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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第3章 水上の貴婦人
16/18

司書、壁を破壊する?

 普段冗談しか言わない男の真剣な言葉というものは、場の緊張感を高めるに充分な威力を発揮するものである。

「ソルファ一人って……まさか。賢者を志しているとはいえ、『見習い』なのですよ。バージ使いでもない、ただの人間です」

 ウィリアードは首を捻った。

「だがエンディ。そもそも『賢者だ』と本人が公言してしまっているだろう。俺なんかは賢者についてはよく知らないが、さっきあいつ自身も話した様に何かしらの特殊能力を持っていると──少なくとも奴らは思っているんだろうさ」

「賢者は様々な『目くらまし』をかける事が出来ますものね……」

 自分の持ち物の中のメンブラーナの束を驚異的な速さでめくりながら、アーティルダも口を挟んだ。

「私達とはまた違う知識の持ち主ではありますが、時間のバージを捻じ曲げるほどの能力があるなら目を付けられてもおかしくはありません」

「だってそれは!」

 言葉に詰まったエンディに「そう、言ってしまったのだから仕方がない」とヴェンツェルも静かに答えた。

「それよりも、王女殿に案内してもらおう。まず我々はどこに行けばいいのだ」

「さっきわたくしが泳いでいた海を、海岸沿いにさらに東に行くと水路の入り口があるの。古くて実はもう使用禁止となっているものだけど、門もこじ開けてあるから問題ないわ。そこを進むと城の東の倉庫に辿りつけるから」

 ヴェンツェルは早足で裏口に歩み寄り、勢い良く扉を開け放った。扉は東に位置しており、周囲には穏やかな海と白い砂浜、遠くには岩場と先ほど見ていた風景が広がっている。

「見渡す限りらしきものは見えないが……もしかして、結構距離があるのか?」

 問題ないわ、とドロテアは事も無げだった。

「泳いでたったの1メルカート程度よ」

「1メルカート!? 辿り着く前に消耗してしまうではありませんかっ」

 アーティルダが唐突に会話に加わった。手には小さく畳まれたメンブラーナを持っている。

「そうかしら。わたくしは平気なんだけど……それに、あなた方身体を鍛えているのでしょう?」

 つらとしたままの王女に、彼女は額をこすりつけんばかりの近さにまで顔を寄せて訴える。鋭く右手の指をヴェンツェルに突きつけながら。

「あちらに突っ立っている『バージまで体力になっていそうな方々』はいざ知らず、大抵の人間はそんなに長く泳ぎませんわ! それに荷物が水浸しになってしまうではありませんかっ」

「前半は意味がおかしい上に聞き捨てならないが、確かにその通りだな。他に方法はないのか?」

 ウィリアードの問いにドロテアは何故か一度ギリアンを冷ややかに一瞥してから「じゃあ船を使うしかないわね」と面白くなさそうに答えた。

「何だ。そんなまっとうな方法があるのなら泳ぐ必要なんてないじゃないか」

「でもこの者が使っている小さなものしか今はないわ。何人も乗れるかしら……」

 ギリアンは床に膝をついた姿勢のまま「あの船は三人が限度でしょう」と呻く様に言う。

「じゃあ決まりだな。俺とヴェンツェルは泳いで行くさ。何せ体力には自信があるから、なあ?」

 当てこすりにアーティルダを見ると、爽やかな笑顔を向けられた。

「ご立派な心掛けです。では話も決まりましたし、行きましょう──」

「待って下さい。私も泳ぎます」

 戸口に向かいかけた一同は、不快さに満ちた女の声に足を止めて振り返った。

 エンディがこちらを睨みつけている。

「『三人が限度』な船に甲冑を着た人間が乗って、もし沈みでもしたら大変ですわ。それでなくともアーティルダさんのメンブラーナに何かあっては、バルトマイアスとやらが万一『無属性』だった時太刀打ち出来ないではありませんか」

「いや、元々甲冑は船に載せるつもりだったし。君は野郎よりは随分と軽いだろう」

 旅用の甲冑は強度の割に非常に軽く出来ているが、泳ぐとなれば致命的な足枷にしかならないだろう。鍛えているとはいえ、どこにそんな力が出せるのかというほど細い女性である。甲冑三つと一緒に乗ってもそう重量があるとは思えなかった。

