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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第3章 水上の貴婦人
17/18

どちらが先か

「おい、今こっちで話し声が聞こえなかったか」

 衛兵と思われる野太い声が、金属のぶつかり合う音と共に近づいて来る。

 一同は慌てて城壁の角の逆側に身をひそめた。

「早くバージを使うんだっ」

 ウィリアードが小声でだが、鋭く囁く。アーティルダは掌の小さな紙片を指で平らに広げた。

『土くれと大河の恵みにて形を成したものよ、互いを縛るいましめを解き、存在を大地に明け渡せ──』

「長いな! 来るぞ、間に合わない……急げ!」

『──同じ大地の申し子たる人の道を照らすように』

 その瞬間、目の前の壁の一部が音もなく崩れて、ぽっかりと大きな穴があいた。向こうには逆側の部屋の壁と、手前には積みあがった穀物の袋と食糧の木箱らしきものが覗いている。

「何だ! そこに誰かいるのか!?」

 靴音は一層早く荒くなり、声からさほど間を置かずに青銅色の甲冑姿が角から現れた。

「お、おい」

「こいつはもしかして……」

 話し声が聞こえたはずなのに、城壁の外には誰もいない。ただ白い壁に明らかな違和感を以て開けられた、丸く黒い空間。ちょうど人が通れる大きさの。

 兵士の一人が大穴を指差して叫んだ。

「盗賊だ! 食糧庫に賊が入ったぞ。──まだどこかにいるかもしれん、探せ!!」

 は、と短く答えて何人かが来た道を戻って行った。どうやら隊長らしき、徽章を甲冑に刻まれた男は続ける。

「俺は宰相閣下にご報告申し上げてくる! お前達は残って庫内を点検しろ。盗まれたものが何か確認するんだ!」

「はっ!」

 隊長が去った後、その場に残ったのは二人となった。一人はいかにも力仕事が向いていそうな骨太な体格の者で、もう一人はそうでもないが背がひょろ高い。いずれも若者らしかった。食糧庫の中に足を踏み入れると、背後を振り返って嘆息交じりに呟く。

