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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

奴隷の少女が罠にかかったスフィンクスを助けたら懐かれた話

※恋愛要素はほぼなし。でも百合だと思ってるので百合です。

※好みがわかれる作品だと思うので何を読んでも自己責任で。

※他小説サイトにも掲載しています。

 砂漠の大地。赤色の砂が地を覆うそんな土地で、隆起した砂と岩の大きな山の間にできた、細く、そして長く奥へと続く洞窟。

 少女がそこを見つけたのは本当に偶然のこと。

 ふらふらとした足取りで少女は洞窟に入っていってしばらくしてからその中で座り込む。そして顔を纏っていた薄汚れた衣服で拭い、短い黒髪についた砂を払ってから、小さな手で浅黒い肌の足を摩った。

 そこには、くっきりと何かが巻かれていた痕が残っている。

 少女が商人たちの元を逃げ出せたのはただの幸運だった。

 少女をつなぎ留める使い込まれた足枷の鎖が錆びてもろくなっていたこと、そして、こんな幼子には何もできないという彼らの油断を少女は見逃さなかった。

 たくさんいた子どもたちの中で一番小さく、身軽だった少女は馬車の荷台が大きく揺れると同時に鎖が緩んだのを見て、馬車から飛び降りたのだ。

 馬車から落ちたと同時に鼻を強く打った。口の中に血の味が広がって、涙が零れるけど、見知らぬ男たちに問答無用に殴られるよりはずっとマシだった。

 

 ──おかあさん、おかあさん、おかあさん!


 逃げ出した少女は前だけを見据えて、ひた走った。途中で何度転んだって、すぐに立ち上がって一心不乱に走り続けた。

 だって、好奇心から母の手を抜け出し、こっそりといつもは行かない通りへと行ったのがすべての間違いだったことに気づいていたからだ。

 小さな彼女はあっという間に見知らぬ異邦の男たちに麻袋の中に詰め込まれてどこかに運ばれ、気づいた時には鎖で他の子どもたちと同じように繋がれていたからだ。

 父の顔は知らない。母は一人で、どんなに大変な時でもにこにこしながら少女の頭を撫でてくれた。

 そんな優しい母は今頃悲しんでいるに違いない。今すぐにその腕の中に飛び込んで、いつものように髪を手櫛で梳いてほしかった。

 少女は足が速かった。けれども、まだ小さな子どもだ。

 見知らぬ土地を走って走って、いつしか砂に塗れた場所が見えた。砂漠は彼女がよく知った生まれ故郷の景色。

 引き寄せられるように砂の大地を歩いて、やっとみつけたのがこの場所だった。

 喉が渇いて、疲れて今にも眠ってしまいそうになりながらも、少女は何とか立ち上がると、身体を引きずるようにして洞窟の奥へと歩く。

 追っ手が来るかもしれない、という恐怖もあった。とにかく前へ進まなければと、限界をとっくに越えた身体で進んでいくと、洞窟の中には小さな川が流れているのを少女は見つけて、それに飛びつく。

 少女は水の中に顔を突っ込み、貪るように飲み込んでいく。

「はは、いい飲みっぷりだなあ」

 顔どころか、体中を水浸しにしながらしばらく水を飲んでいると、当然耳に若い女の声が聞こえて、少女は驚いて水の中から顔を上げ、疲労でぼんやりとした視界でその声を主を見遣った。

「そなた、随分と長いこと歩いてきたのか」

 それは尊大でありながらも、穏やかな声。

 小川の向こう側、崖の上の切れ間から差す木漏れ日が照らす岩の上にそれは座り込んでいて、黄金の光がきらきらと輝きながらその姿を照らしていく。

「そこの小さきものよ。疲れているところすまないが、一つ頼みがあるのだ」

 一点の曇りもない、絹の衣のような長い髪が、大地に波のように広がっている。

 洞窟の奥にあるはずのないそんな女の声、そしてその姿を目の当たりにして、少女は目をまんまるに見開いた。


「──これを外してくれぬか?」


 『それ』は、美しい女の顔をしていた。

 真白な長い髪、空よりも濃い青い瞳を持った、誰もが見惚れるほどに美しい相貌。

 それが、少女をじっと見つめている。


 けれども、それはその身体がなければの話である。


 美しい女の顎から下にあったのは髪と同じく純白の体毛の生えた大きな獅子の身体。

 その獅子の身体の前脚の付け根の辺りからは大きな翼が右側にだけ生えていて、それを時折ばさばさと動かして羽毛を宙に撒き散らしながら、女獅子はぐっと岩の上から顔を少女の方へと突き出す。

