第十二話【雷葬】7
「ぐえ……っ!? 何だこれ、辛い……!?」
最愛の人が放ったその言葉が、やっと取り戻せた筈の理性を、勇気を、正気を、全て粉々に砕いてしまった。
「真仲、まさか毒でも飲まされて……真仲?」
彼女が思わず目を向けた先……『彼』の傍にいる尼僧は、愚者を蔑む目をこちらへ向けていた。
『心の離れた者は、唇を重ねても不味いと感じて拒むようになってゆく』
呪いに蝕まれ尽くして穢れきった身体では、心では、最早彼を愛する事は出来ない事を。
そして呪いによる渇きを『彼』の代わりに彼で満たす事は出来ないのだと。
そう、思い知らされた。
……己一人の覚悟や心の持ちよう如きでは、到底耐えられる苦しみではないと謂うのに。
「あ……嗚呼……」
彼女は絶望した。
もしも『彼』を失ってしまえば、事切れる最期の時まで和らぐ事すら唯の一度も許されない、己を焼き焦がして正気を引き裂く程の渇きの苦しみに囚われ続ける羽目と陥る事実に。
「あああああ……、あ、あは、あは……」
目の前の敵を斃せば、今まで追い求めていた全てが手に入る。
ヒノモトを統べる武士の頂の立場。
神に等しき都の女王より賜った将軍の地位。
幼き日に絶望の運命から救い出してくれた男との、多少の荒事はあれども温かで幸せな生涯……。
然しそれらを手に入れた代償として、それらを手にした幸福をまともに感ぜられなくなってしまう。
その、事実に。
「あは、あははは、あははははは……」
彼女は絶望し、
「お、おい……真仲?」
その悲惨な絶望から逃れる為に身体が勝手に動き始め、高巴の刀を奪い抜かせて、天に掲げさせた。
「へえ」
何処からともなく、間の抜けたような、或いは喜怒哀楽の類いの感情が失われた壊れた人間の上げるような、中年女性の返事が聞こえた直後、
真仲は木の枝のようなものを投げつけられ……、
「あはっ♥」
その場にいた全員が、光に包まれた。
全員の視界が戻ったそこには、かつての淡い空色……よりも更に鮮烈な空色、トキヤ達の世界の言葉で謂うところのシアンカラーの髪色になった真仲が、黒焦げになった高巴の刀を天に掲げて立っていた。
「な……何が、起きた……!?」
手勢が尽く焼け死んだ中、辛うじて雷落としを避けられた高巴は、何が起きたのかを理解出来ていない……否、理解したくない。
まさか真仲が己を、中ヒノモトの人々を裏切り、神坐に与する等と。
「トキヤ……私は今、全て分かった。私にはもう、こいつは……高巴はもう要らない」
「何言ってんだ真仲! 急にどうしちまったんだよ!?」
立ち上がった高巴は、その真意を確かめようと、トキヤの許へとふらふら歩き始めた真仲の肩に手を掛けたが、
「がはっ!?」
振り向いた真仲の一閃で腹を浅く斬られた。
「想い人も、この地も、全部要らない……幼い私を捨てておきながら、必要となれば勝手に拾い上げ……! 挙句利用するだけ利用しておいて! 私の偽者にも気付かず! 助けに来なかった奴等なんて! 全部要らない!」
真仲の鬼気迫る答えにトキヤは思わず竦み上がり、助けを求める様に円の方へと目を向けた。
「ひ、ひひひひ……! 私の推し測った通りだ……! 真仲様はもう、義兄上に与えられる快楽無しには生きられなくなっている……! それだけじゃない! 姉上の求める儘に、真仲様の心までもが義兄上の手に堕ちた……! こんな芸当、呪いじゃ到底出来ない、つまりは姉上は、姉上こそが……! 遂に私は見つけたんだ! ひゃははははは!」
円は……正気の沙汰ではない喜びに満ちた笑みを浮かべて高笑いを響かせた。
喋っている内容は全く理解の及ばないものであったが、その不気味な勝ち誇った笑い声で何とか状況を把握出来たトキヤは、真仲の方へと向き直って歩み寄り始める。
「教えてくれ、真仲。今までの地位も名誉も人生も、全部憎んで捨て去ったお前は、これから何の為に、どうする為に生きていきたい?」
その問い掛けに、真仲はトキヤに言われるまでもなく彼の許へと駆け寄りながら帷子を脱ぎ捨てて……その下に着込んだ藍色の夜伽直垂姿を露わにしながら、自らの身体を預けた。
