第十二話【雷葬】4
神坐御所の一角。
埃を被った家具だらけの、物は良いのに質素な部屋の中で、女は己よりも背の低い男に覆い被さられていた。
「あなたは最低だ……! 今の私が、断れる立場ではない事を分かっていて! 正直、そんな人だとは、思っていなかった……」
魔力を封じられていても腕力で充分退けられる相手だったが、今の真仲は己自身が人質にされているも同然。
下手な事は何一つ出来ない。
「何とでも言って下さい。むしろそそられるってもんです。今はこんなにも気丈なあんたが、これからは俺なしじゃ生きられなくなっちまうんですから……!」
トキヤの言葉の意味が分からない真仲の前に、
「きゃははは……! これで真仲もわたしと同じ、執権様の奴隷になるのですね♥」
「旭様……? 頼む、助けてくれ! トキヤ殿が……え……っ?」
異様に下品な衣服を身に纏った旭が、その身を以て真仲の末路を示すが如く現れた。
「見てても構わないけど、途中で妬いて止めるなよ?」
「見ているだけの為に此処へ来た……わたしがそのように軟弱な考えでいるとでも?」
正気を欠いた瞳を細めて嗜虐的な笑みを浮かべながら、旭は真仲の後ろに回り込み、
「執権様……♥ この雌は身体つきも良く、背も高く、顔も麗しく、何とも澄ました心持ちをしていて……執権様好みな躾け甲斐のある、いけ好かない女ですね……♥」
彼女の身体を弄ぶ。
「や……やめて、くれ、旭様……何と酷い格好を……トキヤ殿か……あなたが旭様に! 何かしたのか!」
旭に身体をまさぐられながらも、真仲はトキヤを睨みつけて問い質したが、
「真仲様。色病みの呪い、と謂うものをご存じですか?」
答えを返したのは、新たに姿を現した尼僧だった。
「あれ、円……? あっちを離れて大丈夫なのか?」
「御二人だけに任せていては真仲様を壊してしまいそうな気がしたので、良子に頼んで少しの間だけ代わって貰っている次第です。間に合って良かった」
澄ました顔で円と呼ばれた尼僧は、己の懸念通りトキヤと旭が二人掛かりで真仲を滅茶苦茶に辱めようとしていたのを寸前で止められた事に、少しばかりの安堵の溜め息をついた。
「壊す等と人聞きの悪い、わしは左様に考え無しではないわ」
「考え無しでないならこれから真仲様を堕とすだけの話なのに、何故姉上が左様な格好でここにおられるのですか?」
「この女は見栄えばかりで中身は小狡い野良犬故な。見張っておかねばトキヤがうっかり騙されて逃がしてしまうのではないかと思うたのだ」
旭の尤もな説明を聞いても円は首を横に振った。
「それは嘘に御座いましょう。本当は、義兄上が真仲様を手籠めとする事に妬かれたからなのではありませぬか? 全く……心配せずとも義兄上が好いておられるのは姉上だけに御座います。故にこそです。姉上に見惚れてしまった義兄上が真仲様に集中出来なくなっては、如何いたします?」
旭の軽率な言動を自覚させる為に冗談を言った円だったが、
「ふふっ、まあ確かに? トキヤがこの魅力を前に真仲を放ってわしに夢中になってしまうやもしれぬなあ? それは困った話だが……左様な事となっても、わたしのついでとして真仲を愛でて下されば良いので御座います。ね? 執権様……♥」
「はあ……姉上、そういうところですよ……」
その意図は旭には欠片も伝わっていないようだった。
「お前も一緒に可愛がって欲しかったなら、最初から素直にそう言えよ」
「あはっ……♥ 執権様ぁっ♥ 真仲も大事ですけどぉ……わたしも、愛して下さいませ♥」
目の前で仲睦まじく口付けを交わし、舌を絡め合う2人を前にして、
「あの旭様が、斯様な、淫売の遊女の如き有様に……円とやら、これが色病みの呪いのせいだと謂うのか……!?」
真仲は唯々恐怖する事しか出来ない。
そして改めてトキヤの顔を覗き込んだ彼女は、何かを一人で勝手に納得した様子で続けた。
「更には、同じようにトキヤ殿も呪いによって操られているのだな……大元の出処である、貴様によって」
「「「えっ?」」」
真仲の明後日の方向への理解に、旭とトキヤと円は思わず間抜けな声を上げた。
「確か、神坐は近頃怪しげな呪い師を都から引き入れたとは聞いていた……何やら、己を匿っていた寺の坊主達を相手に人でなしも同然の極悪非道な呪いを様々に試していた事が明らかとなって都から追い出されたが、何も知らぬ神坐の者を誑かして潜り込んだ、と……成程。左様に危険な、即ちは強力な呪い師となれば、呪いが効かぬ筈の流れ者を操るのも容易いか」
続いて真仲の口から放たれた不穏な情報に、
「……円? 今、真仲さんが言った話は、ホントなのか?」
トキヤは真仲どころではなくなっていた。
「とんでもない! 誓って義兄上を操ってなどおりません!」
「いやそりゃ自分の事だから分かってんだよ。そっちじゃなくて、寺でヤバい実験してたって方」
「……その、少し腕脚が増えてしまい、生えた時の痛みに耐えられず死んだり、眠りながら踊り続けた挙句目が覚めないまま死んだり、勝手に燃え上がって死んだりした者はいましたね。然し! 皆初めに手伝ってくれる事を約束してくれていたので、誰かを無理矢理そのようにした事は、誓って決してありません!」
トキヤと真仲と旭は、3人同時にじりじりと部屋の奥へと動いて円から距離を置いた。
「取り敢えずだな、円よ。わしは真仲を味方に引き入れたいのだ。故に燃やしたり手足を増やしたりするでないぞ」
