はじまりはじまり
西暦 2430年 十月一日
朝日が横浜の街を照らし始める頃、一匹の白兎が路地裏に迷い込む。兎には二本の角が生えているが、どちらも折れている。傷口から流れる血は兎の毛を紅く染める。白兎は周りを警戒しているようだ。鼻を引くつかせ、ピンと立てた耳を動かし、キョロキョロと周りの様子を窺う。
それでも後ろから来る存在には気付けなかった。
ザシュ
白い隊服を来た茶髪の女がうさぎの首をはねた。手に持った日本刀から血が滴り落ちる。
これは、人間と動物たちの戦争のお話。
西暦 2430年 十月八日
神那川県、かつて中華街と言われた商店街
道路には赤く染まった葉が転がっている。
生活感溢れる部屋のベランダで
「なぁじーさん、いい加減雇ってくれよ。」
朝早く、洗濯物を取り込み終わった黒いくせ毛のヒョロっとした少年が白髪の老人に言う。
「駄目だ。」
老人が台所で料理をしながら振り返りもせず返す。
「なんでだよ、いいだろ?もう役に立てるって。給料なくても良いからさあ。最近お客サンも増えてきてるんだろ。一人じゃ大変だってこの前言ってたじゃねえか。」
老人が少年の方を向く。
「幸斗、お前は十四だったな。」
「そうだけど、急にどうしたんだよ。」
「まだ中学を卒業してないな。」
「俺学校行ってないから関係ねぇよ。」
幼少期に親が蒸発したこの少年は隣に住んでいた老人に拾われ、共に暮らしている。
老人は学校に通わせようとしたが、少年の戸籍が登録されておらず入学が認められなかった。政府はクソである。名前もなかったので老人が幸斗と名付けた。
「中学生を雇うとこっちが捕まるんだ。
この前教えたと思うが?また聞いてなかったのか。算数と国語は理解しているんだろうな。」
せめて常識は身につけてやらねばと、老人は自分で少年に勉強を教えていた。
「じーさんその二つサボるとめっちゃ怖いもんな、ちゃんとやってる。だから足手まといにはならねぇし、雇ってくれよ。もうタバコで法律破ってんだからだから今更関係ねぇって。」
「タバコは犯罪じゃない。推奨されてないだけだ。」
朝食ができたらしい。老人が目玉焼きやトースターが乗った皿を運んでくる。
「この前犯罪になったってニュースの人言ってた。もう吸うのやめたほうがいいと思うぜ。」
「嘘吐くな。」
蹴りが飛んだ。
対変異生命体軍 神那川第一基地 最上隊オフィス
海が見える大きな窓がついたオフィスで
「川原、その報告書出したら外出るぞ。」
隣のデスクに座る女に筋肉質な男が言う。騎士が着るような白い軍服をきっちりと着て、マントを羽織り、腰に西洋剣をぶら下げている。男は一八〇センチの巨体で黒い髪は短く清潔感がある。
「わかりました。任務ですか?」
女は同じく白い軍服を少し着崩し、ズボンのベルトにホルスターを付けている。セミロングのくせ毛は雑に纏められている。
「ああ、まあ、そんな感じ、かも、な。」
曖昧な返事をする男に川原は嫌そうな顔をする。
「隊長が濁す時ってあんま良いこと無いですよね。やっぱ行きません。」
図星だったらしく、男は顔を引き攣らせて申し訳無さそうに言う。
「…上司命令だ。」
「あっ!あたし達が逆らえないやつだ!最上隊長いっけないんだ〜!川原ちゃんドンマイ!」
二人の前のデスクに座る女がちゃちゃを入れる。着崩し過ぎてもはや軍服を着ているとは言えない茶髪の派手めな女だ。デスクには日本刀が立てかけられている。
「潤、お前さんはまず二週間前の報告書を出しなさい!締切はとっくに過ぎてるんだぞ。」
最上はドンッと自分のデスクを叩いた。それを見た川原はパワハラになりますよ、と注意する。
「えぇめんどい。やだ。山本くんやって〜」
潤が隣の眼鏡をかけた気弱そうな青年に言う。青年は隊服を腕まくりしている。
「僕ですか!?確かその日休んでましたよ僕。書けません。」
研いでいたナイフを落としそうになりながら山本は返す。
「けちんぼ。それぐらいいーじゃん、ね?
どーせ上の人そんな真剣に読まないんだから適当でいいって。たった一匹のキメラ型だよ〜?やってくれたら〜、キスしてあげちゃうかも。」
「くっ…」
おねが〜い、と手を握ってくる潤に山本は葛藤する。
「そこ揺らぐんだ。何か嫌だな。」
「副隊長!?そんなこと言わないでくださいよぉ。」
三人の騒ぐ声がまだ人が少なく静かなオフィスに響く。
「仕事にもどれ!!はやく書いちまえよ報告書!書き始めたら案外すぐに終わるんだから!」
海が見える基地で最上の叱責が飛んだ。
「ここのうどん美味しいですね。」
お昼時、奥のテーブルに向かい合わせに座って汁がはねないよう丁寧に食べる二人。店内は混雑している。
「川原よ、お前さんが何頼もうが自由だが、ラーメン屋でそれ頼むのは邪道じゃないか?」
せっかくこの辺りで一番美味しいと評判の商店街にあるラーメン屋につれてきたのに、うどんを頼む部下に呆れ顔で言う最上。
「メニューにあるんだからセーフですよ。スープ飲まなくても怒られないだろうし。隊長も早く食べないと伸びますよ。」
「メニューにあっても頼まないのが暗黙の了解だろ!見たかお前がうどん頼んだ時の大将の顔!めっちゃ凄かっただろうが!」
突然の大声に他の客がなんだなんだと注目する。最上はきまり悪そうに咳払いをした。
「それは同意します。でもしょうがないじゃないですか。ラーメン昨日食べちゃったんです。
それで任務って何ですか?」
「ああ、それがな……明日の話なんだが…………」
最上はそこで言い淀む。
「麺伸びますよ。美味しいのにもったいな「接待なんだ。」…はい?」
「すまない!セクハラめいたことだと言われたらそれまでなのはわかってる!でも相手が東京本部の局長でな、断りきれなかった。すまない。本当に。」
「へぇ、難儀ですね隊長も。頑張ってきてください。」
テーブルに頭をつけるように謝る最上に、川原は自分は関係ないとでも言うように言い放つ。
「お前も行くんだよ…」
「でもなんで自分なんですかね。潤さんの方が良いですよね。美人だしスタイル良いしフレンドリーだし。どちらにしても接待頼むのはちょっとキモいですけど。」
川原は顔をしかめる。
「お前さんのほうがマナーと礼儀があるからな。相手はお偉いさんだ。上品な方が良いんだろ。」
「やだ照れる。」
頬に手を当て、照れる仕草をする。
「真顔だぞお前。」
数百年前、地球では化学兵器を用いた大戦争がおきた。その結果、化学物質による汚染が原因で変異生命体が現れた。以来、世界各国が今でもその被害に頭を悩ませている。日本も例外ではなく、戦前の社会とはまだ程遠い。病院も学校も足りない。それでも、新しくまたいい国を作っていこうと日本を弐本と呼ぶ人が増えた。そして、変異生命体から人々を守るため、対変異生命体軍が作られた。
「うどん美味しかったです。奢ってくれてありがとうございます。ごちそうさまです。」
「接待を断りきれなかったからな。せめてもの謝罪だ。」
ラーメン屋での食事を終え(川原は会計時に大将に睨まれた。)、基地に戻ろうとしていた二人に無線で連絡が入った。
『神那川県一○九番地にて変異生命体の通報あり。』
「この近くですね。」
川原が基地にいる隊員と連絡を取りながら言う。
「行くか。」
「はい。」
二人は走り出した。
「幸斗、ラーメン屋に来てうどんを頼むやつをどう思う。」
二人が店を出たあと、大将が厨房を覗きに来た少年に尋ねる。
「はあ?何だよ急に。」
「どう思う。」
「べつに、変なやつだなとしか。なに、じーさんの店でうどん頼んだやつがいたの?」
「ああ。許せん。」
「大げさだ、な、、」
遠くで大きな物音がし、幸斗は言葉に詰まった。
「なんの音?」
「そういえば、うどん野郎は対変異生命体軍の服を着ていたな。慌てて走っていったし、通報があったのかもしれん。」
「え!軍に会ったの?」
すげぇ!と幸斗ははしゃぐ。小中学生にとってこの軍はヒーローだ。
「はしゃぐな。彼奴等は軍隊だ。ヒーローじゃない。人を殺したことがあるかもしれないぞ。」
