第十三話【巴の欠片】6
この異世界ヒノモトにあるまじき音……銃声の源は、地下遊郭の入口に立っていた。
「もう一度告げる。誰一人とて動くな! この場は我等菱川の郎党が乗っ取った!」
声を張り上げ、天井に向かって銃弾をもう一発撃ち込んだのは……、
「アイツ……! 俺達の部屋に間違って入ってきた従業員だ!」
「トキヤ、違うちがう。あの子は旭ちゃんの顔覚える為にわざとやってたの」
「バカな……!? どうして非常事態用の武器庫の場所がバレたんだ!? っていうかアイツは電気室に縛って閉じ込めておいたハズだぞ!?」
深緑の鎧直垂姿で拳銃、マシンガン、ロケットランチャーを装備した、浅黒い肌に銀の髪の少女。
彼女は地下遊郭の全体をさらりと一瞥し……然しその目は途中で止まった。
「義姉上……? 義姉上ですよね!?」
トキヤ達の方を見て叫んだ彼女の言葉を聞いて、旭と円は首を傾げて互いに桃色の髪を少し揺らすに留まったが……、
「真仲……? どうしたんだ?」
青い髪の女は、凍りついた様に微動だにせず、唯々少女から目を逸らす事が出来ずにいた。
「良かった義姉上! 御無事で何よりです! 私が分かりますか義姉上!?」
ずかずかと郎党を引き連れて駆け寄ってきた少女は、他の何も目に入っていないといった様子で真仲の前に立ち、
「貴女様の許婚であった高巴の妹の義巴です! 漸く我等も手筈が整い、御救いしに馳せ参じました次第です! さあお連れします義姉上! 御隠居もお待ちです! 我等と共に、殺された兄上と、そしてこの地で嘗て共に暮らしてきた仲間達の仇を討ちましょうぞ!」
半ば無理矢理腕を掴み上げて立ち上がらせた。
が。
「……何のつもりですか? 神坐の執権殿」
浅黒い肌に銀の髪の少女……義巴が腕を握って寄せようとしたにも拘らず、真仲は自分を離すまいと己のもう一本の腕を引く男の方へと顔を背けた。
「やめろよ。見て分かんねえのか。真仲はお前の事、怖がってんだろ」
「呪いで従えた癖に左様な言い草をするか。貴様の如き死なぬ老い朽ちぬだけの虫螻蛄、その人心を誑かす妙な呪いが無くば義姉上は当然、其処が遊女崩れや生臭尼僧にすら相手にされぬわ。分を弁えろ、死ぬ事しか出来ぬ死に損ないが!」
「それがどうした? 円の変装に気付けなくて、真仲が俺や旭に好き放題されるがままにしてたお前等には何の落ち度も無いのか? オマケに、コイツが必死に助けを求めてた間、お前の言う許婚さんは西の都の女王と愉快な談合に興じてたらしいな? 見え透いてんだよ。アイツ……高巴だっけ? アイツは真仲の事を愛してなんていなかった。唯々体の良い操り人形として……」
「黙れ!」
少女は叫び、思いきり真仲を引っ張って奪いきるや否や、トキヤの言葉を散弾銃で頭ごと吹き飛ばして止めた。
「トキヤ!」
死に戻るとはいえ、無惨な頭の無い骸を晒すトキヤに思わず手を伸ばした真仲だったが、
「義姉上やめてください! 義姉上は呪いで可笑しくさせられているのです! 呪いであの男に従わされているだけなのです!」
その手は義巴に抑えつけられてしまった。
「グ、が……!」
転生者は死なない。
「は、ハハハ……! 鉛弾をモロに喰らったのは久し振りだな」
巻き戻し映像の様に吹き飛んだ血肉は元に戻った。そして、
「ペイジ、後で皆でガニザニさんに何て言い訳するか、良い作戦考えといてくれよ?」
言うや否や、トキヤは刀を抜き義巴と対峙する。
「言うまでもなく、こちらに落ち度は無い。従業員として潜り込み、私達を欺いてわざと捕まり、注意を逸らした上で隙を突いて逃げ出し、そして我々の武器庫を荒らした奴等にこそ落ち度はある」
ゴム弾のカートリッジをさっさと取り外して、ペイジと呼ばれた女は改めて実弾を拳銃に詰め、トキヤの隣に立つ。
「真仲を返せ。俺は何度殺されても真仲を奪い返すまで諦めない。死なない相手と永遠に戦う事の出来る人間なんていない。今ここで頭を下げれば俺の愛人にでもしてやる。真仲の隣で、気絶するまで啼かせてやるよ……!」
「こんな無政府状態の売春窟にうっかり入ってしまう奴等であろうとお客様はお客様で、彼等の身の安全を守るのが私の務めだ。テロリストめ、覚悟しろ!」
