第十三話【巴の欠片】2
トキヤと円のやらかしが発覚して数日後。
2人は旭に連れられて中ヒノモトの地へ足を運んでいた。
以前は鬱蒼とした森が延々と続く山々の連なる場所だったが、今はすっかり切り拓かれて山奥にはそぐわない豪奢で巨大な和風建築物が建ち並び、人々で活気付いている。
……何があって突然その様な事となったのかを知る者は、そう多くない。
建造物群の一角、その内の『旅籠 山本』と書かれた看板の掲げられている門前の人混みに紛れた3人が、
「して、着いたのは良いが真仲は何処におるのだ?」
「流石に私もそこまでは……義兄上はジョージ様から何か聞き及んでおりませんか?」
「いや……ごめん。顔見るのもウンザリで、全部任せっきりにしてた」
「お前の妻であろう!?」
「お前の妻でもあるんだろ? ……っていうか、正確には俺がお前の正妻? で、真仲がお前の愛人だっけ……? 未だにこの世界の婚姻の仕組みが理解しきれてないよ、俺……」
そんな調子でグチグチと言い合っているところへ、
「おーい、迷子3人組ー」
馴染みのある声が聞こえてきた。
「げっ……ニャライ、どうして……」
目を向けた先には、赤、黒、迷彩柄の直垂を着た女達と、藍色の直垂を着た背の高い少年。
「そりゃー新装開店のリゾートがあったら行くに決まってるじゃーん。トキヤは私達とは違う理由なのー?」
声の主、トキヤがニャライと呼んだ赤の直垂を着たドレッドツインテールの少女が、無害そうに大手を振りながら残りを連れて歩み寄って来る。
「ね、何してんの? 息抜きって感じの顔には見えないけど。アンタが良かったら、あたし相談に乗ったげるよ?」
「いや、まあ、ちょっと人探し……だから、お前には関係無いから、ジョンヒ」
黒の直垂を着た長い黒髪の女は馴れ馴れしくトキヤの肩を抱きながらにやける。
「水臭いじゃねーかよトキヤ。旭さん困ってんなら1人で抱え込まねえで俺にも言えよ。な?」
「お前は隙あらば人の女に手を出そうとするんじゃねえよ、シャウカット」
反対側から藍色の直垂を着る癖毛の少年も同じように肩を抱く。
「全員丁度スケジュールが合ったから同じ日程で休みを取ったんだ。旭がよければ一緒に回ろう。私ならここの案内も出来る」
「そうか……ここ建てたのお前んとこだもんな、ペイジ」
赤毛のポニーテールに迷彩柄の直垂姿の女は、旭の前に立って眼鏡のブリッジに指を添えながら、淡々と提案を示した。
「それは良かった……! 姉上、折角ですからペイジ様に案内していただきましょう!」
旭の答えを待たずして、円が先に飛びついた。
「ペイジ様、ここの地下に遊郭があると聞いているのですが……」
が。
「遊郭? そんなものある訳ないだろ。ウチは清廉潔白なビジネスでやってるんだ」
「え……」
予想だにしていなかった答えを前に、円は戸惑いを隠せない。
「し、然し真仲様が……」
尚も食い下がろうとした円だったが、
「待て、円。これはもしかすると、ペイジは真に知らぬのやもしれぬぞ……」
旭が止めに入り、彼女をペイジから離してひそひそと話し始める。
「神坐の女王たるこの光旭に傅く七将軍の一角ともあろうジョージが、そのわしが初め遊女にされかかっていた過去を知っていて尚、大っぴらに遊郭なぞぶち上げるとは思えぬ」
「己の傭兵団の参謀にすら教えぬ等と有り得るのでしょうか……」
「堅物のペイジが左様なものを許すと思うか? 然して旅籠をやるとなれば唯々景色がよくて風呂に入れるだけの事で儲けが出る訳が無い。わしが同じ立場であれば、面倒な者の代わりとなる者を立てて事を進めるな」
「姉上が言うと説得力がありますね……では、ここはペイジ様も巻き込んで調べますか」
「そうと決まれば」
不意に旭は顔を上げて、ペイジの方へと向き直った。
「ペイジよ。我等はヤマモト傭兵団の抱えるこの旅籠が如何わしい商売で暴利を貪っているとの噂を耳にしたのだ。神坐の女王……即ちはこの旅籠の主の元締めである立場として、左様な話は聞き捨てならぬ。故に、お前もわしと共に探れ。もしも遊郭を見つけたならば、其方にはジョージを通さず褒美をくれてやろう。だが、もしもわしが先に見つけた時は……」
そう言って、旭は徐に刀を抜くと、
「旭……? ちょっと待て、何してるんだ!?」
ジョンヒとシャウカットにウザ絡みされていたトキヤの慌てて発した声など歯牙にもかけず、ペイジの首に突き付けた。
「ヤマモト傭兵団をばらして、人も所領も残りの六つに分け与える事としようぞ……!」
野蛮な笑みを湛える旭。
だが、ペイジは眉一つ動かさない。
