弟
「もうすぐ弟に会わせてやる」
突然、父は言った。私に弟なんていたのかと仰天した。異母兄弟? てめえ、外でガキ作ってたんか? 天国のお母さんが泣いているぞと私は思った。母は三年前に死んでしまった。その時、私は中学二年だった。それからは父と二人で暮らして来た。父はたいてい朝早くに出掛け、夜遅くに帰って来た。私は自分で食事を作り、お弁当を作り、作ったものを一人で食べていた。片親だが、ちゃんとした大人になるんだといつも思っていた。天国にいる母に恥じない人間にならなければといつも思っていた。
「次の日曜日に連れて来る」
父は言った。
「何それ?」
「どういうこと?」
「何で私が会わなきゃいけないの?」
私は父に立て続けに文句を浴びせていた。こんな奴と結婚して、こんな奴の子供を産んだ母がかわいそうだと思った。その子供である私も哀れだと思った。父の血だけ、私の身体からすっかり抜いてしまいたいと思った。
日曜日になった。その弟がやって来た。タカシという名だった。まだ小学生だった。最近、お母さんが死んでしまったということだった。随分としょげていた。こいつに罪はない。こいつを責めても仕方がない。こいつだって好き好んで、あのクソおやじの血を引いている訳ではない。そう思って、一緒に暮らし始めた。本当なら、私たちは憎しみ合う間柄なのかもしれなかった。母たちが父の愛情を奪いあったり、母を大切に思う私たちが争ったり、そうなっていたかもしれない。でも、あんなクソおやじの愛情を求めて争うのかと思うと癪に障った。そういう意味では私たちは同志だった。この子の世話をするのも悪くないと思った。高校を卒業したら、こんな家、出て行ってやる。その時までにこの子をしっかり育てなければと思った。
休みの日は一緒に料理を作ることにした。この子は一人でしっかりと生きて行かなければならない。そしていつかきっとあのクソおやじに愛想が尽きて、私と同じようなことを考えるだろう。その手助けをしなければと思った。一緒に料理を作っていると、次第に打ち解けて来た。よく笑うようになった。子供が笑っている姿を見るのは悪くないと思った。子供はいつも笑っているべきだろう。子供が塞ぎこんでいる世の中は、きっとどうかしているのだ。
「お姉さん、ありがとう。本当のお姉さんじゃないけど、お姉さんみたいなお姉さんがいたら良かったなと思います」
タカシは言った。
「いや、いちおう片方だけど血はつながっているからお姉さんでいいんじゃないか?」
私はタカシに言った。
「僕の本当のお父さんはずっと前に死んでしまったそうです。僕はよく覚えていないんですけど」
えっ? 何を言っているんだ。この子は?
「お父さんとお母さんと、お姉さんのお父さんは大学の頃からの友達だったそうです」
何だそれは? じゃあ、この子と私に血のつながりはないじゃないか? お母さん、お父さんのこと悪く言ってごめんなさい。そう思った。その時、父の気持ちがすっと私の中に入って来た。私は小皿を二枚、食器棚から取り出し、そこに少しだけ料理酒を注いだ。
「おい、盃を受け取れ、タカシ。義兄弟の盃だ。これを飲めば本当に血のつながった兄弟よりも深い絆で結ばれるものなんだ」
私は言った。しばらくの間、タカシはきょとんとした顔で私を見ていた。
「お姉さんは、お姉さんのお父さんとそっくりですね」
満面の笑みでタカシは言った。そして私たちは杯を交わした。天国にいるお母さんが微笑んだような気がした。