「妾の手足ではこれは外せなくてなぁ、よく考えたものよ。実に上手くできている」

 女獅子のちらりと見たそこ、鋭い爪の生えた毛むくじゃらの太い前脚には鋭い鉄製の罠がかけられていた。

 鋭い切っ先が肉に食い込んで、その純白の身体を痛々しく汚しているというのにもかかわらず、女獅子は自身の身体に食い込むそれを見下ろしながら、痛みに耐える様子は微塵もなく、それどころか感心したように頷いていた。

 少女は突然自分に声をかけてきた相手が、そんな異形の存在であることに呆然としながら、へなへなとその場にへたり込む。


「し、しんじゅうさま……」


 ──その生き物を、少女は知っていた。


 少女の故郷で『彼女たち』はそう呼ばれていた。

 墓の守り神であると同時に、尊き王の使いであると、民衆からは崇められて古代から大切にされていた。

 少女が彼女たちを故郷で見たのは、聖なる式典で王や王妃たちの姿を見るときだけ。

 高貴な彼らを護るように傍に常に控えている神秘的な彼女たちをずっと遠くから見かけたことはあれど、話すことなどもってのほか、話しかけられるなんて少女の人生において思ってもいないことであった。

「ん? その顔を見るに……この国の民ではないのか。そなたの国では妾はそう呼ばれておるのか?」

 女獅子は少女からの呼び名に、きょとんとした表情で首を傾げる。

「であれば話は早い。そこに鍵が落ちているであろう。そう、そなたの目の前だ。それを使ってここ開けておくれ」

 少女が目の前に視線を落とすと、そこには砂に半分埋もれた鍵が確かにそこに落ちていた。

 それをそっと拾い上げて、手の平に乗せた少女は迷った。

 この女獅子がどうしてこんなところに居るのか、どうして捕らえられているのか、鍵だけがなぜ落ちているのか疑問が浮かび、同時にそれを彼女に渡してはいけないような、そんな気がしたのだ。

「なあ、妾のためと思って……助けてくれぬか?」

 少女が躊躇っているのがわかったのか、女獅子は懇願するような声を出して少女を呼ぶ。

 少女は鍵を握りしめてから、恐る恐る足を踏み出すと、女獅子の方へと近づき、岩の上に上がると、その足元に座り込む。

 どうせ自分は追われている身で、生きて母の元に還れるかもわからないということは、幼い少女にもなんとなくわかっていた。

 だからこそ、かつて故郷で見たあの美しい神獣と同じ姿をした彼女の頼みを今ここで叶えてあげられるなら、それは誇るべきことで、幸せなことだと少女は思ったのだ。

 女獅子の前脚を挟む罠の鍵穴に、少女は鍵を差し込んで回す。

 それは少女が思っていたよりもずっとあっけなく開き、鈍い音とともに、鉄の罠は女獅子の身体を開放する。

「あぁ、これでやっと背が伸ばせるというもの!」

 手枷を外され自由になり、その場で身体をぐっと伸ばした純白の女獅子は少女が見上げるほどに大きかった。

 長く伸びた細い尾を揺らし、くあぁ、と口を開いて欠伸をしてから、血で汚れた前脚を丁寧に舌で舐めあげていく。

「感謝するぞ、小さきものよ」

 自らの身体の毛づくろいを終えた女獅子は青い瞳が細めて、にこりと足元の少女へと笑いかけた。

「は……は、はい……」

 そんな女獅子に対して少女はこくこくと黙って頷くことしかできない。

 その生き物があまりにも大きく、神秘的でありながら、見る者を跪かせるような圧を持っていたからだ。

「それにしても空腹だ。なにしろ陽が三度昇るまでここに囚われておったからな」

 女獅子は上を見上げ、崖の上の太陽に向けてふう、と大きくため息をついた。そうすると獅子の体躯の背を覆う長い髪がさらさらと解けて足先へと落ちていく。己の髪と真逆の色を持ったその生き物に、少女は思わず見惚れて、ぼうっとその様子を眺めていた。