「俺達を守ってくれてるんだろ?人殺しなんかしてないに決まってる!ねぇ、どんなやつだった?」
「話しとらんからわからん。」
「ちぇ。てか、避難しなくていいのかよ?」
音が聞こえてくるし、この辺りで戦闘してんだよな、と幸斗は老人に聞く。
「このあたりに避難警報は出ていない。」
「まじ?じゃあ近くのビルの屋上から戦ってるとこ見れるかもな。」
「おい、あんまり見世物感覚で見るもんじゃ」
ない。と言おうとしたが幸斗はもう外に駆け出していた。
「幸斗くん元気だねえ。明宏さん、あんたはよくやってるよ。よっ!大将。」
常連客がはやし立てた。
「すっげぇ…亀みてぇなやつと戦ってる。」
他にも見物に来てる人が大勢いる中、幸斗は柵にしがみついてその光景に感動していた。
「ねぇ、凄いよね。」
突然後ろから誰かに話しかけられた。
「あ、ごめん。つい。」
声の主は幸斗と同い年くらいの少女だった。
茶髪の髪は綺麗に三編みされている。
「うちね、十五になったら対変異生命体軍に入りたいんだ。」
少女は話す。
「へぇ。」
「でも親は高校に行きなさいって。もちろんそっちのほうが賢明なのはわかってるんだけどね、」
「行きたくねぇの?」
「うん。うち、ちっちゃい時に軍の人に助けてもらったことがあるの。それで、すごくカッコいいなあって思って自分も沢山の人を守りたくなって。」
「そうなんだ。」
「あっごめん。名前まだ言ってなかったね。
桐山麗華っていいます。よろしくね。」
「俺は幸斗だ。よろしくな。」
幸斗は麗華が差し出した手を取って自己紹介した。
「うちら同い年なんだね。幸斗くんは軍に入りたいとか思ってるの?」
「まぁ、キリヤマさんみたいに立派な理由はねぇけど、入りたいとは思ってるぜ。」
「ほんと?やった!同い年で同じ気持ちの人に会えたのは初めてなんだ!皆んな高校に進学するって。」
「へぇ」
「幸斗くんの周りはどう?他に軍に入りたい人いる?」
「いや、いねぇな。」
そもそも周りに同い年はいないが、それを言えば気を使われるような気がして言わなかった。
「そっか、じゃあ十五になって中学卒業したら、軍に入って一緒に頑張ろうね!!それまでに両親説得しなきゃ。」
「おぅ」
幸斗は深く考えずに返事をしてしまった。
歓声が上がる。軍が変異生命体にとどめを刺したらしい。
「最上隊長!川原ちゃん!」
先に到着していた二人の前に何台も車両が止まる。神那川第一基地の隊員達だ。
「潤、何人で来た?」
「あたし含めて三十人だよ。」
「なら俺と川原含めて32人か。よし、八人ずつ四つの班に分かれろ。」
隊員は即座にその指示に従い、整列する。
「一班は俺、二班は川原、三班は潤が指揮をとる。四班の指揮を取りたいやつはいるか。」
最上が全体に指示を出し、山本がおずおずと手を挙げる。
「あ、あの、僕取りたいです。」
「山本か。よし、異論があるやつはいないな?」
最上は全体を見回す。
「全員、戦闘体勢」
最上の号令に合わせて全員が武器を構える。
「攻撃開始!」
それぞれが四人の指揮に従い、次々と亀を攻撃する。
一班
「隊長、指示を!」
「亀の甲羅は堅い。潤の日本刀じゃないと切れないだろうな。俺達は三班が攻撃に集中できるよう亀の気を引く。」
甲羅がビルの五階に達する程巨大な亀のヘイトを買うという指示に隊員たちは緊張する。中には恐怖で震え、逃げ出しそうな者もいた。最上はその様子を見て
「お前らは今まで厳しい訓練を積んできた!自身を持て!俺がお前らを死なせない。」
と鼓舞した。
二班
「副隊長、1班は亀の気を引くようです。我々はどうしますか。」
「足を集中的に攻撃して。できるだけ亀の動きを鈍らせたいからね。」
川原の指示に多くの隊員が応え、亀に傷を与えていく。しかし、動けないでいる隊員もいた。
それを見て川原は「戦力にならないなら車に戻ってて。」と厳しく言う。
三班
「亀の甲羅はあたしの日本刀でしか切れない。皆んなあたしを援護してね。」
笑顔でそう言って潤は駆け出した。具体的な指示が出されないので、場数を踏んだ隊員はすぐに着いていくが、若い隊員はそうもいかない。
「とりあえず潤さんに着いてこい!」
ベテランの隊員が固まる後輩たちに言った。
四班
「三人ともすごいなあ。」
自分の役割を理解し、班を率いる三人を見て山本はそう言った。
「山本、どうする?」
よく班長を引き受けたなぁ、と言いながら同僚が聞く。
「とりあえず、二班に協力します。皆さん!まだ亀が動かせてる足を攻撃しましょう。戦うのが怖い人は、怪我人を車両に運んでください!」
山本が仲間に呼びかけた。
亀は巨大な爪で建造物を破壊し、瓦礫を飛ばしてくる。
最上は大声を上げ亀の気を引く。自分に向かって来る攻撃を剣で流しながら死にかけている隊員がいないか注意する。
川原は他の隊員と共に亀の足の柔らかい部分を攻撃する。銃をリロードする動作にも無駄はなく、小回りを効かせて攻撃を躱し確実に弾を当てていく。
山本は周りの状況を常に把握し、危ない状況に陥った隊員に手を貸しつつ他の班長との意思疎通を図る。
潤は近くのビルの屋上に上がり、亀の動きが鈍るのを待つ。日本刀は鞘から抜かれている。
その時は来た。
後ろ足の腱が両方切断され、亀は奇声を上げる。潤は屋上から亀の甲羅に飛び降り一太刀入れた。血が溢れる。他の班員も続き、潤が入れた傷に攻撃を加える。大暴れする亀に何人か振り落とされ、下にいた隊員とぶつかる。潤は振り落とされないよう足に力を入れ、心臓に刀を突き刺した。
亀は断末魔を上げ死んでいく。
攻撃を開始してからとどめを刺すまで十分もかからなかった。遠くのビルからは歓声が聞こえてくる。
「最上隊長お疲れ様でぇす。死者はでてないですよぉ。安心してくださぁい。」
仕事を終え、車両内で一息ついていた最上に、無精髭を生やし白衣を着た一九〇センチの背の高い男、医療部隊の中野が声を掛ける。
「あぁ、お疲れ。変異したのが肉食獣じゃなかったからな。これぐらいじゃ死者は出さん。」
流石ですねぇ、と笑いながら中野は返す。
「あ、あと、まぁた副隊長に何人か追い返されてきましたよぉ。大丈夫ですかねぇ?」
中野はうつむいて車両に戻ってきた三人を思い出す。一人は悔しいのか、涙を流していた。
試験もなく入隊できるこの軍は、最初は張り切っていても、いざ戦場に立つと足がすくんでしまう隊員は少なくない。それでも給料はいいので多くの場合は軍に残る。
「いつも川原が後でフォローするだろう。心配しなくても「いやぁ、メンタルとかそう言う話じゃあなくてぇ。」
「戦闘員で戦ってない人ってぇいわゆる給料泥棒じゃないですかぁ。他の人から恨み買いませんかねぇ?」
中野がニヤニヤとして言う。
「嫌な言い方をするな。」
棘のある言い方に最上は中野を睨む。
「すみませぇん。」
別に嫌味のつもりはないんですよぉ、と中野は両手を上げ降参のポーズをとる。
「安心しろ。戦闘に出なかった隊員にはハンデを付けてある。」
「どんなハンデですかぁ?」
「給料二割減とボーナス無しです。」
いつの間にか入ってきていた川原が答えた。
「びっくりしたぁ。」
川原は最上に紙を渡す。
「隊長、今回戦闘に参加させなかった隊員の名簿です。」
「了解した。」
最上は渡された紙に目を通す。
「もう基地に戻れるらしいです。」
出発しますか?と川原は最上に聞く。
「あぁ、頼む。お疲れさん。」
「わかりました、運搬班に伝えてきます。お疲れ様でした。」
「副隊長ってなんか素っ気ないですよねぇ。」
車両を降りる川原に中野が話しかけた。そうですか?、と川原は返す。
「自分、副隊長が笑ったとこ見たことないですよぉ?」
知り合ってからの川原の様子を思い出しながら言う。
「笑うことぐらいありますよ。中野さんの前ではなかなか機会ないですけど。」
川原は車両を降りながら答える。
「今のってダジャレですかぁ?センスないですねぇ。」
半笑いで言う中野に対し、川原は何も言わず扉を締めてしまった。
「川原ちゃーん、最上隊長なんだって〜?」
潤が窓から身を乗り出して聞く。
