閑話その一【草燃えぬ】7
……といった事の顛末では納得のいかぬ者が1人、イタミ傭兵団の屋敷の最奥で今回の事件の元凶を問い詰めるように睨みつけていた。
「旭ちゃんの手前、転生者でもデキちゃうって話に合わせてたけどさ……それって有り得無くない?」
そう問い掛けるジョンヒに、然し答えたのはイタミ傭兵団の主であるイタミ・タンジンではなく、
「かいつまんで言うとだね、どうも鬼と流れ者が抱き合った時はその限りじゃねえかもしれねえんだ……それをきちんと説明しておきゃあ良かったんだが、あっし等が鬼を跡継ぎに据えてるなんて事が知れたら、それこそ神坐の人という人から白い目を向けられちまうからね……だから出来るだけあの子の事は誰にも教えず、知っちまった奴にも最近ぽっと出の流れ者の娘って事にしておきたかったんだ」
その脇に控える、素朴な顔つきでいながらも神妙な凄みを見せる中年の女だった。
「……あたしはそんなに信用ならないですか。ま、いいです。今イタミに抜けられたら神坐はやってけないですから、旭ちゃん達と同じように、あたしも黙っててあげます、姐さん」
「すまないねえ……あっし等は他の傭兵団と違って、流れ者はタンジンしかいねえんだ。それを失っちまったら、ちょっとやそっとじゃ立ち直れねえ。タンジンもあっしも、イタミ傭兵団を守る為なら例えあっし等を虐げてきた亜人、それも宿敵たるカゲツと同族の鬼であろうと頭領に添える覚悟でやってんだ。分かっておくれよ?」
「それは分かりましたけど……」
ジョンヒは改めて、タンジンへと目を向けた。
「アンタの口から教えて。どうして鬼だと転生者との間にデキちゃうって結論になったのか、どうして鬼と転生者の間に出来た子は世界を滅ぼすなんて思うようになったのか……その根拠になるような情報が、あるんでしょ?」
「アナタの推理通りですよ」
ジョンヒの問い掛けは、最早答えを言っているに等しかった。
「つまり……あたし等が倒すべき敵、カゲツの正体は……転生者と鬼の間に出来た子。そうアンタは考えてるんだ?」
「それが彼等の懐に潜り込み、頭を下げて嗅ぎ回っていたワタクシの結論です」
「ふーん……タダの状況判断で人類裏切ってたワケじゃなかったんだ」
「そう言うアナタ方サエグサ傭兵団が諜報員として杜撰な仕事しか出来ないが故に、ワタクシが身体を張ったのですが?」
「はいはい、すごいすごーい……で、次の疑問。あの子、転生者じゃないのに元の世界の記憶っぽいものがあるみたいなんだけど」
間髪入れずにジョンヒは次の問い掛けをタンジンに向けた。
「そういった話ならタンジンよりあっしだよ。このヒノモトには古くから言い伝えがあるんだ。人は非道な事をされて死ぬと、恨みを抱いて鬼として甦るって。
その話通り、己が生まれ来る前の無念を口にしていた鬼の記録も少なからず残ってはいるんだがね、今はもうすっかり信じられてねえ迷い言として扱われてんだ。恨みを口にする鬼はいるが、恨みを抱いて死んだ人は、誰一人と鬼にならなかったからさ。
人でなし共がどれだけあっし等をこっぴどくくびり殺したって誰一人化けて出やしねえ上に、時代が下るにつれて鬼も鬼同士や他の亜人と交わって子を成すようになっちまって、鬼共も含めて皆して鬼の前世の無念なんてものは口から出まかせで、そんな生まれ方はしねえと考えるようになった。けどよ」
ちら、と明後日の方を仰ぎ、向き直った良子の表情は、更に深刻な其れとなっていた。
「ヒノモトの人々は鬼にならないとしたって、どこか遠くの人々が鬼になってりゃ話は別じゃねえかい? 例えば……。
世の中を酷く恨みながら死んだ流れ者が、ヒノモトに鬼として流れ着いてくる。
……とか」
イタミ・シシュエと謂う草は燃えなかった。
騒ぎが一段落を迎えた事に胸を撫で下ろしたトキヤは『浮気をした埋め合わせ』としてやはり自身を激しく求めてきた旭と真仲に応え、満足して寝入った二人のまだ紅潮が抜けない寝顔を微笑ましく見やりながらも、夜風を背にそっと襖を閉じた。
……今日は女難の日だった。
いや、始まりは男だったが……。
そんな事をぼんやりと考えて、ふと今ではロクに信じてもいない神頼みでもしようかと思いついたトキヤの足は、何とは無しに神坐御所の裏に築いた神社……初めにこの地へ訪れた時に足を運んだ正体の知れない古墳へと向かっていた。
