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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第3章 水上の貴婦人
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伝説か、或いはただの噂

「プレアタジネールは元々、他国の技術を取り入れて発展するまでは水上に足場を組んで生活していたプレアータという民族が棲まう、小さな部落だったんだ」

 船がイアナクートと呼ばれる大きな水路を通る間、ソルファは桟橋に佇み誰とはなしに説明を始めた。壁の高い水路は岩棚を整備して造られてあり、満ち潮の折でもある程度の水位までは航行が可能だろうという代物だった。今はまだ潮が引いている為、周囲の海よりやや高めの橋にも見える。

 説明は勿論、居並ぶ客人達に向けてのものだった。

 この地方は昔、地盤が脆弱な湿地の上に成り立っていたという。しかも定期的に満ち潮──グリッドレーンと呼ばれている──が起きる為に、建物をいくら建てても必ず流され堅固な住居は望めなかった。

「でも100年程前にある外国の技術者がこの地に流れ着き、カルクム石を使って建物を造る事を部落に提案した。石造りの建築は瞬く間に発展し、満ち潮の対策としてこの水路が程なく造られたらしいよ。他国の者を受け入れられる様になったのはそれ以降、ここ数十年のものだと聞いている」

 南に聳えるアイゼナッヒ山から切り出される鉱石はカルクム石と呼ばれ、密度が高く海水の浸食に耐えると重宝された。プレアタジネールの建築物は全てこれを建材として使用している。

 アーティルダが柳眉をひそめて記憶を辿る表情を見せた。

「聞いた事がありますわ。でも疑問だったのですが、何故彼らはこんな不自由な地に棲む必要があったのでしょう。建物が建てられない時点で、他を探しても良かったのではありませんか」

 ソルファは同意の頷きを返した。

「彼らには他に選択肢はなかったんだ。棲む地を追われて流れ着いたのがその理由なんだけど、ある事情からどこにでも棲めるというわけにはいかなかった。むしろ水に近いこの地は、条件としては最上のものだったらしい」

「まあ、ではやはりあの伝説は本当なのですか? プレアータ族が『水』のバージを受け継ぐ者達だったという言い伝えでしたが」

「『水』のバージ?」

 エンディの問いかけにアーティルダは頷いた。

「他国に棲まう民族の中には、時折“血にバージを組み込まれた”者が存在すると聞いた事があるのです。バージは謂わば言語の形を取った組成のことわり、生命であろうとそれ以外の者であろうと、支配されればその法則に従わねばなりません──つまり、水のバージを血に取り入れれば対象物は水と親和します。逆に火とは格段と相性が悪くなる」

「へえ……何だか人間の話じゃない気もするな。それってそんなに簡単に出来るものなのか?」

 船の手すりに背中を預けていたウィリアードは、呆れた様子で口を挟んだ。

「いえ、生命にバージを組み込むのは非常に難しいと言われています。今現在で出来るバージ使いはルクライエン様ぐらいでしょう。それに出来たとしても、人の理を変えるのは禁忌とされています。非生物と違い、その後が予測出来ない場合もあるのが理由とか」

「何とまあ──我らが学友はものすごい人物だったみたいだな。なあヴェンツェル」

 冗談めかして顔を向けた先、蜂蜜色の髪をした青年はだが何を思ったのか呆然と海を眺めていて反応しなかった。

「船酔いか? ぼんやりするなんてお前らしくないな」

 一拍の呼吸を置いて、ヴェンツェルは友人を振り返る。

「え? ああ。いや、済まない。ちょっと海に気を取られていた」

「何か珍しい魚でもいたのか? にしては、随分と遠くを見ていたみたいだが」

 ウィリアードは彼の見ていた方向を注視するが、プレアタジネールに向かって右手の海岸付近、緩やかに波立つ碧の風景が広がるばかりだった。

「浜辺にあるのは、あれ岩礁というやつだろうか? あんな岩場に寄る魚なんて、引き潮に取り残されたものぐらいだろう」

「いや、多分魚だとは思うが……そうだな、何かの見間違いかもしれない。魚にしては格好が変だった気もするし」

「ちょっとそこの二人。今は僕がせっかくこれから行く街の内情について話しているんだから、耳の穴かっぽじってよく聞く様に」

 ウィリアードの眉がピクリと跳ねた。

「俺はその国の事情とやらよりも、何故お前が目上の人間に対して敬語じゃないのかって方が気になるね」

「気にするな。目下の者に敬意を求めるのは虚栄心の為せる業だと、常日頃お師様が仰っていたぞ」

「細かい事は後回しにしてください、ウィリアード卿。ソルファ、それで話の続きは」

 今にも掴みかかろうとするウィリアードを片手で制して、エンディは促す。

「今のプレアタジネールは何か危険な国情でもあるの? でなければわざわざ迎えに来ないでしょう」

「ああ、そうそう。どこまで話したっけ……プレアータ族の末裔が今の王族なんだけど、この民族は女系の為に、よく女王が立つんだ。外国から伴侶を迎えざるを得なくて、今では水のバージを享ける者の方が少ないらしい。当代の王様は久しぶりの男王で、しかもこの王様が最近、奇行の噂を立てられ始めた」

