潜入という名の災難
「いいじゃないか、せっかくエンデゲルド嬢の方から手合わせを仕掛けて来たんだから。願ってもない機会だったろ?」
「あのなー……」
ウィリアードは、ソルファの手当てを受けながらからかい混じりの僚友の言葉に不平を鳴らした。
地が砂浜とはいえ、必死にかわしている内にあちこち打ち身が出来てしまっている。ソルファが部屋の奥から持ち出して来た、見た事がない様な色の薬草をすり潰した膏薬に顔をしかめつつも、黙って塗られるがままになっていた。
「あれはどう考えても手合わせじゃないだろ。見ていないでとっとと助けて欲しかったよ。危うく首が胴から離れる所だったぞ」
怪我を負わせた犯人はというと、傍の机にある書物をアーティルダと眺めて全く悪びれる様子もない。
愉快そうな笑い声を表情と共に収めて、ヴェンツェルは小さな石造りの家の一室を珍しそうに観察する娘に視線を移した。
町外れにあるこの建物はソルファの師匠の持ち物だと言うが、ごくありふれた外観を裏切って、室内には得体の知れないものばかり並んでいた。
壁に積みあがった古い書物、大小様々な瓶や壼。天井は高い方だがぶら下がっている薬草や獣の骨などで、部屋はひどく狭い。
不気味にすら思える内装や家財道具に、加えて薬と獣の入り交じったらしい不思議な匂い。アーティルダなどはさっきから眉間が縮まったままである。
だが娘は不快そうには見えなかった。ひたすら興味深げに、部屋の中を見回している。
「さっきの話の続きだが」
ヴェンツェルが自分に話し掛けているとわかると、自らを王女と名乗った娘は目を瞬いた。
「正直な所、私達は貴方が誰であろうとさして興味はない。だが、仲間をいきなり試した理由を聞かせてもらおうか」
冷ややかで横柄極まりない声音に、屈辱を感じたのかドロテアは紅い唇を噛み締めた。
遥か背後の壁際に彫像のごとく膝を付いて控えていた、赤毛の青年が腰を浮かせる。
「ギリアン、およしなさい」
「ですが姫様、この様な他国の者に頼るとおっしゃるのですか。私は反対です」
「また話を蒸し返すつもり? わたくし達だけではどうにもならないと言ったでしょう」
「どうでもいいが、ギリアンとか言ったか。言いたい事があるならもっと近くに寄ったらどうだ。そこからだと犬が吠えている様に見えるぞ」
手当てが終わったウィリアードが、わざとらしく椅子の背もたれにふんぞり返って笑う。
確かに青年は主であろう娘からずいぶんと離れた位置に陣取っていた。まるで彼女の周囲何マルスか、目に見えない防御膜でもあるのかと思うぐらいだ。
「お姫様に何かあっても遠すぎやしないか?」
「気になさらないで。それより話をさせてもらえないかしら」
言い返したのは顔を赤くしている当人ではなく、ドロテアの方だった。心なしか、苛立ちが声に混じっている。
「率直に言うわ。わたくしはある人物をこの国から追い出したいの。その為には腕に覚えのある協力者が出来るだけ必要だから、悪いとは思ったけど旅人でそれらしい者がいれば試させてもらっていたわ。最近は滅多に見かけなくなったけど」
「へえ。誰だか知らないが、ずいぶんと嫌われたものだな」
彼女は表情を曇らせる。
「この国に入って貴方がたも感じたはずよ。街に人が誰も歩いていない。他国との交渉を絶ってしまって、国内は今深刻な物資不足になろうとしている。他にも色々問題はあるけれど、何もかもあの男が来てからおかしくなり始めたの」
「その元凶の男とは、もしかして宰相殿の事か?」
横からソルファが口を挟んだ。山と積みあがった書物を片っ端から壁際にどけて、何とか客人を座らせようと奮闘している。
ドロテアは首を傾げた。
「貴方はこの国の人?」
「そうじゃないけど。僕は一応この家を預かってしばらく住んでいるから、新しい宰相の噂は聞いているよ。城に人が連れて行かれるんだろう」
「話が早いわね、その通りよ。バルトマイアスは──あの男の事だけど──お父様を完全に支配下に置いている。でもどこから来たのかもわからない、正体の知れない者なの。なのにいつの間にか宰相の座に納まり、新しい政治の為に人手が必要だと国民を連れてくる。そして彼らが消えているのは知っていても、今では誰ひとりそれに触れようとしない。……咎めた者は例外なく、次の日にはいなくなっているから」