2人は今まさに、義巴と戦おうと、戦意を漲らせたが……。
「バカヤロー! 周りを見てみやがれ!」
シャウカットの慌てた声で、思わず我に返った。
言われるがまま辺りを見回した2人は、漸く今の状況が全く戦ってはならない状態である事に気付く。
何故なら、
「何度も同じ事を言わせるな。我等が此処へ来た時に何と言った? 『誰一人とて動くな』そう言っただろ?」
義巴の郎党が構えるマシンガンの銃口は、他の客達に向けられていたからだ。
「おのれ、お客様を人質に取る等と……! 卑怯だぞ!」
「ならば貴様等が義姉上を奪った呪いは卑怯でないとでもいうのか!?」
「それとこれとは話が……!」
ペイジの言葉は銃声と、そして若い女の悲鳴によって遮られた。
「クソ……! 大丈夫ですか、お客様!?」
「おい動くなと言ったぞ! もう一人殺されたいか!?」
ひりついた空気の中、殺気立った目を見開いたペイジは、冷や汗を流しながら義巴と睨み合う。
「せめて手当だけでもさせてくれ……!」
「ははっ、ざまあないな。貴様の客は貴様のせいで死ぬんだ。そこで指咥えて見てろ」
義巴は惨い言葉を平気で吐き捨てる。それだけ真仲を奪った自分だけでなく、自身の属する神坐への憎しみも強いのだと謂う事を、トキヤはひしひしと感じさせられた。
そんな時だった。
「ペイジ様はその場を離れないで下さい! お客様、直ぐに手当てをします! おい! わたしは見ての通りの丸腰だ! それなら構わないだろう!?」
声を上げたのは、年若い青年……勝手に地下遊郭へ遊びに来ていた、地上のリゾートの従業員だった。
「如何いたします、義巴様」
青年の近くにいた男に問われた義巴は迷うことなく、
「其奴も殺せ」「やめろおぉ! 万太郎おおおおお!」
涼しい顔で答えた……が、
「御言葉ですが義巴様、この男まで殺せば、流れ者どもは我等と取引が成せぬと考えだしますぞ」
従者の男は冷静に義巴を窘め、彼女の判断は誤っていると暗に示した。
「……ならば、初めから私に訊くな」
「貴女様に仕える身でそうはいきませんでしょう。おい、妙な事をすれば直ぐに首を刎ねるからな」
「望むところだ……! お客様、少し痛みますが、直ぐに……!」
「すまない、万太郎……」
一先ずの事無きを得たペイジだったが、このままの状況が続けばまた何時同じ事が起きるか分からない。
焦りに満ちた顔を、思わず自身が最も気の合う友人へと向けると、
彼は何か心得た様に頷き、刀を収めて義巴の方へと身体ごと向いた。
「要求は何だ?」
「真仲様に掛けられている色病みの呪いを解け。そこにいる呪い師が掛けた事は既に調べがついている」
分かりきっていた答えだったが、トキヤは拒否をしたいと謂う思いが胸に溢れた。
だが、拒むに値する理由が無い。
「旭……」
思わず振り向いて問うたが、妙な事に旭は円の影に隠れて仔犬の様に震えるばかりだった。
「ここは受け入れましょう、義兄上」
代わりに応えた円は「案ずる事はありません、姉上。仔細私にお任せを」旭を宥めるような素振りを見せると、
「ああ……分かった。行こう、円」
トキヤに連れられて、義巴の前に立った。
「真仲……」
トキヤに声を掛けられた真仲は、
「トキヤ……許してくれ」
光宿さぬ深淵が如き瞳をトキヤに向けて、一筋涙を流した。
「真仲……!」
「これは全て、私の不始末……あの時の事を覚えているか? 私がお前に頼んで、この地に雷を降らせて人の寄り付かぬようにした時の事だ。
あの時、私は己の過去を断ち切りたいが為と言った……だが、真の事を言えば、それは、出来なかった。
雷は人々から逸れた。唯々木々を燃やすだけだった。そうしている内に、皆散り散りに逃げていってしまった……。
私は結局、この地を、母上を、義巴を……そして、高巴を愛していて……お前に靡ききれなかったのだ。
その後も、お前に何度抱かれても、何度忘れる様に言われても……忘れられなくて……。
確かにお前が愛おしいのに、確かにお前を選んで、あいつはこの手で殺したのに……私はお前を欲しがるばかりで、お前の求めに応えられず、何も捨てられなかった……!
