第十二話【雷葬】6
菱川真仲と神坐軍の小競り合いから1週間後、神坐国の女王である光旭は突如真仲からの和睦の勧めを受け入れた。
余りにも事が上手く運び過ぎている事に彼女の側近達は……特に高巴は警戒するよう強く訴えたが真仲は気にも留めず、1週間前にまさに小競り合いをした河川敷までのこのこと足を運んできた神坐軍を出迎えに行ったのであった。
が。
「……は?」
高巴は、目の前に見える光景へ、目を疑ったような声を漏らした。
先程まで己を先導していた真仲の見ている先にもう一人、灰色の帷子を着せられた真仲がいる。
だがそちらの真仲の髪は黒く、更には苦しげに俯いた様子で座らされていた。
「手筈通り、高巴様をお連れしました……義兄上」
目の前の真仲は真仲ではない声を発したかと思うと、その姿をぐにゃりと一気に歪め尼僧の姿へと変化して、
「義兄上……っ!」
座らせた真仲の背後に立つ、桃色の麻の葉紋様が描かれた灰色の直垂を着て、七色が散りばめられた鎧を身に纏う白髪の男……トキヤの許へと駆けていった。
「怪我は無いか、円」
トキヤの腕に抱かれて、尼僧……円はぽつりぽつり話し始める。
「酷い目に遭わされました……下手くそな癖に恋仲だからと四六時中身体を求めてきて……真昼間でも、叢の中でも、時も所も構わずに……! 故にずっと痛いし、疲れるしで……最悪でした……」
「めちゃくちゃボロクソ言うじゃん」
「人の話を聞かずにやめてと言ってもされ続けたら誰でも嫌になると思いますが?」
「アニキの『嫌よいやよも好きの内』って言葉がいよいよ信憑性無くなってきたな……それにしても、真仲が真仲ならその彼氏も彼氏か。絶倫同士だと上手くいってたんだろうな」
「ああ……という事は私が帰った後、義兄上も大変だったのでは?」
「冗談抜きで大変だった……真仲はやたらとメンツを気にするから、一々こっちから言い訳を考えてやらないと1人でなんとかしようとし始めて……昼も夜もなく騒ぎだすから、マジで手が付けられなかった。円が帰ってきてくれて、結構本気で有難いよ」
「後でもう一度調整し直して、上手く義兄上の手の内に収まるようにしておきます」
「いや、その必要も無い。結構俺も旭も頑張ったんだけど……この人の心は強過ぎた。ダメだったんだよ。だから一番最初の旭の計画通り、あっちを騙して裏切らせる事になったんだ」
トキヤの言葉に、円は一瞬真仲へと目をやって、もう一度向き直ると、
「いえ……果たして駄目であったのでしょうか?」
意味深な笑みを浮かべながら耳打ちした。
不安そうな表情を円に返すトキヤだったが、彼女は寧ろ自信満々で頷く。
円の言葉を信じきれないトキヤは一先ず旭の計画通り事を進める為に、高巴の方へと向き直った。
「久し振りですね、高巴さん……」
トキヤがその名を呼んだ直後、
「た、か……は……? 高巴っ、高巴ぁっ!」
「ぐあッ! ちょっ、ちょっと待て! 真仲! ……円、ホントに大丈夫なのか?」
「ふふ……っ、愚かな御人。身体で幾ら逃げたとしても、心はもう義兄上から逃れられないのに……!」
それまで俯いていただけの真仲が、突如目にも留まらぬ速さでトキヤを突き飛ばすと、彼の許から離れ、
「高巴……っ!」
「真仲……!? 真仲なんだよな!? ……分かった。大丈夫だ、後の事は俺が万事何とかする、だから帰ろう……!」
高巴に駆け寄り、抱きついた。
改めてトキヤと向き合った高巴は、今向き合うべき敵と認めた相手を睨みつける。
「はい。お察しの通り、ソレが本物の菱川真仲ですよ、高巴さん。でもとっくに壊れちまって、雷落としどころかまともに戦う事すら出来ない状態です。だから取引をしませんか? 中ヒノモトを俺達の所領として認めてくれるならこのままコイツを……円を貸し出します。使い物にならないソレもこっちで責任持って面倒見ときますよ。どうです? 悪くない話でしょう?」
トキヤの合理性を前面に押し出した問い掛けに、真仲は思わず元来た方へと振り向いた。
「ひ……っ♥ う、ぐ……ぅっ♥」
その男の顔が視界の片隅に入っただけで、真仲の心の臓は早鐘の様に鳴り、息が苦しくなり、汗が止まらなくなる。
まるで己の思いも心も全て無視して、身体が勝手に恋焦がれている様な悍ましい感覚に襲われる。
もう二度と戻りたくない。
昼も夜も無く骨の髄まで燻される様な熱さに苛まれて、
何処へ逃げても逃げきれず、己で慰めても焼け石に水。
挙句トキヤに見つかって抱き上げられるままに閨へ連れ込まれ、
遊女ですら着るのを憚る様な下品で淫猥な服を着せられて、
