閑話その一【草燃えぬ】4
空の青さが赤みを帯びてきた頃。
トキヤはサカガミ傭兵団を訪ねていた。
「あの……俺、そんなの、出来ないと、思うんですけど……」
「いや、そう難しい事でもない。さあ、まずはトキヤも服を脱いでくれ」
もう少し暑くなった頃……夏祭りでの出し物を相談しに来たトキヤは、バレンティンから『是非俺とやって欲しい演目がある』と頼まれた。
軽い気持ちで首を縦に振ったトキヤだったが、その結果、彼は今、全裸のバレンティンとグランドピアノを前に立ち尽くす事となった。
「いや、えぇ……見たくもないから見ないで言いますけど、多分あんたがそれ出来るのは、俺より大きいからで……」
「恥ずかしがるなら面白い事をやる資格は無い。帰ってくれ」
「分かったよ! やりゃいいんだろ! やりゃあよお!」
ヤケクソで服を脱ぐと、バレンティンの横に並んだ。
「……可もなく不可もないな」
「なあ、やっぱり帰っていいか?」
「いや、これでもシャウカットには負けているんだ」
「えぇ……それもうギネス狙えるじゃん、アイツ」
「そのせいで誰としても痛がられるって嘆いていたがな」
「へー、そういう感じになってくるのか……じゃあ、バレンティンがちょうどいい感じなのかな」
「試してみるか?」
「そうはならないだろ」
「そうなのか? 噂で聞いたんだがな。旭と結婚する前は、毎晩のようにトキタロウの上で乱れ舞っていたらしいと」
「ガセだよ。俺は男は嫌だから……ってか何の話してんだよ、教えてくれよ。こっからどうすんだ?」
「そうか。だったら俺が一肌脱いでも何の特にもならなそうだな」
「なあ、もう俺帰っていいかな?」
「ええと、先ずは……こう、こんな、感じだ」
「おい話逸らすな。っていうか話逸らすのにしれっと凄まじい事をすんな」
そんなこんな言いつつも、トキヤはバレンティンの見せる凄まじい『極芸』とでも謂うべき手足を一切使わないピアノ演奏を前に思わず息を呑み、夢中で凝視してしまう。
「上手いことやるんだな……ますます俺には出来ない気がしてくる」
「痛そうだからか?」
「まあそれはそうだけど」
「血と汗と涙をながしてこその藝術だと俺は思うがな」
そんな会話をしながら演奏をしていたバレンティンが、不意にピアノを弾く手……手ではないがここでは慣用句の都合で手と表現する……手を止めると、改めてトキヤの方へと身体ごと向いた。
「次は連弾をやりたい。やり方は今見せた通りだ」
「はい、はい……」
バレンティンに半ば押し切られる形でトキヤは覚悟を決めた。
「いくぞ、せーの……意外と上手いな。リズム感が、しっかりしている。元の世界でも、音楽の成績は悪く、なかったな? その調子だ」
「こんな事で、褒められても、なあ……」
奇妙な演奏会は、奇妙に続いてゆく。
だがそこにいる誰も2人を笑いはしない。
真剣に練習を重ねる姿に、敬意の眼差しのようなものすら送る。
笑われると謂う事自体は一度だけでよければ運が良ければ上手く行く事なのかもしれない。
だが、何度やっても、何をやっても面白い……そんな一流のコメディを成り立たせるには、人としての矜持を全てかなぐり捨てた上での血の滲むような努力が必要なのだ。
……トキヤは、多分そういう事なのだろうと自分で納得した。
「いいぞ、次の曲もついて来れるか?」
「嫌な才能ばっかりあるもんだな、俺……」
ひとしきり練習し終えたトキヤは、縁側でバレンティンと2人、彼の好意で振る舞われたボルシチをちびちびやりながら、
「なかなか筋はいいぞ、トキヤ。もし元の世界へ帰る事になったら、俺に弟子入りしないか?」
「元の世界に帰るなら是非そうさせて貰おうかな。前の自分の立場には、戻りたくないから……」
何気ない世間話に花を咲かせていた。
「そういえば、1つ訊きたい事があったんだ」
「答えられる範囲なら答えるよ」