「出発していいみたいです。」
「おっけー!じゃあドライバーさん、レッツゴー!!」
「じーさん帰ったぜ。」
日が傾き始めた頃、幸斗は亀が倒されたのを見届けて帰ってきた。まだ興奮が収まらない幸斗の顔は夕焼けに染められて余計に赤くなっていた。もう十月だというのに額には汗も浮かんでいる。
「じーさん?」
幸斗が呼びかけた相手は返事をしなかった。ラーメン屋は夕方に閉店するので、出かけたのかもしれないと考えたが靴が玄関にあるので家にいるはずであった。幸斗は家中を探した。そして、
「おい!じーさん!!」
風呂場で倒れている明宏を見つけた。
震える指で救急車を呼んだが、さっきまであった戦闘の影響ですぐには到着できないと伝えられる。幸斗は真っ白になる頭で必死に明宏を揺さぶる。この少年は人が倒れた時の対処法を知らなかった。
「あっ」
揺れる車両の中で最上が青ざめた様子で声を上げる。それに中野が間延びした声で反応する。
「ラーメン屋に忘れ物しちまった…」
「何忘れたんですかぁ?」
「………スマホ。」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げる中野と、どんどん顔色が悪くなる最上。当たり前だ。軍の人間にとってスマホのデータは任務の記録が入った最重要機密。例え私用のデバイスであったとしても何処かに忘れるなど言語道断。
「今すぐ来た道を戻ってくれ!」
最上は土気色になった顔で必死に運転手に伝える。隊長が乗った先頭車両が急にUターンしたので、後続の車両に乗っていた他の隊員は驚く。
「最上隊長!どったの?あたしらも戻ったほうがいい感じ?」
皆んな混乱してるよ、と潤から仕事用のデバイスに連絡が来る。スマホを忘れただけだと言って最上は電話を切る。
「潤さん、隊長なんだって?」
「スマホ忘れたんだってさ。ウケる。また始末書案件だね〜」
潤はくすくす笑う。
「すみませーん。」
最上は無人のラーメン屋で無事スマホを見つけた。そのまま店を出ても良かったのだが、なんとなく大将にひと声かけたほうがいいような気がして店の奥に呼びかけたその時、
「じーさん!!」
子どもの叫び声がした。最上は考えるより早く店のカウンターを飛び越え、一目散に声がする方へ向かう。そこには倒れた老人と泣きながら老人を揺さぶる少年がいた。
最上はすぐに老人を担ぎ、少年の手を引いて車両に向かう。
「中野!」
最上の焦った声を聞き、中野は車両から顔を出す。そして担がれた老人に気づき素早く座席の下からキャスターを出した。
「隊長、こっちへ。」
最上とは反対に落ち着いた声で言う中野。
老人がキャスターに寝かされるとすぐに蘇生を開始する。
「君、名前は?」
最上は名前を聞く。が、混乱している少年は答えられなかった。
「どうかな、おいしい?」
オフィスのソファで山本が幸斗に聞く。最上たちが基地に着いてから二時間ほど。幸斗はようやく喋れる程まで落ち着いた。
「うっす。」
「良かった。」
山本はホッとした様子で笑みを浮かべ、周りを見渡す。基地は意識不明の老人を乗せた車両が到着してから慌ただしい。今も医療部隊が廊下を走る音が聞こえてくる。
「ここの人はみ〜んな優秀なんだ〜。
君のおじーちゃんもすぐに目を覚ますよ。」
だから安心してね、と潤が幸斗の顔を覗き込む。その言葉を聞いて幸斗は少し安心するが、谷間の見える潤の格好にすぐに目をそらしてしまう。初だね〜、と潤がからかう。
そこへ白衣を着た背の高い男が入ってきた。
「君ぃ、少しは落ちついたかい。」
「うっす。」
「君のおじぃさんはの容態は落ち着いていますぅ。もう死ぬ心配はないですよぉ。」
自分は医療部隊の中野と言いますぅ、と言って挨拶してきた男は幸斗の紅茶を勝手に取った。
「中野さん、それ幸斗くんの紅茶ですよ!」
山本が抗議するが中野は全く悪びれる様子がない。それどころかずっとニヤリと笑っている。
「いいじゃないですかぁ。この子のおじいさんタダで見てあげてるんですからぁ。これぐらいじゃバチなんか当たりませんよぉ。」
中野は紅茶を飲み干してしまった。
あ!と山本が叫ぶがどこ吹く風である。
「ごめんね幸斗くん。新しく入れるから。」
そう言って山本は給湯室に駆けていくが、幸斗はそれを止める。紅茶より家族に会う方が大切だ。中野に会いに行っていいか尋ねると、ちょっとだけなら構わないとのことだった。
「じーさん」
幸斗は医療機器が繋がれた家族を見つめる。いつもテキパキと動く姿からは想像できない姿にまた不安を感じる。
「中野さん、じーさんまた動けるよね?」
振り返って医務室のドアにもたれかかっている男に聞く。
「なんとも。倒れていたのが風呂場だったとのことなので最初は急激な温度変化による心筋梗塞を疑いましたがぁ、どうも違うみたいですぅ。症状から見るにぃ、おそらく変異中毒でしょうねぇ。二度と目を覚まさないかもしれませぇん。」
「は?なんだよそれ!!」
明宏が一生動かないかもしれないという事実と、聞いたことのない病名に幸斗は混乱し声を荒げてしまった。不安感がどんどん大きくなり息が荒くなる。そんな幸斗を中野は静かに見つめている。
「落ち着いてくださぁい。変異中毒は不治の病ではありませぇん。特効薬がありますぅ。」
「どこで買えるんだ?」
治る可能性があると知り、幸斗はまた落ち着いた。
「国内じゃ買えませよぉ。政府に申請して海外から輸入しなくちゃいけませぇん。」
「いくらするんだ?」
「軽く億はいきますねぇ。条件をクリアすれば政府が半分ほど負担するそうですがぁ、それでも数千万はしますぅ。」
「そんな…」
到底手の届かない額に目の前が暗くなる。小さい時に拾ってもらってからずっと、幸斗はこの老人に恩返しがしたかった。だから何度も給料なしで良いから雇ってくれと頼んだし、なるべく迷惑をかけないように振る舞ってきたつもりだ。
それなのに、それなのに、目の前の恩人は今病気で苦しんでいる。中野は死ぬ心配はないと言ったが、ずっとここで眠っていては弱って死んでしまうだろう。
「中野さん俺、軍に入りたい。」
幸斗は決意した。自分の命にかけても自分の家族を守る。自分を犠牲にしたことを知ればこの老人は決して良い顔をしないと分かっていても。
「本気ですかぁ?」
中野は少年に聞き返す。確かに薬を早く手に入れるには一番給料が良い対変異生命体軍で働くのが得策だが、子供を軍に入れ危険な目に合わせることは中野の信念に反していた。
「やめたほうがいいと思いますよ。」
中野は薄ら笑いをやめ、幸斗の肩を痛むほど強く掴んで言い聞かせる。
「給料は悪くないですがぁ、割にはあっていませぇん。それよりも高校に進学してエリートを目指したほうが…」
「俺、戸籍ねぇから小学校も中学校も行ってねぇよ。今更高校なんか行けるか。」
「そんなこと無いですよぉ、戸籍の有無にかかわらず学べる所は沢山ありま「どの部隊に入りたいの?」」
女の声が中野の言葉を遮った。中野は鋭い目つきでいつの間にか入って来た声の主を睨む。
「副隊長、軍に入れるつもりですか!?」
「お金欲しさに犯罪に走るよりはマシです。それに、嘘言って説得するよりはまだ親切だと思います。」
「嘘ってなんだ?あとあんた誰?」
幸斗は首を傾げる。
「はじめまして副隊長の川原友梨です。君は幸斗くんだっけ?よろしくね。中野さんの話だけど、戸籍がなくても勉強できる場所なんてどこにもないよ。中野さんが君を軍に入れたくなくて嘘ついた。」
「んだと?」
幸斗は家族を助けることを邪魔されたと思い、中野に殴りかかろうとする。
「まあまあ。」
川原が幸斗と目線を合わせる。
「中野さんも意地悪で言ったわけじゃないから。子供が命を張ることが嫌なだけだよ。まだ大人になってない君たちには無数の可能性があるからね。」
「可能性なんて戸籍が必須じゃねえの?」
「幸斗くんでも就ける仕事はそれなりにある。と言っても、ほとんど真っ当な仕事じゃないから軍に入るのが一番だけどね。入隊希望なら隊長に伝えとくよ。」