彼女が言葉を切って顔を歪めると、室内は重苦しい沈黙に包まれた。
色とりどりの壷に見入っていたエンディやアーティルダも、食い入る様にドロテアを見ている。
「……なるほど。とにかく頼りになりそうな人材が欲しい、という理由はわかった」
ヴェンツェルの言葉にドロテアは顔を輝かせた。
「では、協力してもらえるかしら」
「それはまた別の話だ。第一そこの従者が言う様に、我々が何者かもわからないというのに助力を請うのか? 少し虫が良すぎるだろう」
「報酬を望むという事? であれば、その点は保障するわ」
彼は溜息をつくと、出来の悪い生徒に教える教師の様な顔になった。
「王女殿は学ぶという能力をお持ちなのか? 余所者を迂闊に信用してならないというのは、宰相の一件で身に沁みていると思うが。金に釣られる様な輩であれば、尚の事だ」
「ヴェンツェル卿。素直に『面倒に巻き込まれるのは御免だ』と言ってはいかがですか」
言葉と同じくらい冷ややかなエンディの眼差しにも、ヴェンツェルはたじろがなかった。
「忘れるな。我々は王命を受けて旅をしているのだ。マルティエグに行って調査をする前に、時間を取られている場合ではない」
「しかしプレアタジネールはマルティエグほど友好国ではないにしても、王族の心証を損ねるのは外交に問題が出ると思います。それにもしかしたら、宰相の秘密はバジ=ストフコに関わるものかもしれません」
「バジ=ストフコ?」
いつの間にか額を近づけて小声で言い合いをしている二人の背後で、ドロテアの鋭い声がした。
「今、バジ=ストフコと言ったわよね? 傷や病を治す、あの薬の事でしょう」
エンディは振り返った。
「何かご存知なのですか? そう言えば、この国の薬局からは近頃なくなったと聞いていますが」
「ええ、そう……そうなの。あの男がひどく興味を持って……いきなり『これは偽物の疑いがある』と言い出して、国内から引き上げさせたのよ。でも」
考え込むドロテアの瞳には、不安の色が揺らめいていた。とてもかすかな記憶を何とか手繰り寄せているものの、自分がなぜそれを知っているのか理解しかねているといった風だ。
「何の折に聞いたのかはわからないけど……『読み解く』と。そう、『読み解いて、組み込む』と言っていたわ。でもどうしてわたくしがあの男の言葉を覚えているのかしら。話した事なんてないのに……」
「姫様?」
元々血の気の薄い主人の顔色が、更に悪くなっていく。ギリアンはとっさに足を踏み出して、よろめく彼女の身体を支えた。
「……ごめんなさい、ギリアン」
自分に負けず劣らず蒼白になりつつも首を横に振る従者に、ドロテアは儚げな笑みを浮かべる。
「おいおい、従者殿。手が震えているじゃないか」
ウィリアードのからかう声に、「仕方ないのよ」と彼女は呟いた。
「ギリアンはわたくしに触れるのが恐怖なの。従者など辞退する様いつも言っているのだけど」
腕を押しのけて、ドロテアはよろよろと立ち上がった。
「話が中断してしまったわね。つまり貴方がたは、国の揉め事は関わりたくないけどバジ=ストフコについては知りたいのでしょう? だったらこれは取引になるんじゃないかしら」
「私もこの方達には協力した方がいいと思います」
何についてかずっと渋面を作っていたアーティルダが、ここに来て初めて口を開いた。
「そのプルトロレンツォとかいう人物は、間違いなくバージについて何かを知っていますよ。もしかしたらバージ使いという可能性もあります」
「ぷるとろ? 一体誰の話をしているの」
一人首を傾げるドロテアを除いて、他の全員が彼女の言い間違いを無視した。今はそれよりも大事な話をしているという一点で、珍しく団結したのである。
「『読み解いて、組み込む』か──確かにバージを指して言いそうな言葉だ」
「だがヴェンツェル。バジ=ストフコを『読み解く』という事か? 万能薬を読み解いて何かに組み込んだところで、害になるとは思えないぞ。消える国民にも結びつく気がしない」
「いえ。……そうとは限りません」
全員がアーティルダの顔を振り返った。ずいぶんと深刻な表情をしている。
「ここに来る途中申し上げました様に、バージを生命に取り入れるのは未知数な部分が多いのです。偽物を飲んだ人々が消えてしまったのと、もしかしたら無関係ではないのかも……」
「これで話は決まりましたね」
