第十二話【雷葬】9
真仲の復讐は果たされた。
彼女とトキヤの率いる神坐軍は旭や七将軍の想定を悪い意味で遥かに越える猛攻によって、中ヒノモト一帯を人も亜人も寄り付けない焼野原と化せしめた。
そして……。
「莫迦!」
広い板間の下段で『いつもの事だ』と呆れた様子の七将軍。
彼等に混じって『お労しや』と包帯まみれの労しい姿で苦笑いを浮かべる正義。
その視線の先、板間の上段で横っ面を旭に思いきり殴られたトキヤは、そのまま床板に倒れ伏した。
「私は! 中ヒノモトを平定して来いと言ったのだ! 誰が人っ子一人おらぬ平地にしろと言った!? 野人の真仲が平定の意味を分からずとも、お前がおっただろうが!」
「ご……ごめん、旭……」
「しかと暴れ馬の手綱を握れ、トキヤ。にしても真仲、お前の雷落としは真に恐ろしいな。雷で山を砕いてしまえるとは。つくづくお前がわしの軍門に下ってくれて良かったと思うておるぞ」
旭が顔を向けた先、倒れたトキヤの隣に座していた真仲は……旭を睨みつけたまま何も言わずにすっと立ち上がると、
「真仲……?」
そのまま旭に目を向けながら、感情の宿していない表情で彼女に詰め寄る。
「真仲……!?」
倒れていたトキヤも慌てて起き上がり、更にはその場に座していた七将軍全員も思わず立ち上がって彼女を止めようとしたが、
「うわッ!」
何をしでかすか分かっていて目を瞑っていた正義以外の、議場にいた全員の視界が閃光で真っ白に晦まされた。
「言葉に気をつけろ、旭様……トキヤは最早お前だけの夫ではない……我が夫を『莫迦』と愚弄するならば、例え我が主であろうと、消し炭にしてくれようぞ!」
旭の胸倉を掴んで、真仲は彼女の背後に雷を落とした。
「望むところよ……! 勘違いをしておるようだから言っておいてやるがな、お前はトキヤの妻ではない。トキヤはわしのものであり、そしてお前もトキヤのものではなく、わしのものなのだ。故に、図に乗るなよ真仲。わしに逆らうならば、貴様のしみったれて惨めに斃れた昔の男の後を追わせてやるわ!」
「私が捨てた男を出汁にした左様な見当違いの脅し等、片腹痛いな。だが」
真仲は不意に旭から手を離すと、己の後ろで刀に手を添えていたトキヤへと振り返り、
「今の私はおいそれと死ぬ事も許されていないのでな。全く困った事を頼んでくる奴がいるものだ」
そう言ってトキヤの手を取り、
「おい真仲、いい加減にしろって……」
「なあ、トキヤ?」
手の甲へと口付けをした。
「お前が約束してくれた様に、旭様が神と成り世に平穏を齎す代償として、お前が罪人として役目を終える時、お前と共に死んでやる為だ……此度の悪口を斯様なところで許してしまう私を許してくれ、トキヤ……。だが次は容赦せぬぞ、旭様」
「真仲……!? それ2人だけの秘密にしてくれるって話じゃなかったっけ!?」
「うん? そうだったか……? では、うっかり口を滑らせてしまった私に『お仕置き』をしてくれ、トキヤ……♥」
真仲の行動原理の全てがトキヤへの性欲になってしまっている。
それをトキヤ自身も、そして旭も理解させられた。
「旭たすけて……」
「知らぬわ……呪いを掛けて口説き堕としたのはお前だろうが……」
「だってお前がそうしろって言ったから!」
「私だってここまで可笑しくなるとは思うておらんかったのだが!?」
恍惚とした表情で接吻した手をしゃぶり始めた真仲に、トキヤは流石に悦びよりも恐怖を覚えた。
そして、軽い気持ちでトキヤに屈服させた相手が全く制御の出来ない危険な存在であった事を認識した旭も、責任をトキヤに押し付けて唯々慄く事しか出来ない。
「お前……お前トキヤの洗ってもいない手を……流石は山育ちだな……」
「羨んでいるのか? 旭様。だがな、私はもう、トキヤの頭から爪先まで、口に含んだ事の無い場所は一つも無いぞ? 勿論……旭様の想像している場所もな♥」
「さ、左様か……わしは髪は口に入れたくないな……」
「は? 髪? 何故下ではなく上にいった?」
「それは……お前が頭からとか、言い始めたから?」
「髪は私もまだ無いな……って、そういう話をしたいのではなくてな。まああれだ、そう妬かずとも、今宵にでもトキヤに舐めさせて貰えばいいだろ? こいつはお前の嫡夫なのだから」
