龍神様の巫女
この地には龍が住んでいる。
山奥深くを住処としており、人間が入り込むのを極度に嫌う。
土地を護ってくださるが、他者との関わりを持たないのだ。
外からの侵略を悉く阻み、飢饉や災害すらも起こさない。
平和な土地だと、こちらへ移り住む者が多かった。
しかしある日。
守護されているはずのこの土地に突然地震が発生し、川が氾濫、洪水も起こり、住む人たちの家をほとんど水に呑み込んでしまった。
誰かが言った。
龍神様のお怒りだ。龍神が大変ご立腹だ。生贄が必要だ。龍神様のお怒りが静まるには生贄が必要だ、と。
皆が私を見た。
竜神様を祀る社。そこにお仕えする私。
竜人様との距離が一番近いのが私だ。それなら皆こう考えるだろう。
――私が何か粗相をして、龍神様を怒らせた、と。
「あいつを捕まえろっ」
縛り上げられて、ボコボコにされた。
龍神様の社の前に突き出されたのは早かった。
身体中に痣を作って、私は今社の前にいる。
「行け。行って龍神様から裁きを受けろ」
振り向くと、大勢の住人たちが私を見ていた。
「……」
私は縛られたままの状態で、ゆっくり歩き出す。
鳥居を潜り、社の横を通り抜けて、森の奥へと続いていく。
「……」
森の中は何故か綺麗だった。
鬱葱とした木々がめいっぱいに生い茂っていると思っていたけれど、道行く道が通りやすく、獣が出ることもなかった。清楚とした空気が漂っていて、心地よい雰囲気が流れている。
「……はあ……はあ」
けれど縛られたままでの移動は辛い。普通に動くよりも余計に体力を使う。何時間歩き続ければ殊更にだ。
「……ッ!」
目的地に着いた。
そう思ったのは正直おかしな話だ。だって『ここ』へ来た人間は一人たりともいない。私ですら『ここ』へ踏み入れたことはない。なのに『ここ』が目的地だということを理解できた。
私は龍神様の領域内にいる。
龍神様はいない。
大きな泉と、その中央に盛り上がった丘に大きな木が一本立っているだけだった。
「『ここ』は……」
不意に足から力が抜けた。
坂を滑り落ちて、泉に頭から落ちた。
ブクブクと泡立てて、落ち着いて立ち上がる。
透き通るような水だった。何処まで見ても泉の底がはっきりと見ることができた。
「龍神様……お許しください」
泉の中へと歩んでいき、首元まで来た水。
私はそのまま水の中へと倒れ込み、息を吐いて沈んでいく。
死ぬことは怖くない。
神社の血縁者として生まれ、神に身を捧げると誓った今日まで。
神のために死ぬのなら怖くはないと。
怖かったのは。
町の人たちが私を射殺すような目で見てきたことだ。
今回の地震は神様の怒りでも何でもない。
ただの自然現象。
この土地は昔から地震の影響が強い土地柄であると。
けれどそれを知る者は少ない。言ったところで誰も信じないからだ。
代々続いて教えられてきたその真実。私は今、そうした知らぬ者たちによって殺されようとしている。
私が許しを乞うているのは、そうした意味で命を捨てねばならない龍神様に対してだ。
もっとお仕えしたかった。もっとお慕いしたかった。
「…………」
ここで死ぬことはなかった。
森の中で舌でも噛み切って死ねば良かった。
けれどどうせ死ぬなら龍神様に看取られて死にたかった。
死に方を選べるなんて、こんなにも贅沢なことはない。
――大変、お世話になりました。
そう思う。
「……ッ!?」
身体が誰かに引き上げられる。水面から大きく飛び出して、宙に舞った。
「っえ!?」
「気位の高い娘だな、お主」
身体を取り巻く長い尾。
青白く、そして翡翠色に包まれた一柱の龍がいた。
「え、龍神様?」
「ワレの名は玄以だ。憶えておけ、小娘」
そう言って玄以様は、私を泉の中央の丘に下ろしてくださいました。
そっと、こわれものでも扱うように丁寧に。
縄を解いてくださり、私は自由の身。
「げ、玄以さま」
私はその場ですぐに跪き、頭を地に付けた。
「お初にお目にかかり大変光栄に思います。私は――」
「雪江だろう? 知っておる。毎日ワレの社に足を運び、供え物と祈りを捧げておるだろう」
「……ッ」
感極まった。
私を知ってくださっていた。私を見て下さっていた。
これほどに喜ばしいことはない。
「た、大変うれしゅうございます、玄以様。ですが私は――」
「そうだな。だがその必要はない。そして、あの愚かな人間どもには悪態をつく価値すらない。ワレもこの土地柄について彼らには伝えていたはずなのだが、やれ龍神の怒りだ、やれ神の怒りだと騒ぎ立てる。何とも可笑しな話だよ」
