第十二話【雷葬】1
無言河原。
中ヒノモトの菱川真仲が拠点とする人不知森の西側に横たわるこの無言川は、古来よりふと目を向ければ物言わぬ骸の転がっていると例えられる程に戦さ場となる事が絶えなかったのが名前の由来とされている。
今、その東と西に分かれて陣を張る2つの軍勢があった。
ここは今までそのような事があれば、大抵は人と亜人が争う為であったのだが……。
「おいタンジン、いつまで俺達は睨み合いをしてたらいいんだ?」
迷彩柄の大鎧を深緑の直垂の上から着けた金髪の老翁……ヤマモト傭兵団を率いるジョージは戦をやるのかやらないのか決まりきらない現在の状況に苛立っていた。
「そうは言われましても……相手の間者がなかなかの手練れでして。探りに行かせた良子が斬りつけられる大怪我を負って帰ってきたものですから、敵の内情を把握出来ていないのですよ」
困った様子でありながらも優雅に扇子で自身を扇ぐ、青い大鎧を同じく青い狩衣の上から纏う長い黒髪の妖しく美しい男……イタミ傭兵団の団長タンジンは、
「なので、ここはアナタの考えを聞きたい。さあ、普段黙って欲しい時に限って壊れたテープレコーダーの如くペラペラと喋り続けるのですから、今回ばかりは素直に聞かせてご覧なさい」
ぴしゃりと閉じた扇子の先を、今まさに沈思黙考している白い胴丸姿の桃色の髪の青年……光正義へと向けた。
「言うまでもなく、手筈通り義兄上が着いてから攻め込むべきでしょう」
「その心は?」
「我等はどう足掻こうと、最初は真仲様の軍と真正面から戦わなければならない。ですが、相手は中ヒノモトの豪族達に加えて都の女王の私兵も加わった一大武士団。その数、ざっと数えて十万は間違いなく揃えております。
一方の我々は三万しか揃えられておりませんので、無策の戦をすれば幾ら死せぬ流れ者の軍勢たるサカガミ傭兵団を擁する我等神坐軍とはいえ、勝ち目が有るかは甚だ怪しいと考えます。
かといって、搦め手での勝ち目が狙いに行けるかといえば、その実全くその目も無い。例えばわたくしが向かったとして、タンジン殿の側近中の側近であり、わたくしに肉薄する身体捌きを誇るあの良子を下した腕利きの間者……高巴殿が相手にいる以上、恐らく生きて帰る事は適わない。
何より高巴殿は真仲様と恋仲であるともお聞きしております。金よりも、血の繋がりよりも、何よりも厄介なものは色恋の情が故の忠誠である事は我等が義兄上が証。その者がいる限りは、わたくしどころか、ともすればカゲツが押し入ろうとも真仲様の小指に斬り傷を付ける事すら出来ないしょう。つまるところ、始まる前までは他愛のない相手と断じていた者が殆どでしたが、此度の相手は戦の常道、外道、いずれにおいても守りを崩す事は、不可能です。……高巴殿は、敵に回すべきでない相手であったのやもしれませぬ」
冷静に今の状況を分析し、タンジンとジョージに伝える正義。
「成程な。でもよ、そんなんだったらあのキタノの参謀一人来たところで何が出来るってんだ?」
間髪入れず問い掛けてきたジョージに、正義は珍しくやや邪悪さを滲ませた微笑みを浮かべる。
「真仲様と高巴殿の心の誓いに罅を入れる事が出来るのです。
といっても、別段義兄上は真仲様が二心を抱くほど慕われている訳ではありません。ですが、真仲様は義兄上に利用価値があり、上手く騙す事で自分達の利益を誘導出来ると考えて、敢えて気があるように振舞われている。それを逆に我等が利用するのです。
義兄上には心苦しい事かもしれませぬが、姉上よりも真仲様の方を女として好いているような言動をさせて、真仲様がそれに応えざるを得ない状況を作り出します。義兄上の張った罠を姉上の仕組んだ事と思い込んで都に押し入った真仲様です、複雑な損得勘定は苦手でしょうから、適当な事を言いながら義兄上の心を揺さぶろうとするでしょう……高巴殿の気持ちも考えずに。