だからトキヤ……否、トキヤ殿。
斯様な半端者の私が、これ以上神坐に居て旭様やあなたの厄介となる事は、きっと運命が許さなかったのだろう。
次に戦場であった時には、一思いに殺してくれ……」
トキヤは、この場に於ける自身の無力を呪った。
「トキヤ、トキヤと……虫唾が走る。義姉上、直ぐに呪いを解いて差し上げます。元に戻れば、また嘗ての様に私と暴れ回り、我等菱川に仇為す全ての者の首と謂う首を斬り飛ばして参りましょう?」
「元に戻す?」
不意に円は、その言葉が引っ掛かった様子で義巴へと目を向けた。
「ああ、元に戻せ。呪いを解いて、義姉上を元の戦と我等を愛する御人に戻すのだ」
首をやや傾げながら答えた義巴だったが、円は……俯いて、一瞬表情を隠した。
「そうですか。まあ、私がした事は呪いを掛けた事だけなので、それ以上は何も出来ませんからね……それでは」
円が両手で持った錫杖を恭しく振るうと、それは桃色とも紫ともつかない光を帯びて……、
「せいっ」
金輪の擦れ合う音と共に、真仲の頭の少し上へと振り下ろされた。
……見た目には何も変わりは無い。
だが呪いとはそのようなものと分かっている義巴は、
「義姉上、分かりますか? 私です、義巴です!」
そう言って駆け寄り、彼女に抱きついた。
「やっと……やっと取り戻せた……!」
感極まって嬉し涙を流しながら嗚咽する義巴。
その姿を前に……彼女の郎党は然し、顔を向けなかった。
トキヤも、円も、そしてこの場にいる誰も、義巴の味方にはならなかった。
義も道理も無い手段の選ばなさをまざまざと見せつけた彼女に抱かれたのは、偏に恐怖だけだった。
「これからは、ずっと一緒ですよ、義姉上……! 私と共に戦って、生き抜いて! あの世の兄上に、ヒノモトの将軍となり世を正したのは義姉上だったと、誇りを持って報せましょう……!」
そんな独りよがりな感傷は、
「……左様な事、何の意味がある?」
誰でもなく、彼女が最も慕う相手が否定した。
「えっ」
思ってもいなかった返事を寄越されて、
「何だ、これは……寒い? 否、全てが朧気で、何も分からない……」
「えっ」
抱き留めていた筈が、するりと抜けられて……。
「義姉上!」
「……お前は、誰だ?」
義巴は、立ち尽くす事しか出来なかった。
そのまま歩みを進めた真仲は、
「真仲、大丈夫か?」
己を呪いによって辱め、全てを奪った男を前にしても、微動だにせず唯々立ち止まっているだけだった。
「……トキヤ殿か。不思議だよ。さっきまではあんなにもはしたなく成れたのに、あなたを前にしても、何も」
「これでもか?」
不意にトキヤに抱き締められた。
それでも真仲は、表情一つ変えず……。
「トキヤ殿……と、き……う、う……」
然し、涙が流れ始めた。
「トキヤ……寒い……寒いんだ。まるで一人、暗い闇の中に閉じ込められた様な、欲しいと思っていた筈のものが、欲しくなれない様な……」
「大丈夫だ真仲、俺が直ぐに元に戻すから……」
「苦しい、トキヤ……お前の言葉で喜びたい、お前に抱き締められて嬉しくなりたい、なのに……心が石になったみたいだ……トキヤ……」
抱き合う2人を前にして、
「何故だ……何故なのだ!?」
義巴は狼狽えた。
「呪いを解けば戻るのではなかったのか!?」
問い質す義巴に、然し円は呆れた様な、窘める様な顔を向けた。
「義巴様……この呪いは人心を思うままに操る呪いではありませぬ。
色病みの呪いとは元々、正気を奪う程の快楽で魂を砕く呪い。
そして真仲様に掛けた色病みの呪いも、その効果を魂を砕かぬ程度に薄めたうえで、それとは別に依存性のある快楽を植え付けるように、私が改造したものに過ぎないのです。
といっても、その依存性もそこまで強くはありません。心持ちの強さがあれば、義兄上を拒んで高巴様と添い遂げる事も出来た程度のものです。