 内容は「王が宰相と城で何かを作っている」というものだった。

 噂と時を同じくして、街から一人二人と住民が消えて行くのだと彼は言う。

 対象は老若男女の別なく様々で、城からの使いがやってきては指名した者を「用がある」と連れて行く。共通しているのは、必ず戻って来ない事。

「まさかその『作っているもの』って……」

 エンディの紅唇から紡ぎだされた呟きに、グンターベルトに対峙した三人は期せずして思わず目を見交わした。

「実際に何を行っているかはわからない。でも、薬局からバジ=ストフコがなくなったのと人が連れ去られ始めたのは時期的にほぼ一緒だ。……僕はこれが無関係ではないと睨んでいる」

「エンディ、君このガ……彼に話したのか? サーシェでの出来事」

 普段軽薄をまとうウィリアードも、いつの間にか腕組みをして考える素振りを見せている。

 首を横に振るエンディに、ソルファは怪訝そうな顔をした。

「サーシェ?」

「俺達はここに来る途中、その町でバジ=ストフコを悪用する奴らに出くわしたんだ。確かにあれで終わるとは思っていなかったが……」

「本当か!?」

 ソルファの驚き様は予想以上で、彼が事態を憂慮していたのが伺えた。

「ああ。詳しくは向こうについてからでも話すが、今はプレアタジネールの話が先だ。街には入って問題ないのか?」

「それが正に、国王は国境との警戒を強めているんだ。国民でない者の出入りを制限していて、血縁でもない限り旅人は城門で締め出される。僕が出迎えに来たのはその為さ。一応滞在証を持っているから、親族だと言えば通れるだろう」

「なるほど──しかしよく持っていたな、そんなもの」

 天敵と思える男が珍しく賞賛の気配を見せて戸惑ったのか、少年は頭に手をやって「いやまあ、お師様が貸してくださったものだから」と柄になく謙遜して見せた。

「賢者はどこの国でも優遇してもらえるからな。ここが物騒だと手紙に書いたら、今はこれが必要のない国にいるから貸すって、アーネストに括り付けてあった」

「ふーん」

「な、何だよ?」

「いや。その師匠とやらには礼儀を守るんだな」

 からかいを込めて聞いてみると、意外にもソルファは大真面目に「そうでもない」と答えた。

 どうやら水路が終わりに近づいたらしく、円弧を描いた石の門が幾重にも船を出迎える様に一列に並んでいるのが目に入って来た。

 一番奥の門は閉じられていて、手前に着岸出来る桟橋がある──衛兵らしき鎧を来た人間が何人も待ち構えている所を見ると、かなり警戒されているのは確かだろう。一同は懸念しながらも一人悠然と構えている少年を見守った。

