第十三話【巴の欠片】10
朝日の未だ昇らぬ夜明け前。
木々と山々ばかりの『中ヒノモト』と呼ばれる地域のとある谷に、
「掛かれえええエエ!」
若い青年の、ドスの効いた声が張り上げられた。
そして……鬱蒼と生い茂る木々の合間から、刃が打ち合う音、兵の怒声と断末魔が聴こえ始めた。
森の中で刃を交えるのは、東ヒノモト一帯に留まらず、今や中ヒノモトさえも手中に治めんとする武士の国『神坐』の兵と、まさにこの中ヒノモトの地を嘗て治めていた武家、菱川家の兵。
だが、今や菱川は中ヒノモトの端に位置するこの谷へと追いやられ、族滅の時を迎えていた……。
「真仲様! 我等が分からないのですか!?」
「死ね!」
異常な数の雷を降り注がせて、
「おのれ半妖の小娘! 我等菱川に仇為す忌子め!」
「死ね!」
有無を言わさず近付く者を焼き払う女。
「思い出して下され! 先代への忠義を! 我等への慈しみの心を! 共にこの地を守ると誓った、高巴様の事を!」
「ぎゃははははは! 死ね! 死ね死ね死ね死ね! 死ねぇ!」
彼女は、嘗て菱川真仲と呼ばれていた者。
菱川家を統べる立場でありながら、突如その身分を捨てて神坐へと寝返った乱心の頭領。
彼女の着ている服は今まさに戦っている相手や味方の兵や将の着ているどれとも異なっていた。
まるで裸へ直に漆を塗ったかの様な、身体つきをわざと見せつける程に貼り付いた、真黒で光沢のある素材。
その上には金継ぎの様な模様が走り、そんな服を更に下品に、前を大きく開いて着こなして……否。
それは前を開いているのではなく、胸元から股下寸前までの正面が透明な素材になっていた。
更には纏う鎧も腕と脚に貼り付いた形を成し、鎧の上からは己の髪と同じ青色の裏地をした黒い外套を羽織っていた。
その姿は、菱川真仲が唯神坐に辱められるだけの遊女ではなくなり、神坐に害を為す者の血を浴びる存在と化した事を示しているかの様だった。
「おのれ……これはもう真仲様ではない……! 死ぬのは貴様だ!」
不意にそんな事を言いながら突如目の前に飛び出してきた男。
「がはっ……!」
真仲は何故か男に気付いていながらも、彼の手に持った槍で己の胸を刺し貫かせた。
「せめてその名に、これ以上泥を塗らん内に! あの世へ逝って下され……!」
悲痛な男の祈りは、
「ぐがっ!?」
「ぐ……! くくく! あははははは! 神坐に盾突く者共よ、我が夫、光トキヤに盾突く愚か者よ! よく見ておけ……!」
確かに胸を貫かれて死んだ筈の真仲に顔を正面から掴まれ、
「あがあああああ……!」
頭へ直に電流を流され、全身を痙攣させながら死んだ事で踏み躙られた。
「これが貴様等の、神坐に服わぬ者の定めぞ!」
頭だけ丸焦げになった骸を蹴り飛ばして、鬱陶しげに己に刺さった槍を抜いた真仲。
その傷はヒノモトに生きる人々の理に反して、彼女を手籠めにした神坐の国に住まう遠き国より流れ着きし者ども……転生者の如く、何事も無かったかの様に流れ出た血が戻っていき、胸に空いた風穴も塞がってしまった。
「私はお前達の遣わせた義巴のせいで死んだ。奴に裏切り者と誹られ、責を負えと詰られ、この命を一度は己の裏切りの罪諸共に自ら断ち切った……だが」
真仲が恋焦がれた様な……と謂うには昏過ぎる熱情を帯びた視線を向けた先から現れたのは、
桃色の麻の葉紋様が入った灰色の直垂を着て、
白、黒、藍、青、緋、緑、黄色が散りばめられた鎧を纏う、
白髪に眼鏡の青年。
「命潰えし我が身体に、神坐の執権殿が、光トキヤが再び火を灯してくれた……! 執権殿は私の罪を赦してくださり、今度は決して消える事の無い、不滅の焔を灯してくれたのだ!」