旭や円の邪魔が無ければずっと二人きり、
燃え上がって灰に成って終う様な快楽を、
久遠とも思える程の長き時の中で互いに貪り合う……。
「真仲、大丈夫か?」
「あ……」
白昼夢を見ていた真仲を現に引き戻したのは、己の最愛の人の呼び掛けだった。
「あいつの顔を一目見ただけなのに、なんて酷い汗だ……余程惨い目に遭わされたんだな。大丈夫だ、俺が忘れさせてやるから」
「……こんな私を、捨てないでくれるのか?」
いっそ捨てられた方が楽になれるのだろう。
身体を、心を、熱病染みた渇きに苛まれ続ける呪いに蝕まれて、晴れぬ苦しみを喰らいながら生き続けるよりは、トキヤの側女として、遊女として、奴婢として生きていった方が……。
そう思い、高巴の顔を見上げたが、
「ふざけるな! 例え何も出来なくなっちまっても、俺にとってこいつは此処にいる唯一人だけなんだよ!」
「高巴……!」
「バカな……そんな役立たずを抱え込む方を選ぶのか!? あんた程頭が良いなら、そんなの何の利益も無いって分かってるハズだ!」
高巴は、トキヤと真仲の想定を越えた答えを突き返してきた。
「俺達はてめえ等とは違うんだ。仲間と認めた奴でも用済みになったら殺して捨てちまうような、そんな人でなしの真似はしねえんだよ。どこから来たのかも分からねえ流れ者と、それに利用された哀れな遊女崩れがでっちあげたこんな国……俺達がぶっ潰す! 覚悟しやがれ!」
「潰すだと……? 俺達は転生者だ、少し数を揃えた程度で死なねえ相手に勝ち目があると思ってんのか? ……何が可笑しい?」
呆れ返るトキヤだったが……高巴から嗤われて、嫌な予感を覚えた。
「少し数を揃えた、か……てめえ等が相手すんのは今の俺達だけじゃねえ、ヒノモトの遍くの人々だ」
「ハ……? どういう事だ!?」
「あの後都の女王と話を進めてな、光旭を将軍に任じさせたんだ」
「え……っ!? 円! そんなの聞いてないぞ!?」
トキヤに詰め寄られた円は困惑しながらも弁明をし始めたが、
「え、ええ。別に姉上が将軍になっても、我等にとって不利になるどころか、寧ろ有利になる話ですから、義兄上に話す程の事ではないと……あっ」
己で話している途中に、重大な勘違いに己で気付いた。
「そうだよ、尼僧。今の俺達は真仲を光旭として扱うって取り決めをしてるだろ? つまり……真仲が号令を出せば、ヒノモトの人々は須く俺達に従う。俺達こそが正真正銘の人々の導き手になったって訳だ。神坐にもう大義は無えぞ。さあ、どうするよ執権殿?」
「どうして……俺達人類の目的はカゲツ傭兵団を滅ぼす事だろ! こんな人間同士で争うような事、何が目的で……!?」
「神坐は力を持ち過ぎたんだ。例えこの先俺達を無理矢理従えたところで、都の女王と内輪揉めになっちまうのは目に見えてる。だから俺達が一度真っ更にぶっ潰してやって、東ヒノモトを都の女王の権威を借りた俺達が従え直すって訳だ。人々が一丸となってカゲツと戦う為にな?」
高巴の仕掛けた王手にトキヤは焦りを隠せず、
「ヒノモトを救うのは真仲じゃない……! 都の女王でもない! 旭だ! 光旭なんだ! 人の使命を騙し取って掠め取るような真似しやがって!」
苦し紛れに吐き捨てるが、
「ほざけ、それでも俺達は大義を勝ち取ったんだ。狡くて惨たらしい上に人の心が分からねえ遊女崩れを担ぎ上げたのが、てめえ等の運の尽きだ。カゲツに捕えられた時、素直に見捨ててこいつに頭下げときゃ良かったんだよ」
高巴に完全に言い負かされてしまい、何も言い返せず、瞳と拳を震わせる事しか出来ない。
「真仲……助けに来るのが遅くなって、ごめんな」
高巴は哀れみ、労わる様に、自身を上目遣いに見て物欲しそうにしている真仲の顔を覗き込んだ。
「構わない……例え如何様な目に遭わされても、お前が必ず来てくれると信じていた。そして信じていた通りにお前は来てくれたのだから」
対する真仲も、幼馴染であり、恋仲である男の腕に抱かれて……抱かれているにも拘わらず、温かさも胸の高鳴りも感じない事を不気味に思いながらも、然し己の意志はまごう事なく彼を求めていた。
「私達は、トキヤ殿に……否、旭様に勝ったのだ。私こそが今、武士の頂に立ったのだ……!」
真仲は腹を括った。
トキヤに植え付けられた呪いによる苦しみを抱えて、それでも戦い続ける覚悟を決めた。
「ああ、お前の勝ちだ、真仲! 共にヒノモトを、俺達の手に……!」
高巴は彼女の決意に応える為に、
「あっ、それはお止めになられた方が……」
円の制止の言葉も聞かず、唇を重ねた。