が。
「おう、白髪の坊ちゃん」
不意に後ろから声がした。
振り返ったそこには、傘を被っていて顔はよく見えないが、中年の坊主が立っていた。
「はい……? 俺ですか?」
「周り見てみな。オイラ達の他に誰がいるってんだ?」
坊主の言葉遣いは少々癪だったが、相手の得体が知れない事もあってトキヤは水に流す事にした。
「何でしょうか。こんな夜更けに一人で歩いて危ない……とでも? 俺は転生者ですから、お気になさらず」
「いいや。そっから先は地獄だから行くなって言いに来たんだ」
……トキヤは首を傾げた。
「地獄、ですか……? この神坐の地を守ってくれている古き神を祀った神社です。あなたと宗派が違うからって、そんな言い方は無いんじゃないですか?」
「そういう話じゃねえよ」
坊主の言葉は、何処か歯に物が詰まったような印象だった。
「何が言いたいんですか?」
「もっとハッキリ言いてえんだが、オイラにそれは出来ねえんだ」
「……預言者でも気取っているつもりか?」
「まあそんなもんか、或いはお節介ってとこかもな」
「では、教えてみてくれ。この先に行くと、俺はどうなる?」
「それは言えねえが、行かなかったせいで後から悲惨な事になったな」
「あなたが行くなと言った地獄へ行かなかったせいで、後から悲惨な事になった……話が支離滅裂にしか思えないのだが」
「オイラの気持ちを分かってくれよ」
「話にならないな。斬り捨てられたくねえなら、とっとと俺の前から消えろ」
自分の考えをよく分からないオヤジに掻き乱されて、トキヤは心底不快な感情を抱いた。
そして「それでもオイラはお前の事好きだぜ!」という不愉快極まる捨て台詞を背に、トキヤは神社の奥へと足を運んだ。
……誰かの声が聞こえる。つまりは先客がいるようだ。
その事実が、さっき言い合った坊主の言葉を証明しているように思えて、トキヤは不快で仕方がなかった。
(地獄って何だよ……面倒くせえな)
心の中で吐き捨てながら、トキヤは一思いに声の許へと駆け出して……。
「え」
己の目を疑った。
「聞いてくれよオヤジ! この前初めてカゲツ傭兵団の左団長の顔を見たんだ! 噂通り額から角が生えてて、藍染めしたような艶やかな髪に黄金みてえな綺麗な目をした疲れ顔の男だったけど、でも顔つきは綺麗に整っててさ……思わず見惚れちまったぜ」
灰色の髪の少女は、荒々しい口調で自慢げに見た者を語っていた。
「あれは見惚れていたのね。てっきり、鬼を目の前にして竦んでいたのかと思いましたよ」
その後ろに立っているのは、白い壺装束の女性だ。美人と謂う程美人ではないが、然し何処か高貴さのようなものがあった。
二人と向き合うように立っていたのは……。
「そうか時宮、間近で鬼を見て、勝てそうだと思ったか? オレは大番役で何度も顔合わせてるけど、その度にちびりそうになってるぜ」
白い直垂を着た、爽やかな男。
その無慈悲な現実を前に、トキヤの時は数秒止まってしまった。
……が、残酷にも現実の時は止まるような事も、歪められる事も無い。
トキヤは自身の感情を言葉に出来ない。
それでも、自分はここに居てはいけないと謂う確信だけは確かに有った。
楽しげに談笑する白い服の家族の声を背に、トキヤは神社を背にして歩き始める。
……戻って来てみれば、もう胡散臭い坊主は跡形もなく消えて居なくなっていた。
あの男は何だったのだろうか。
地獄と形容されたものは、自分にとって絶対に地獄ではなかったが、それでも言語化出来ないショックを覚えたのは確かだった。
何もそれはアニキの……キタノ・トキタロウの幸福を呪っているからではない。
彼に家族がいたとして、自身へ向ける愛情に嘘偽りがある等と謂う事も決して有り得ない。
別に自身に対して隠したり、裏切ったり、悪意があった訳でも断じて無いだろう。
だが……この動揺は、狼狽は、衝撃は何なのだろうか。
次の朝から、自身はヘタクソな演技で『それ』を見なかったフリをする事しか出来ない。
二人で一人であったハズなのに、今はそんな言葉の薄っぺらさしか感ぜられない。
旭の部屋に戻ったトキヤは、彼女の隣に横たわると、月が照らす美しい桃色の髪を指で梳いた。
浮世離れした美しさが心の痛みに沁み渡って、感情がぼやけていく。
「旭……助けてくれ」
思わずそんな言葉が口から零れ落ちた。




