を基調とする防具には確かに血糊や汚れはない。それでも良く見れば細かな戦傷がいくつかあるし、そもそも朝の目覚めに出くわせば下手をすると亡霊に見えるだろう。

 マルグリートは額に白い指を添えて眉根を寄せた。

「あなた、わざとやっているのではなくて?」

「この方が合理的ですから」

 微笑み一つ見せずに鎧を外し小間使いに渡す。淑女というよりは牧場の使用人に似た簡素なシャツと細身のズボン姿となって、エンディは黙って大股で歩き出した。

 今年19歳になる三女エンデゲルドは、肌の色以外姉妹の誰にも似ていない。銀色に近い青い髪に、色素の薄い水色の瞳。すらりと手足が長く鍛えられたやや色気に乏しい体型からして、一見美女というよりは美少年という印象だ。

 食卓の脇を通り過ぎながら、外見を裏切らない滑舌の効いた甘さのない声で彼女は言った。

「湯浴みして参ります。食事はあとでブランカに届けさせて下さい」

「何言ってるの! 今日はヴェンツェル様がお見えなのよ」

「だから?」

 冷ややかな一瞥に姉のみならず家族が言葉を失った隙に、彼女は入って来たのとは反対側の扉から出ていった。

「……いつもながら、無愛想な事」

 呆れた様に言うミニアテューネにイオネッタも頷いた。

「あれは相当不機嫌ですわね。いつもの事ですけど」

 姉妹はどちらからともなく顔を見合わせたが、その直後再び扉が開いて今朝の賓客が姿を現したので、以後反抗期ど真ん中の家族の話題は立ち消えとなった。


※※※※


「ヴェンツェル卿は、この所国内に流れている噂をご存知ですかな」

 ようやく出始めた朝食の、魚の蒸し煮にナイフを入れながらダインセルツは黙々と食べ続けていた客人に問いかけた。

 ヴェンツェルはそれまで料理にしか注いでいなかった視線──ちょうど今は籠に積まれている麦のブーゲルを見ていた──を上げて問われた方向を向き、静かに問い返す。

 途中注がれる娘達の秋波は全て無視した。

「噂ならばとりとめもなく、さまざまにあります。不確かなもので公の御心を煩わせるには及びませんでしょう」

「あ――いや、それがな。あまりに多くの者達が別々に話をしているものだから」

 恐らくは普段まともに問い返される事が少ないのだろう、真っ直ぐな会話にダインセルツは目に見えてたじろいだ。

「最近その、南の方から。血生臭い風が吹いて来ると申すのだ。空も常に淀んでおるし」

「まあ、南と言えばマルティエグの方角じゃありませんの?」

 ヴェンツェルと会話出来る機会とばかりにミニアテューネが会話に加わった。普段は食事を何杯も代わりを頼むくせに、彼が泊まった翌朝の朝食は子猫も真っ青の少食ぶりである。現に今食べている料理も途中で放置されていた。

「そう言えば、マルティエグにはご友人がいらっしゃるとお聞きしませんでしたか? その方からは何か──」

「いえ何も」

 昨日の今日で、まともな神経の女性なら恥ずかしくて顔も見れないだろう。だがにべもない返答にも、ミニアテューネはたじろがなかった。

「心配じゃございません事? この際お聞きになってみてはいかがでしょう」

 ヴェンツェルは公爵の手前、思い切り愛想笑いを浮かべて見せた。

「そうですね。聞いてみましょう」

 彼とてマルティエグ方面がきな臭い事は充分承知していたが、仮にも王に仕える騎士が噂に左右されるべきではないとあえて無視していたのである。それに、つい最近その友人から届いた手紙には特に何も書かれてはいなかった。尤も、このご時世郵便が届くのは隣国ともなれば幾日かを要するので、その後何かあったという可能性もある。

 ミニアテューネに指摘されてしまった苛立ちはやがて、懸念へと変化を遂げた。今日帰宅したらまた手紙を送ってみようか、と。

「そうそうヴェンツェル様、マルティエグで思い出しましたけれど今度」

「やや、このリエットは実に美味しいものですね! いつもながら素晴らしい」

 大人げないのは充分に承知していたが、優しくする気は全くなかった。

 甘い顔を見せれば次回さらに過激な手を使うだろうと容易に想像がつくし、そもそも女性に見せる甘い顔とやらを彼はあまり持ち合わせていない。

 唐突に話の腰を折って野菜の煮込みを食べ、娘達がおよそわからないだろう国内の経済について語りだした。

「プレアタジネールとの貿易量が最近やや伸び悩んでいましてね。貨幣の相場も低迷しているのが懸念されるところです」

「おお! 実は私もそれは多少なりとも気になっていたのだ。近隣の建材はあの辺りから買い入れているから、何かあれば大問題だろう」

 予想外なダインセルツの生き生きとした表情に、ヴェンツェルは自分が罠にはまった様な気さえしていた。

 これなら魔物相手に戦っていた方が、よっぽど気楽だ。

 どうして帰国してしまったのだろうと、彼は己の判断を悔やむしかなかった。

脚注:1メルツは時間単位です。1メルツ=1分というわかりやすい変換でお考えください。

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