第二話【誰が為に狼煙は上がる】1
前回までのあらすじ
異世界ヒノモトで傭兵団の参謀を務める転生者の青年、キタノトキヤ。
彼の破天荒な兄貴分にしてキタノ傭兵団の団長キタノトキタロウは、200年前に都を追われた武家の末裔である光旭を担ぎ上げ、人間に圧政を強いる亜人達の傭兵団、カゲツ傭兵団を滅ぼすべく挙兵を決意する。
「カゲツ傭兵団を滅ぼすのだ! ……この世を亜人共から、取り戻す為にな」
この異世界の天と地をひっくり返すような大それた事を言い放った、桃色の髪の女……光旭。
啖呵を切ってトキヤを圧する彼女の威勢に、思わずトキタロウは満面の笑みを浮かべ、ヒョンウも満足げに微笑む。
「そういう事。あたし等も味方になってあげるから、トキヤ、アンタも大船に乗ったつもりで……」
「滅ぼす? どうやって?」
ジョンヒが肩に置いてきた腕を払い除けて、トキヤは旭に問う。
「カゲツ傭兵団と戦う、あなたはさも簡単そうに言いますけど、まさか戦う相手がカゲツだけで済むとは思ってないでしょうね?」
「トキタロウは言っていたぞ、カゲツの圧政を前に転生者達も苦しんでおると。故に、わしの挙兵の話に乗らぬ者はいない……と……」
見通しの甘さに気付いたのか、或いはトキタロウの言葉を否定する相手がまさに目の前にいる事に気付いたのか。
旭は、一歩後ろに退いた。
「例えば……イタミ傭兵団。カゲツと良好な関係を築いている現状、俺達に味方する理由が無いですよ」
旭が退いた分、トキヤが進む。
「百歩譲って、仮に転生者が全員味方になったとしましょう。この辺の直ぐ東には妖精の国『月夜見』があって、あの国の王はカゲツの傀儡です。まず味方にはならないでしょう」
「そ、そんな事、トキタロウは教えては……おい!」
怒鳴られたトキタロウは他所へ顔を向けた。
「そもそも、あなたは目代と縁談の話があるらしいじゃないですか。こんな面倒で迷惑な事をするくらいなら、とっととあの猫野郎にでも嫁いだ方が楽な暮らしが出来ると思いますよ」
壁際まで追い詰められた旭は、トキヤの目をじっと覗き込む。
光の無い目で、何かを求め訴えるように。
「……お前、お前は、それでよいのか?」
震えた声で問う愚か者に、トキヤは冷淡な眼差しを向ける。
「このまま、人としての誇りも無く、亜人どもに足蹴にされて……わしもあの不躾な猫に辱められて、希み無き暮らしを未来永劫続ける……お前はそれで良いのか?」
あまりに呆れて、トキヤは溜め息しか出ない。
「あのな……そう、あなただけじゃない。アニキも、サエグサの団長さんも、それからジョンヒもだ」
トキヤの答えは、決まりきっていた。
「誇りでメシは食えねえんだよ」
何か言おうとしたヒョンウとジョンヒだったが、トキタロウの腕を前に言葉を紡ぐのを止めた。
「サエグサの団長さん、あんただってそうだろ? 金を積まれて誰かの背中を刺してメシ食ってる。アニキもそうだ、都で仕入れてきたワケ分かんねえモン売り捌いてウチの生計の足しにしてる」
ヒョンウ、トキタロウにそれぞれ詰め寄って回ったトキヤは、改めて旭に向き直り、現実を突き付ける。
「俺達は全員そういう奴等です。あなたが頼ったアニキだって、顔が良い女の頼み事は何でも聞いちまうってだけなんですよ。あなたの崇高な理念に見合った奴はここには居ません。だから、さっさとその不躾な猫とやらに嫁いで行ってください」
……旭は、何も答えなかった。
唯々脚の力が抜けて、壁に凭れ掛かりながらずるずると崩れ落ちていった。
「そういう訳だからアニキ、この人は今晩にでも目代さんに返品してきてくれ。その間にイタミの人が来たら俺が話をつけとくから」
「ちょっ、ちょっと待てよトキヤ……」
「それと!」
有無を言わさずトキタロウと目を合わせ、その顔を睨みつけてトキヤは言い捨てる。
「アニキの際限無いお人好しは、もうこの辺で終わりにしてくれ」
そして「だ、大丈夫だからね旭ちゃん。アイツはスケールの大きい話にビビってるだけで……」「弟と話がついたらまた呼んでくれよ。じゃあな」「待ってくれよトキヤ! 頼む、話を聞いてくれぇー!」そんな事を口々に喋る往生際の悪い奴等を全て無視して、トキヤは自室に向かって廊下を歩き始めた。
……トキヤが見えなくなったのを見計らって、旭は何事もなかったかのように立ち上がる。
