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レジェール・ソレット  作者: 伯修佳
第2章 王都から国境へ
11/18

謎の始まりと終わり

「……消えた」

 元通りに現れた澄んだ夜空に、ヴェンツェルはぽつりと呟いた。

「終わったのか……?」

 ウィリアードも恐々辺りを見渡す。

 広場は惨憺たる有様になっていたが、取り巻く街まで影響は及んでいない。光る球体があった辺り一円だけが石畳を残しており、陸の孤島の様にその外周は黒い空間となっていた。

「どうやらグンターベルトは倒したらしいが……」

「……これはどうやったら宿屋に戻れるのかな、アーティルダ嬢。それにウィル」

 ヴェンツェルは理解に苦しむ、といった様子を見せた。仲間たちにくるりと背を向けて、声だけで問いかける。

「見間違いかとは思うのだが……さっきアーティルダ嬢の服を破っていなかったか」

 彼は一応大人の男なので、緊急事態を脱した今の状況では良識を最大限に働かせようと努力していた。

 すなわち、上半身の衣服が腹の辺りまで破られていて、あらわな下着姿になっている女性からは目を逸らさなくてはいけないと。

「もちろん、お前の事だから何か……考えがあってのものだとは信じているが――」

 ウィリアードは慌てて自分のマントをアーティルダに羽織らせた。

「あっ、当たり前じゃないか! これはその、深いわけがあって――なあ、アーティルダ!」

 だが同意を求めた相手の関心は別の所にあるらしく、返事は返ってこなかった。

「エンデゲルド様。今呪いを解いて差し上げます。じっとしていてくださいね」

 アーティルダは荷物の袋からペンダントを取り出すと、その宝石の部分を二つに開いた。中からまた、小さく折り畳まれた紙片が出てくる。

 紙片を開くと、彼女はエンディの身体に手をかざしてまた言葉を紡いだ。

『――大地の言葉において命ずる。無は有に明け渡すべし。生命の道を示す様に』

 そのまま広場の淵にも手をかざす。

『道は大地に、帰る場所を繋ぐ様に――』

 周囲の闇が消え、裸の土地が現れる。

『――敷いた道を戻す様に』

 荒地に更に、元通りの石畳が復活した。

 アーティルダはため息をついて振り返った。

「これで終わりました。大丈夫ですか? エンデゲルド様」

 呼ばれた本人は、夢から醒めたかの様に目をしばたたいている。

「……一体、何がどうなったんですか?」

 アーティルダは黙って微笑むと、そのまま意識を失って倒れこんだ。


※※※※


 広場が復活したのと同時に、街の人間達が騒ぎを聞きつけてなだれ込んで来た。彼らに未だ失神したままの暴漢達を「盗賊だ」と言って引渡し、病人がいるからとさっさと宿屋に退散した。

 アーティルダの外されたはずの腕の関節は、何故か元通りになっていた。倒れたのは単に疲労で眠ってしまったものらしく、彼女は何時間か眠った後、すっきりとした顔で目を覚ました。

「君は命の恩人だ。ありがとう」

 最大の功労者に、ウィリアードは称賛と謝辞を顕し微笑んだ。宿屋の寝台に寝かせる時、誤解したエンディに危うく斬られそうになった事はさすがに口にしなかったが。同僚二人も同じく礼を言う。

「それにしても、肌着に『原初の言葉』を書いていたのには驚きです。緊急時だからって、彼に上着を破って読み上げてもらうなんて……。しかもどうして、ご自分では見えない背中に?」

 元から冷たい視線の温度を更に下げて、エンディはウィリアードをちらりと見ながら聞いた。

 寝台から半身を起こした体勢で、アーティルダは事もなげに答える。

「服を脱いでいる時間も気力もありませんでしたし、破いた方が早かったのですよ。万一の時はそうしようと、書いた時から決めていました。上着は取れやすく作った物でして、肌着はメンブラーナを縫い付けてあります」

