チーターの裏側
『黒に会いたくないか?』
その提案は予想していないものだった。
つまり、彼が先ほど提示した住所は黒のいる住所だということだろうか。興味がどくどくと湧いてきた。チートを使う奴がどんな奴なのか知っておきたい。それに、確か、ラウンズにチート業者に関係する人物がいるらしい。彼に会えれば何か重要な情報を得られるかもしれない。
『キリュウからの話は聞いた?君も、来るかな?』
すると、オータムさんからもDMが届いてきた。どうやら同じ話を彼からされたらしい。
『私送っていくよ。目黒駅西口で集合だね』
俺は彼からの誘いに乗ることにした。
チーターを倒した安堵によって心の余裕が生まれたからだろう。先ほど戦ったチーターがどんな奴なのか知りたくなった。
そこから少しした後、俺はゲームからログアウトして目黒駅の西口に到着した。
改札前を出たすぐの場所で待ち合わせをする。
勿論、葵は呼んでいない。
何故なら、彼女は巻き込んではいけない気がしたから。
彼、キリュウから漂う雰囲気はどこか退廃的で深入りしすぎるとこの世界の闇を知りすぎるという意味で後戻りできない場所まで入り込んでしまう気がする。彼女は何も知らない俺の親友だ。そんな危険な場所に連れ込むことは出来ない。
「お疲れさまぁ」
すると秋ヶ原さんがすぐにこちらに合流してきた。
彼女の目は真剣なもので、スーツを着用していることもあってとても厳かな雰囲気を感じた。
「スーツですか?」
「これしか持ち合わせなかったんだよ。急な外出だからね」
「キリュウさんは、まだ来てないですよね」
「そうだね。まぁ、まだ時間じゃないし待っていようか」
俺たちはその場でキリュウさんを待つこととなる。
ただ、この時間を無為に潰したくない。俺は彼女に前々から聞きたいことがあったのだ。
「一つ、いいですか?」
「どうしたんだい?」
「どうしてラウンズにチート業者に関係している人がいるって分かったんですか?どこの情報筋ですか?」
「筋は私の情報方面の仲間。詳しくは教えないよ。企業秘密なのさ」
彼女は先程の固い表情を崩して、爽やかな笑顔で返してくれた。
「いや、はぐらかさないでください」
ただ、答えは表情の爽やかさとは裏腹に明瞭じゃない。
「……」
俺の追及に対して、彼女はすん、と真顔になった。
「うーん。あまり言いたくないんだけどね。私、この活動、副業でやっているんだ」
すぐに爽やかな表情に戻って明瞭な答えを語り始めた。
「仕事だからこそ、お金をもらって責任を発生させている。そのためのコネクションもある。あんな噂やこんな噂が私の下に届いて来るのさ。そして、仕事としてやっている以上、守秘義務がある情報もある。詳しく話せないのはそういうことさ」
「…………そうなんですね」
なんだか、真実を教えてもらっている気がしなかった。
だが、そこからさらに踏み込む気は起きなかった。
今、俺の中では二つの矛盾した感情がせめぎ合っている。
一つ目は好奇心。
俺の目の前には不明瞭で巨大な謎、と言えるような何かが蠢いている。
キリュウさんという存在。それを深く知る秋ヶ原さん。そしてチート狩り。漠然とした『何故』が広がっているのだ。思わず、掘り下げたくなってしまう。
二つ目は恐怖心。
広がる謎に関して一つ言えることがある。
それは、観測したら戻れないという悪寒。
都市伝説を聞いただけでも理解できた。あの分野において、俺は存在しちゃいけない。不用意に踏み込むと俺自身の身を滅ぼす可能性がある。だから、同じ立場の葵は何があっても関わらせてはならない。
この二つの心がせめぎ合って今の俺は行動している。
「ははは、ちょっと話を変えようか。アバター・ドリフトに流通しているチートだけど、通常のチートとは違う点がある。分かるかい?」
すると、秋ヶ原さんはさらりと話の話題を変えてきた。
しかもその話題は俺が気になるものなのだから、興味はそちらに移っていく。この話題なら踏み込んでも何か不都合はなさそうだし。
「……………?分からないですね」
「それは『流通』だ。現在各SNSやらなんやらを調べているけど、アバター・ドリフトのチート販売と宣伝を行っている場所確認できない。私の予測だけど、ゲーム内で取引を行っている」
「そんなこと、可能なんですか?」
「そうとしか考えられない。と言った感じだね。ネットとSNSにそういう宣伝がないってことは。それ以外の方法でチートの宣伝をしているってことだ。宣伝なんだし、ディストートとかのクローズな環境じゃ普通しない。さぁらに、それが出来そうなのは開かれた場所かつ顧客の関心が強い場所。ゲーム内という訳だよ」
探偵のように言い切った彼女は「ま、他のゲームでそういったことをやっている可能性もあるけど、キリがないのでまずはこの線で考えてるよ」と、付け加えた。
「それで、話を終わったか?」
「「うわっ!!!!」」
すると、背後からぬっ、とキリュウさんが現れた。
彼の服装は黒一色という点ではあの時と変わらない。黒い半そでTシャツに黒い長ズボンを着用している。