中野の力がだんだん強くなる。肩に指が食い込んで鈍い痛みが走り、幸斗は顔を歪める。
「川原お前いい加減にしろ!!」
中野が川原の胸ぐらを掴み、勢いよく壁に押し付けてビンタした。川原の頭が壁にぶつかる鈍い音と頬を弾く鋭い音が重なる。
「子供は守られる権利があります!!」
「そうですね。」
抵抗もせず痛がる様子もないその態度が中野の神経を逆撫でる。
「ならなぜこの子を止めないんですか!」
中野は幸斗を指差す。
「幸斗くんみたいな戸籍のない人が働ける所はここしか無いからです。中野さんも分かってるでしょ?貴男も戸籍がなくてここで働き始めたって言ってましたよね。」
同じ境遇の人が居るところで過ごしたほうが負担も少ないと思います、と川原は続ける。
「それでも自分は子どもを危険な目に合わせたくありません。」
「軍には戦闘職以外もあります。」
「お金目当てで入隊する人はぁ、戦闘職に就くに決まってますよ!」
「なあ、戦闘職が一番給料が良いのか?」
幸斗が口を開く。
「そうだね。」
川原が答える。
「なら俺は戦闘職に「駄目です。」」
壁に押しつけたまま中野が言う。力が強すぎるあまり川原の首が少しずつ締まり、苦しそうな声が漏れる。
「君は軍には入れません。」
「はぁ!?じーさんが死んじまうかもしれないだろうが!」
「君のおじいさんは死にませぇん。政府が負担してくれない分は自分が出しますぅ。」
「俺が自分で稼いだ金じゃなきゃ意味ねぇんだよ!俺はじーさんに恩返ししたいんだから!」
「自分で稼いだお金でなくとも恩返しはできますよぉ。おじいさんにとってはぁ、目を覚ました時に君が近くにいることが一番の恩返しですぅ。」
中野は依然として険しい表情で言う。
「騒がしいぞお前ら。病人の前で騒ぐな。」
最上が医務室に入ってくる。中野はハッとした様子で川原を離した。
「「すみません、隊長。」」
二人は頭を下げる。険悪だった医務室の空気がさらに重くなる。
「まず川原、言い分は理解できるが未成年を積極的に軍に入れようとするな。未成年の入隊は認められているだけで推奨されていない事はお前も十分わかってるよな。」
「…はい。失礼しました。」
冷たい声色で言われ、川原は咳き込みながらさらに深く頭を下げる。
「それと中野、身内に暴力を振るうのはご法度だ。二度とするな。殺人を犯すところだったぞ。」
「はぃ。すみませんでした。」
中野は睨みをきかせる最上に気圧されて半歩下がる。その顔に笑みは浮かんでいない。
「幸斗君、うちの隊員が失礼したね。お金が必要だというのは分かったが、どうして我々が出すというのでは駄目なのかな?」
最上が幸斗の前に立って問う。
「俺が自分でやらなきゃ意味ねぇんだよ。俺はちゃんと恩返しがしたい。俺にくれた物のお礼がしたい。そのためなら犯罪でも何でもするぜ。我儘かも知んねぇけど、今までじーさんには我儘を言ってこなかった。これぐらい許されるはずだ。」
最上は何も言わず幸斗を見つめる。
「な、なんだよ。」
幸斗は最上に問うが返事はない。
「………。」
「気まずいですねぇ…」
先程まで争っていた二人は静寂に耐えられず互いに背中を向ける。
最上と幸斗の睨み合いが始まってしばらく、遂に最上が口を開いた。
「よし、君の芯の強さはよく分かった。それに犯罪を犯すという発言も無視できない。よって、君が試験を突破できたら入隊を認めることにする。」
「おっしゃ!!って試験なんかあんのかよ!?嘘ついてんのか?」
ガッツポーズをして喜ぶが、すぐにがっかりした様子になる。軍に入るのに試験が必要だなんて聞いたことがなかった。
「最近隊員の質があまり良くなくてね。実戦で動けない隊員がどんどん増えているんだ。だから我々対変異生命体軍は今年度から入隊試験を導入したんだよ。」
「ホントかよ!嘘ついてねぇだろうな!」
「本当だよ。」
尚も疑ってかかる幸斗に、最上は困り顔で言った。うがぁー!と幸斗は試験に頭を悩ませる。そんな幸斗を尻目に最上は低い声で言った。
「二人は俺について来い。」
最上隊の隊員は幸斗を歓迎した。一般人が基地に滞在するのは軍規違反らしいが、バレなきゃ良いの精神で明宏が眠る医務室に家具一式を運び、幸斗がそこで暮らせるよう環境を整えた。
「じーさん、俺絶対じーさんのこと助けるよ。だから応援しててくれ。怒ったりすんじゃねぇぞ。試験に受かって今まで見たことないねぇくらいの金稼いでやるから、ぜってぇ死んだりすんじゃねえぞ。この俺に恩返ししてもらう機会なんか滅多にないぜ。」
幸斗は決意を込めて明宏に言う。その夜、幸斗は明宏の隣で寝た。
オフィスでは中野と川原が話している。
「これで良いでしょう。」
川原の顔にガーゼが貼られた。
二人は向かい合ってソファに座っている。
「大袈裟すぎじゃないですか?赤くなっただけですよ?」
川原が呆れ顔で言う。
「最上隊長にめちゃくちゃ怒られましたからねぇ。ちゃんと手当てしたっていうアピールですぅ。」
中野が救急箱を片付ける。
あの後二人は最上に説教された。筋骨隆々の男が低い声で淡々と言葉を紡ぐのはなかなか怖い。そのせいでヒビが入った二人の人間関係はすぐに修復した。人間は脅威が目の前にあると互いに仲良くしようとするものである。
川原が納得いかない様子でガーゼ剥がそうとするので中野は慌ててその手を抑える。
「やめてくださぁい。また怒られてしまいますぅ。なぁんで抵抗しなかったんですかぁ?貴女の力なら非戦闘員の腕なんかすぐに折るなりできるでしょう。ビビったんですかぁ?」
「抵抗する権利がなかっただけです。冷静じゃなかったし、幸斗君みたいな子供を勧誘するのは褒められたことじゃない。私の行動も完全に間違ってたとは思いませんけど、あの場では中野さんの方が褒められる行動取ってたと思います。」
「ふぅん。まぁ、それもそうですねぇ。」
中野は再びニヤリとした笑みを浮かべる。
「あの後いつも通りになってたので多分隊長もう怒ってないですよ。私達が仲直りするようにわざと怖くした部分もあると思います。」
「確かにあり得ますねぇ。あの人は他人の心を操るのが上手いですからぁ。」
最上隊の隊員は最上を慕っている。最上の人を引き付け、動かす力が絶大だからだ。二人も例外ではない。
「やっぱり剥がしていいですか?視界の隅で白色が見えるの気持ち悪い。」
「せっかく貼ったんで駄目ですぅ。」
翌朝
「幸斗くん、よく眠れたかい?」
まだ日の出てない早朝、最上が医務室に入り幸斗が寝るベッドに近づく。
「うぉ!」
目の前に突然巨体の男が現れ、幸斗は驚く。
「あんたは昨日の、」
「この隊の隊長、最上誠人だ。」
大きな体を曲げ、手を差し出す。
「あ〜、幸斗って言います。」
「うん。よろしくね。」
無精髭の男と違い、嫌味のない笑みに幸斗は好感を覚える。
「幸斗くん、お腹空いてるかい?」
「んー、少し。」
「朝食、一緒に食べないかい?」
「いいんすか?」
「もちろんだ。おいで、食堂に案内するよ」
食堂は医務室のあるオフィスから離れたところにあり、二階建てだった。
「ひっろ…」
「神那川第一基地には三千人所属しているんだ。」
「へぇ、全員最上さんの部下なんすか?」
「そうだな。」
「すげえ!」
自分が話しているこの男が想像以上に大物だと知り、幸斗はテンションが上がる。
「最上隊長〜!こっちこっち!」
奥のテーブルで隊員が手を振る。何人か一緒に居るようだ。昨日幸斗の前で喧嘩していた二人も座っている。
「幸斗くんおはよう。」
昨日からかってきた薄着の隊員が言う。
「おはようございます…?」
「あはっ、疑問形ウケる」
「名前分からんくて。すんません。」
「あ、そっか!まだ自己紹介してなかったね!昨日バタバタしてたもんね〜。特にそこの二人が。」
そう言って川原と中野を指差す。中野は特に何も思っていないようだが、川原はきまり悪そうにして、どこかに行ってしまった。ガーゼが貼られた顔を見てそんな怪我してたっけか、と幸斗は内心疑問に思う。
「あたしは岡田潤。岡田ってあんま可愛くないから潤って呼んでね。はい、次山本くん。」