そして、高巴殿が真仲様に呆れ返って目を離すであろうその一瞬を突いて、円に変身の呪いを掛けさせ、円と真仲様をすり替わらせれば、後は姉上の掌の上に御座います。あらゆる手を尽くして真仲様を心変わりさせ、高巴殿との仲を引き裂き、この地を手にするのでしょう」
長々と語り終えた正義に、
「彼氏持ちを略奪するなんてマトモな良識のある人間のやる事じゃねえよ。マジでプリンセスはどうかしてやがる」
苦言を呈するジョージ。
「ええ。正直なところ、わたくしも……姉上は戦を避けたい他にも思惑があるように思えてならないです。言うのも憚られますが、きっと姉上が最もやりたい事、それは……強く麗しき真仲様を、御自身と同じ色病みに貶めて、辱める事なのではないかと」
ジョージの意見を受けて真剣に考えを巡らせる正義だったが、
「そりゃ分かってんだよ。分かっててどうかしてるって話をしてんだ」
「まあ良いではありませんか。どのみち最終的に中ヒノモトが真仲諸共に丸々神坐のモノとなるであれば、戦力の勘定としてはこれ以上なく嬉しい話でしょう」
「あの、方々、姉上や兵の話ではなく、せめて真仲様の話をしませぬか……?」
やはりあまり噛み合っていない様子だ。
正義達が真仲と睨み合っているのと同じ頃。
神坐の御所では『増援』が出立の時を迎えていた。
「何度でも言うぞ、トキヤ。如何なる事があろうと菱川真仲を殺さず生け捕りにするのだ」
「ああ、分かってる」
あまり乗り気ではない様子のトキヤを奮い立たせようと旭は叱咤するが、当のトキヤには響いていないようだ。
そんなトキヤの素振りを見た円は痺れを切らし、
「御心配なく、姉上。義兄上の事は、しっかりと!」
「ちょっ、おいやめろ円……!」
彼の腕を抱き寄せて、
「私が見張っておきます!」
旭の目を見て頷くが、対する旭は円の言動全てに首を傾げていた。
「成程な……此度はわしの代わりとなって真仲と入れ替わる大役を任せるが、そうするにあたっては……」
そして円に歩み寄ると、その肩を掴み、
「未だその身に残している色病みの呪いを早う解け。隠し通せているつもりやもしれぬが、お前先程トキタロウを避けておっただろ。ジョンヒ曰く男好きのお前が左様になるのは可笑しくはないか?」
円を脅す。
旭に問い質された円はというと、顔を真っ青にして冷や汗をかいたり、かと思えばトキヤに目を向けるなり顔を赤らめ誤魔化し笑いをし始めたりと目まぐるしく表情を変えた挙句、
「あ、義兄上が、その、上手過ぎるのが、悪いと、思います……♥ あんな事を言われながら、朝から晩までずっとされ続けたら……呪いを、解きたくなくなってしまいます……♥」
しどろもどろに言い訳になっていない言い訳をし始めた。
「何をしておるのだ!? お前が左様な為体では困るのだが!?」
「で、でも姉上ばかりずるいです! 私だって……!」
「わしはお前程分別のつかぬ有様ではないわ!」
「やめろよ2人とも、しばらく顔合わせないのに喧嘩別れは良くないって」
「お前は隙あらば他の女の肩を待とうとするな!」
「いや、他の女って……実の妹だろ!? お前の!」
そうして遂に、収拾のつかない醜い争いが始まってしまった。
「最近の2人はしっかりと意見の違いを確かめ合えているね。良い傾向じゃないか」
ガニザニがしみじみと高みの見物を決め込む中、
「いや、人間不信の奴に理詰めで論破は最悪じゃろ。全く……旭姫ー! ワシは其方の味方じゃぞー!」
チランジーヴィは旭に寄り添おうとして、
「今はお前と話をしておらぬわ! 引っ込んどれ!」
「なんでじゃー!」
門前払いを喰らう中、