「いやだから、別にしたくないのだが……うむむ、呪いの効き方と謂うものにも、人それぞれあるのだな」
「コレって呪い関係あるの? 個人の性癖の問題じゃなく?」
真仲の突き抜けた乱れっぷりを前にトキヤと旭は思わず素に戻って冷静に話し合っていたが、
「オヌシ等! 真っ昼間からええかげんにせえ! そういう事がしたいなら他所に行って欲しいのじゃが!?」
遂にこの場にいる全員が心の内に思っていた事を堪忍袋の緒が切れたチランジーヴィが代弁した。
「ご、ごめんなさいチランジーヴィさん……ほら、いい加減にしてくれ真仲」
「ちっ……何時もいつも、お前等流れ者共は私と執権殿が話し合う事すら邪魔をしてくる。こうなっては仕方がない。トキヤ、今すぐお前の部屋に連れて行ってくれ」
「ハ? 何で?」
「最早一刻も待てないのだっ♥ 今すぐ私を抱いてくれ♥」
「は? お前……お前な、武士としてそれでよいと思うておるのか?」
「残念だったな旭様、私はもう武士ではなく執権殿の奴婢だ。故に我慢することも他の者の顔を窺う事もしない。ほらぁっ♥ トキヤぁ♥ 早くぅ……♥」
「……さっさと終わらせて戻って来い。円を使って呪いの効き目を限界まで引き上げてやれ」
「それで真仲がショック死したら困るのは俺達の方だろ……クソ! いい加減にしろよ真仲! 何されても悦びやがって!」
「左様にしたのはお前だろ♥ 責を負え、トキヤ……♥」
真仲を抱き上げてそそくさと去ってゆくトキヤの背を見ながら、旭は特大の溜め息をついて、最初に目に入った正義へとくたびれた顔を向けた。
「……もしや、少し前までのわしを見ていたお前達も、こんな気分であったのか?」
「今更分かっていただけたからといって責めるつもりは御座いませんよ。姉上は自分も同じ目に遭わなければ分からない性分で御座いましょう?」
「正義よ、もう少し言い方を……」
いつも通り説教を始めようとしたが、改めて己の為に身を賭して戦ってくれた今の彼の痛ましい姿を前に、流石に今回は目を瞑ってやる事とした。
「まあ、よいか。お前がいなくば、この前わしから逃げたトキヤを誰も引き留めてはくれなかったであろうからな」
「これからも、どうかわたくしを姉上の御傍に置いて下さいませ」
健気な笑顔を見せる正義に、旭も思わず笑みが零れた。
「さてと! うるせえのもどっか行ったし、これから何するか話しようぜ? 旭!」
「中ヒノモトが更地の焼け野原になっちまって、本来手に入るハズだった人も資源も全部パーだ。どうする? 姫様」
「おまけに僕達に残されたものがあの色ボケしてトキヤ君の仕事の邪魔ばかりしてくれる腕っぷしだけの女の子だけとくれば、これではプラマイゼロどころかマイナス収支だ、旭姫」
「やっぱりここはでっけえリゾート計画をぶち上げて都の貴族どもから金を巻き上げでもしねえと、あの有様じゃどうにもなんねえと思うぜ、プリンセス」
「そうと決まれば善は急げじゃな。モタモタしておるとカゲツの連中に先に陣取られて城塞でも築かれるかもしれん。ここはワシに行かせてくれるか? 旭姫」
「いや、俺に行かせて欲しい。前任から代替わりして以降、全く我々が活躍出来ていない。そろそろ俺達にも手柄をくれないか? 女王」
「おやおや、大人気ですね、旭。ワタクシはリゾート計画に一枚も噛むつもりはありませんので、どうぞお好きに……」
「タンジンや、ここで恩を売っておいて保養地をあっし等が安く使えるようにしておいてはくれんかいね?」
「前言撤回です。ワタクシ達にも手伝わせなさい、旭」
7人の視線を……異世界傭兵団の七将軍が抱く希望や不安、懸念に打算、野望あるいは決意、そして期待を一手に受けて、旭は満足げに笑う。
「仕方のない奴等よ。では、荒地にしてしまった中ヒノモトを再興する為に保養地を建てる……という体で、一帯を神坐の所領とするか。先ずはお前の望みを聞き入れようぞ。行ってこい、バレンティン!」
「女王の御心のままに!」
彼女達の英雄譚は、まだ始まったばかりだ。
神坐より遥か西。
京安ともヒノモトとも呼ばれる人間の都の最奥、御所に座す女王……白鳥女王へと一通の文が届いた。