「終わったけども~~急に話しかけるものじゃないよ~~~」
ダウナーな彼を、秋ヶ原さんは爽やかな笑顔で迎えている。
「そうか。それはすまなかったな。それで、秋ヶ原、車はどこに停めているんだ?早速行くぞ」
彼は変わらぬマイペースさで俺たちを誘導し始めた。
その背中からは怒気が滲んでいるように見えた。
「キリュウさん」
そんなことはお構いなしに、俺はとある聞くべきことを聞くことにした。
「なんだ?」
「なんで黒の場所を知ってるんですか?」
「……それはあちらで話そう」
俺たちは秋ヶ原さんの車で少し移動して、とあるマンションのエントランスに到着した。そのまま、キリュウさんが先頭になって、まずはエントランスにある液晶に部屋番号を入力した。
数秒間、呼び出し音が鳴ると自動ドアが何も言わず開いたので、俺達はエレベーターを使って黒がいるとされる部屋の前に到着した。
車から出て彼の家の前に着くまで、俺達は一言も言葉を発さなかった。キリュウさんと秋ヶ原さんは有無を言わせない重圧感を発しており、俺はその重圧に押されていたのだ。
「はぁ、鍵は閉めとけ」
扉に手をかけ、それが開いていることに気付いたキリュウさんはそのまま扉を開いて中に入っていった。
ふわりと家の空気が鼻に入ってくる。
「くさっ」
そして感じたのは生臭い香り。
「おい、黒、いるか?」
その場で立ち止まり辟易としていると、キリュウさんはずんずんと奥へと進んでいく。
「……大丈夫?」
たじろいでいることに気付いていた秋ヶ原さんは俺に俺のことを気にかけてくれていた。
「大丈夫です。行きましょう」
ここで知りたいという欲求を糧に、忌避感を打ち破った俺は、顔を廊下に向けて大きく息を吸ってから、部屋の中に入っていった。
そこで俺が目にした光景は何ともイヤなものだった。
部屋一面が悪臭とゴミにまみれている。飲みかけのペットボトル、処理されていないカップヌードル。ゴミ袋に包まれた何か。ゴミに埋もれた家電が散乱しており、明かりは点いていない。その中をキリュウさんは躊躇なく進んでいく。
「おーい。いるか?」
「ああ、いるぞ。キリュウさん」
キリュウさんの何度かの呼びかけを経て、部屋の奥から声がした。
(さん付け?)
そこで声の主がキリュウさんを『さん付け』していることに気が付いた。
ごみを踏まないように歩いて彼に追いつくと、目の前には痩せこけた青年がいた。
年齢は恐らく俺より上、大学生くらいだろうか。
ゲーミングチェアに座っており、正確な身長は分からないが恐らく俺より高い。足元にはVRゲームに使うであろうゴーグルが置いてある。
体全体は細く、髪もロング、という訳ではないが伸びている。服装は寝間着、上下灰色のスウェットを着用しており、目の下には黒いくまが遠目でもわかるくらいはっきり浮かんでいる。
「久しぶりだな。どうだ。アバタードリフトのアカウントは?」
キリュウさんはそんな彼に友人のように話しかけていた。
「バンされたよ。しっかり通報してくれたみたいだな」
「そうだ。しっかりさせてもらった」
すると、キリュウさんは俺達の方へ向き直して、モニターの前で作業をしている男性のことを紹介し始めた。
「……それでは紹介しよう。彼は黒沢黒、さっきまで戦っていたチーター『黒』本人だ」
「……よろしく」
黒本人だと紹介された彼は、モニターの白い光、ゲーミングパソコンの虹色に照らされた笑顔で応える。
俺はふと、ある疑問にぶち当たる。
闇は一体どこにいるのだろう。彼らはゲーム上ではかなり親密な様子だった。恋人か夫婦か、仲の良い兄妹か。なんであれ彼女とのつながりを示すようなものはこの部屋からは見受けられない。出来るかで首は動かさず、視界の範囲で闇に関係ありそうなものを探していた。
「君は……サムだな?」
彼は俺の顔を少し見つめてきてから、俺がアバタードリフトにて操作しているプレイヤー名を言い当ててきた。
「だからなんですか?」
「どうして?」とは聞かずに、あえて反骨的な態度を取る。
「闇のコト、気になってきただろう。さっきからキョロキョロして」
「……そう、だね」
ゲームの中だけでなく、現実においても彼はその観察眼を発揮していた。
「そこにいる」
すると彼は俺の後ろを指差してきた。
(そこに人はいないはず……?)
何か致命的なことをしてしまったかもしれないと焦りながら、後ろを振り向くと、そこには木でできた棚があった。その辺りだけにはごみは置かれておらず、また、棚には最上段に三つのものしか置かれていない。
遺骨が入ってそうな壺。
少女が笑顔で映る写真。
そして煙をあげる線香。
「え?」
論理的な思考さえあれば、すぐに結論を出せるはずだ。
ただ、呆気にとられすぎて俺の脳みそはショートした。
「……黒、俺が代わりに説明していいか?」
「お願いします」
その様子を見たキリュウさんは代わりに説明をすると名乗り出て、黒と紹介された青年はすぐに了承した。