 女獅子はそんな少女の様子など気にもせず、睫毛の生えた目を伏せ、苛立ったように前脚で地面をひっかいてみせる。

「これは良くない。身体は何よりも資本だからな、早急になんとかせねばならぬ」

 その瞬間、空気が数度一気に下がったような心地を少女は感じた。

 いつの間にか、少女の身体を濡らしていた水は全て乾ききっていて、それなりの時間が過ぎていたことを少女は理解する。

 冷たい鋭い刃物を首先に当てられているような緊張感を感じる少女に、女獅子は鼻がくっつきそうなほどの距離に自身の顔を近づけて、穏やかな笑みを浮かべたまま少女の目をじっと凝視する。


「──ああ、だが、腹を満たすのにちょうどいいのがいるな」


 少女の文字通り目の前で女獅子が大きく口を開けて笑うと、その中にはずらりと並んだ鋭い肉食獣の牙と、鮮血の色をした長い舌が見えた。

 生暖かい吐息と獣の匂いが少女の鼻をくすぐると同時に女獅子は鋭い爪の生えた前脚を振り上げて──


 そして片翼を大きく広げ、少女の頭上を軽く飛び越えてみせる。


「ヒッ、あ、ァアアッ! 来るなっ! 来るなぁッ!」

 途端、少女と女獅子以外の、他の誰かの声が洞窟の中に響き渡る。その声に少女はバッと勢いよく後ろを振り向き、目を見開いた。

 そこには、少女を捕まえた商人の男たち数名がこちらを見て驚愕の表情を浮かべている姿があったからだ。

「あははははっ」

 追いつかれた、そう少女が思って、顔を青ざめさせるよりも早く、女獅子の楽しそうな鳴き声がその場にぐわん、と響く。

 その瞳にはもはや少女のことなど映っておらず、飛び上がった女獅子は男たちの前にその巨体を豪快に砂埃を立てながら着地させると、二本足でゆらりと立ち上がってみせる。

「久々の食事だ! 妾に罠をかけた男は細くて大して腹が膨れなくてなあ。今回は体格のいい者たちで大変結構! 随分と喰い甲斐がありそうだ」

 女獅子は男たちをゆっくりと見回し、目を輝かせながらうっとりとした表情を浮かべる。

 まるで恋人との逢瀬を迎えているような女獅子の表情とは対照的に、男たちは顔を真っ青にしながら後ずさりをしている。

「ヒィ、く、く、来るなッ! なんでこんなところに……!?」

「ひ、人喰らいの怪物がいるなんて聞いてねえぞッ!」

 大男の顔に影を作るほどに大きな女獅子から少しでも距離を取ろうと、男たちは捕らえにきた少女のことなどどうでもいいとばかりに我先にと洞窟の出口に向かって走り出す。

 足をもつれさせそうにしながら走っていく男たちを見つめた女獅子は、その美しい顔の唇を尖らせ、拗ねたような声を出した。

「む、妾には背を向けて逃げてはいけないと、子どもの頃に童話で聞かされなかったか?」

 女獅子は前脚を地面に置く。そして後脚に力を入れると、地面が抉れるほどに勢いをつけて跳躍する。

 男たちの中で一番後に走っていた男に一瞬で追いついた女獅子は、男の耳元に甘い声で囁いた。

「今日の晩餐はお前にしよう。一番硬くて、噛み応えがありそうだからな」

 そんな女獅子の声と逃げ遅れた男の絶叫はほとんど同時だった。

 鋭い歯で男の首を噛み、仔猫を運ぶ親猫のように女獅子はずるずると男の体躯をいとも簡単に引きずり、小川のあたりへ戻ってくる。

 男は女獅子に覆いかぶさられて絶叫をあげて手足を振り乱しながら暴れていたが、巨体の怪物に人間の非力な力で勝てるわけもない。

 だんだんとその声は小さくなり、最後にはガリガリと勢いよく何かをかみ砕く音と、ぴちゃぴちゃという何かを啜る音。

 そして洞窟内に充満する鉄の匂いだけが残った。

「ひ……」