「えっ」
先ほどまでの様子が全て嘘っぱちであったような……あまりにもトキヤの言葉が何も堪えていなかったかのような振る舞いに、ジョンヒは思わず間抜けな声が漏れた。
「どうするよ? 姫様。っていうかまあ、答えは決まりきっただろ」
トキタロウの肩を抱いて、ヒョンウは彼を顎で差し示した。
「旭、ここはオレに任せてくれ。トキヤはオレが頼み込んだら、きっと認めてくれる筈……」
「お前の見通しの甘さはさっき充分教えられたわ!」
「いや、大丈夫なんだって! 信じてくれよ!」
「別にお前を信じぬとは言っておらぬ。そうではない」
腕を組み、トキタロウへ不気味な笑みを向けながら旭は言い渡した。
「トキタロウ……先に謝っておく。わしはトキヤが、どうしても欲しくなった」
「嫌だあああ! やめろおおおおお!」
女の叫び声で叩き起こされた。
慌てて着の身着のまま刀を手に声の方へと急ぎ、
「どうした!?」
そう叫んだ彼が見たものは。
「よ、よお、トキヤ」
「へ? アニキ……?」
トキタロウに服を脱がされかけていた旭だった。
「トキヤ!」「えっ」
旭に抱きつかれて困惑するトキヤだったが、だんだんと眠気も覚めてきて、状況を把握し始める。
「アニキ……またやったな?」
「今回は嫌よ嫌よも好きの内って感じかと思ったんだけどな」
お得意の苦笑いを浮かべるトキタロウに、ここ最近で一番の冷ややかな目をトキヤは向けた。
「アニキのそういうとこ、マジで俺は大嫌いだよ。っていうかさ、目代さんとこに連れてけって俺言ったよな?」
「嫌いなんて言わないでくれよぉー、お前に嫌われたら、オレ生きていけねえよぉー」
旭の後ろから縋りつこうとするトキタロウだったが、トキヤは旭の身体ごと一歩引いて避けた。
「話逸らすな。どうして、まだ、この人が、ここにいるんだ?」
トキタロウに問いながら、抱きついてきた旭を引き離そうとしたトキヤだったが……彼女は離れようとしない。
「あの……旭さん……?」
助けてくれ、とトキタロウへ視線を向けるが、彼は苦笑いしながら手を合わせてくるだけだった。
「ハァ……あの、逆に聞きたいんですけど、なんであなたが挙兵しなきゃいけないんですか? 別にあなたじゃない誰かが挙兵ぐらいするんじゃないですか?」
素直な疑問を口にして、トキヤは旭の方へ顔を向けた。
……何かを言いたげでありながら、その勇気が無いような顔がこちらを覗き込んでいた。
「分かりました。じゃあこうしましょう。あなたを目代さんに引き渡さない」
「本当だな!? 本当にわしを匿ってくれるのだな……!?」
「まだ話の途中です最後まで聞いてください! で、匿うまでは約束しますけど、挙兵を認めるかどうかはこれからあなたが俺に話す内容次第です。俺が納得出来る理由があるなら俺も仲間になりますし、とても認められないような話であれば俺はアニキと差し違えてでも止めます。俺が妥協出来るのはここまでだ、分かったかアニキ!」
トキヤは身を乗り出して襟首を掴んでくる旭から必死に首を他所へ向けて、トキタロウを睨みつける。
トキタロウは「しゃーねえなあー」と間の抜けた返事を返して「それじゃあ旭、後は任せたぜー。オレはちょっくら外の空気吸ってくるわ」そう言い逃げして部屋を去った。
後に残されたトキヤと旭。
二人は、じっと互いの目を見つめ合い……「ト、トキヤ、どうした? わしの顔に何か付いておるのか?」耐えられなくなったのは旭の方だった。
「どうした……って、話してくれないなら死ぬまでこの屋敷に閉じ込めときますけど」
「ああいや、それは困る……そうだな、そう……話……」
むにゃむにゃとそんな事を呟きながら旭はトキヤから手を離そうとしたり……やっぱりやめたり、かと思えばもっと距離を縮めたりしつつ、最終的には「分かった、お前には隠し事をせず全てを……トキタロウにも話していなかった事を、伝えたい」そう言って、トキヤに視線で座るように促し、自身も座ると、
「えっ……、あ、あの」
トキヤの胸に自身の頭を預け、腰に腕を回した。
「……トキヤよ。お前の思慮深さ、義理堅さを見込んで、わしは……否、私は今から、お前にだけこの話をする。それを肝に銘じよ」
それまでの肩を張ったような話し方をやめて、旭は静かに語り始める。
「これは、私達『光家』の二百年に渡る悲劇の歴史だ」