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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第3章 水上の貴婦人
14/18

濡れ衣騎士とずぶ濡れ姫君

 陰鬱。

 プレアタジネールの城下町を表すのに、この表現以上相応しいものは見当たらないと思われた。

「昼だっていうのに、一体何なんだこの活気のない街は」

 ウィリアードが呆然と呟くのも無理はない。

 建物を繋ぐ道代わりの石畳の橋、そのどこを見回しても人の気配がないのである。たまにいたとしても鎧を着た兵士だ。それがなければいっそ廃墟ではないかと思わせるほどに生活の様子が見られなかった。店はことごとく門扉を閉ざし、『休業』の札が掛けられている。

「今日は休日か何か……」

 言い差して、少し前を歩く少年の冷ややかな眼差しに「な訳ないか」と訂正した。

「この町は最近いつもこんな状態だ。人が度々減っているから、というのもあるけど。一番の理由は恐いから、じゃないかな」

 かた、と頭上から音が聞こえる。

 少年がすぐ傍の建物を見上げると、ちょうど開いていた窓が閉められる所だった。後を追う様にウィリアードが見上げると、窓の中にいた人影はそそくさと部屋の奥へと消えて行く。それだけならまだしも、同様に付近の家の窓も次々と閉まっていった。

 ソルファは連れに向かって両手を広げて見せる。

「──こんな風に。住民は自分達以外の者を受け付けなくなっている。何がどう結び付いて城に召しあげられるかわからないからね」

「それで余所者まで疑うのか?」

「来る時の衛兵の審査を見ればわかるだろ。王が他国との交流を絶っている今は、旅人なんて災いの種にしかならないというわけさ」

 中心街をさっさと通り抜けて、見るからに栄えていない東側に向かうソルファに彼は眉を上げた。

「まさか宿屋には泊まれない、なんて言わないだろうな」

「面白い事を聞いてくるじゃないか。全て店は休みだと言った筈だろ?」

 全く愉快そうには見えない顔で、少年は連れを一瞥する。

「今晩は僕がいる家でおとなしくしていた方がいい」

「……お前の家、まさか海の中にあったり洞穴にあったりとかは」

「何か言ったか!?」

 剣呑な目つきでソルファが怒鳴る声に被さって、大きな水音が聞こえた。

「あれは……」

 音がした方角を向いたウィリアードが呟いた。

 岩場が途切れた部分は砂浜となっていて、青く透明感溢れる波が静かに打ち寄せては白い砂に濡れた軌跡を残して行く。魚がいてもおかしくない美しい浜辺だが、音からして随分と大きな魚に思えた。

 凪いだ海の事、沖近くで今もそこだけ飛沫が上がっている。何かがいるのは間違いないのだが。

「魚──には見えないな」

 一瞬飛び上がった姿は、どう見ても人間に見えた。波間から覗いたのは、碧色の髪がまとわりついた丸い頭だったからだ。

「ああ、人が泳いでいるんじゃないかな。この浜では時折海に潜っている人を見かけるよ」

「街の人間は出歩かないんじゃなかったのか?」

 特に問題視していなかったと見えて、ソルファは「そう言えばそうだな」と首を傾げた。

「王の変な噂が立つまでは結構いたから……確かに見たのは久しぶりかもしれない。漁をする時間でもないし」

「まさか泳いで逃げ出そうとしているんじゃないだろうな」

「さすがにそんな無謀な事はしないだろ。第一ここからじゃ出られない──あっ、おい!」

 ウィリアードは皆まで聞かずに駆け出した。高く一跳ねし潜って以降、『それ』が浮かび上がる気配がなかったからだ。

──溺れたかもしれない!

