無計画と無鉄砲
エンディの予想は全くの正解というわけではなかった。倉庫を出たヴェンツェルとウィリアードが向かったのが見張りを命じられた上官や、兵士達が詰めるであろう営舎ではなかったからだ。
「考えたら俺達、場所知らないしな」
上機嫌にうそぶくウィリアードに少し笑って、ヴェンツェルは目の前に伸びる青毛氈の廊下に足を踏み出した。
あの後、兵隊達が来た方向を逆に伝っていき石彫刻も荘厳な城の正門に予想通り出くわした。城というものは大抵、侵入者に備えてあまり多く出入り口を作らないものだがこの城も例外ではないらしい。身分の別なく正門からの入城を定められているのが、ちょうどやって来た商人風の男を衛兵が誰何している様子からも看て取れる。
──好都合だな。
ヴェンツェルは男に気を取られている兵士に敬礼し(やり方は変わらないだろうと踏んでいた。そして功を奏した)、何食わぬ顔をして中に入り込んだというわけである。
白い硬質な外見と打って変わって、城内は母国まで行かなくとも華やかな装飾に彩られていた。国色が青らしく、近似色を使った模様が絶妙な均衡で柱や壁、扉に施してある。
「しかし随分と単純な造りの城だ……逆に隠れにくいぞ」
ウィリアードの言葉通り、正門から伸びた廊下はここからでも見える位置で四方に分岐しており、分岐点の中央に吹き抜けの小さな庭園こそあれど、その先にもまっすぐな通路が伸びている様子だ。扉は廊下に向かって並んでいる。
天井を見上げれば、庭園の上は都合四階分全てが吹き抜けになっているのがわかった。色とりどりの草木を植えた美術性の高い空間の両脇を階段が上に伸びている。階上も吹き抜けに面した部分は柵で守られており、下が容易に臨める様になっていた。
つまりここに出てしまうとどの階からもまる見えで、しかも必ず通らないと外には出られない可能性が高い。
「部屋と部屋が内部で繋がっていないとも限らない。手近な所に入って確認しよう」
「手近な所って……」
ウィリアードが辺りを物色していると、廊下の向こうから金属めいた足音が慌しく近づいて来た。
「おいお前達! こんな所で何を怠けているんだ!」
振り返ると背後に十数人ほど部下を従えてそこに立っていたのは、先ほど倉庫で見かけた上官の兵士だった。
「見張りをしていろと言ったはずだぞ!?」
どうやら甲冑の様子で相手がわかったらしい。だがウィリアードは怯みもせず、涼しい顔──防具の下で──をして答えた。
「はっ、申し訳ありません。それが不審な事に、壊れていたはずの城壁が元通りに直されているのであります。どうやら何らかの術をかけた模様で、入る事が出来ませず。近くに寄って調べていると、城に向かって入る者の影を見たものですから追って参りました次第です」
「何っ! それでそいつはどちらに向かった?」
「この階段を登った辺りまでは確認致しましたが……面目もございません、見失いまして」
作り声でウィリアードは頭を下げた。明らかに演技を楽しんでいる。
「わかった、俺は倉庫を確認して来よう。お前達は城内を見回って、不審な者がいないか探すんだ!」
言われて散り散りになる部下に紛れて、同じく二人もそれぞれ別方向に駆け出した。
「ちょっと待て」
ヴェンツェルの肩が、背後から掴まれる。
「お前確か、イーニアスとか言ったな。お前は一緒に来てもらおうか」
「はい」
「ん? お前喉の調子でもおかしいのか」
「ええ、実はさっきからどうも熱っぽくて」
特に仲間に目線を送る事もせずに、彼は上官に従い倉庫に向かった。
ウィリアードも振り返らない。すぐ傍の部屋の扉を無作為に開けて入り込んだ。
「失礼する! こちらに不審な者が逃げ込んで来なかったか」
──あの骨太、イーニアスといったのか。
友人については全く心配していなかった。捕まっても捕まらなくても、どちらにせよ再会するだろうと予測が付いたからだ。
返事はなかった。入った部屋は使用人の寝起きする場所だったらしく、無人の静けさだけが彼を出迎えた。
昼過ぎという時間帯もあって、皆働いているのだろう──そう思いながら、さして広くもない室内を見回す。正方形に近い広い間取り、敷き詰められた寝台と袖机。隅には簡素な鏡台や収納戸棚まであった。質素ではあるが、清潔だ。
──使用人の部屋としてはこんなものかもしれないな。
問題は、期待はずれにも仕切りや階段が全くなかった事だ。
外堀に向けてある窓から少しだけ城門を見やって、彼は部屋を出ようとした。