 当の本人は、船と桟橋を板で繋ぐ作業を眺めながら何気ない様子で言葉を続ける。

「偉大な方ではあるが、人としては甚だ危なっかしい所がある。一緒にいると気苦労が絶えなかった。すぐ迷子になったり穴に落ちたり、木に引っかかっていたりするんだ」

 「へえ」と流しそうになったウィリアードは、内容を理解すると同時に相手を二度見した。

「……おいおい。それ、師匠……だよな?」

 作業が終わったにも関わらず、彼らは船から降りる事が出来なかった。いち早く、衛兵達が板を通って甲板に乗り込んで来たのである。


※※※※


「乗船者は団体ごとに固まって並べ! これから入国審査を行う」

 衛兵の中でも幾分立派な鎧を付けた人物が叫んだ。手には皮紙に羽根筆、乗客の内容を聞く度に筆記していく。

 エンディ達の他に乗船者は二人しかいなかった。プレアタジネールの噂はマルスブルグにも聞こえていたのだから、他にいる方が奇跡だったのかもしれない。

「商用だと! 現在我が国では他国との貿易を凍結している。去るが良い!」

「お前もだ。腕試しの旅なら余所でやるんだな!!」

 だが他の二人は早々に拒否されてしまった。衛兵に脇を掴まれて、船室へと逆戻りさせられて行く。

「お前達は?」

 皮紙を持った衛兵が刃物にも似た鋭い一瞥を一行に向ける。

 答えたのはソルファだった。

「僕はプレアタジネールで研究をしているナヴァルネ=イゼナハムという者だ。賢者としてこの通り滞在許可証をもらっている」

 メンブラーナに書かれたプレアータ文字、その文末に押印された王の玉璽ぎょくじを兵士は苦虫を噛み潰した様な表情で眺めていた。

「……なるほど。随分と若い賢者もあったものだが、確かに間違いない様だ」

「こう見えても結構年を食っているんだ。賢者ならばよくある事さ、ちなみに今年で50歳になる」

 平然と嘘を言ってのけたソルファを胡乱な目で流して、兵士は隣に並ぶ同行者達に視線を移した。

「しかし、この者達は何だ?」

「家族だ。隣国から遥々僕の研究する姿が見たいと娘夫婦達がやって来たから、迎えに行ったんだ」

 作り話もここまで来ると馬鹿にしているとしか思えない。つい異を唱えたいと口を開閉させたのはエンディだったが、隣のウィリアードに止められた。

 小声で『今は黙っておけ』と耳打ちされる。

 それきり彼女は大人しくなりはしたものの、顔に「言うに事欠いて夫婦は心外だ」とはっきり書かれてあった。

「娘夫婦だと?」

 兵士はじろじろと無遠慮な視線を女性陣に投げかける。

 それもそのはず、片や青銀髪に蒼氷色の瞳のエンディ、アーティルダは濃茶色の髪に紫色の瞳だ。褐色の髪に碧色の瞳のソルファとは、肌の色以外に全く共通点がない。

「似てない親子だな」

「二人とも、母親が違うんだ」

「……ところでお前達の職業は何だ? 見る所この三人は随分不敵な面構えをしているが。剣士か何かか」

 外見が如何にもだったので、誤魔化しようがない。ソルファも正直にそうだ、と答えた。ただアーティルダだけは素性をただの妻という事にした。

 皮紙を睨んで考え込んでいる兵士の横から、別の兵士が何やら囁く。

 言われた方の顔が明らかに酷薄そうな愉悦の表情を見せた。

「──そうだな。きっと、宰相閣下もお喜びになるだろう……」

 彼は改めてソルファに向き直ると、叫んだ。

「良かろう、入国を許可する。船から下りろ!」

 船から桟橋に下ろされ、街の外周を取り囲む門の前に進む。兵士達が扉脇の把手に手を掛けると、重々しい音を立てて鉄の扉が開いた。

 外壁の中にすぐ街があるのかと思えば、中心街はまだいくらか遠い。50マルスはあろうかというまっすぐ伸びた幅の広い石畳の立橋を歩きながら、ヴェンツェルは呟いた。

「よくあんな嘘が通ったものだ」

 声音には感心と呆れの要素が混在している。

「まあ、通してやった──といった方が正解かな」

「何か裏にありそうですね」

 同僚の騎士二人も鋭く呟き返した。分けてもウィリアードは、明らかに事態を楽しんでいるらしく上機嫌である。

「とりあえず、宰相閣下には近いうちにお目にかかる機会がありそうだしな──やれやれ」

「でも賢者が歳を取りにくいってのは、まるきりの嘘という話でもないんだけどなあ」

 不服そうな少年の言葉に、反応したのはアーティルダだった。

「そんな話、聞いた事ありませんわよ。万一バージを使えたとしても、時間を操るのは不可能では?」

「いや本当なんだって。現にうちのお師様は確か、今年で200歳位になるって言っていた。100歳までは数えていたけど、もう正確な年齢がわからないってさ」

「ははっ。そりゃお前のお師様らしいな。法螺ほらを伝授されただけじゃないのか?」

「何だと! おい待て、ウィリアード!」

 青年を追いかけてソルファが駆け出し、二人はさっさと街の方へと消えて行ってしまった。

「ちょっと! はぐれたらどうするのソルファ──」

 そんな叫びも、もう届かないほどに遠い。エンディは溜息をついた。

「どうして、ああも仲が悪いんでしょうね」

「そうかな? 楽しそうじゃないか、二人とも」

 笑い含みの傍らの声に、彼女は眉を上げた。

「ウィルには兄弟がいないからな。弟が出来たみたいに思っているかもしれないぞ」

「そう言えばお二人のご家庭の事なんて初耳ですね……ヴェンツェル卿、ご兄弟は?」

「私には妹が一人いるんだ。もう他国に嫁いでしまっているから、しばらく会ってはいないが」

「……てっきり、卿もお一人かと思っていました」

 どこか冷え冷えとした反応である。

「兄弟がいない風に見えたかな」

「いえ。そうではありませんが──どちらにしても兄弟姉妹なんて、いればいたで鬱陶しいものだと私は思います」

 何でしたらウィリアード卿に送り状を付けて、我が姉妹の一人を差し上げても構わないのですがね──そう言ってエンディは、貴婦人の顔に似合わぬ不遜な笑みを浮かべて同僚を絶句させた。

脚注:1マルスは距離の単位です。1マルス=1メートルというわかりやすい変換でお考えください。

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