 少女は途中から耳を押さえて目をぎゅっと強く瞑り、膝を抱えて地面に座り込んでいることしかできなかった。


 人喰らい怪物、男たちはあの純白の女獅子のことをそう呼んだ。少女の故郷では、神獣である彼女たちにそのような忌み名はない。

 神秘的で美しい王の使いである彼女たちのことを、少女は尊き存在であると敬愛していた。それは少女の母親含めた故郷の民たち皆がそう思っていることであった。


 ──けれども実際、神獣の姿をした彼女は、少女の目の前で人の肉を喰らう怪物であったのだ。


 だからこそ、少女にとっては一体何が正しいのかわからなくて、恐ろしくて、怖くてたまらなかった。

「そなた」

 いつのまにか足音一つ立てずに、少女の目の前には女獅子が座り込んでいた。ゆっくりと長い尾を揺らし、蹲る少女にそっと声をかける。

「あれはそなたを追ってきたのであろう? 可哀想に、このような小さきものをいたぶるなど……」

 どこか哀れみがこめられたような声に、少女は身体をがたがたと震わせながら目だけを少しだけ上に向ける。

「安心するといい。妾は子どもの肉は好かん。食いごたえがないからな」

 少女の見上げた先、女獅子の口から下、首元、手足に至るまで、全てが赤く染まっていた。

 ぽたぽたと生暖かい血を滴らせた彼女は、満足げな表情を浮かべて少女を見下ろしていた。

「それに助けてくれた恩人を食べるわけがなかろうが。妾は義理堅いのだ」

 女獅子はふん、と鼻を鳴らすと、血まみれの前脚や胸元を舐める。

 まるで自由気ままな猫のような怪物の様子に、少女はなんと返せばいいかわからず、呆然とその様子を見ていることしかできなかった。

「あぁ、そうだ。そなたの国では妾は神獣と呼ばれて崇められているのだったな。それはいい、実にいい」

 けれども、そんな怯える少女の様子などさほど気にも留めない女獅子は急に何かを思いついたかのように毛づくろいをやめると、目を丸くしながら背を丸めて少女に顔を近づける。

「そなたは自分の国に帰りたいのであろう? ならば妾もそこに行く。崇められるのは好きだ」

 名案だ、と言わんばかりに女獅子は未だ地面にへたり込む少女の顔に自身に顔を近づけ、その表情を下から覗き込む。

 その瞳の中には溢れんばかりの好奇心と無邪気な期待が満ちていた。

「え……、と、それ、は……」

 目の前のこの怪物を自身の故郷に連れて帰っていいものか、なんて、言われなくたってその答えはわかっている。

 がたがたと身体を震わせた少女がしどろもどろになりながら返す言葉を思いつけずにいると、女獅子はまるで甘えるような声を出しながら、長い睫毛の下のターコイズブルーの瞳に悲しげな色を浮かべる。

 その顔だけ見れば、どんな男でもすぐに言うことを聞かせられるほどの美貌。

 けれども、その口から吐き出される吐息からは吐き気を催すような血の匂いがして、ちらちらと見える鋭い歯の間に挟まっているのがなんの肉なのかを少女はもう知ってしまっている。

「なあ、いいであろう?」

 女獅子はじれったそうに少女の耳元に顔を寄せてすりすりとその小さな耳たぶのあたりに鼻をこすりつける。

 少女はぐるぐると喉を鳴らす女獅子の鳴き声を聞きながら、彼女の後ろにある、物言わぬ肉塊となった先ほどまで男だったものを一瞬見て、すぐ目を逸らした。

 そして、しばらくの沈黙ののち、震えながら少女が頷くと、いい子だと言わんばかりに女獅子は笑って、べろりと真っ赤な舌で少女の頬を舐めあげる。


 それは、かつて少女の母が少女の頭を撫でた感覚と、少しだけ似ていた。

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