 背中に書いてあるそれをウィリアードが読んでアーティルダに伝え、彼女が更に変換した、と言う。

「『言葉』は――バージ、と私どもは呼びますが――紡ぐ時以外にバージ使いが見てはいけないものなのです。バージは創るものを想像出来る様に文章の形をとりますので、要らない時に想像してしまうと、『力』を普通の言葉に込める恐れがあるのです」

「ああ、それで。でも、貴女の背中には何も」

「はい。バージは永遠ではないのです。一度使えば文字自体が消えてしまいます。この文字も普通の文字ではなく、私は理由を知りませぬがメンブラーナにしか書けない『封印』の様なものでして」

 彼女は皺くちゃの紙片を三人に見せた。

「白紙……」

 更に袋からまた紙を取り出す。顔を背けながらエンディに見せた。

「こちらはまだ使っていないものなので、私は見る事が出来ません。修行を重ねれば、見ても大丈夫なのだそうですが。まだ下っ端なので」

 後から渡された方には確かに、母国の言葉キリア語が一列に書き連ねられていた。単なる何かの詩にしか思えない。

「なるほど、これならウィルに読んでもらうのも可能だな。常人ならばただの文章、か」

 ヴェンツェルはメンブラーナを返そうとして、ふと会話に引っかかりを覚えた。

「貴女は大公の部下ではないのか? 下っ端にあれだけのバージは使えまい」

 アーティルダは首を横に振った。目を伏せ、心なしか表情が曇っている。

「私は本当に下っ端なのです。ルクライエン様の使い走りでしたから、気さくなあの方は近しくしてくださいましたが。あの日も……」

 一旦言葉を切り、向かい合わせに寝台に腰掛けている三人から視線を窓に向ける。

「私は所用で外に出されていました。たいした用事でもなかった故に私が選ばれたのだと思いますが、いつもと違いルクライエン様は山ほど荷物を持たせて下さいました。それと、背中にメンブラーナを付けてバージを書く様にと指示を」

「じゃあ、その荷物はまさか」

「どんな種類のバージが書かれているか説明を受けましたが、生命の危機に陥らない限り、荷物の中身を見ない様にと言われて旅をしてまいりました。帰る途中で、マルティエグが襲撃にあったと聞いた時は――本当に――」

 彼女は口元を震わせた。

「なぜ……こんな大事なものを私にお預けになったのかはわかりません。何か予感があったのなら、尚更お側に置いて下されば良かったのに」

 エンディは言葉に詰まって黙るしかなかった。グンターベルト程の魔物が『死んだ』と断言したのだ。万が一にも、ルクライエン大公が生き延びている望みはない様に思える。アーティルダはさぞかし無念だろう。

「……先程、自分が下っ端だと君は言ったけど」

 重い沈黙を最初に破ったのはウィリアードだった。

「グンターベルトを前から知っていた様子だったな。バジ=ストフコの事と言い、どうだろう、知っている事を順を追って話してもらえないだろうか。もしかしたら、協力し合えるかもしれないから」

 アーティルダはゆっくりと目をしばたいた。一同を困惑の表情で見上げている。

 ウィリアードは眉を上げた。

「わかった、言い方を変えるよ。俺達は、マルスブルグから王命でルクライエン大公を探しにやってきたんだ。生死の確認を取りに、これからマルティエグに向かいたい。……正直な所、さっきみたいな化け物がこれからも出て来る様では、とても先へは進めない。対抗策がないかどうかだけでも、知りたいんだ」

 アーティルダは目を伏せると、ようやく口を開いた。

「最初にあいつに出会ったのは、旅に出てまもなく辿り着いた町の外れでした」

 マルティエグから隣の国プレアタジネールにいる大公の知人に届け物をして欲しい、そう頼まれた道中寄った小さな町で、ある行商人の男がバジ=ストフコを破格の値段で売っているのを目撃した。

「見た目には本物と全く変わりませんでした。疑問に思い、一つ買い求めて効果を確かめようと、枯れかけた木に数滴掛けてみたのです。――そうしたら」

「やはり確かめてみたのか。で、どうなったんだ」

 予想が半分当たったにも関わらず、ヴェンツェルはこの上なく険しい顔をしていた。

「……木は、魔物となってしまいました。簡単なバージを使って倒せる程度のものではありましたが、もしあれを人が――しかも全量飲んでしまっていたら、と思うと生きた心地がしませんでした」