意気揚々と声を上げる真仲は、ひと時トキヤと微笑み合うと、次にトキヤが彼女の前に立った。
「神坐に楯突くクズ共が! 耳かっぽじってよく聞け! テメエ等が何人束になったって、どれだけ強い奴を連れて来たって! 死なねえ俺達に勝てる確率は0%だ! 死にたくなけりゃここで跪け! 俺に許しを乞え! それすらも出来ねえ死にてえヤツから、掛かって来やがれえええエエ!」
言うや否や、トキヤは刀を抜いて敵兵と斬り合おうと邪悪そのものの笑みを浮かべたが……、
「真仲様、時間です! 義兄上を連れ戻して下さい!」
水を差したのは少し後ろに控えていた、僧衣を着ながらも桃色の髪を曝け出している少女。
「何っ……もう、駄目なのか、円」
「はい。その証左に先程槍で貫かれた時、治りが遅かった筈です」
「なかなか短いな……これでは戦が終わった頃には、私の股が擦り切れてしまう。もう少し使い方を考え直した方が良さそうだな」
「昨日まで昼も夜も無く散々(さんざ)っぱら男を食い散らかしておいて左様な事を言われますか?」
「トキヤ! 一旦退くぞ、もう私の効き目が切れてしまうらしい」
「えっ? ちょっ、待って真仲、俺もう喧嘩売りきったのに!?」
「あっ、無視しましたね? ……全く、姉上の言う通り、真仲様は『始末の悪い雌犬』です」
「良いかトキヤ、勝ち戦といえど敵を侮るな。ふとした事で盤面は覆ってしまう。だから……トキヤぁ……っ♥」
「クソ……ッ! テメエ等! ちょっと待ってて! 15分ぐらい! ったく、行くぞ真仲! どれだけ足腰立たなくなってもしっかり戦ってもらうからな!」
「あははっ♥ 望むところだ……!♥」
2人は楽しげな言葉を交わしながら、後方の木陰の方へと姿を消し、
「さて……まあ、律儀に待つ訳がないのは分かっておりますので、次の『実用試験』といきましょう。出番ですよ、義巴様!」
代わりにぐらり、と身体を不自然に揺らしながら現れたのは、浅黒い肌に銀の髪の少女。
神坐の兵となった事を示すかの様に、着ている灰色の鎧直垂には桃色の麻の葉紋様が走っている。
「何……!? 義巴! どうしたのだ!? 我等が分からぬのか!?」
「さあ義巴様? ここにいる敵と謂う敵を全て、あなたの手で葬り去るのです!」
だが、菱川方の呼び掛けにも、円の命令にも、義巴は何も応えない。
「はぁ……まだまだ調整が必要ですね。シャウカット様、命令をお願いします」
名を呼ばれて現れたのは、藍色の鎧、藍色の直垂姿の、癖毛の黒髪を長く伸ばした中性的な少年。
「義兄上の御役に立ちたいのでしょう? ならば、義巴様を動かして下さいませ」
「クソ……わーったよ、うっせーな」
嫌そうに、気怠げにシャウカットは義巴の許へ近付くと、
徐に口を重ねて舌を絡め始めた。
「ん……おい、起きたか?」
問われた義巴は、
「起きています。でも、円の指図は受けたくないのです」
昨夜までの神坐の全てを恨み、憎んでいた義巴とは全く別人の様に、少し顔の血色を良くしてシャウカットに恋焦がれている様な表情を浮かべ、光の宿らない真黒な瞳を彼へと向けた。
「なあ、俺の腐れ縁を助ける為だ。ちょっくら暴れてくれ」
「構いませんが……見返りをいただけますか?」
「ハァ……何がお望みだ? さっきまでみてえにグッチャグチャになってもずっとずっとヤり続けてやったら満足か?」
「それも嬉しいですが……それだけでは寂しいのです」
「ハァ!? じゃあ何が欲しいんだよ。金か? メシか?」
雑に、心底面倒そうに問うシャウカットに……突如義巴は抱きついて、自分の股を彼の膝に擦り付け始めた。