あっさりと言い放ったのはエンディだった。爽やかに微笑んでドロテアに向き直る。
「話をお受けします、王女様」
「エンデゲルド嬢!」
たしなめる同僚に向かって彼女は完全無欠の笑みのまま応えた。
「ガタガタ言うよりも行動あるのみです。それこそ時間の無駄というもの──ところで、具体的な策はありますか?」
「ええ一応。それには城に入らなければならないのだけど、わたくしがいつも使っている秘密の抜け道があるの。順路は追って説明するわ」
「わかりました。ご期待に添えるよう尽力しましょう」
優雅に一礼する女剣士に、ドロテアもまた安堵の笑みを浮かべた。
「貴方がたこそ、初対面のわたくしの話を信じてくれて感謝するわ。普通は王女なんて言われても『証拠を出せ』などと言うのだと思うのだけど」
それは、とエンディは友人の少年の方をちらりと見た。次いでアーティルダを。
二人とも強く頷いている。
「貴方は『水のバージ』を享けていらっしゃる様なので。疑い様がありません」
「水のバージって? さっきも言っていたわね。『バージ』って一体何なの」
「話すと長くなります。世界を創るもの──とでも申し上げましょうか」
説明にエンディが少し困っていると、唐突に玄関の方から大勢の人間が近づく足音が聞こえてきた。
「ソルファ?」
少年はかつてない真剣な表情をして、戸口を鋭く睨んでいる。
「……そんな馬鹿な。この家には『目くらまし』をかけてあったはずだ」
破られたのか、と小さく呻いて彼は駆け出した。その瞬間。
扉が勢い良く開いて、衛兵の格好をした男達が次々と家に乱入して来た。
「ナヴァルネ=イゼナハムはいるか!」
総勢で十人程度の兵士達の内、最も立派な鎧を着た人物が前に進み出て怒鳴る。
すぐに答えられずに立ち尽くしていた一同を兵士は順に視線でひと撫でし、ドロテアの所で一旦止まると不気味な笑みを浮かべてすぐさま逸らした。
「どうした! 隠すと為にならんぞ。城からの召喚状である。さっさと出て来い!!」
「──僕がナヴァルネだが」
ソルファは意を決した面持ちで、背後を庇う様に前に進み出た。
「用向きを教えてもらえないだろうか」
「宰相閣下はわが国の為に様々な研究を行っておられる。賢者たるその方の見識を伺いたいとの名誉あるお達しだ。──連れて行け」
両脇を兵士達にすぐさま抱えられて、ソルファは慌てた。
「ま、待ってくれ。それは長い期間なのか? だったら荷物を持っていかないと」
「うるさい奴だな。黙ってついて来い」
腰間の剣を抜き放つと、兵士は白刃を少年の首筋にかざして下卑た嗤いを浮かべる。
「荷物など要らんさ──どうせもう、戻って来る事もないんだからな」
「ソルファ!!」
思わず駆け出そうとするエンディを、横からヴァンツェルが止める。
今しがたの話から、むしろ願ってもない機会だというのは彼女にもわかっていた。だが、宰相に辿り着く前に仲間に怪我をさせられては──
「エンディ……僕は大丈夫だ。心配しないでくれ」
気丈にも凛々しく微笑み、ソルファはそのまま連行されていってしまった。
不快気に眉をひそめて友人の後姿を見送った、エンディの背後から呆れ気味な声がする。
「何というか……まあ、一世一代の晴れ舞台だったな」
「ウィリアード卿!!」
「おっと、今は君と手合わせしている暇はないぞ。第一検問を抜けられた時点で予想出来たんじゃないか?」
エンディが柄に手を掛けるのを遮って、ウィリアードは傍らに視線を移した。
ドロテアも頷く。
「最近あの男は連行するのを『能力のある者』にしているらしいの。必要がなければ余所者は検問で拒否してしまうわ。だから通れた時点で、わたくしも貴方がたは只者ではないと踏んでいたのよ」
「だそうだ。どちらにしても、さっさと城に殴りこんで次に進むしかなさそうだな」
でも、とエンディは唇を噛み締めた。
「だったらどうして、全員を連れて行かなかったんでしょう? せめて一緒であれば、守る手立てもあるというのに!」
「わからないが──一匹釣ったら一網打尽に出来ると思ったのか、或いはこちらの方が可能性が高いが──」
言いさしてさすがにウィリアードも表情を改める。
「賢者を釣る為に仲間を入国させ、警戒心を解かせようとした──つまり、奴らの狙いは最初からソルファ一人だったのかもしれない、って事だな」