「それで声高に偽物だと騒いでいたのか」

 アーティルダはヴェンツェルをきっと睨み付けた。

「当り前です。例えこの身がどうされようと、図書に仕える者として、バージを悪用されて黙ってはおれません」

「済まなかったな。だがあの遣り方では――いや、取りあえず先を続けてくれ」

「私は急いで売っていた男がいた場所に取って返し、『偽物だから使わない様に』と皆に触れて回りました。そうしたら、町を出たすぐの所でグンターベルトが待ち受けていたのです」

「その時は襲われなかったのか?」

 アーティルダは頷いた。顔色が心なしか悪くなっている。

「……あいつは偽物を売っていた行商人を始末している最中でした」

 触れただけで呪いを掛けられるグンターベルトは、男に掴み掛かった挙句――口をこじ開けて、バジ=ストフコの偽物を飲ませていた。

 男は苦しみもがいた後、影の様な姿になってから――消えてしまったという。

「襲われはしませんでしたが、私の方から攻撃を仕掛けました。ですが、あいつは急いでいたのか『おまえは図書の者か』と言うなり、煙の様に消えうせてしまいました。それきりこの街に入るまで会う事はなかったのです。それが」

 サーシェでまたも偽物を見つけたので、例によって騒いだ。そうしたら、広場で暴漢に囲まれてしまった。

「――後は皆さんがご覧になった通りです」

「最初に会った時というのは、まだマルティエグが襲われる前だろうか?」

 ヴェンツェルが問う。

「はい。今思えば、図書に襲撃に向かう途中だったのかもしれません。小物には用がないと踏んで見逃したが、目当ての物が見つからず戻って来たのかと」

「禁出本、か……」

 彼の呟きに、エンディは城での会話を思い出していた。――最後の言葉の解放を望む者がいる、と。

「アーティルダさん。『禁出本』とは、『最後の言葉』の開放に何か関わっているものなのですか?」

 アーティルダは『最後の言葉』という部分でぎくり、と身じろぎした。まるで聞いてはならない事を聞いてしまった様に。

「……禁出本とは、『有』属性の創造に関わる書物です。確かに、『最後の言葉』についても載っていますが」

「『が』? どういうことでしょうか」

 白皙の司書は黙って首を横に振った。

「私にも――いえ、図書の者であっても、『最後の言葉』についてはわからない事が多いのです。バージは確かに文字や文章の形を取りますが、それは管理しやすいからであって、実はバージを留め置く方法は無限にあるのです。例えばヴェンツェル様、先ほど武器をグンターベルトに消されましたよね?」