ふと何かが引っかかって背後を今一度振り返る。
──この寝台……。
およそ二十ほどもあろうか。枕元を付き合わせる様に二列に配置されているその一つ一つを、彼はしげしげと観察し始めた。次いで袖机の引き出しを開けて、中を確かめる。
「──やっぱりな」
低く呟いて、今度こそ扉を開けて足早に外に出た。
「おい、まだいたのかこんな所に」
廊下に出るや否や掛けられる声に振り返ると、見るからに緊張した気配を漂わせる兵士が近寄ってきた。
「ああ、ドゥーガルか。ここには誰もいなかったよ。上へ行こう」
言いざま階段へと歩きしな、「倉庫に?」と短く問う。
「まあな。だが、奴は勘付いていたようだ」
ヴェンツェルがここに戻って来たという事は、ドゥーガルとイーニアスの隣に押し込められた人物がもう一人増えたという事だ。
「そうだろうな。俺だったらその場で兜を取らせる。ただ腑に落ちないのは、どうして二人一緒に連れて行かなかったかだ」
「確かに。一対一で仕留められると思ったのか、それとも……」
二階に上がると、そこには下と同様の部屋並びを思わせる扉が見えた。ただ違うのは、明らかに使用人の部屋ではないらしいという所だ。うち右手の奥の扉の前には見張りの兵士すらいる。
「何だお前達。ここはさっき別の奴らが探していったぞ」
早くも見咎められて兵士が険しい声を出した。
「あちらも探したかな」
ヴェンツェルは彼らが陣取っている扉の向かい側を示した。
「必要なかろう。我らがここでこうして立っている間、誰一人廊下を通る不審者などいなかった」
「いや、そいつはまずいな」
「どこがだ?」
「どうやら侵入者は『目くらまし』を使えるらしいんだ。聞けばその術はあるものをない様に、ないものをある様に見えさせるらしい。念の為に調べた方がいい」
いかにも深刻そうな提案を、兵士は鼻で笑い飛ばした。
「そんな都合のいい術があるものか」
「しかし賢者はそういった術が使えるそうだから、用心に越した事はあるまい」
賢者、の言葉に兵士達は見るからに怯んだ。
「ば、馬鹿な。じゃあ開けてみろよ。どうせ何もないだろうがな!」
ヴェンツェルは片開きの木扉の前に立つと、耳を近づける素振りをしながら把手に手を掛けた。ゆっくりと手前に引く。
「ほ、ほら。誰もいないではないか」
勝ち誇る兵士に向かって「静かに」と、空いている方の手指を口元にかざした。
「──何か今、中で音がした。確認して来よう。ちょっと待っていてくれ」
「あっ、おい?」
するりと音も立てずに室内に滑り込み、ややあってから同じくひそやかに廊下に出てきた。
「済まない。俺の勘違いだったようだ」
「だから言っただろう! 我らがここにいる限り、何びとたりともこの領域には立ち入らせぬ」
「いや本当に失礼をした。では別の場所を見回るとしよう」
一礼をして駆け出した彼に、またも背後から小さく声が聞こえた。
「何かあったか?」
「ああ、あった。──いや、『なかった』と言うべきかな」
「え?」
「連中が賢者、の言葉に顔色を変えただろう。あの部屋は書庫だったんだ」
「ははあ、なるほど。それで『なかった』とはどういう……」
廊下を逆側に走ってしばし、書庫とは反対側の部屋の前で立ち止まる。手の甲で扉を叩いた。中からの返答はない。
「あるべき場所に、ごっそりと本がなかった」
場所から推測すると、国の歴史書が置いてあったらしい──そう言いながらヴェンツェルは扉の把手に力を籠めた。
「ここは鍵が掛かっているな」
向かい側の部屋も確認するも、やはり開かない。ウィリアードは両手を広げ、肩をすくめて見せた。
「考えたら無人の部屋だったら当たり前だよ。さっきの使用人の部屋は開いていたが、そっちの方が珍しいだろ」
「そうだな……」
ヴェンツェルは少し考え込んでから、「だが、妙だな」と呟いた。
「では何故、書庫が開いていたのだろう? 見るからに機密文書を置いていそうな書庫だったぞ」
「だとしたら、誰かが使用していたのかもしれない。またすぐ戻って来るつもりで」
自分で言いながらもその先にあるものをウィリアードも計りかねていると、下の階から「おい、今上で声が聞こえたぞ!」と人の駆け上がって来る気配がした。
「まずい、何やら嫌な予感がする。ヴェンツェル、とりあえず逃げるぞ」
「目算は?」
「どうにかなるさ!」
二人は細長い廊下を素早く見回し──突き当たりの小さな扉に駆け寄ると、把手を勢い良く引っ張った。