正真正銘、神坐の女王たる光旭から届いたその文には『女王陛下が折角くれた将軍の地位だが既に自身は東ヒノモトの神の坐す国の女王である為やっぱり返上する』と謂う内容と『中ヒノモトを平定し、その地の盟主たる菱川真仲を側女として娶って光真仲とした』と謂う事が書かれていた。
その文を回し読んだ貴族達は、
「此奴、恐れ多くも陛下から賜りし将軍の位を……何と恐れを知らぬ荒武者よ、光旭……! 陛下には申し訳御座いませぬが、わたくしは面白く利用し甲斐のある女子と見受けましたぞ?」
「然し野蛮な東夷どもは『平定』の言葉の意味も分からぬと見える。文字通り山をも崩して真っ平にする事を平定と言い張るとは……」
思い思いに不敵な言葉を紡ぐ。
「ほほほほほ! しかも女子が女子を娶ったと書いてあるが……まあ其れは昨今珍しい事でもないか。暁や、其方も男が好かぬというのなら、せめて妻を娶っては如何じゃ?」
貴族達の内一人に名前を呼ばれて、緑の髪を長く長く伸ばして床に垂らしている十二単を着た女が、疎ましげに表情を歪めた。
「余計なお世話に御座います。というかそれを言うなれば、貴方も側室に若い男ばかり娶るのをお止めになられては?」
「何を言うか! 麿は女子は正室一人と決めておるのじゃ! 然し我が一族と契りを結びたい者が都には山程おる故、妻と話し合い、男子ならば仕方なく許すと決めたのじゃ。人の気も知らず左様な言い方をするでないわ!」
「其方ら、よさぬか。我が前で醜く罵り合うでない」
低くはあるが張りのある、そして気取った風にも聞こえる、若い烏の様な女の声で、御簾の向こうにいる者……白鳥は、憤っているような事を言いながらも乾いた笑い声を上げた。
「然し陛下、斯様な真似を許していれば都の風紀が廃れます」
「既に我が都は鬼に荒らされてお前も知っての通りの有様よ。これより更に何が荒らされると謂うのだ?」
白鳥は己の問いに応える者がいない事に、思わず自嘲の笑い声を上げた。
「話を戻すか。して此度の一件、暁は如何様に見る?」
「真仲様が身の程知らずを思い知らされた……といった所では? 幾ら強く凛々しい真仲様であろうと、所詮は山育ちの野人。光家の血を引くヒノモト一の武士が相手では、力押しは罷り通らなかった……それだけの事に御座いましょう」
「そうよなあ。真仲はお前の話の半分も聞かず居眠りをしておったが、まともに聞いておけば良かったのやもしれぬなあ。この顛末はまさしく、真仲の帰っていった背にお前が吐き捨てた愚痴の通りであるからな?」
白鳥に褒められても暁は喜ぶ素振りも見せず、澄ました顔を崩さない。
「しかし、此れでヒノモトの武士の頂は旭様に決まったも同然となりました。漸く人でなし共をこの都から追い払う手筈が整いましたね」
「こうなる事を見越して、わざわざ真仲を旭と謂う事にしておいて良かったと謂うものよ」
「真仲様がしくじれば、初めから我等は旭様を認めていたと言い張れる……単純でありながら御見事に御座います、陛下。して……お呼びするのですか? 旭様を」
「否。奴は呼ばずとも此処へ至るぞ。カゲツを追うと謂う事は、左様になると謂う事よ」
「楽しみに御座いますね。二百年に渡って続いた、美しき桃色の髪の血統。其れを受け継ぐ末裔にして、遊び女に堕ちる破滅の運命を己が力と知略によって退けた女子……果たして、如何なる豪傑か、策士か。或いは遊び目として続いていた血筋なれば、きっと目を奪われる程に可憐な御方なのでしょうね」
期待に胸を膨らませる暁だったが、
「大方流れ者共が味方についておるが故の強さであろうよ」
「それを使いこなせるは才ある者であるからに御座いませぬか?」
白鳥は水を差して揶揄う。
「まあ、都の光家の連中よりはまともであって欲しいものよな。奴等ときたら我よりも都よりも……ともすれば人々すらも己等の為なれば滅ぼし兼ねん。この前も金の髪の娘を拾うて来たかと思えば『我等の嫡子とする』と言いだし、かと思えばあっという間に逃げられておった……忙しない奴等よ」
「金の髪の娘……? 光家に左様な方などおりましたでしょうか?」
首を傾げる暁の疑問に応えるかの如く、
「よお、女王サマ。相変わらずここはジメジメした奴等が集まってんな?」
赤い大鎧を着込んだ短い金の髪の娘が現れた。