「しません! というか何故そうせねばならぬのです!?」
「お前がそうしたくなくてもそうなりそうだから言っておるのだ! 軽い気持ちで無闇矢鱈に人に呪いを掛けるな!」
「酷いです姉上! 私だって細心の注意を払っております!」
「2人ともやめてくれよ、何で真仲さんそっちのけで喧嘩すんだよ……真仲さん、また今度にしますから、逃げないで下さいね」
「いや逃げるが。私には心に決めた人がいるとあなたには言っていたと思うのだが……ひょっとして忘れてしまっていたのかな? だったら、まともな人として当たり前の頼みだとは思うのだが、こんな事はもう二度と……」
「高巴様の事ですか?」
真仲の言葉に対して、円は湿度の高い笑みを浮かべた。
「あのお方……酷くないですか? 陣中に戻るなり、私を木陰に連れて行って……服も着たままで……」
「え……嘘だろ円、お前、あの男に……」
顔を青ざめるトキヤだったが、
「貴様! あいつに抱かれたのか!?」
「あの、真仲さん、あの……俺も聞きたいんだけど」
それに被せて真仲が凄まじい剣幕で円を怒鳴りつけた事で、ショックを受けていた感情が有耶無耶になってしまった。
「ええ。だって、今は私が菱川真仲ですから。でも高巴様は……義兄上と違って大きいだけで下手くそですね。終始不快で痛いだけでした」
素っ気なく答えた円から謎の安心を得て胸を撫で下ろしたトキヤと、対照的に呆然とする真仲。
円は真仲を鼻で笑いながら、頭巾以外の衣服を脱ぎ捨てると、
「だから、義兄上……獣に汚された私を、義兄上の愛で清めてくださいませ♥ そして、真仲様にも動物の交わり等でない、まことの女の悦びと謂うものを教えてあげてください」
トキヤの不安を完全に拭い去る様に、彼の背にじっとりと抱きついた。
「なあ……その、高巴さんと、ナマでシたんだったら、やっぱり、その……」
「御安心を義兄上。避妊の魔術を使っていたので面倒な事にはなりませぬ。ですからぁ……♥ 私のこの身体が宿すのは、義兄上の御子だけに御座います♥」
円は口で息をして顔を赤らめ、淫靡に微笑みながら腰をトキヤに押し付けて、身体で以て示してみせたが、
「何でピンポイントで妊娠とか言い出した?」
「え゛? ……えーと、あはは、普通の男性はそう言われると、嬉しいのでは?」
「いやシャウカットとかは逆に避妊とかメチャクチャ気にするけど……まさか!」
トキヤは流石に疑問が勝って、旭に疑念の目を向けた。
「私が教えたのだ。トキヤは『お前の子を産んでやる』と約束してやったら理性が吹き飛ぶ勢いで大喜びする、とな。現に口では訝しんでおるが、そっちは嬉しそうにしているではないか」
悪気無く答えた旭に、トキヤは俯いて眉間を指で押さえた。
「いや、あの……旭? そういうのは恥ずかしいから、あんまり言いふらさないで欲しいなー」
異世界ヒノモトの現地人の性に対する理解不能なあけすけさに呆れながらも旭に常識を説くトキヤだったが、
「そうなのか? だいぶ前にジョンヒから教えられた故、仲間内では有名な話なのかと思っていたが……」
「アイツ! ぶっ殺してやる!」
常識が無いのは転生者の方だった。
「ま……まさか私にも仕込もうというのか!? まだ高巴にも許してないんだぞ!?」
一連の話から漸く真仲も危機感を抱いたが、
「へえ……それは嬉しい話ですね。真仲さんの初めてが俺じゃないのが悔しくて仕方なかったんですけど、そっちの初めてはこれから俺が貰えるんだ……!」
「後生だ、やめてくれ……私はこれからも、何度でも戦さ場に赴かねばならない。故に身重になる訳にはいかぬのだ、頼む! それ以外の事は何でもしてやるから!」
口に出した言葉は焼け石に水どころか火に油となってしまった。
「嫌です。真仲さんには、絶対に俺の子を産んで貰います。別にあんたを手に入れる手段なんて他に幾らでもありますけど、手っ取り早いのはやっぱり既成事実ですからね? あんたと神坐の人間とのあいだに子供が出来れば、そう簡単には外野が入り込めなくなる。合理的だと思いませんか? だからこれは俺の性癖が歪んでるとかそういう話じゃないからな! 分かったかお前等!」
「いえ、姉上が奴婢を名乗りたがるのと同じようなものかと」
「文句は後から幾らでも聞いてやるから! 円! そう言わず手伝ってくれ! な!?」
「……仕方がないですね、義兄上。さて、真仲様……もうお分かりでしょう? あなた様に逃げ場はありません。私の呪いと、義兄上の身体によって、あなた様は高巴様を自らの意思でお捨てになられて義兄上の……いえ、姉上の手に堕ちる事となるのです。遺言があるなら聞かせて下さいな。正気の菱川真仲様の、最期の言葉を……!」
嗜虐的な笑みを浮かべる円。
「私のこの想いは、心は誰にも踏み荒らさせはしない……例えお前達にどれだけ辱められようと、必ずや生きて高巴の許へと戻るのだ……!」
対する真仲は悲壮な覚悟の言葉を返したが、
「あははは! この期に及んで、絞り出した言葉はそれ? 何処までも底の浅い女ね、菱川真仲……!」
旭は一笑に伏した。
「真仲さん……俺、今は他の男の名前を聞きたくなかったです」
トキヤは無理矢理会話を締め括ると、
「トキヤ殿……! やめてくれ、正気に、戻ってくれ……! うっ、ああああぁ……!」
真仲を奪った。




