吾輩の皮算用にぬかりなし
吾輩の皮算用にぬかりはない。
まだ何一つ始まっておらぬという一点を除けば、実に完璧である。
そもそも慎重とは何か。
人はよく、起きてもいないことを心配する者をそう呼ぶ。半分は正しい。だが半分は浅い。慎重とは、起きる前から備えることだ。雨が降ってから屋根を探すのは凡庸である。晴れているうちに樋の角度まで確認してこそ、真の用心深さと言えよう。
その日、吾輩は藪のかげから水辺を見ていた。
別に怪しいことをしていたわけではない。たぬきとして、景色の一部になっていただけである。毛並みもまた一種の風景なのだ。そうして静かに季節の気配を嗅いでいたそのとき、向こう岸を、一匹のたぬきが通った。
目が合った。
合った、と吾輩は思う。
いや、正確に言えば、たぶん、こちらを見た。
見たような気がした。
見たのでなければ、あの胸のあたりがああもざわつく説明がつかぬ。
ゆえに見た。
論理的帰結である。
吾輩はその場で悟った。
運命である。
もちろん、軽々しく使う言葉ではない。吾輩とて分別はある。落ち葉が風に舞った程度で運命とは言わぬし、水面が光ったくらいで未来を見た顔もしない。だが今回は違った。向こうも一瞬立ち止まり、耳をぴくりと動かし、それから去った。あれはもう、ほとんど挨拶と言ってよい。慎み深い魂同士の、静かな認識である。
問題は、ここからだ。
もし運命なら、再会はある。
再会があるなら、備えねばならぬ。
備えねばならぬなら、今すぐである。
吾輩は急いで巣へ戻った。
まず住環境の見直しだ。
運命の番が来訪した際、入口付近に枯れ葉が散らかっているのは印象がよくない。片づける。いや、片づけすぎても「生活感がない」と思われるやもしれぬ。ほどよく残す。自然体を演出するための整理整頓である。高度な技術を要する。
次に、保存食の点検。
いざというとき、食うに困る暮らしを見せるわけにはいかぬ。とはいえ、貯め込みすぎてがめつい印象になるのも避けたい。適量とは難しい。吾輩は木の実を並べ、少し引き、また足し、最終的に「堅実だが余裕もある」量を目指した。結果として当初の二倍になった。安心のほうが勝ったのである。
それから会話である。
これは重要だ。
再会時に何と言うべきか。
「やあ、先日は」では近すぎる。
「お初にお目にかかる」では白々しい。
そもそも本当に目が合ったのかという根本問題もある。
すると、ここは自然に、
「このあたりは夕方になると風が冷えますな」
あたりが無難か。
いや、いきなり気候では老成しすぎる。
もう少し親しみがほしい。
「よい藪ですな」
だめだ。地主みたいである。
吾輩は地面に枝で線を書き、会話の流れを整理した。
出会い。
あいさつ。
適度な世間話。
相手が警戒していた場合の距離感。
相手が好意的だった場合の控えめな笑み。
雨天時の代替会話。
同席者がいた場合の配慮。
親族紹介までの期間の目安。
ここまで来たところで、吾輩は少し疲れた。
恋とは、体力のいるものらしい。
翌日、吾輩は冬毛の手入れに入った。
運命は身だしなみを嫌うまい。
いや、嫌うわけではないが、好むほうが望ましい。望ましいなら整えるべきだ。毛並みは第一印象を左右する。たぬき界において、腹まわりの丸みは親しみと安定感を意味するが、だらしなさと誤認されては困る。角度が大切だ。吾輩は水面に映る己を見つめ、最も誠実で、かつ頼もしさのにじむ立ち姿を研究した。
昼には将来設計に着手した。
早いと思う者もあろう。
浅い。
もし再会が実を結び、互いに信頼を育み、やがて冬を共に越すようになった場合、住処の広さは足りるか。雨の日の動線はどうするか。保存食の分配ルールは明文化すべきか。万一、子が生まれた場合、夜更かしは交代制か。それとも各自の得意分野を活かした役割分担が望ましいか。
吾輩はここで、集合時間の集合時間という概念を思いついた。
たとえば二匹で出かけるとする。
出発時刻に遅れてはならぬ。
ならば、その少し前に「そろそろ出る準備を始める時刻」が必要である。
さらに、その時刻を忘れては意味がないので、「そろそろ出る準備を始める時刻を意識し始める時刻」も要る。
完璧だ。
吾輩は地面に書きつけた。
集合。
その十分前集合。
その十分前を意識する五分前。
さらに不測の事態に備えた予備の心構え。
ああ、なんと安らかな制度であろう。
愛とは仕組みである。
三日後、吾輩は再び水辺へ行った。
万全であった。
毛並みよし。
会話案よし。
表情はやわらかく、しかし軽薄には見えぬ程度に調整済み。
保存食の備えも十分。
万一、相手が急に吾輩の巣を見たいと言い出した場合にも対応可能である。
吾輩の皮算用にぬかりなし。
ぬかりなしなのだが。
来ぬ。
相手が来ぬ。
少し早すぎたかもしれぬと思い、吾輩は待った。
集合時間のさらに前の時刻に来てしまった可能性もある。これは制度の欠陥ではない。運用の初期にはよくあることだ。
待つ。
さらに待つ。
鳥が二度鳴いた。
風が向きを変えた。
何も起きぬ。
そこへ、別のたぬきが通りかかった。
この前の相手ではない。
もっと若く、もっと気軽そうなたぬきである。
「何してるの」
と聞かれた。
吾輩は少し考えた。
事情を説明するのは面倒だったし、説明したところでこちらの高尚な設計思想が伝わるとも思えなかった。ゆえに吾輩は簡潔に答えた。
「運命を待っている」
若いたぬきは、たいへん微妙な顔をした。
それから、
「ああ……」
と言って去った。
失礼な反応である。
だが、世の理解というものは常に遅れる。先見の明ある者は孤独なのだ。
結局、その日は相手は現れなかった。
吾輩は巣へ戻った。
少しだけ肩が重かった。
木の実も、備えすぎると単純に重い。
愛もまた、準備しすぎると肩に来るらしい。
しかし吾輩は腐らぬ。
ここで諦めるようでは慎重家の名折れである。
再会は今日でなかっただけかもしれぬ。
明日かもしれぬし、来週かもしれぬ。
季節がひとつ巡ったのち、より完成された形で訪れる可能性すらある。
むしろ、今回は予行演習と考えるべきであろう。
そう結論した吾輩は、巣の奥から新しい枝を持ち出した。
会話案の改訂である。
初対面の気候談義はやや弱い。
もう少し印象に残る一言がいる。
だが強すぎてもいかぬ。
難しい。
実に難しい。
吾輩は夜の入口で月を見上げ、静かにうなずいた。
恋路とは、備えの連続である。
取らぬ狸の何とやらなどと言う者もあろう。
言わせておけばよい。
取る前から考えてこそ、いざというとき取りこぼさぬのだ。
もっとも、今のところ、何一つ取れてはおらぬが。
それでも吾輩の皮算用に、ぬかりはない。