乾いた笑みを浮かべていらっしゃいました。
さぞ失望した息を、玄以様は吐いていらっしゃいます。
「で、ですが彼らをお責めにはならないであげてください。時の流れにていずれ知ることとなるでしょう。平和のためには私の犠牲は必要なのです」
「無い。なぜ愛し子の命を支払ってまで彼らを生かさねばならない。本物の龍の怒りと言うものを教えてやろう」
玄以様がそう言うと、瞬く間に空に不気味な雲が集まり始めました。
先ほどまではお天道様が大地を燦々と照らしておりましたのに、一瞬で雲に隠れて居なくなってしまわれました。
雷が鳴き、雨が唸り、風が叫びました。
「ワレの愛し子を殺そうなどと愚かな者どもが。今すぐにこの地を沈めてやろうぞ」
「おやめください玄以様。お願いいたします、おやめください、おやめください」
何度も何度そう訴えた。声を震わせて、私は何度も。
「……馬鹿な娘だ」
雷が止み、雨が止まり、風が止んだ。
曇り空はそのままに、激情となるお姿はお収めになりました。
「申し訳ございません。申し訳ございません」
何度も謝っていた。何度も何度も何度も。
「…………お主はしっかり者だな」
そう言って、玄以様は私の前に来られました。
私の頭を撫でて下さる玄以様。
心地よい感覚が私を満たしました。
「お主はもうあの町には戻れない。他の場所へ行くこともできないだろう」
私が生きて居ることが彼らにバレれば、おそらく私刑にあう。
それを案じて下さっているのでしょう。
「私如きを心配して下さり大変うれしゅうございます」
「如きとは評価が低いな。お主は素晴らしい人間だ。この世で数えられるほどの素晴らしき人間だ。誇れ。卑下するな」
「……有難き幸せでございます」
「だがお前にはもう居場所がない。どうだ? ワレと共にここで過ごすというのは」
「え?」
思い余って頭を上げてしまった。
玄以様の凛々しいお姿を目にして、私はカアッと顔が熱くなるのを感じた。
慌てて頭を下げる。
「良い、お主の顔をもっと見てみたい」
そう言って、玄以様は私の顎に爪を置いて、私は再度玄以様のお顔を拝む形となりました。
澄んだ瞳、美しい鱗、立派な雰囲気――。
この方が如何に素晴らしい龍神様であるかをこの目でしかと、改めて知ることができた。
「は、恥ずかしいです……」
顔を逸らすも、玄以様が私を無理に戻す。
視線を逸らそうとするが、不思議と彼の目に吸い寄せられてしまう。
「この姿ではいかんな」
「え?」
玄以様のお姿に光が灯り、その後には水の上に一人の男性が立っておられました。
静かに、厳かに、冷静に、水面を揺らすことなく彼はこちらへと近づいてきて。
玄以様だと、私は。
殊更に気恥ずかしくなって頭を下げました。
「お前はつくづく恥ずかしがり屋だな」
抱きかかえられました。
お暇様抱っこです。初めての経験です。お城の姫君しかないと思っていたことが私の身に起こっているのです。
「な、ななな、玄以様っ、さ、流石にこれは」
「暴れるな」
「ひゃい……」
借りてきた猫みたく、私は彼の腕の中で静かになるほかなく。
「美しい女子だ」
「うむっ」
おもむろに接吻為されました。
何が何やらわからなくなり、頭真っ白です。
すぐに離されましたが、それでも私はちんぷんかんぷんです。
「もっとしてやりたいが、お前は男を知らぬ生娘だからな。今回はこれくらいにしてやろう。次はもう少し長くしてみたいものだ」
「え、あ、うう……」
多分私は今顔が真っ赤になっているのだろう。
「今から家を作っていこう。どんな家がいい? どんな部屋がいい? 広さは? 家具は? 寝床の心地よさは?」
「あ、あの……」
「?」
「下ろしてください、は、恥ずかしすぎて死にそうです」
「ダメだ、お前はすぐに跪いて頭を下げるのだろう? お前はもうワレの妻として生きなければならぬ」
「え、あ、その」
「なんだ?」
「……何でもないです」
「では婚礼の儀の準備もせねばな」
と、楽しそうにする玄以様を見ると、自分の羞恥心なんてどうでもよくなった。
いつの間にか空は晴れていた。
あまりに晴れ晴れとした天晴だった。
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【集】我が家の隣には神様が居る
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