潤は幸斗に満面の笑みで言う。急に順番が回ってきて、山本はワタワタする。
「あ、ああ!そんな感じなんですね。僕は山本一樹って言います。幸斗くんとは多分歳近いかな、よろしくね。えと、じゃあ次は中野さん。」
「自分はもう済ませてありますねぇ。」
「あ……そっか…」
「ぶっ」
しょんぼりする山本に耐えきれず潤が吹き出した。
「山本さんっていくつなんすか?」
幸斗は山本の頼りなさそうな様子になんとなく親近感を感じて聞いた。
「十九だよ。」
「なんだ。俺と四歳差か…」
そこまで近くはないな、と落胆する。
「いいね!一番近い。遂に山本くんにも後輩兼友達が〜!」
反対にキャ〜と騒ぐ潤に中野が言う。
「潤さんは二十五ですもんねぇ。四捨五入したら三十ですねぇ。」
「え〜なにそれ?中野さんの方が年上だよね。二十七だっけ?」
「来月まで二十六ですぅ。」
「潤さん二十五歳なんすか?見えねぇ。」
幸斗は潤の年齢に驚く。二十歳ぐらいに見えていた。どちらにしてもまだ若いが。
「やった~!うれしい!ありがとね。」
「子供っぽいって意味じゃないですかぁ?」
「あー、傷ついちゃうなあ。山本くんはあたしのことどう思う?若くて子供っぽい?それとも大人っぽくて老けてる?」
「えーと…僕は、」
面倒くさそうな質問に幸斗は巻き込まれないよう目を逸らす。女性の年齢の話には気をつけろ、と明宏が散々言っていたからだ。視界の端で山本の様子を窺う。
山本は助け舟を出してもらおうと男性陣を見渡すが、中野はニヤニヤとしていて当てにならなさそうだし、最上も同情を込めた目で見るだけだ。山本が諦めて口を開こうとした時、思わぬ助けが入る。
「皆さんの分持って来ましたよ。食べましょう。」
川原が六人分の朝食をカートに乗せて帰ってきた。
「副隊長!ありがとうございます!」
大いに喜ぶ山本に事情を知らない川原は不思議そうな顔をする。
「幸斗くん、この中だと何が食べたい?」
今まで部下達のやり取りを見ているだけだった最上が聞いてくる。見ると、トーストとベーコンが乗った皿と、コーンフレークとシリアルが入ったボールが一つづつ、親子丼、パンケーキ、お茶漬けがあった。
「親子丼食いたいです。」
「了解。」
最上がにこやかに親子丼を幸斗の前に置いた。
その様子に幸斗は世の父親がどんなものか想像する。
「父親ってこんな感じなのか?」
「そうかもね。」
答えたのは川原だった。幸斗の隣に座ってくる。トーストとベーコンを選んだらしい。幸斗はきつね色の食パンとカリカリに焼けたベーコンが美味しそうに見えてきた。
「そっちもうまそうだな。」
「いいよ交換する?」
川原はトーストを差し出す。
「いや、大丈夫っす。」
鳥の方が気分にあっていたので断った。
「じゃあ食べるか。」
最上が言う。最上はお茶漬け、潤はパンケーキ、山本はコーンフレーク、中野はシリアルを選んだらしい。
『いただきます。』
どうやら食べてる間は喋らない主義のようだ。さっきまで騒がしかったテーブルが静かになる。幸斗は妙な圧迫感を感じながら食べ勧めた。
親子丼は卵がふわふわで美味しい。
『ご馳走様でした。』
「幸斗くん、着いてきてくれ。」
食器を片付け、医務室に戻ろうとすると最上に声をかけられる。
「俺達も試験がどんな物か分からなくてな。だから全力で君をサポートすることにした。幸斗くんに今足りないのは筋力、持久力、あと戦闘の基礎だな。筋力、持久力は自分でやってもらうとして、今から戦闘の基礎を君に身に付けさせる指導員を決める。」
デスクがずらりと並べられた朝日が入るオフィスで、最上がこちらに注目するよう全体に言う。
「誰か、我こそは!という人はいるか?」
手は挙がらない。だが、やりたくない、というよりは、やりたくても出来ない、といった感じのようで皆悩ましげな顔をしている。
「この時期は変異生命体が大量発生しやすいですからね。なかなか指導する時間取れないですよ。」
川原が言う。
「うーむ…そうだよな。俺もなかなか時間を作れん。」
「あの、別に迷惑かかるようなら俺のことは放っておいてもらっても」
幸斗は繁忙期らしいこの時期に手間を増やすのを申し訳なく思う。
「あたしがやります。」
「本当か!」
潤の申し出に最上が嬉しそうに言う。
「日本刀使いがあたししかいなくて寂しいんですよね。増やしたいので、幸斗くんをあたしの弟子にします。」
「そうか。それじゃあ頼む。」
こうして幸斗の指導員が決まった。
「じーさん、行ってくるぜ。」
年が変わり、四月の桜が散り始めた頃、体がたくましくなった幸斗は医務室で眠る明宏に言った。
基地での生活を始めて半年、幸斗は最上隊の人間に感謝している。
「幸斗くん、試験落ちると良いですねぇ。」
と中野
「あはっ、中野さんってば幸斗くんの心配しすぎ〜。死んでほしくないんだよね。安心しなよ〜。幸斗くんの日本刀の腕前はそこそこになったから。入隊したら師匠は川原ちゃんに交代するしね。もっと強くなるよ。」
と潤
「幸斗君、今日の試験に落ちたら君の入隊は認められない。明宏さんの薬代は我々が出す。」
と最上
「幸斗、絶対受かるよ。こんな厳しい日々を耐えきったんだから。」
と山本
「うん、受かるね。頑張ってたし。」
と川原、が言う。
今日は全隊員が幸斗の見送りに来ている。
山本だけは付き添いで本部まで来てくれるらしい。四歳差たが、それでも二人は一番年が近かったのですぐに仲良くなった。今では下の名前で呼び合う仲だ。
「えっ、俺入隊してからは川原さんにしごかれるんですか?」
隊員たちに見送られて試験場である対変異生命体軍東京本部へ出発する直前、幸斗は潤の言葉を聞いて青ざめる。
「そうだ。明宏さんが目を覚ます前に死なせる訳には行かないからな。幸斗君にはできるだけ強くなってもらう。」
最上の言葉に幸斗は絶句した。山本が頑張れと気の毒そうに言う。
「引き続き潤さんとか、せめて一樹とかじゃ駄目ですか?」
「なに、不満?」
「い、いやそういうわけじゃないです!」
圧をかけてくる川原に慌てて弁明する。
「でもずっと俺に構ってたら川原さんも忙しいし大変ですよね。俺は他の人でも大丈夫なので」
幸斗は部下の隊員に対し厳しく接しているところを何度か目撃しているので、なんとか川原だけは回避しようと必死にそれっぽい事を言う。
「気にしないでよ。時間ならいくらでも捻り出すから。」
笑顔で言う川原に幸斗は絶望した。
最上はその様子を笑いながら幸斗の背中を押す。
「ほら行って来い。俺達全員で応援してるから。」
『いってらっしゃーい』
『頑張れよー』
『受かってこいよ!』
三千人の隊員たちの激励を聞きながら幸斗と一樹は出発した。
西歴 2431年 四月三日
変異中毒
百年前に始めて確認された、変異した生物が何らかの形で体内に入った場合に発症する中毒症状。世界で年間約百人が発症する。日本にも十人程患者がいるが、奇病に分類されるため差別を受けがちである。十年前にアメリカが特効薬を開発し、以来億単位で取引されている。致死率は低いが、変異生命体がどのように人間の体内に入ってくるのかはまだ解明されておらず、今でも研究が進められ…
幸斗は東京に向かう満員電車の中で何度も読んだネットの記事を見る。明宏が基地で治療を受けるようになってから中野を始めとした多くの隊員が変異中毒について調べたが、詳しいことは何もわからなかった。中毒症状に関する詳しい文書はどこにも無く、特効薬の開発に関する論文さえ見つからなかった。
間もなく東京駅〜東京駅〜
「幸斗、もう降りるよ。」
特徴的な声でアナウンスが流れる。幸斗はスマホを仕舞い、電車を降りた。人類は一度滅びかけたので文明はほとんど進歩していない。
「またあの記事読んでたの?」
「ああ。」
「僕も何か情報見つけられたら良かったんだけど。役に立たなくてごめんね。」
「何言ってんだよ。一樹はもう十分手貸してくれてんだろ?」