「貴方様の、御子をくださいませ……♥」
が。
「やだよ。俺なんかのガキ欲しがるなっての」
鬱陶しい、という言葉が顔に書いているかの様な表情でそう返された義巴は、それまでの静かにシャウカットに従っていた態度から一転し、唇をわなわな震わせ、拳を握り締めて泣きそうな顔で、
「どうして……? どうして! どうして!? 執権殿は真仲様が求めれば何でも下さってるのに! どうして貴方様は!? どうして!?」
突如喚き散らし始めた。
「うっせーな! さっさとやれよ! 俺だってどうしてお前の飼い主なんてやらされてんのか訳分かんねえんだよ! 俺が欲しいのはこんなめんどくせえ女じゃなくて旭さんだ! なあ俺もう帰らせてくれよ円さん!」
至極無茶苦茶な言葉ばかり飛び交う中、円は唯々感情の無い顔をしていた。
「(実験は実用試験の前段階の時点での失敗か。
シャウカット様が姉上に魅了されてしまっているのが原因なのか。
或いは姉上を抱いて因子が身体に流れ込んでいる義兄上と違って、其れが無いシャウカット様が呪いを行使しているせいで義巴様が魅了されきっていない事が原因なのか……。
何れにせよ、姉上は人間不信が故に唯一人気を許している義兄上以外の男に抱かれる事等決して許さず、義兄上も独占欲が強い故『シャウカット様と寝て下さい』等と提案すれば、私の首が刎ねられる事は必定。
となれば……正義に適当な女を宛がう他には、研究を進める手立てが無いか……)
分かりました。流石に姉上をシャウカット様の物とする事は出来ませんが、この戦が終わり、事が落ち着けば義巴様には別の男を宛がいます。然し此度はもう戦の最中。どうか、ご理解を」
「……あくまでトキヤの為にやってやる。でも、次こんな事させるなら俺を旭さんの側室に捻じ込むぐらいの事はしろ。俺はそれぐらいの値打ちのある男だ。勘違いすんなよ?」
シャウカットは吐き捨てると、天を仰ぎ……諦めきった虚無の表情を浮かべながら、
「えーっと、ガキが欲しいんだっけ? まあ、デキるか分かんねーけど、最善は尽くすわ」
啜り泣く義巴の顔を全く見ずに抱き寄せて、テキトーな事を言った。
煙たく騒がしい朝。
「義巴はしくじったのか……! おのれ光旭、私の真仲を奪い、義巴まで手に掛けたというのか!」
酷く焦った様子を見せながら、鎧を着た妙齢の女は敵兵に囲まれた屋敷の中、己の運命の最期を前に、それでもまだ足掻く道は無いかと往生際の悪い考えを巡らせていた。
「お逃げください御隠居! 退路は我等が……! ぐあぁっ!」
家人が何か喋っていたが、言いきらぬ内に首を搔き切られて死んだ。
「……っ! その黄金の鎧、神坐七将軍のオオニタ殿か」
「如何にも。して、お前がこの菱川残党連中の主じゃな? お前と最期に話がしたいと言って聞かぬ男がおった故、どうにか連れて来てやったのじゃ」
黄金の鎧の男はそんな事を言って、正面を退いた。
「誰かと思えば……よもやお前に引導を渡されるとはな」
女が吐き捨てた相手は、少しうんざりした様な、それでいて何か他の想いのある様な顔で語り始めた。
「覚えておられますか、御隠居。もう二十年は昔の事だ……菱川もそろそろ婿を迎えねばと謂う話になった時、あんたは俺を婿として迎えたいと言ってくれた。
俺は嬉しかった。先祖代々御守り仕ってきた菱川の家に迎え入れられる日が来るなんて……他の六党の奴等も一緒に祝ってくれた。
ところが……あんたは急に親兄弟を皆殺しにしてまで、それを反故にしやがった。
御自分で何と仰っていたか、覚えておられますか?