「それこそ無理をされていざという時に体力負けでもされたら」

 隣から伸びてきた腕に遮られ、持ち主を見る。

「ヴェンツェル?」

「……ここで揉めるのは時間の浪費だ。行くぞ」

 颯爽と足を踏み鳴らしてヴェンツェルは戸口から外へと出て行った。

 通り過ぎざま、「足手まといになったら遠慮なく置いて行くから、そのつもりで」とエンディの耳元で低く呟く。

 エンディは唇を噛み締め、「その言葉、そっくり卿に返して差し上げます」と遠ざかる背中に吐き捨てた。少し離れて後を追う。

 さらに続いたドロテアは、隣にいるウィリアードに興味深げな視線を向けた。

「貴方達って本当に仲が悪いのねえ。なのにどうして一緒に旅をしているの?」

「大人だからね」

「わかったわ、確かそういうのを『面の皮が厚い』というのよね。さすがだわ」

「姫様、それは褒め言葉になっていません……」

 一番後に付き従うギリアンのため息混じりの言葉が、静かな浜辺にやけに響いた。


※※※※


「こりゃあ想像以上だな……」

 どうやら水門は、ドロテア達を除く人々の記憶から抹消されて「本当に」久しいらしい。

 説明から受けた印象よりも遥かに老朽化して、危険な様相を呈していた。

 カルクム石は耐久性に優れているという話だが、この水門には違う建材が使われているのかというほど崩れかけて苔むしている。

 中央の鉄の門はかつては頑丈なものだったのだろうが、捻じ曲げられ船が簡単に通れそうな隙間が空いている。つまりは全く用をなしていない。

「水門って言っても、水をせき止める役割はもっと別のところでするから。この門はいわば、防犯上あるものだったみたい」

 ドロテアは、水に濡れた長い髪の毛を無造作にかき上げながら水門に歩み寄った。

「ギリアン、そっちは大丈夫だった?」

 声を掛けられた従者は歯切れよく「異常なしです」と答えるものの、近寄る気配はない。入り江で二手に分かれて移動し、この水門の前で再び合流して以来彼女の従者はさらに主人から離れて視線だけで動きを追っている始末だった。

「防犯上って言ったって、こんなになったらまるで役立たずだな。一体どうやったら鉄の扉をこんな風に曲げられるんだ?」

 ウィリアードもまた、水滴が身体を滴るに任せて隙間部分を指差した。甲冑を脱いで騎士服すら付けず、下着同然の黒い衣服一枚が敏捷な鞭にも似た肢体に張り付いている。今拭いたところで、どうせまたずぶ濡れになるとそのままにしていた。

「どうやったらって、多分元々この扉は古くなっていたからじゃないかしら。わたくしは触って力を入れようとしただけですもの」

 多分、と船の後尾に陣取ったままのアーティルダが答える。

「王女様の水のバージのせいでしょう。鉄は特に錆に脆いものですから。だから今では大抵、水門にはエイブラヒ鋼を使うのです」

「へえ、それって確かガンターヴァで採れるとかいうものだろう。武器にはよく使われると聞いているが、建材にも使われているとはな」

「つまりこの門は前時代に作られたまま、というわけですね」

 息切れ一つ見せないエンディの声に同僚二人は同時にちらりとそちらを見たが、何を思ってか気まずそうにすぐさま目を逸らした。

「どうかしましたか?」

「……いや別に」

「どうもないさ、なあ」

 形の良い眉をわずかにひそめたものの、特にそれ以上言及せずに彼女は水門の中に足を進めた。濡れた衣服が気持ち悪い、今はそれだけである。

 ドロテアは専用の服を身に付けているからいいとして、ずぶ濡れになったエンディをさすがに直視するのは悪いなどと、気を遣われているのを当の本人は全く気づいていない。

 もっとも着ているのは薄い青にせよ胸元は布で何層にも巻いている為、曲線の少ない体の線をそう気にするには及ばないのだが──二人とも礼儀知らずというわけではないので、無視を決め込む事にしたのだった。

「前時代……プレアータ族がこの土地に来た頃の話か。じゃあむしろ、崩れずにいるだけまだマシなんだろうな」

 岩場の合間を利用して作られた水門は鬱蒼うっそうと茂った木々に囲まれ、人目を忍ぶ必要などないくらいに薄暗い。涼やかな水の音もむしろ秘境の神秘を思わせ、これから向かう先への好奇心とささやかな不安を誘う。

「じゃあ行きましょうか」

 緊張を抱えていた訪問者とは違い、ドロテアは落ち着いたものだった。言うなり水の中にほぼ音を立てずに飛び込む。同時にギリアンも船のかいを動かし始めた。水門の中に入り、未だ水に入らずにいるヴェンツェルらに並ぶ。

「ではお先に」

「ああ」

 心なしか顔色の悪い青年は無表情でゆっくりと船を動かし始めた。遠ざかって行く姿にエンディが首を傾げる。

「あの人、水が恐いんじゃないでしょうか?」

「そんな話は後だ。行くぞ」

 ヴェンツェル達はさっさと水路に飛び込んでしまった。仕方なしに後を追う。

 海中と違い、水路は暗かった。

 まるで深海に迷い込んだかと思えるほどに、藍色の世界が広がっている。本当の深海とは違い、両脇をそう広くない幅で壁が覆っている。プレアタジネールに来てからは当たり前なものにしても、一般的な水路より遥かに深い。足が付かないのだ。