 彼は鬼神のごとき俊足で浜辺に辿り着くと、背中に背負った大剣を外そうと身体の皮紐に手を掛けた。

「ウィリアード! おまえそんな恰好で海に入ったらあっという間に溺れるぞ」

 息せき切って追いついた少年に取り外した剣を放り投げる。

「いいから、ちょっと持ってろ」

「うわっ!」

 何気なく受け取ろうとしたソルファは剣を手にした途端にもんどりうって砂浜に尻餅を付いた。

「何だこの重さは!」

 不平の叫びにウィリアードは頓着せずに、甲冑を外そうと指を動かしている。

 その時突然目の前の海の一部がせり上がって、人の姿をした物体が現れた。

「な!!」

 叫び声を上げたのはソルファの方だった。驚いた理由は相手が人間だったからではない。

 それは若い娘に見えた。碧色の長い髪が濡れて華奢な身体にまつわりついている。髪と同じ色の長い睫毛や紅い唇、それに白い首筋から雫が滴り落ちて布の少ない衣服に沁み込んでいった。

 着ているのは透けにくい素材の布らしいがとにかく丈が短く、肩や腕が剥き出しである。下半身に至っては腰周りしか覆われておらず、太腿が全てその白さをさらしていた。

「ななな何てはしたない恰好をしているんだ! ほとんど裸も同然じゃないかっ」

 うろたえて取り乱しているソルファに気づいたらしく、娘はこちらを向いてほんの少し首を傾けた。

「貴方がた、この国の人間じゃないわね。どこからいらしたの?」

「──えっ。公用語?」

 プレアタジネールやマルスブルグがあるこのノイエヘイムス大陸では、独自の言語の他に大陸共通の公用語を交流に使う。

 先ほども衛兵から聞いてはいたものの、耳慣れた流暢な言葉がこの不思議な存在から聞けるとは思わなかった。ウィリアードも目を瞠る。

「と、いう事は……君、人間なのか」

「他にどんな風に見えると言うの? 重ね重ね無礼な人ね。女性を珍獣にみたいにじろじろ見たりして」

「い、いや。これはそのつまり」

 不快げに顔をしかめると、娘は額にかかっていた髪をかきあげる。

「まあいいわ。余所者だったら試してみる価値はありそうだから。──ギリアン!」

 視線を外さぬまま放たれた最後の言葉、間髪を置かずにどこからともなく甲冑に身を包んだ新たな人物──恐らく人間──が彼らの背後に姿を現した。

 しかも両手に剣を携えている。見るからに戦う気満々だ。

「大人の方よ。軽く捻っておやりなさい」

 淡々とした娘の号令を受けて、剣士は迷う事なくウィリアードに矛先を向けた。

「おいおい、いきなりご挨拶じゃないか。ただ見ていただけで、悪気はなかったっていうのに──うわっ」

 まだ愛剣を手に戻していないウィリアードは、いきなり突進してきた刺客とその切っ先を、身をよじってかわすだけだった。

「ウィリアード、剣を! ……くそっ、何だよこれ!」

 ソルファが剣を投げようと構えるが、通常の大人でさえとても扱えない重さの両刃の剣は抱えるだけで精一杯だった。しかも剣撃を繰り出す刺客の身体が小刻みに動き、邪魔で狙いが定められない。

「双剣を扱う相手とは──久しぶりに腕が鳴るな」

 どう見ても劣勢に立たされているというのに、身を翻しながらもウィリアードは楽しそうだった。

 通常騎士は利き手に武器、逆手の手甲に盾を付けているものだが、この刺客には盾がない。代わりに両手の手甲はよく見るものよりも頑丈そうな造りになっていた。双剣遣いは大抵「攻撃を以て防御とする」のが一般的で、例に漏れずこの相手も動きに間合いを取りにくい素早さだ。体力が保つ限り、息もつかせず攻撃一辺倒で来るつもりだろうと予想が付く。

「剣がないなら……」

 右にかわせば左の剣が、左にかわせば右の剣が襲って来る。それを防ぐ為に常に敵の外側に向かって身体の重心をずらして移動し、ある地点に来た時に彼はいきなり身体を下に沈めた。

「──奪うまでだっ!!」

 砂地に両腕を付いて均衡を保ち、攻撃対象を失い前のめりになった刺客に足払いを掛ける。足技は彼の得意とする所で、よくこの手を使った。体幹が僅かに乱れた所を狙って、戻した足先で右の手首、手甲の隙間を一点集中で蹴り上げる。

 ぐっ、とくぐもった声が兜越しに聞こえた。両手を掴んで胴体に続けて膝蹴りを食らわす。砂浜に刺客が倒れると、上にのしかかり左手を片足で押さえつけ、右手を捻りあげ剣を奪った。

「おいあんた等、何のつもりか教えてもらおうか」

 首筋に剣を突き立てようと構えた一瞬の間を縫って、刺客が右手で砂を掴んで彼の顔めがけて投げつけた。こちらは鎧のみの姿、まともに目潰しを浴びて怯むと身体を突き飛ばされる。