『お前の如き弱く愚かな下種の子は要らぬ』
……まあ、その後のあんたのやり方は人の道を外れに外れて、下から見ててまるで良い気分しなかったよ。
この地に迷い込んだ亜人という亜人に股を開いて夫として迎え入れ、子を成せば夫は用済みとばかりに殺し……そんな外道の所業を何度も、何度も繰り返した。
獣、虫、魚……色んな子が産まれては、それ等を野に捨てた。生き残りし最も強き者を跡継ぎとする、そう言っては可哀想な子を何人も何人も産み落として……野垂れ死んだ子を俺と高巴は何人見たか分からねえ」
暗鬱に満ちた悲愴と憤怒、然してその実は虚無。
そんな表情を男は浮かべていた。
「あんたに何があったのか、教えてくれねえか」
男の問いに、然し答えを示したのは……、
「こういう事じゃろ、そらっ!」「な、何をっ!?」
チランジーヴィの下から掬い上げる様な一閃。
それは女の兜を取り上げ、
「……こいつの、この髪の色がどうかされたか?」
「やはりか……オヌシが野心を抱いた理由は、その髪の色が何を示しているかを知ったからじゃな?」
よく見ればヒノモトの凡その人々とは異なる髪の色……即ちは身体の内に魔力を有する、亜人の血が流れし人の身である証を露わにした。
「ご明察の通りさ、オオニタ殿。奴等人でなし共の力を我が菱川のものと出来るのならば、私一人の惚れた腫れたなんて取るに足らぬ想い。菱川家がこの世を手にする事が出来るまたとない好機を私が齎せるとあっては、使わぬ手は無いだろう!」
「その結果が親兄弟とてめえの娘息子の屍の山か! 自分の腹を痛めて産んだ子等に慈しみの想いも無えのか!」
「奴等はこの好機を前にしてもお前を婿に取れと言って聞かぬ愚図であった! だから殺した迄! それに私が腹を痛めて産んだ子を私が如何にしようと私の勝手だ!」
「同じ事を真仲の前で言ってみろ!」
「真仲がここに来たならば幾らでも言ってやろう! 私は何も間違えてはいなかった故な! その証に、真仲も私を慕い、我等を守ってくれたではないか!」
「それは高巴が真仲を慮って嘘をついていたからだろうが! それに真仲が我等の味方であったのは既に過ぎ去った時の話よ! あの子はもう俺達に愛想を尽かして、神坐に行っちまったからな!」
「ではお前ならば如何にしたと謂うのだ!? 言うてみよ!」
「初めから神坐を騙して喧嘩を売る事なんざしなかった! 寧ろ真仲を執権殿に嫁がせて、神坐の内より実権を握る、左様なやり方も出来た筈ではなかったか!?」
「真仲には既に想い合っていた高巴がいたのにか!? それを別れさせよとお前は言うか!?」
「打算で俺を捨てたあんたがそれを戸惑うのか!」
「お前は役に立たぬからだ! お前への私の想いも役に立たぬからだ!」
「もうよいじゃろう!」
言い争う2人の間に、黄金の鎧の男が割って入った。
「もうよい。全ては終わった事じゃ。オヌシが何を言おうと、最早こうなってはこの女を救う事は出来ぬ……帰るぞ」
いつの間にか屋敷には火の手が回っていた。
「最期に一つだけ、お前が知っていたか教えてくれ」
黄金の鎧の男に腕を引かれながらも男は少しばかり食い下がって、炎に包まれた中こちらをじっと睨み続ける女へ言葉を問い掛ける。
「お前は、真仲は俺の子だって知ってたのか? あの子が生まれた日から、時を遡って考えてみたが……お前と俺が皆に隠れて夜を明かした、あの日の子が真仲だった、そうとしか思えねえんだ!」
だが女が答えるよりも先に、
「マズい! ホントにもう逃げるぞ!」「教えてくれ! お前は、あの子の事を……!」
屋敷は崩れ去り、
終ぞ答えは得られなかった。