「それにしてもこの壁、どうやったらこんな風に綺麗に円形に壊せるんだ」

「こりゃあ相当な悪党の仕業さ。盗賊ってもんは器用な上に悪知恵が働くからな……おい、お前そっちから調べろよ」

「了解。けどよお前、おかしくないか? この部屋」

 食糧庫の中は壁際に積みあがった袋や木樽の他に、木の棚で仕切られた内部に整然と干物や果物が木箱に入れられて並んでいた。少なくとも荒らされた形跡はない。

 骨太な男の疑問に、背高が笑った。

「どこがだよ? いつも通りじゃないか。盗まれた物はないらしいが、こりゃ俺達に見つかって、盗賊の奴、慌てて逃げ出したに違いないぜ」

「だからだよ。だったらどうして、奴らが逃げた形跡がないんだ」

「形跡って──」

 骨太は自らの親指で背後を指し示した。

「扉が閉まっているだろ。……ここ、外からしか開けられないんだぜ」

 大きく頑丈な扉は建材こそ木ではあるものの、破壊するとなれば時間がかかるだろう。ましてや閉じられたそれは全く手を加えられた形跡がない。

「じゃあ二階に逃げたんだろ」

 いや、と彼は中央の階段をしげしげと見つめ、次いで階上を窺った。

「上にも行った様子はない。そもそも階段を使ったのなら、いくら何でも足音が響くはずだ」

 石造りの建物はただでさえ音が響く。他ならぬ日々暮らす彼ら自身がそれは一番よくわかっていた。

「じゃあ一体……」

 二人はしばし顔を見合わせてから、仲良く同時に「堀だ!」と叫んだ。

「お前はここにいて見張りをしていてくれ! 俺は堀の辺りを調べてくる。確かどこかから外に繋がる水路があったはずだ。もしかしたら奴らそこから」

 背高が駆け出した時だった。彼の背後──室内にいた骨太から見て左手の物陰から──何かが音もなく飛び出して来たのである。

「ドゥーガル!」

 ドゥーガルと呼ばれた背高男は、低いくぐもった音と同時に身体を揺らして、そのままゆっくりと地に倒れこんだ。

「すまないな。だがしばらくの間、ここでお前さんがたにはじっとしていてもらおうか」

「なっ──」

 骨太男はいきなり口を利いた『影』に驚愕していて、自分の背後にも何かが忍び寄っている事に気づくのが遅れた。

「ぐうっ!」

 胴体に当身を食らって、彼もまた倒れこむ。

「……どうなさるおつもりです。いずれ衛兵も戻ってくるでしょう」

 倒れた骨太男から甲冑を剥ぎ取っているヴェンツェルに──気絶させたのも彼だ──別の棚の陰から姿を現して、エンディは問いかけた。

 兵士達が近づく間一髪のところで中に隠れたのはいいが、男が言う通り食糧庫から外には出られない。

 そもそもこんな騒ぎになってしまっては、いつもこっそりと城を抜け出しているドロテアでさえも、中に戻るのは難しいのではないだろうか。

「何かお考えでもあるのですか? 随分とためらいなく追いはぎの真似事をなさっている所を見ると」

「まあな」

 眉をひそめる同僚には構わず、ヴェンツェルはすっかり甲冑を奪うと軍服姿の男を部屋の隅に運び込んだ。

「ウィリアード」

「こっちも出来たぜ」

 背高男ドゥーガルを気絶させたウィリアードもまた、甲冑を脱がせてぞんざいに彼を仲間の脇へと押しやっている。

「ちょっと、あまり乱暴に扱うと目を覚ますのではありませんか」

「アーティルダ嬢。ちなみにこの扉を開くバージはあるか?」

 エンディの抗議を無視してヴェンツェルは問いかけた。

 かがみこんで隠れていた為、衣服についた砂埃を払ってアーティルダは怪訝そうである。

「そう都合のいいものは持ち合わせておりませんわ。壁と同じ様に破壊してもいいというのであれば出来ますが。外がどうなっているのか……最悪、大騒ぎですわね」

「もう騒ぎになっているじゃないの! 本当にこの壁、直せるの?」

 不平を鳴らしたのはいうまでもなくドロテアだ。横にはギリアンも一緒に隠れている。ひどく具合が悪そうだ。

「直せなかったら、ただじゃ置かないわよ」

「姫様、今更言っても始まらないのでは……」

「お前は黙っていなさいっ」

 ヴェンツェルは淡々と、奪い取った甲冑を身に付けながら言った。

「それよりも、王女殿。さっき兵士が『ここの扉は外からしか開けられない』と言っていたが。一番上の階の出入り口だけ、なぜ開いているのだ」

 ああ、とドロテアはどこか得意げに答えた。

「一番上の部屋の鍵だけ、合鍵を持っているのよ。料理長の目を盗んで作らせたわ」

「なるほど」

 一体いつ打ち合わせをしたのか、ウィリアードも「多少長いが、まあ何とかなるだろう」と青銅の胸甲板ペクトゥスを当てている。

「マルスブルグのものとさして変わらんな。付けやすくてありがたい」

「あの、いい加減何をしようとしているのか説明してくれませんか」

 エンディの声に苛立ちが滲んだ。

「簡単な話だ」

 手甲トレキスを嵌めて、カプレットを持つとヴェンツェルはようやく答える。

「私とウィルは兵士のふりをして城内に入る。王女殿と従者殿はいつも通り壁をよじ登る。エンデゲルド嬢とアーティルダ嬢はここで待っていてもらいたい。アーティルダ嬢に壁を修復してもらえば、時間は稼げるだろう」

「は!?」

「何をおっしゃっているんですか!」

 女性二人は、口々に反対の声を上げた。アーティルダなどは激昂している。

「こんな場所に兵士と二人でなんて、もし意識が戻ったらどうすれば良いのです!?」

「その時は、エンデゲルド嬢に任せれば問題なかろう。たかが兵士二人だ」

「で、でも。王女様だって、今の城内では見つかるかもしれません」

 そうよ、とドロテアも目を剥いている。

「上からみんなで出れば済むじゃないの! 分散なんて、何でそんな危ない真似を?」

「兵士に穴を見つかった以上、城に外部の者がいると疑いを持たれている。ならばそれを利用した方が近道だ。俺達がこの場所に兵士の注意を引き付けて、開いたはずの壁が塞がっていると知れれば、必ず現状を確認しに戻ってくるだろう。そして次に『中はどうなっているのか』と思うだろうな」