「くっ!」

 再び攻撃が始まった。片腕になってもその勢いはとどまる所を知らない。すぐに体勢を立て直し全て剣で迎え撃ちながら、あまりの敏捷さにウィリアードは内心賞賛の念すら覚えていた。

──本当は拘束する程度で事情を聞こうと思っていたが、そんな悠長な事を言ってられないな。

 娘の意図はわからないが、この刺客の気迫が尋常ではないのが問題だ。明らかに自分を殺すつもりで向かって来ている。ならばこちらもたおすつもりでやらなければ勝ち目はないだろう。

 表情を改めると、彼は剣技の型を守りから攻めに転じた。

 普段持っている剣は重い分だけ破壊力が大きい。比べてこの剣は諸手で扱う為か、通常のものよりも細く軽く作られている様だ。

 攻撃に回った途端、倍の早さに変わったウィリアードの剣に、徐々に刺客は押され始めた。

 元より戦争は大陸より絶えて久しく、実戦と言えば山野の魔物相手のものばかりだ。型の決まった人間相手の剣術より卑劣で不規則な攻撃に慣れたウィリアードは、殺し合いでいささかも怯むものではない。

 相手の息がようやく上がり出したのを認めると、彼の攻撃は更に苛烈なものとなった。

 押して、薙ぎ払って、また斬り付ける。

「どうした! この俺に勝負を挑んでおいて、もう終わりか!?」

 叫ぶなり肩に向けて鋭く突き出した剣圧で、刺客の鎧の首筋近くに音を立てて亀裂が入った。

「ギリアン!!」

 娘の悲鳴が響き渡る。

 ギリアンと呼ばれた剣士は体勢を崩したと同時に砂に足を取られ、後ろに倒れこんだ。

 ウィリアードの剣先がすかさず額の前にかざされる。

「次は頭を兜ごと吹き飛ばしてやろうか」

 その藍色の双眸に、酷薄な炎が揺らめいていた。

「止めて──もう充分よ、ギリアンお止めなさい!」

 娘が剣士の前に駆け寄って来て、庇う様に両手を広げる。

「わたくしが悪かったわ。試す様な真似をして──だから剣を納めて」

 こぼれそうに大きな、碧色に煌く双眸が哀しげだった。

 だがウィリアードの両眼からは殺気が消えない。声音も普段からは想像出来ない位冷たかった。

「俺は女性には一応優しい方だが。理由なしに殺されそうになっては、簡単に引き下がれないね。説明してもらおうか」

「するわ! 何でもきちんと話すからっ。とりあえずここではなく、一先ず別の場所に行きましょう。わたくしはこの国の王の娘。名前はドルテアと言います」

「はっ?」

 「少し込み入った事情で」と娘が言葉を続けようとした時、街の方から誰かが走って近づいて来る足音が聞こえた。

「──ウィリアード卿!!」

 怒りを多分に含んだ叫び声と共に、あっという間に持ち主は浜辺に到達し目標に向かって突進して来る。

「ああ、エンディじゃないか。ようやく追いついたのか」

 そう声を掛けるソルファを無視して、エンディは抜刀するなりウィリアードに斬りかかった。

「な、何をするんだっ!」

 まだかろうじてギリアンの剣を持っていた彼はそれで何とか凌いだが、彼女の剣は先ほど受けたものよりも冷酷さ正確さに於いて勝っていた。しかもさすがに砂に足を取られつつの全力投球に限界が来ていた所である。

「ちょっと待て、は、話し合おう」

「問答無用! 今度は一体何をやらかしたのですか? 素首刎ね落として差し上げますから、覚悟なさいっ」

「今度はって、俺は一度も君に命を狙われる様な真似はしていないじゃないか!」

 懸命に説明しようとする同僚の言葉を全く聞き入れずに第二の刺客と化したエンディの襲撃は、その後追いついたヴェンツェル達に止められるまで続いた。

 ──冷静になった彼女は後で、「どう見ても泣きそうな顔をして困っている裸同然の女性に、ウィリアードが因縁を付けて嫌がらせをしているとしか見えなかった」と鬼畜扱いした理由を説明する事となる。

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