第4話
「今日もいい天気だぞ、しずめ」
アパートのカーテンを勢いよく開け、窓辺の鉢植えに話しかける。「しずめ」というのはこの鉢――というか、中に眠る「種」の名前。名付け親は妹と母さんで、「静かに芽を出すかもしれない」からだという。
最初は実家に置いてきたものの、帰省して東京へ戻るときに連れてきた。やはり、この種は僕にとって大事な存在らしい。こうなったらとことん付き合って、芽が出るまで見届けよう。
「しずめ」は何を思っているのだろうと、ふと考えてみる。厨二病みたいだな、と少し笑ってしまった。毎日、水やりと声かけは欠かさないが、今日も種はただ静かに眠っている。
そんなある日、植物に詳しそうな友人の青葉稔に相談してみた。
「その種、発芽しないんだよね 本当に種なのか確認してみたらどうだ?」
「そんなことできるの?」
「簡単なことだよ」
青葉によると、種の形や質感である程度の種類を推測できるし、スマホアプリで判別する方法もあるという。
「へえ、そんなやり方があるんだ」
感心して返すと、青葉はメガネの縁を押し上げて少し誇らしげに微笑んだ。
「今度それ、大学に持ってこいよ。調べてやる」
「しずめ」を土から掘り起こすのは気が進まなかったが、しっかり洗い、ティッシュで包んでビニール袋に入れて青葉に渡した。青葉は「しずめ」を取り出し、しばらく観察した後、ポツリと「ムクロジ……」とつぶやいた。
「ムクロジ?」
「そう。黒くて丸いだろ 羽付きの重りに使われるんだ」
実家で妹と羽子板で遊んだときのことを思い出し、あの音まで聞こえてきそうだった。
「でも、十年だろ?」
「まあ、そうだな……」
「いくらなんでも長すぎるよな。ムクロジの種も硬いけど、発芽はするし」
「いいんだよ、しずめはマイペースなんだから」
「しずめ?」
思わず名前を呼んでしまい、視線が泳いだ。青葉がニヤリと笑う。
「へー、種に名前つけるって、深沢、可愛いじゃん」
「可愛いは余計だ。それに、名前をつけたのは僕じゃなくて妹と母さんだ」
言い訳をすればするほど、深みにハマる気がした。青葉が急に真顔になり、僕に提案してきた。
「それより、深沢。園芸サークルに入らないか?」
「園芸サークル?」
「植物やガーデニング好きな学生が集まってるところ。楽しいぞ」
人付き合いが苦手な僕はサークルには入っていないが、青葉の顔を見ていると、少しだけ興味が湧いた。
その後、毎日のように青葉に誘われ、嫌になったら辞めてもいいと言われたこともあり、結局園芸サークルに入ることにした。自己紹介で「しずめちゃん」という名前が話題になると、女性メンバーがざわめいた。
「十年も育ててるなんて、愛されてるわね、しずめちゃん」
照れくさい言葉に、少し返答に困りつつも「いえ、別に」とだけ答えた。
*
サークル活動が始まり、毎朝カーテンを開けるときには「おはよう、しずめ」と声をかける日々が続いた。それから何度季節が巡っても、土の表面は静かなままだった。
それでも僕は待っていた。期待を持ち続けた。「きっと芽が出る」という智也の言葉があの小さな鉢に詰まっているように思えたからだ。しかし、大学生活に追われるうち、気づかないうちに水やりの頻度が少しずつ減っていった。
気づけば、「きっと芽が出る」という気持ちも、小さな泡のように消えかけていた。「しずめ」の鉢植えを見つめ、土に触れてみた。変わらぬ姿を見て、「駄目かもしれない」という、諦めに似た感情が沸々と胸にわいてくる。
もう捨ててしまおう――。