この青年は随分お人好しだ。断れずに他の隊員から仕事を押し付けられて居るところを幸斗は何度も見た。断れよ、と幸斗が言うたびに、皆忙しいから。しょうが無いよ、と困り顔で言う。
人の波に揉まれながら山本に着いていくと東京本部が見えてくる。本部は土地が少ない都心部に立っているというのに神那川基地の二倍の大きさがあり、外装から最新の設備が整っていることがわかる。
「幸斗くん?」
聞き覚えのある声がした。振り返ると嬉しそうに手を振りながら麗華がこちらへ走ってくる。
「幸斗くんだよね!すごい背伸びてる…筋トレでもしたの?てか隣のお兄さんイケメン!」
麗華はしゃいで言う。幸斗は最上に指示された筋トレのお陰で劇的に体格が良くなり、半年前とは別人の様になった。最初は自分よりも上にあった川原や潤の顔も、いつの間にか見下げるようになっていた。二人共決して身長が低いわけじゃないのだが。
「知り合い?」
山本が聞く。
「ああ。桐山さんだっけ、久しぶり。」
「そうだよ。約束守ってくれたんだね。返事が適当だったからさ、良い意味でびっくりしてる。聞いてよ、うちの両親ってば全くうちの主張聞いてくんないの。どんなに説得してもこっちの言う事遮って絶対駄目だ!って。結局黙って来ちゃった。」
麗華は肩を竦める。幸斗はその様子に違和感を覚えた。
「緊張してんのか?」
「うそ、やっぱわかっちゃう?」
「何となくだけどな。」
「幸斗くんが落ち着きすぎてるんだよ。なんで?なんでそんな落ち着いてるの?」
「自身あるからだな。」
「え、なにそれカッコイイ。」
幸斗は半年間地獄を見た。毎朝日の出前に起き、腹筋背筋腕立て伏せをそれぞれ三百回と基地の周りのランニング、それが終われば朝食後を食べ、済んだら潤に叩きのめされる。これらが終わる頃には日は高くなり、幸斗はよく満身創痍でそこら辺に倒れていた。毎日繰り返されるこのサイクルはまさに生き地獄と言うに相応しかった。こんな日々を送れば嫌でも自信は付く。
三人は本部の門を通る。門の近くには電光掲示板があった。ビカビカと点滅するそれに気を取られて立ち止まっていると後ろから怒鳴られた。
「おいテメェら!試験を受けに来たんだよなぁ?冷やかしなら帰るんだな。半端なやつはいらねぇんだよ!」
声の主は黒い隊服を着た金髪美人だった。見た目にそぐわない口調と声の太さに三人はポカンとする。
「なぁに無視してんだぁ?」
「ごめんなさい!」
ドスを効かせて言うその女に山本は慌てて謝罪した。麗華も少し身構える。試験を受けに来ていた者が何だ何だと集まってくる。
「無視したわけじゃねぇよ。見た目と声がマッチしてねぇから驚いたんだ。」
幸斗が言う。
「あ?舐めてんなぁ。てかそこの白い制服のお前!最上隊の人間かぁ?俺は最上隊が心底嫌いでなあ。なんでここにいんのか知らねぇが、一発痛い目見せてやる。」
拳を鳴らし近づく女に山本はひゃいっ!と腰が引けている。この女は随分背が高いようだ。幸斗が見下げられるということは最上や中野と同じくらいだろうか。
「イーシス、何やってる。」
杖をついていて、坊主頭で初老の黒服の隊員に呼ばれ、イーシスと言うらしいその女はぎくっと肩を跳ねさせる。ギギギと首を後ろに向け、
「た、隊長ぉ、これは違くて、別にいじめてたわけじゃないんですぅ。きにくわないやつがぁ」と言い訳をしながら坊主頭に縋り付く。坊主頭はそんなイーシスの首根っこを掴み
「邪魔したな。気にせず試験に集中してくれ。」と言って引きずって行った。
「い、行こうか。」
麗華が戸惑いがちに言う。
「二人共頑張って!」
山本は門のところで二人と分かれた。
「全員集まったな。今回試験監督を務める森中だ。よろしく。」
五十余の受験者が集まる本部の一室で先程イーシスを引きずっていた坊主頭の隊員が言う。終始睨むような表情をしている森中は最上とはまた違った威厳を持っている。どちらも隊長だが、森中の方が厳しそうだ。
「試験は筆記と実践の二つを減点方式で行い、五十点を下回った者は不合格とする。持ち点は百点。不正行為があった場合は五十点減点。」
問題用紙が配られる。
「まずは筆記試験だ。制限時間は四十分。俺の合図で開始する。……始め。」
問一
変異生命体の全てのタイプと、最も有効な対処法を書け。
巨大化型、心臓を潰す
キメラ型、首を刎ねる
高知能型、奇襲をしかけて首を刎ねる
問二
問一の中で最も危険なタイプとその理由を書け。
高知能型
人間に対する殺意が極めて高く、他のタイプよりも高度な作戦を立てるから
問三
変異生命体はどのように増えるか書け。
汚染物質を取り込み変異した動物が繁殖することで増える。
問四
隊が全滅の危機に瀕した際、最初に撤退すべき隊員を書け。
25歳以下の隊員
問五
対変異生命体軍が結成された年を書け。
2365年
問六
隊員の階級を上から順に書け。
五星隊員、隊長、副隊長、三星隊員、二星隊員、一星隊員
問七
戦闘に一般人が巻き込まれた場合の対処法を書け。
すぐに保護して避難区域外まで連れて行く。
問八
避難区域の範囲を書け。
変異生命体の出現場所から半径二キロ
問九
自分の勤務時間外に変異生命体と遭遇した際に取るべき行動を書け。
速やかに通報、その後一般人の避難誘導をする。武装を解除した状態での戦闘は極めて危険なため必ず避ける
潤は戦闘の基礎以外にも幸斗に教えた。順調に解答していく幸斗だが、最後の質問で手が止まった。
問十
この試験のおかしな点を書け。
は?と思わず声に出してしまいそうな質問に戸惑う。それは他の受験者も同じようで、皆手が止まっている。答えを書く音が止んだ教室で時計の音だけが響く。
「書くのをやめろ。」
森中が試験終了の合図をした。
最後の質問は何だったのかとザワザワする室内。「私語を慎め」と注意する。
「筆記試験は終了だ。これから実践での試験を行う。全員訓練場に向か『管内三四八番地にてキメラ型の変異生命体が多数出現。繰り返す。管内三四八番地にて…』
突然アナウンスが流れた。
「この近くか…聞け!試験は中止だ。全員勝手に動くなよ。」
森中は受験者に向かって、もともと険しい表情をさらに険しくして言う。
「隊長!」
「すぐに車両を出せ。」
「それが…」
入って来た隊員が森中の指示に暗い顔をする。
「鳥の変異生命体が大群で此処に向かって来ているんです。ほとんどがキメラ型ですが統率が取れているので高知能型が先導してると思われます。」
一瞬の静寂、部屋にざわめきが走る。
「そんな…」
「嫌だ!死にたくない!」
「早く避難しないと、」
「窓から逃げるぞ!」
「馬鹿言えここ三階だぞ」
今いる場所が危険だと知り受験者は騒ぎ出す。
「騒ぐなお前達!勝手に動くなといっただろう!」
森中が怒鳴る。無線でどこかと連絡を取っているらしい。
「変異体が此処に来るまであと何分だ」
森中が隊員に確認する。
「三十分です。」
「すぐに周辺基地に応援要請を出せ。」
「最上隊がすでに我々の管内に入っています。あと五分で到着するそうです。」
「最上さん達が!?」
「騒ぐな」「幸斗くん知ってるの?」
大声を上げた幸斗に、麗華が森中の低い声に臆さず聞く。
「たまたま出会ってから色々良くしてもらってんだ。」
「え?どういうこと?」
「そのまんまだぜ。一緒に住んでるし家族みてぇなもんだな。あのさっき一緒にいた奴も最上隊の隊員だぜ。」
「えぇ?」
そういえばイーシスって人がそんな事言ってたかもと思い出しながら、一般人の幸斗が軍の人間と面識がある上、かなり親しそうなことに困惑する麗華。
「なんでそんなことに?」
「色々あったんだよ。」
幸斗は明宏の変異中毒のことを言っていいのか分からず濁す。その様子に麗華は興味が湧いたらしく身を乗り出して聞いてくる。
「色々って何?どんな人達?強い?稽古とかつけてもらったりしてるの?一緒に住んでるってことは幸斗くんは基地に住んでるの?あれ、でも隊員以外が基地に滞在するのは隊律違反だよね?大丈夫なの?」
「落ち着けって。また怒られるぞ」
恐怖で騒ぐ他の受験者よりも五月蝿いくらいに途切れることなく質問をしてくる麗華に幸斗は戸惑う。