「お前の側女でも、召人でも、奴婢でも……如何なる立場に貶められても構わない、私を執権殿の片腕に……トキヤの女にしてくれ♥ 私を愛さなくてもいい、旭様の序でだろうと構わない、唯お前にまぐわって貰いたい、お前に抱いて欲しい……お前に犯される悦びに、溺れさせてくれ……♥」
「俺の愛人になりたいんだな? だったら、真仲……俺が一番欲しいモノを差し出せ。俺の女になった証だ。出来るよな? 俺を本当に愛してるなら……!」
トキヤに問い掛けられながら、
「う゛っ♥ お゛っ……♥ ん゛お゛ぉ゛……っ♥」
彼の左手で掴まれた腰の先、右手が愛でるように撫で回して揉み込んでくる場所……その内側にある、トキヤが真に狙うモノを悟った真仲は、
「う゛っ♥ 産むっ♥ 分かったっ♥ お前の欲しいもの……お前と私の稚児を、そこで産む……っ♥ だからっ♥ お前の側女として、奴婢として……♥ お前が何処へ行くにも連れ回してくれ♥ いつ何時でも捌け口として使ってくれっ♥ そうすれば、いずれ、戦に出られない身体に成れるから……♥ お前の子を産んで、私が誰のものなのかを、人々に示してやるから……っ♥」
いとも容易く、己の人としての、女としての全てを差し出す事を約束してしまった。
「アハハハ……! さっきまで彼氏だった奴が目の前にいるのに、恥ずかしげもなく間男も同然な俺のガキを産みたがるなんて……悪い女になっちまったな、真仲……!」
「うっ、うるさいっ♥ お前が上手いからっ♥ お前が麗しいからっ♥ お前が激しいのに優しいからぁっ♥ だから今までの男の誰よりも良過ぎてっ♥ 全部塗り潰してしまったから悪いんだっ♥ 全部お前のせいだっ♥」
「そんなに火遊びが好きなら、もっとゾクゾクする事をやろうか。皆の見てる前で、俺の子を宿せ……!」
「あぁっ♥ そっ♥ そんなっ♥ 見られながらなんてっ♥ トキヤ♥ とき……ん゛お゛お゛お゛お゛お゛ぉ゛っ♥」
高巴は真仲の言った事が、今目の前でしている事が信じられず、唯々目耳を疑うばかりだった。
「何を、言っている……? 光トキヤ! 貴様、真仲に、何を、したんだ……!?」
斬られた腹を庇う様に蹲ったまま、トキヤに顔だけを向けて狼狽えるばかりの高巴に、
「哀れな若者よ、冥土の土産として教えてあげよう。君は、恋人に裏切られたのだよ。誰よりも、何よりも大切にして、信頼していた人に……用済みとして、文字通り斬り捨てられた」
緋色の直垂を着た男が現れ、律儀にも『正解』を与えた。
「ハハハッ、ざまあ無えな。テメエはプリンセスの名前を奪おうとした報いで、ガールフレンドを奪われ、テメエ自身の命も奪われたってワケだ」
次に現れた深緑の直垂を着た老翁が、因果応報だと言わんばかりに嘲った。
「諸行無常よのう。オヌシの粉骨砕身して築き上げてきた全ては今、たった一人の仲間の不義理で音を立てて崩れ去ったのじゃ」
藍色の直垂を身に纏う美しい男は、その美しさとは対照的な残酷な言葉を浴びせた。
「おやおや、ここまで罵られても真仲を恨めないのですか。これでは死体を呪具にする事も出来ませんね。生きていても死んでいても利用価値が無い、アナタは正真正銘の役立たずです」
青い狩衣の氷像が如き美しい男の放つ言葉は、まさにその見た目通りの心が凍てつくものだった。
「お前の犠牲は決して無駄にしない。我等神坐は中ヒノモトを手に入れて、必ずカゲツ傭兵団を滅ぼすと約束しよう。だから、死んでくれ」
黄色の直垂を着た青年は、言葉ばかりの哀れみを手向けた。
「しっかし、誰からも愛される素質を持った奴が、誰からもロクに愛されない堅物男に文字通りハメられて終わっちまったとはな。趣味の悪ィ芸術品だぜ」
黒の小袖袴姿の男が、独り言を明後日の方向へと放つ。
そして、最後に近付いてきたのは……。
「よっ、浮かねえ顔してんな。腹でも減ってんのか?」
白い直垂の男。
彼はいまいち要領の得ていない様な事を言いながら、
「ぐあああああ!」
突然、真仲に搔っ捌かれた高巴の腹に両手を突っ込み、中身を掻き回し始めた。
「何だ、一丁前にメシは食ってんじゃねえか。何食ったかまでは真っ赤で何が何だかだけどな」
のたうち回って悲鳴を上げる高巴を無視して、トキタロウは両手と自身の白い服を真っ赤に染めながらも彼を殴り、蹴りながら続ける。