「なっ……それでは私達が捕まるではありませんかっ!」

「ああ、なるほど」

 わけがわからない、と呆れるアーティルダに対して、エンディは納得したかの様に頷いた。

「ソルファがどこに連れて行かれているか、捕まってみればわかりますね。了解いたしました」

「エンデゲルド様! しかしそれは危険過ぎませんか。だったら私達も一緒に壁を登った方が──」

「いいえ。貴方を担いでよじ登るのは私でも出来るとは思いますが、目立ちすぎると王女様達が戻りにくくなるでしょう。ここは私達が無関係に捕まった方がいいと思います」

 アーティルダは不安そうな面持ちながらも黙り込んだ。

 支度を終えて、衛兵姿になったウィリアードが快活に宣言する。

「よし。そうと決まったら作戦決行だな。まず俺達が外を見張っている間に、王女様とギリアン君は壁を登ってくれ。道具は持っているのだろう?」

 はい、と頷いてギリアンは懐から細い縄を取り出した。何で出来ているのか黒く鈍い色をしていて、硬く編まれている目からはほつれ一つない。

 次いで彼は手袋を嵌め、ドロテアと共に外へと出て行った。

「ヴェンツェル卿」

 二人に続いて外へ出ようとする彼を、背後から同僚が呼び止める。

「アーティルダさんのメンブラーナ、貴方がたが預らないのですか?」

 ヴェンツェルはカプレットを被った顔を僅かにこちらに向け「我々が持っていても仕方がない」とだけ答えて、出て行った。


※※※※


「なるほど……」

 渇いた呟きを聞きとがめたのはアーティルダの方だった。

「どういう事です?」

「追って説明します。それより時間がない。壁を塞いでください」

 仲間二人が置いていった甲冑を、部屋の一番隅にある木箱の中身を出してそこに詰める。中身はこの地方独特のものか、見た事もない魚の干物だった。他意は特にないが、多少匂いが移っても文句を言われる筋合いはない。

 干物を箱の陰に置いたりして隠しながら、そちらを見ずに答えた。

「は、はい」

 釈然としないながらも彼女は壁に向かって立ち、メンブラーナを取り出してぶつぶつとバージを唱える。ほどなくして壁は元通り塞がった。当然というべきか、室内は暗くなった。扉の上には換気の為の透かし窓があってそこから光は射しているが、やはり不自由には違いない。

「く、暗いですわね。私、昔からどうも暗闇は苦手で」

 見えにくいながらも、そわそわと身体を動かしているアーティルダの気配が伝わってきた。

 鈍い音がして「あいたっ」と短く叫ぶ。どうやら棚にぶつかったらしい。

「それにしても、あの二人。女性を囮に使うなんて! つくづく容赦のない人達です事。前々から思っていましたけれど、全く昨今の男性というものは──」

「アーティルダさん。もう少し待ってから、階段を登ってここから出ます。壁でも何でも、外の様子を見て壊しましょう」

 長広舌を遮られたからではなく、内容に彼女は首を傾げた。

「えっ? でも、バクストンさんの指示ではここで待てって」

「──いいですから。恐らくあの人達は、態よく私達を守る気でいるんです」

 全く嘆かわしい、と美しい声音でエンディは苦々しく吐き捨てた。

「あの、言っている意味がよく──」

「では考えてみてください。持ち場を離れて戻って来た兵士は確かに衛兵の甲冑を付けています。でも名前も片方しかわからないし、声も違います。兜を剥がされてしまえば、すぐにわかるでしょう。危険なのは向こうの方なのですよ」

「あ、まあ確かにそうですが……でも、それはこちらも同じなのでは? 食糧庫を調べに来るのは間違いないでしょうし」

「そうですね。このままじっと待っていれば、見つかるのは時間の問題ですね──何も外に出る術がないのであれば」

 アーティルダは二、三度目を瞬いてから感歎の声を上げた。

「だからエンデゲルド様は、ブランドンさんに私の持ち物について聞いたのですね。本当に囮にするつもりであるなら、メンブラーナを兵士に取り上げられない為に、予め預っておくだろうと」

「ヴェンツェル卿の名前を覚える気がないのは、何か理由でもあるんですか?」

「そんな事より、わかりましたわ! ──ではとりあえず、更に時間を稼ぐ為に上に上がって何か縄の様なものを探しましょう。この兵士二人を縛り上げるのですっ」

 俄然やる気を取り戻した彼女は、勢い良く階段を駆け上がろうとして足を踏み外し、もんどり打って後ろに倒れこんだ。

「アーティルダさん!」

「いたたた……」

 とっさに背後に回りこんで背中を支えていなければ、盛大に床に音を立てていたに違いない。エンディは小声で言った。

「何をしているんです! 大きな音を立てでもして、時間稼ぎどころかいち早く見つかってどうするんですかっ」

「す、すみません……どうも足元がよくわからなくて……」

「手摺に掴まってください」

「あ、そうですよね」

 幼児が這い登るにも似た鈍重な動きで、彼女はようやく何とか階段をよじ登り始める。また転ばれては叶わないから先に行くことも出来ず、もどかしく思いながらもエンディは溜息をかみ殺して後に続いた。

 ──単に損な役割を押し付けられたのかもしれない、という非情な考えが頭をかすめたが、深くは考えない様にして。

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