「はっ、ごめん!またやっちゃった。すぐに質問責めするの、うちの悪い癖なんだよね。いつもは気をつけてるんだけど、すごく気になっちゃってつい。」
しゅんとする麗華に声をかけようとした時
「お前達落ち着いて聴け。」
森中の威厳のある声が響く。
「変異生命体がこの基地に向かってきている。お前達は門のところに停まっている神那川基地の最上隊の車両に乗って避難しろ。道中襲われる可能性があるから特別に隊服を貸す。が、ちゃんと返すように。」
そう言って配られた隊服は確かに丈夫な素材で作られている。鋭い爪で引っ掻かれたとしても簡単には破れないだろう。
「こっちだ!君たち!」
門で山本が叫ぶ。そのでは後ろでは大勢の隊員が慌ただしく動き回る。
「この車両に乗り込んで!」
一番大きい車両の運転席に乗り込んで山本が言う。助手席には潤が乗っている。幸斗たちは素直に乗り込んだ。その時山本と目が合い、安心させるように微笑まれる。
「俺達死なないですよね?」
「無事に帰れるのよね?」
何人もが青ざめた顔で問う。
「だぁいじょうぶ!あたし達が守ったげるんだから!」
潤がいつもと変わらず明るい笑顔で答えた。
「森中隊長、我々はどうすれば。」
幸斗達が出発した直後、最上が聞く。後ろでは川原が隊員たちを整列させている。
「最上くん、駆けつけてくれて感謝する。
君たちには高知能型の対処を願いたい。悔しいが、我々の隊では全滅しかねん。」
森中は本部を振り返って言う。その目は隊員を心配しているようにも、未熟さを咎めているようにも見える。
「わかりました。お前ら!もう変異生命体が来る。戦闘準備!」
最上の号令に隊員たちは一勢に隊列を整える。
空にはもう変異生命体がこちらへ来るのが見える。
「あ、あれ、ほ、本当、に、キ、メラ型…?」
誰かが上ずった声で言う。
犬猫の頭を付けた鷲はキメラ型ではなかった。全て、自分たちがキメラ型だと人間に誤解させるため他の生物の頭を被った高知能型だった。
「やば…」
高速道路を荒い運転で走り抜ける車両の中で潤が窓から身を乗り出して言う。
「本部にめっちゃ変異体集まってんだけど…、」
そこには本部上空を鷲が覆い尽くす光景が広がっていた。
「あれ全部キメラ型…皆死なないですよね……」
山本はハンドルを握る手に冷汗を流しながら言う。
「………わかんない。」
「…」
「…」
「副隊長大丈夫ですかね…」
「…」
「…」
仲間の死を想像し二人は沈黙する。
「あの二人急に黙っちゃった。どうしたんだろ。大丈夫かな」
麗華が二人の異常に気づいた頃、ようやく潤が口を開いた。
「そこで川原ちゃんの心配するかあ。さては惚れちゃってんな〜?」
山本の肩に腕を回す
「心配しなくていいよ。川原ちゃんまだ二十一だし危なかったら一番に撤退させられるでしょ。それよりいつから好きなの?今までそんな素振りなかったよね。」
からかう潤だが、その声にいつもの明るさはない。回した腕も震えていたが、山本はは気付くことも答えることも出来ない。
二人の会話を聞き、幸斗は川原の年齢に驚いていた。若いだろうなとは思っていたが副隊長の座に立つ人間がまさか自分と六歳差だとは思わなかった。
その時、車両が大きく揺れ、急停車した。
「全員今すぐ降りて!走って本部に戻るよ!!」
山本の怒鳴り声が響く。
受験者達が避難してから三十分。今まで上空を旋回していた鷲が少しずつ高度を下げてくる。
『二十五歳以下に撤退命令を出す。』
無線を通して最上と森中が言った。
「あの、撤退は不可能です。」
一人の隊員が青ざめて最上に言う。
「どういうことだ?」
「道路に画鋲とかマキビシとか鋭い物が巻かれていて、車両が走れないんです。」
「何?!」
「その賢さは高知能型の中でも上澄みの方だな。」
森中が言った。隊員の心が絶望で埋まっていく。その時、大勢の足音がした。
「応援か!!」
最上が期待を込めて言うが、それはすぐに裏切られる。足音の正体は受験者たちだった。
「何があったんです?」
川原が潤に聞く。
「パンクしちゃって。その後すぐに変異体が襲ってきたんだよ。」
見れば、潤の日本刀には血がついている。髪も散り散りだ。
「本部に戻るよ!!」
山本が怒鳴ったあと、受験者はパニックになり外に出る順番を争いあった。麗華は揉みくちゃにされ、壁に激突した。
「落ち着いて!」
潤が声を上げ、受験者を順番に引っ張り出す。
「幸斗くん、歩けないや。」
車両から降りた時、ごめん、と麗華が言った。壁にぶつかった時、足を挫いてしまったらしい。幸斗は麗華を担いで走る。
後ろからは鷲が突っ込んでくる。潤と山本が相手しているが、長く持ちそうにない。
山本のナイフが折れた。
「一樹!!」
幸斗は叫ぶ。
「気にしないで大丈夫だから!早く逃げるんだ!!!」
新しいナイフを出し潤と共闘する。
山本はナイフで心臓を一刺しし、次々と弱らせていく。潤は珍しく隊服をきちんと着て、綺麗な剣さばきで鷲を牽制する。が、鷲に致命傷を与えることが出来ない。茶色の髪が鷲の攻撃で千切れていく。山本も徐々に傷が増えていき、白い隊服が赤く染まっていく。
本部までの道がひどく長く感じられた。
幸斗は麗華を落とさないよう腕に力を込めて一層速く走った。
「一樹は!?」
本部に着いた後、幸斗は周りを見て山本がいないことに気付く。
「ダイジョブだよ~。あそこの医療班の車両で治療を受けてるだけ。」
潤が自分にも言い聞かせるように答える。山本は意識こそあれど、そこそこ深い傷をいくつか負い、油断できない状態だった。
「何があったんです?」
川原が潤に聞く。
「パンクしちゃって。その後すぐに変異体が襲ってきたんだよ。」
「私達を逃さないつもりですかね。でもなんで?」
川原は考え込む。その間にも鷲は高度を下げてくる。もういつ戦闘が始まってもおかしくない。
「とりあえず、受験者を本部の中に移動させましょう。」
川原は後ろを振り向く。
受験者は森中に怒鳴っていた。
「何でこんな事態になってんだ!」
「あなた達軍隊でしょ!?私達のこと守りなさいよ!」
「俺達のこと殺す気か?!一般人のことなんかどうでもいいってか?!」
「この試験も僕らを殺すための罠だったりしてね。」
森中はめちゃくちゃなことを言う受験者の対処に困っているようだ。それを見た最上が近づき頭を下げる。
「申し訳ない。我々の不手際だ。貴方達のことは我々が責任を持って命をかけて守ります。幸い、この本部には最新設備が揃っています。あなた方には変異体の指一本触れさせません。」
その言葉を聞き、騒いでいた者は静かになる。
「皆さん!こちらへ!」
森中隊の隊員が案内していく。
「二人とも行くよ。」
潤が幸斗の背中を押した。潤は受験者の護衛に専念するらしい。
戦闘が始まった。鷲は本部にいる隊員の数と同じくらいいる。高知能型を倒すには二人一組となる必要があるので、軍は少しずつ押されていく。すでに何人かが怪我を負った。
しかし、絶望的な状況というわけではない。
軍隊最強の人間、最上が次々と鷲を叩き切る。
その鍛え上げられた肉体は鷲の攻撃をものともせず、どんな状況でも折れない心は他の隊員を元気づけた。
ドンッ ドンッ
本部の屋上から大砲が打たれ、当たった鷲は地面に落ちていく。まだ戦闘に不慣れな若い隊員がその首を刎ね、とどめを刺す。
「準備できたぜえ!喰らいやがれ!」
イーシスが何かを撃った。それは空中で鷲に当たると爆発を起こし、三十を超える鷲を消し炭にした。
「しゃっ!この調子で…」
「待て。」
次の狙いを定めるイーシスを森中が無線で止める。
「はぁ?んで止めんだよ。効果抜群だぞ?」
イラつきを隠さない部下に森中は続ける。
「下を見ろ。何人か巻き込まれている。それは攻撃力が高すぎて使えんな。」
森中の目の前には火傷を負った隊員が倒れている。救出するため、医療班が戦場を走り回る。
「大丈夫か?」
最上が後ろにいる隊員に問う。隊服が焦げているが、本人はなんともなさそうだ。
「はい!ありがとうございます!」