「そんなやり方で人を従えたつもりか知らないが、普通に頼めば聞き入れられるような事で君の器の小ささをひけらかすような真似はやめておくんだな」
「御託はいい。お前はさっさとわしを遊郭へ案内すればよいのだ」
「仰せのままに、旭さん」
「いやお前に話してはおらんのだが」
「ま、そうカッカしないで。折角みんな集まったんだから一緒に行こ? 旭ちゃん」
「待て女狐、何故お前に仕切られねばならんのだ」
「もういいだろ、折角気まぐれな奴等が揃って素直になってくれてるんだし」
トキヤに宥められて漸く旭はペイジ達の好意を素直に受け取った……が。
「ねー、ジョンヒ……旭さん何となく勘付いてるんじゃないの?」
「だとしても、マヌケな旦那様がこの調子だから大丈夫でしょ」
旭達の前を歩く4人は、ひそひそと話し合う。
「それにしてもお前等ホンットに怖いよ。絶対敵に回したくねえ……」
「既婚者相手なのに諦めの悪いお前も同じ穴の狢だろ」
旭の疑念は、悲しい事に当たっていた。
「ペイジー! 卓球台焦げちゃった!」
「ニャライ! なんで卓球台の上でブレイクダンス踊ってるんだ!?」
「おらーっ! テメエ等何見てんだ! 俺達は見せモンじゃねえぞーっ!」
「やめろシャウカット! 亜人とはいえ他のお客様相手に暴れるな! 亜人とはいえだ!」
「ちょっとペイジ! なんでトキヤとアンタだけペアで別の部屋取ってんの!?」
「知らん知らん知らんしらん! どいつもこいつも好き放題言いやがって私は知らん! 私は最善を尽くしてるんだ! 知らん! そんなに文句あるならジョンヒ達で話し合って勝手に変えればいいだろう!?」
忙しなくバタバタギャーギャー言い争い合う4人。
「こうしてみると皆も年頃の幼子よなー。私も混ざって殴り合いたくなってきたぞ、トキヤ」
一っ風呂浴びようと桶に手拭いを抱えた旭は呑気に4人の喧嘩を見ていたが、
「やめような旭、そんなに発散したいなら……部屋で俺と円が相手してやるよ」
「あっ……♥ 執権様……♥ って違う! 今は左様な事をしておる場合ではなかろう」
トキヤから腰に手を回され、
「けれど、ペイジ様を脅したり喧嘩に混ざろうとされるのは……溜まっておいでなのですよね?」
「ひゃうぅぅっ!?♥ ま、円っ……駄目っ、だぁ……っ♥」
「我慢は身体に毒に御座いますよ姉上……♥ 義兄上も折角、その気になって下さっているのですから……ね?♥」
円に尻を鷲掴みにされて、旭は目を白黒させながらも身体の疼きを呼び起こされてしまう。
「何がダメなんだ? 折角こんなに人も沢山いるド派手なリゾートにお前を連れ込めたんだ、皆の前で、この世界で一番ドスケベな遊女のお前は一体誰のモノなのか、身体で示してもらうからな?」
「はい? 義兄上それはまずくないですか? こんな大勢の、それも方々から人が来ている場で姉上の面目を無くすような事は……」
ところが思っていたのと違う方向へ進み始めたトキヤに、円は慌てて苦言を呈するも……、
「執権様……♥ 今、実はこの下に、夜伽狩衣を着ております……だから、ここで私を脱がして……♥ 連れ回してっ♥ 辱めてくださいませぇ♥」
旭は『神坐の女王』の人格から『執権光トキヤの専用遊女』へとすっかり人格が切り替わってしまっていた。
「マジかよ、ちょっと引くわ……じゃなかった、ええと……言われなくても自分に相応しい服を着て来るなんて、よく出来た遊女だな? 俺の雌奴隷としても合格だ、どれだけ人前で無様に啼き叫ぶ事になっても、たっぷりと遊んでやるからな?」
「んお゛ぉ゛っ!♥ ……ふーっ♥ ふぅーっ!♥ しっ、しっけんしゃまぁっ!♥」
「あーあ……私はやめてくださいと言いましたからね、御二方」
完全に2人の世界に入り込んでしまって燃え上がっているところへ、
「やめろ! このバカップルが!」
「「わあああああ!」」
「うるさっ、私は関係無いですよジョージ様!」
深緑の直垂を着た老翁が拡声器を持って怒鳴り散らした事で、ようやく収拾がついた。
「ケッ、神坐からのお客様が騒ぎを起こしてるって従業員が言ってっから来てみりゃあ、まさかのお前等にプリンセスとはな」
「あっはい、すんませんジョージさん」
「おうキタノの参謀、現代人としてのマナーがあるハズのテメエが何も知らねえプリンセスを誑かしてバカやらかしてんじゃねえよ」
「おい待てジョージ、口の利き方に気をつけよ。トキヤは最早一傭兵団の参謀ではなく執権、即ちはわしの側近ぞ。たかだか七人の将軍の一角に過ぎぬお前が、あまり人前で立場の上となる執権を叱りつけるな。神坐全体としての沽券に関わる」