「あ、ああ」

「『無』属性の魔物には、通常の武器では立ち向かう事が出来ません。ですが、バージをその武器に『組み込む』と、打撃を与える事が出来る様になります。つまり」

 呆気に取られた一同を彼女は見渡す。

「『最後の言葉』がどの様な姿をしているのか、書かれているのが『禁出本』だと、私は聞いております」

「何だよ、それ」

 ウィリアードの顔は強張っていた。驚き、怒りとも戸惑いともつかない奇妙な表情だ。

「おとぎ話も真っ青だな。人間世界の話か?」

「これは紛れもなく現実のお話です。もっとも、禁出本を読み解けるのは代々の図書館長のみですが」

「しかし……そうなると、より一層ルクライエンを見つけなければならないな」

 ヴェンツェルがそう呟いた時、部屋の扉が激しく叩かれる音がした。許可する前に扉が開く。

「おい、あんた達、広場で盗賊に襲われたっていう旅の人だろ。ちょっと来てくれないか」

 男は例の暴漢を引き渡した、街の憲兵だった。少し険しい顔をしている。

 ヴェンツェルは静かに問い返した。

「どうかしたのか?」

「アイツ等が何だか様子がおかしいんだ。今までの事を覚えてないとか白を切りやがるし」

 四人は思わず顔を見合わせた。


※※※※


「だから、何でこんな所で縛られてんのかって言ってんだ! 俺達はただ、街の外れでちょっと仕事していただけなんだぜ!?」

 街の中心よりやや東にある見張り台の内部、中心を貫く太い柱に縄でぐるぐる巻きにされた男達は口々に覚えてない、の一点ばりだった。

「じゃあ、そこでどんな仕事をしていたのか言ってみろ!」

 見張り台には四人を呼びに来た男の他のもう二人程憲兵がいた。その内一人の尋問に暴漢――確かグンターベルトに話しかけられていた男――が同じ言葉を繰り返している。

「し、商売に決まってるだろ……俺達は旅人の用心棒をするのが商売なんだ」

「嘘を言うな! もう裏付けは取ってあるんだよ!! 昨日ここに入って来た旅人全員にお前達の事を聞いたら、誰一人声を掛けられた者はいなかったぞ? 用心棒なら旅人を勧誘しているだろう!」

「いや、だからよっ! 昨日の事は途中から覚えてねえんだってっ……ぐっ!」

 憲兵に棒で叩かれて、男は呻いた。

 仲間が四人を連れ、見張り台の中に入ってきた事に気付いた憲兵は振り返った。

「こんな状態でな、口を割りやがらねえんだ……なあ、旅の人、盗賊ってのは本当なんだろうな」

「ああ。間違いない」

 正確には追い剥ぎに近いのだが、悪怯れずにヴェンツェルはきっぱりと答えた。つかつかと暴漢達に歩み寄る。

「覚えてないって言っても、いきなりじゃないだろう? 何かおかしな事がその前になかったか」

 穏やかな問いかけだった。

 彼は戸惑いの色を顔に浮かべる。

「そういやあの時……黒い鳥がすぐ側の木の枝に止まってた。まるで人が死ぬ時に見かけるって言い伝えの魔物みたいに不気味だったが……」

「それで? その鳥は何かして来なかったか」

「鳥が? いや――」

 記憶を辿っていたのだろう、目をすがめてあらぬ方を見ていて男の顔が、ふいに硬直した。

「どうした?」

 いきなりガタガタと震えだした。

「……そうだ。俺は聞いたんだ、おかしな声を」

 いきなり『それ』は彼の頭の中に直接話し掛けて来たと言う。

「『旅人の些細な金品なんかより、もっと金になる物を与えてやろう。不可能が可能になる、大いなる力を』――人の声とは思えない声だった。でも、確かそれには続きがあって――」

「続き?」

 男の視線は質問者を見ていない。問い掛けに答えていると言うより、蘇った記憶が勝手に口から出ている様に見えた。

「『もしこの事を他の者に話したら――』」

 その瞬間、ヴェンツェルは飛び掛かって男の口を無理矢理閉じさせた。

「もういい、喋るな!」

「ググガギギガガッ!」

 彼はいきなり激しい抵抗を示した。渾身の力を込めたヴェンツェルの腕を振り払う。顔からは滝の様に脂汗が流れ出していた。

「ウ、ウウウウ……」

 小刻みに震え続ける身体。

 様子を見ていたウィリアードがアーティルダに耳打ちした。

「……呪われてるか何か、しているんじゃないか?」

「ぐはっ!!」

 アーティルダがそれに答えようとした矢先、男の口から黒い靄の様なものが吹き出した。見る間に辺りは靄に包まれ、一同は視界を失う。

「こ……これは一体!?」

「奴ら、どこに逃げやがった!」

 憲兵達が口々に叫ぶ。

 靄がようやく晴れた時、暴漢達の姿は忽然と消え、後には柱と床に落ちた縛り縄だけが残っていた。


※※※※


「……結局、わからずじまいでしたね」

 サーシェから対岸へ渡る為に船を待つ間、待合室で窓から外を眺めていたエンディは呟いた。

 あの後、消えてしまった男達を街の者と手分けして探したが見つからなかった。元よりそう広くはない港町、隠れる場所もそう多くはない。

 もしやと思って行った薬局にもいなかった。それどころか、店主と名乗った男も煙の様に消え失せていて、出勤してきた店員が呆然としているばかり。足取りは完全に消えてしまったと言える。