「うまく使えれば形勢逆転できそうだが…」
爆発をもっと高いところで起こせれば、と最上は上を見上げる。しかし、高すぎると鷲に当たらないので難しいところだ。
「イーシスさん、屋上ではなく地上から上に向かって打ってみましょう。」
川原が無線で提案する。川原は手当たり次第ライフルで鷲を攻撃して致命傷を与え、後続の新人にとどめを刺させている。
「はあ〜?だぁれがてめえの言うことなんか聞くかよ。俺はてめえが特に気に食わねえのによお!」
「森中隊長の提案ですよ。」
「そうなのか?それなら仕方ねえな!」
イーシスはすぐに屋上から降りてくる。
「何も言ってないんだが…」
森中がつぶやく。川原の言葉は提案を受けてもらうための出任せだったようだ。
「凄い音だね。」
大砲の音を聞き、本部の地下室で麗華が言う。挫いた足には氷が当てられている。
「他に怪我している人はいませんかぁ?もう全員手当て受けてますかぁ?」
薄暗い照明の下で中野が聞く。ある程度処置を終えたようだ。受験者は身を寄せ合っている。
「潤さん、そんなに警戒しなくても。」
幸斗は地下室の扉の前で構え続ける潤に言う。
「するよ。死なせるわけには行かないから。」
傷んだ髪が痛々しくて幸斗は眉をひそめる。
「守ってくれてありがとうございました。」
あのお兄さんにも頭が上がりません、と麗華が言う。
「そう言うのはこの戦いが終わってからにして。」
いつもの明るさはどこに行ったのか、潤は暗い声で返した。
「そろそろ良いですかねぇ。」
中野が麗華に近づき、氷を取る。そして慣れた手つきで包帯を巻いていく。中野は潤と違い、あのニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「ありがとうございます。」
「いいえぇ。」
いつもと変わらない態度に幸斗は少し安心する。
「遅いですねぇ。早く片付けてくれるといいんですけどぉ。やる気が足りないんでしょうかねぇ。もう一時間たちますよぉ?」
「そんな、皆さん命を掛けてくれてるのに。」
麗華が少し傷ついたような顔で言う。
「それは遅くなっていい理由にはなりませぇん。こんな辛気臭いところ嫌ですぅ。」
「中野さん、うるさい。」
「すみませぇん。」
潤が怒る。やはり仲間を貶されていい気分にはならない。
ドゴォォン
揺れるほど大きな音がした。その直後、隊員たちの叫び声が聞こえてくる。
「やっべ!!」「馬鹿野郎!」
イーシスと森中が叫ぶ。イーシスが撃ったブラスト銃の弾が反れ、本部の外壁を爆破した。
瓦礫が落ちてくる。何人か下敷きとなりかけた。
「何やってる!!」
「しょうがねえだろ…反動がデカすぎて上に向けると狙いが定まんねえんだよ。」
イーシスが森中にボソボソと返す。
「川原副隊長と交代しろ!」
森中に鬼の形相で言われ、渋々といった様子でブラスト銃を川原に手渡す。
「外すんじゃねえぞ。殴るかんな。」
不機嫌を隠そうとしないイーシスに川原は苦笑する。
「大丈夫ですよ。銃は私の専門なので。」
そう言って鷲が多く集まっている所に狙いを定める。
ダァン
一気に五十羽ほどを焼いた。反動をものともせず、どんどん鷲を減らしていく。勝利が見えてきた。
「あれ、なんとも無い?」
幸斗に抱きついていた麗華が顔を上げる。
「ああ、大丈夫そうだぞ。」
「あっごめん。」
ぴゃっ、と麗華は飛び退いた。暗くてよくわからないが、顔が赤い気がする。
「青春ですねぇ。」
待ちくたびれた、といった様子で床に寝そべった中野がつぶやく。白衣が汚れそうだが、構っていないようだ。中野があまりにもリラックスしているので他の受験者も緊張が溶けており、時折談笑する声が響く。
「なんか来る。」
潤が言った。コツコツと階段を下ってくる音がし、地下室に緊張が走る。中野が起き上がり、麗華がまた幸斗に抱きつく。不規則な足音は、地下室に近づいて来る何かが人では無いように思わせる。
キィ と扉が開く。
「なんだ、貴方ですかぁ。」
中野が拍子抜けした声で言う。入ってきたのは山本だった。
「山本くん!」「一樹!」
怪我人が元気そうで、潤と幸斗は笑顔になる。
足に負った傷が痛むので、足音が不規則になっていたようだ。
「やっと終わりましたかぁ?」
「あとちょっとです。今、最上隊長が頑張ってます。」
「良かったですぅ。もう体中痛くて痛くて困ってたんですよぉ。」
「それは寝そべってたからではなくて…?」
麗華が怪訝そうに言う。
山本は言葉を続ける。
「本部は損壊が激しいので実技の試験は神那川第一基地でやるそうです。」
「場所変えるほどって、どのくらいひどいんですかぁ?」
「中からでっかい青空が見えます。」
「…いったい何があったんですかぁ?」
「ブラスト弾が外壁に直撃しました。さっきの轟音の原因です。」
「ブラスト弾って?」
幸斗が聞く。
「ダイナマイトぐらいの火薬を詰めた弾だよ。専用のライフルが必要で、大きさは百センチぐらいかな。弾も大きいから反動がすごいんだよね。」
だから決してイーシスさんは悪くないと山本は思う。明後日の方向に飛んでいかなかっただけ偉い。
残り百羽ほどになった時、二時間に及ぶ戦闘で隊員に疲れが出てきていた。あとは自分でどうにかできると判断し、最上は部下に下がるよう命じた。高知能型とはいえ、本能は強く残っているようで仲間がほぼ全滅してからも引こうとはしない。最上は剣を振り回し、的確に首を刎ねていく。二時間動き回っていたというのに疲れは見えず、寧ろ体が温まってきたのか動きが良くなっている。
山本が地下室に入ってきてから十分足らずで鷲の大群は完全に全滅した。
「着いたらまずは昼ご飯にしようか。」
最上が車両の中で受験者に声を掛ける。
死傷者は少なくはなかったが、敵の数にしては随分少なかった。隊はなんとなくしんみりとした空気だが、最上はなるべくそれを感じさせないようにした。
幸斗は周りを見渡す。
「チリチリだ〜…」
潤が残念そうに自分の髪をいじる。さっきまでなかった笑顔はもうすっかり戻っている。周りの受験者に髪の事を愚痴っている。
「いっ…!」
「じっとしてくださぁい。肩の骨ずれてますからぁ。」
中野が川原の肩を押している。ライフルの撃ち過ぎで脱臼仕掛けているらしい。時折パキッと音がする。
「君たちのお陰で助かった。私は何もできず不甲斐ない…」
「いや、森中隊長の指示は的確でした。お陰で俺も戦闘に集中できました。」
「そう言ってくれるとありがたいが、そろそろ潮時か…」
「いやいや、まだまだ本部隊長としてのご活躍を期待しております。」
最上と森中は互いに謙遜し合っている。二人共、時折部下の死を悔やむ表情を見せる。
「幸斗、あと桐山さんだっけ、怪我がなくてよかったよ。」
山本がいう。
「お兄さんのおかげです。」
「そうだぜ。一樹と潤さんが守ってくれたから。」
「そうだ、潤さん。」
麗華が潤に話しかける。
「ありがとうございました。」
頭を下げる麗華に潤は戸惑う。
「お礼を言うのは戦いが終わってからって言ってましたよね。」
「あ、そういえばそうだったね。うん。どういたしまして!」
潤が、守りきれて良かったよー、と笑顔で言った。
「ねぇ、山本くん。」
もうすぐ基地に着くという時、潤が山本に話しかけた。
「川原ちゃんのどこに惚れたの?」
「へ?何で僕が副隊長を?」
「え、だって鷲が攻めてきた時、真っ先に川原ちゃんの心配してたじゃん。」
「?、ああ!あれは違いますよ。中野さんと仲良く出来てるのが副隊長ぐらいなので、副隊長死んじゃったら中野さん一人ぼっちだなあって。」
「えっ、そういう事!?でも何であの時中野さんの心配したの?」
「戦闘、怪我、医療班、中野さん、って連想ゲームみたいに浮かんできたので。」
「なるほどね~!じゃあ川原ちゃんのことなんとも思ってない?」
「まあ恋愛的な意味では。何でそんな事聞くんですか?」
山本は不思議そうな顔をする。
「別に〜?恋バナって興味あるものじゃん。」
山本には潤がこころなしか機嫌が良くなったように感じられた。