「なあ、オレ達の事、ナメて掛かってたんだろ? 旭の事は陰気臭え女だって、オレの事はバカな男だって、オレの可愛い弟の事はチョロいガキだって、そうナメ腐ってやがったんだろ? けどよ……蓋開けてみたらどうだ? テメエの連れはそのチョロいガキにゾッコンになって、オレに腹ん中洗いざらい弄られて大喜びのテメエに見向きもしねえ有様だぜ? なあ、真仲」
トキタロウに名前を呼ばれた真仲は、トキヤに抱かれたまま、
「う、うるさいいぃっ♥ 知らないいぃっ♥ もうトキヤ以外どうでもいいっ♥ 私とぉっ♥ トキヤのぉっ♥ 邪魔を、するなああああぁ……♥」
とだけ返した。
「へへっ、アイツもうテメエに用は無えってよ。妬いちまうよなあ、あんな上玉の女にオレも惚れられてみてえもんだ。ま、阿婆擦れの尼が化けた偽者にも気付かねえテメエには、豚に真珠ってトコだったみてえだな?」
「あ、あの……ヒョンウ様、何か御二人には恨みつらみがあったのですか?」
自分が悪く言われているのにも拘らず、人が変わった様に高巴を踏み躙って愉しむトキタロウに恐怖を覚えてそれどころではなくなった円は、思わず彼といつも仲良さげなヒョンウに問い掛けた。
「無えよ」
暗い焔に当てられて異様な高揚感を宿したヒョンウは、唯じっとトキタロウを見守る。
彼のただならぬ感情を前に、黙したままの円の恐怖は畏れに変わっていった。
「さてと、まだ生きてやがんのか、しぶてえ野郎だな。おい旭、引導を渡してやってくれねえか?」
トキタロウに呼ばれて、兵達が左右に退いて作った道の先から姿を見せたのは、白い狩衣を着た桃色の髪の女。
「ひ……光、旭……!」
歩み来た光旭は、己の夫に弄ばれて大悦びで理性の無い雄叫びを上げ続ける真仲に一瞬汚いものを見るかの様な目を向けた後、絶望して虫の息の高巴を視界に収めた。
「高巴といったな。お前がわしの名前を売り込んで都の女王から将軍の位を賜ってくれた事、誠に忝い。一先ずは有難く頂戴して……」
「あ゛あ゛ぁ゛っ♥ 夕べ振りのっ♥ 昨日振りのトキヤっ♥ 今日も朝からずっと♥ ずっと欲しかったっ♥ 我慢してたんだああぁっ♥」
「……ええと、頂戴しておいてやろうぞ。して、我が盟友たる菱川真仲もこの通り」
「でもぉっ♥ もう我慢しないでいいんだよなっ!?♥ だってもうっ♥ 私はトキヤだけのものだから♥ トキヤ以外の誰のものでもないからぁっ♥ だから今日からはずっと♥ お前にっ♥ 甘えさせて貰えるんだよなあぁっ!?♥」
「……まあ、この通り執権をいたく気に入り、我が軍門に降ってくれた故お前が案ずる事は無い。これよりは……」
「う゛お゛ぉ゛っ♥ お゛ん゛っ♥ お゛ん゛っ♥ お゛ん゛っ♥ と、トキヤっ♥ 激しい゛ぃ゛っ♥ もう果ててるっ♥ 果てながら果ててるう゛う゛う゛ぅ゛っ♥」
「……これよりは中ヒノモトも我等神坐が安寧を齎してやろうぞ。おい! 加減しろトキヤ! 折角私が高巴に沙汰を言い渡してやっているのに!」
「わ、分かってるけど、なんか急に真仲が……」
「口吸いっ♥ 口吸いしながら一緒に果ててくれっ♥ 私のこの身に、お前の女となった証を注ぎ込んでっ♥ 私が執権光トキヤの女だと、誰の目にも明らかに示してくれぇっ♥ トキヤあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛♥」
「ちょっ、まなっ、うぎゅっ!?」
「……はぁ。先が思いやられるな。まあ安心せよ、殺しはせぬ。あれはわし等が小指の先まで余すことなく利用しきってやる故な?」
只管五月蠅い真仲をどうにかやり過ごして言いたい事を言いきった旭は、
「だが……貴様は許さぬ。我が盟友菱川真仲を誑かし、このわしの首を狙わせた大罪、決して許されるものではない!」
己の死を覚り、地面に顔を向けてその表情を見せない高巴の前で、己の刀を抜いて振り上げた。
「罪人よ、死を以て償うがよいわ!」
首が斬り飛ばされた。
「ほひょお゛ぉ゛っ!?♥ あ゛……っ♥ 熱い゛ぃ゛っ♥ トキヤの子っ♥ 孕むう゛う゛う゛う゛う゛……!♥」
真仲は身体をまだ温かい鮮血に、心をトキヤから流し込まれた快楽に、それぞれ染め上げられた。