「あの店主も、もしかしたら消されてしまったのかもしれませんね」

「しかし、グンターベルトは倒したはずだろう。他にも関わっている魔物がいると言うのか?」

 眉をひそめたウィリアードを彼女はちらりと見やった。

「現に目の前で消えているではありませんか」

「だがあれは恐らく条件付の呪いだろう。核心に迫る話をさせない為の」

「これで終わったとはどうしても思えないのです。アーティルダさんはどう思われますか?」

 浮かない顔をして思索に耽っていたアーティルダは、弾かれた様に顔を上げた。

「えっ? あ……ああ、そうですわね。私も――まだ何かあると思います」

「何だかすっかり口数が少なくなっちゃったなあ、君」

 アーティルダは心外だ、という顔をした。

「あら、私はいつもこんな風だったと思いますけど。昔から口下手で有名でしたわ。何でしたら逸話を浴びる程お聞かせ出来ますが」

「それよりアーティルダ嬢」

 話の腰を折ったのは、苦笑しているウィリアードではなかった。

「先程、武器にバージを組み込めば無属性でも攻撃出来ると話していただろう。貴女もそれが出来るのか?」

 ヴェンツェルの腰には、出掛ける際に武器店で買った長剣が下がっている。砕かれた愛剣に比べると、見劣りする事この上ないごくありきたりな品物だった。

「残念ですが、私はまだ改造のバージを組む事が出来ないのです。読み解く事なら出来るのですが」

「……そうか」

「ですがあるいは、図書の生き残りがいれば可能かもしれません」

 全滅させた、とグンターベルトは言ったが、現にアーティルダは生きている。他にももしかしたら難を逃れた者がいるかもしれない。

 マルティエグへ行って、直に手掛かりを探す。全てはそれからという事だ。

「――間もなく、グリュエル行きの船が到着致します。ご乗船の方は、桟橋までお急ぎ下さい」

 待合室に入ってきた監視員が、高らかに叫ぶ。

「行こうか」

 ヴェンツェルは静かに立ち上がった。

「一つ気になる事があるのですが」

 桟橋に靴の音を響かせながら、エンディが言った。

「奴らはどうして、揉める可能性があるというのに部屋を分けて取ろうとしたのでしょうか? 一部屋にすれば、不必要に目立つ事もなかったはずです」

「ああ、それは多分――」

 ウィリアードは何故か、言い淀んで途中で言葉を切った。

 ヴェンツェルが後を引き取る。

「恐らく、角の一人部屋を取る必要があったのだろう。あの宿屋の角部屋は裏に面した窓しかなかった。人目を避けて行動するには最適な部屋というわけだ」

「なるほど。それにしてもヴェンツェル卿、いつの間に部屋の間取りを調べたんですか?」

「誰かさんが暴漢と立ち回りを演じていた間にな」

 入港した船を真っ直ぐ見据えたまま、ヴェンツェルの答えは素っ気ない。

「はあ、そうですか……」

 何か引っ掛かる物を感じて、エンディは首を傾げた。

「ヴェンツェル様は意外と気配りの出来るお方ですのね」

 アーティルダの言葉に、エンディは振り返った。

「えっ?」

「だって、一人部屋を探していたのでなければそんな情報は入って来ませんもの。エンデゲルド様用に別の部屋を用意しようとなさったのでは?」

「そうなんですか、ヴェンツェル卿?」

 エンディは怪訝そうだ。

「……さあ、どうだったかな」

 呟く様に答えて、彼は一人足を早め先に行ってしまった。

「ちょっと! まだ話は終わってませんよ――」

「放っておけよ。あいつ、決まりが悪いんだろう。そういう所、結構不器用だからな」

 ウィリアードは何故か笑いを堪えているらしかった。

「はあ……?」

 仲間から大分離れたのを確認して、ヴェンツェルは静かに安堵の吐息を漏らした。

 エンデゲルドは女扱いされるのが何より嫌いだとは知っている。

 だが王命の旅とは言え、同じ部屋にうっかり泊まろうものなら万一侯爵に知られた時、何を言われるか考えるだに恐ろしい。

 などとは、身の安全の為にも、口が裂けても言えない彼であった。

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