「へいへい、ジジイは目紛しい世情になかなかついて行けなくてな。でだ……」
拡声器のスイッチを一旦切ってジョージは3人へと顔を近付けると、
「何か話あっからわざわざ来たんだろ? プリンセス……最上階、天帝の間を開けてある。先にそっち行っといてくれ。俺はあのバカ4人衆をシバいてから行くからよ」
それなりに事情を把握していると思しき様子を見せて、次 未だ収拾のつかない有様の転生者達の方へと向き直った。
「テメエ等クソガキ共もだぞ! マナーのなってないお客様にはお引き取りいただくからな!」
「ハ? ブロッセル? キツいジョークだなプリンセス。ウチは清廉潔白なビジネスでやってんだ」
豪奢な和室の一角。
一っ風呂浴び浴衣に着替えて寛ぐ旭の前で、胡座をかいて座る深緑の直垂を着た老翁はそう言い鼻で笑った。
「し、然しジョージ様……どうしましょう、姉上……」
旭の隣にちょこんと座っていた円は、何となくそんな答えが返ってくるだろうという勘付きが的中してしまった事で、途方に暮れた顔を旭の方へと向けた。
「あ゛ー……ん? 今何と言った? まさか、己の旅籠で何処か余所者が勝手に遊郭をやっているとでも言い張るつもりか? それからジョージ、これはなかなかに涼しくて良いな。御所にも置きたいがそうはいかぬのか?」
呑気に扇風機に当たりながらも旭は鋭い言葉を投げつける。
「そいつは電気を引かなきゃならねえからちょっと手間だぞプリンセス。それとな、モノの見方が狭いと不要な争いを生むから気をつけるんだな」
「お前はわしが浅薄な嘘に騙される暗君とでも言いたいのか?」
「いいや違う。俺達がマヌケか嘘つきかって考えがそもそも間違いだって言いてえんだよ。確かにここは今ヤマモト傭兵団が仕切ってる。だが、建設には七将軍が全員関わってた事は、そっちも知っての通りだろ? つまりだ」
軽い口調ではあるが、ジョージの表情は深刻そのものだ。
「あの6人の内誰かが、俺達をスケープゴートにした上で看板に泥塗るようなビジネスをしてやがる……ってコトは、考えられねえか?」
提示された最悪の可能性を前に、七将軍を取り纏める執権の立場にあるトキヤは旭の後ろで苦虫を噛み潰した様な表情で俯く。
「そんな事、いったい誰が……アニキは有り得ねえとして、そのアニキが睨み効かせてるサエグサの団長さんもまず無い。タンジンは女嫌いでそんな商売出来ないから……いや、ガニザニさんはヒノモト文化原理主義者だからそういう事は絶対しなくて、チランジーヴィさん……は、女はもう十分足りてるからやる意味がない。消去法で考えるなら、バレンティン……サカガミ傭兵団か」
冷静な様子で結論を口にするトキヤだったが、
「待て待てまてキタノの参謀、1番疑うべきヤツを1番最初に除外するな」
「トキタロウは遊郭の事を知らぬようであったが……まあ彼奴の事だ、しらばっくれていたのやもしれぬな」
残念な事に、その意見には誰も賛同しなかった。
「え……いや、でも……」
「しかし相手がトキタロウとなりゃあ、かなり面倒だぞ。アイツはなかなかボロ出さねえ奴だからな……」
「私としては別に遊郭を潰さずとも構わないのですが……丁度良い実験場があるのは呪いの研究が捗りますので」
「だとよプリンセス。俺達も手伝うから一刻も早く危ねえ呪いの研究もトキタロウのクソビジネスもまとめてぶっ潰すぞ」
「そうよなぁ……幾ら有用な呪いの為とはいえ、お前達の面子をトキタロウの好き勝手で潰させる様な事は許されぬよな」
「そんなぁー……」
「あの、だから、アニキかどうかは……」
話がまとまりかけた、その時だった。
「失礼します! コーヒーをお持ちしました!」
不意に部屋へと入ってきたのは、浅黒い肌に銀の髪の少女だった。
「おい勝手に入ってくんな! ココはVIPルームだぞ!」
「も、申し訳ありませぬ」
慌ててジョージが怒鳴って追い返そうとしたが、
「よい。ここへ」
「え……」
旭は何を思ってか少女を呼び止め、己の許へと誘った。
「プリンセス、気を利かせたつもりだろうが従業員教育ってのはしっかりやっとかねえと……」
「此処の主であるお前の主はわしだ。言う事を聞かぬのならこの旅籠は他の者に任せるぞ」
妙に聞き分けの悪い旭の態度を前に、ジョージは唯々肩を竦める事しか出来ない。
「ど、どうぞ……」「うむ」
下女から差し出されたブラックコーヒーを一口含んだ旭は、
「ぶへっ!? 何じゃこりゃ! 本当に飲める物なのかこれは!?」
瞬く間に吐き捨ててしまった。