軽い気持ちで答えたトキヤは、
「……女王、人間じゃないだろ」
「またも後悔する事となった。
「そうかな……? 俺はよく分からないな」
「先代が殺し合った時、トドメを刺す為に拳銃を使ったんだが火薬が湿気でダメになっていた。それも数秒前までは普通に使えていた拳銃なのに、2発撃った後の弾が全部湿気で使い物にならなくなっていたんだ……」
トキヤの目を覗き込みながら、
「アレを手入れしていたのは俺だ。あの夜に銃弾に火薬を詰めた。その火薬も、最初に撃てた2発に詰めたモノと同じように管理していた……何か女王には、特殊能力があるとしか思えない」
興味と恐怖の入り混じった表情をして、バレンティンはトキヤの反応を伺っていた。
「し、湿気を操る能力か……でもそれぐらいなら円でも出来そうだよな。単に無意識的に魔術が使えるとか、そういうのじゃないのか?」
「それだけじゃない。オオニタの屋敷を探らせていた時に、チランジーヴィの日記から『初めて会った時、トキヤとシャウカットの制止を振り切って旭姫の手を掴みに行ったが、空間を捻じ曲げられてトキヤの手を掴まされた』と不思議がっている記録があった」
誤魔化すトキヤへ、バレンティンは更に詰め寄る。
「あー……確かにそんな感じの事があったな。チランジーヴィさんが疲れて勘違いをしてたんじゃないのか? っていうかナチュラルにスパイ送り込んでんのな」
「手癖の悪さはおいおい治す、許せ。だが疑惑はそれには留まらない。同じくイタミの屋敷を探っていた時に見つけた良子の日記には『旭様は毒矢を受けても受けてもなかなか倒れず、終いには何故かキタノの坊ちゃんに抱き締められただけで立ち所に毒が抜けてしまった』と書いてあった。転生者であるお前が特殊能力を持っているとは考え辛いので、これも女王自身の何らかの力と考えている」
バレンティンの猛追を前に、遂にトキヤは自信の方が折れる事とした。
「お前の考えを教えてくれよ」
「極めつけは、色病みの呪いが本来の効果を発揮しなかった事だ。記録に残る光家初代の最期は、最早目の前にいる者が何者であるのかすら分からない程に錯乱しながら只管男を求めていたそうだが……それと比べれば、女王の有様は遥かにマトモだった。可笑しくないか? 彼女は本当に、人間なのか? 俺が思うに、女王は少なくとも呪いこそ受けたが光家の血は継いでいないのだと思う」
「……仮にそうだとして、亜人を担ぎ上げていたと分かったら、お前は手を切るのか?」
「手を切るのは俺ではない。他の転生者達でもない……」
トキヤをじっと見据えたまま、バレンティンは言い放つ。
「俺達以外の全ての人間だ」
単純明快にして、一切の否定ができない事実。
それを聞かされたトキヤは一瞬狼狽えたが、
「……俺達は誰も手を切らないのなら、何の問題もない」
決意は揺らがない。
「逆らう奴は力で従える、か……お前はそういう奴だったな」
「そんな言い方するんだったら、お前ならどうするんだよ?」
「理解を求める。彼女の悲惨な半生を聞かされて首を横に振る様な人間がいるとは到底思えないからだ」
「甘い考えだな。旭を否定する奴等の理由は何も亜人を毛嫌いしてるからってだけじゃない……旭を蹴落としてその座を奪いたい奴等だって、同じ手を使ってくる」
「お前は人を信じないな。直ぐに騙される癖に」
「直ぐに騙されるから人を信じれないんだよ」
「それでも結局騙されてるんだ、無意味な敵意を滾らせるのはやめたらどうだ?」
バレンティンの忠告に……トキヤは遂に、何も言い返せなくなった。
ぐい、と汁だけ残ったボルシチを飲み干して、
「少なくとも、お前の事は信じている」
「信用は資源である事を忘れるな」
「旭にも、そう言ってやってくれ」
「……お前が言って聞かないなら、俺が言っても意味が無いだろう」
トキヤは器を置いてその場を後にした。