──これなら海の方がまだ泳ぎやすいかもしれない。

 閉塞感と、いつ到着するかわからないまっすぐな路にエンディが脅威を感じ始めた時、水路の足元付近が急に闇に包まれた。

──えっ。

 それまでも充分に暗くはあったが、さすがに底が見えていたものがいきなりなくなったかに思えたのだ。しかも。

──あれは……。

 遠く下方に二つの光点が見える。目だと感じた。少なくとも今までどんな魔物にも見たことのない色の目だった。

 その両眼が自分を射抜いた様な気がした瞬間、エンディの背筋をものすごい早さで恐怖の氷塊が貫いた。同時に力の限り腕を動かして、上へと泳ぎあがろうとする。

「どうしたんだ、エンディ!? 何かあったのか!」

 遠くからウィリアードの声が聞こえた。どうやら既に水路の終わりに来ていたらしく、目の前に小さく石階段が見える。日差しが水面を照らしていたから、彼はもう上がっているのだとわかった。

「大丈夫か? まさか溺れたなんて言わないよな」

 からかう同僚の言葉を聞き流しつつも、今しがた見たものの影でも見えはしないかと水路を見つめる。だが全く気配はない。

──一体あれは何だったのだろう。

 帰りもこの道を通るという事実をひとまず頭の隅に追いやって、エンディは仲間の後を追った。階段を上がると、すぐ傍に城壁らしい灰色の石壁がそびえ立っている。

「ここが倉庫か?」

 聞いたのはウィリアードだった。頭を振って耳から水を出している。

「見たところ、出入り口がない様だが」

「ええ。窓は上にあるけど、扉は内側にあるの。城内からしか普通は入れないわ」

 渡された布で頭を拭きながらヴェンツェルも上を見上げて眉をひそめた。

「ではまさか、あの窓までよじ登るというのか?」

 ドロテアはにっこりと笑う。彼女だけが濡れた身体を拭きもせずにそのままでいた。

「そのまさかよ。私はいつもギリアンにおぶってもらっているけど」

 四人は一瞬言葉に詰まって黙り、期せずしてお互いの顔を見合わせた。

「……それは……いや。出来ないわけでもないが」

 冷静を誇るヴェンツェルでさえも戸惑いを隠せない。

 彼が先ほど示した窓は、ここから優に四部屋分はありそう高さに位置していたからだ。自分達は何とかなるだろうが、約一名体力のない人間がいるのをどうするか。

 いや、「誰が背負うか」である。

「──私ならお構いなく。これがありますから」

 アーティルダは荷物からメンブラーナを再びかざした。

「さっきから気になっていましたが、それは何のバージなのですか?」

 壁を登るなら荷物は身に付けなければ、とエンディはもはや甲冑を着直している。

「岩を解体するバージです。カルクム石ならこれで簡単に穴が開きますよ」

「ちょっと! 城に穴を開けようというの!? 冗談じゃないわっ」

 柳眉を逆立てて詰め寄る王女に、アーティルダは企みの笑みを浮かべる。

「元に戻せば問題ないんじゃありません?」

「あるのか?」

 そう聞いたのはドロテアではなくヴェンツェルだった。こちらももうほぼ支度を整えている。

「ええ。『解体』と『結合』は一組で持ち歩いていますから」

 ウィリアードが快哉の声を上げた。

「バージ使いが盗賊になったらエライことだな。絶対に捕まらないだろ」

「まあ今回の場合を除いて、外に出るには制約がありますからそういないと思いますが。問題はこっそり出来ない点ですね。この壁の向こうは一階から倉庫なのですか?」

「え……ええ。でも本当に、大丈夫なの」

 ドロテアはまだ信用しきれない、といった様子を見せた。

「その『バージ』というのは便利な術か何かなのかしら。だったら、それで上に上がった方が確実だと思うけど」

「そんなものはありません」

 アーティルダは笑顔のままきっぱりと断言した。

「えっ!?」

 異口同音に反応したのは、旅仲間三人の方だった。

「ないのか?」

 ウィリアードが問う。

「さっきから質問が変ですよ。──少なくとも今は持っていません。基本的にバージは物を変質させる内容が多いので、翼をなしに空を飛ぶなどという行動が出来るかどうかもわかりませんが」

「それじゃやっぱり……」

「壁破壊しかありませんわね。ご心配なく、一瞬で済みますから」

 『破壊』の言葉に鼻白むドロテアに構わずメンブラーナを開いたその時、壁の左手から複数の人間の話し声が聞こえてきた。

脚注:メルカート→時間の単位で、メルツの上です。60メルツで1メルカート。1時間と思ってくださいませ。

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