それなのに、中ヒノモトの盟主として高巴様と添い遂げる道を捨てて、義兄上の奴婢……ああ失礼、姉上の側女となる道を選んだという事は、元から真仲様は左様な御方であったという事で……」
円の話を聞き終わらないうちに義巴は忍刀を抜いて円に斬り掛かったが、
「おやめください義巴様、話はまだ終わっておりません」
所詮は気が動転している者の怒りに任せた太刀筋、円の細腕で構えた錫杖でも簡単に受け流されてしまった。
「さて、色病みの呪いは斯様に、人の心を操るのではなく、人の心で感じる思いの量を操る呪いに御座います。
私はたまに呪いを解いて感覚が可笑しくならぬよう調節をしておりますが、真仲様は常に、それはもう文字通り四六時中義兄上と抱き合っていました。
故に呪いを解く暇も無く……心は常に溢れんばかりの快楽を、恋慕の想いを浴びせられる事が当たり前になっていた。
義兄上に抱かれるよりも楽しい事など、幸せな事など何もない、といった御様子でした……その結果。
真仲様の心は最早、呪い無くして成り立たぬ様に成って仕舞われました。
なのに……急に呪いを奪われれば、心は何も感ぜられず、愛する者に抱き締められても唯々虚しいだけ。義巴様の事をまともに思い出す気にもなれない御様子。
……御自分がどれだけ残酷な事を為されたか、お分かりになられましたか? 義巴様」
問われた義巴は……刀を取り落とし、後退った。
円に焦点の合った視界の奥では、目を見開いたまま静かに涙を流し続ける真仲と、彼女を腕で包みながらこちらを睨みつけるトキヤの姿があった。
「違う……違う! 私は間違っていない! お前達が可笑しい!」
「仰る通りに御座います。私達は可笑しい。然し全ては遅過ぎたのです。お気持ちは分かりますが、現を見て下さいませ」
「認めぬ、真仲様が……義姉上が呪い如きに屈した等と……!」
「全ては真仲様が選ばれた事です。義巴様が認めずとも、何も変わりはしません」
円に言い負かされ、トキヤと真仲に現実を見せつけられ……。
「義姉上を、菱川真仲様を、返してくださいませ……! 返して! 返せ! 返せえええ!」
然しそれでも、義巴は目の前で起きている事を受け入れられなかった。
「……私が、どう足掻いても、諦めてくれないのか」
不意に真仲はそんな事を口走ると、
「えっ、真仲……?」
今度はトキヤの腕からも抜けてしまった。
そして、トキヤと義巴の間に立った真仲は、
「義巴」
感情の無い声で、その名を呼んだ。
「戻ってきてください義姉上! 私は! 貴女様を諦める事など出来ません!」
「だが、私はもうトキヤがいないと、生きていけないんだ」
「私が何でもいたします! こんな女よりも高名な呪い師を脅してでも義姉上を必ず元に戻します! だから! だから……!」
「円よりも腕の立つ呪い師は、この世にいないのだろう? 今そうして、どこの誰だと言えないのだから」
「嫌だ……! 義姉上、帰って、きて……!」
真仲は俯き……そして改めて、トキヤと向き合った。
「真仲、もうそんな奴の事は忘れろ。お前には俺と旭が……いや、俺さえいれば良いハズだろ?」
「そうしたい……そう、したいな……だが、私が生きている限り、こういった事が際限なく起きてしまう」
「だったらその度に俺達が戦えばいい。俺達は死なないから」
「いつかお前が疲れ果てて、それでも私を好きでいようと無理をしている姿は、見たくないんだ……だから私の、この命を以て」
「……何、するつもりだ? 真仲!?」
「償わせてくれ」
それは一瞬の出来事だった。
「えっ……真仲、様」
「真仲……! 何という事を!」
「真仲ちゃん……!?」「え」「あ」「何!?」
義巴はまたも手遅れになってから駆け寄る事しか出来なかった。
「義姉上ええええええ……!」
血の海が広がってゆく中、真仲は静かに目を閉じた……。