「女王、こんな事をしている時間は無い筈だ。こうしている間にも前線の仲間が苦戦を強いられているかもしれない」
敢えて俯瞰しきった立場からバレンティンは窘め、
「ああそうだな! 分かったわかった! わしが全て悪いのだろう!? もうよいわ! 円! 色惚けして仕損じるなよ!」
「姉上に言われずとも致しませぬ! さあ行きましょう義兄上! こんな分からず屋で自分のことは棚に上げっぱなしの姉上には付き合ってられません!」
「今はもう時間ねえからここで終わらせっけどよ! 帰ったらしっかり! 話し合おうぜ!? なあ! 2人とも!」
結果それが功を奏して、3人はバラバラの方向へ怒りながら歩き去って行った。
……が、
「おい! そこは喧嘩別れするな! 円! トキヤ! しっかり互いの面倒を見ろ!」
慌てて旭は戻ってきて2人に冷静になるよう叱責した。
……それから数日。
少ない手勢でありながらもトキヤの死に戻りの能力もあって、2人は無事に無言河原の神坐側の陣に辿り着いた。
「義兄上! 円! ご無事で何よりです!」
「いや大袈裟だろ、この辺までは道も整備されてるし……」
「とはいえ何度か野盗には襲われましたので。兄上もお元気そうで何よりです」
そう言って円は今までしていたように正義の手を握りに行こうとしたが…….途中でやめてしまった。
「今日はいいのか?」
「えーと、その……私がいつまでも節操無しでは、その、皆をやきもきさせて良くないのではないかな、と……」
しれっと誤魔化そうとした円は、
「そうか。要らぬ気を使わせてしまったな」
何も気付かなかったような答えを返した正義を前に、
「い、いえ! お気になさらず! それより、こちら手筈の整った義兄上です、ご自由にお使い下さいませ、兄上」
話題を変えようと、自信満々にトキヤを示して見せた。
「ああ。円の作った呪いの人形の中だとそこそこの佳作のつもりだ、役に立ててくれ」
自身への雑な扱いに、トキヤは若干の反感を込めて円のノリに乗っかる。
「もう、義兄上、冗談ですよ。左様に機嫌を損ねないでください」
真面目なトキヤから珍しく意地悪を言われて舞い上がった心持ちで喜んでいる円を横目に、
「義兄上、円の事も邪険にせず面倒を見てくださっているようですね。兄としては嬉しく思っております。が……」
不意に正義は、トキヤに感謝を示すような口振りで彼に近付くと、
「どうやら円まで義兄上の虜となっているようですが……義兄上、光家を丸ごと手籠めにせんと企んでおられる事については何も咎めませぬ。我等は東ヒノモトに地盤が無く、義兄上達に頼る他ありませぬ故。然し……わたくしを男であるからと、仲間外れにする事。それはいただけませぬ。どうか、姉上や円と同じ様に、この義弟めも可愛がって下さりませ」
わざとらしく旭を真似たような憂いを帯びた不機嫌そうな顔でトキヤの袖を掴んで見せた。
「いや、俺は男は……」
そう言いかけたトキヤだったが……。
「俺は……男は……」
「この戦が終われば、わたくしとも夜を明かしましょう。ね? 義兄上……!」
何か今までとは様子の違う正義の放つ異様な色気を前に、目を回していた。
「兄上!? 何を仰っているのですか!? 兄上は男性でありましょう!?」
慌てて円が間に割って入った事で何とか正気を取り戻したトキヤだったが、
「男が男から寵愛を受けて何が悪いというのだ! わたくしだって義兄上と懇ろになりたい! お前達ばかりずるいぞ!」
構う事なく正義はトキヤを後ろから抱き締めながら円に冗談めかして文句を言い続ける。
「なっ……!? そっ……! だ、駄目です! 兎に角駄目なものは駄目です! 義兄上も何とか言ってください!」
「正直俺は旭以外どうでもいい……」
「私は嫌です! だって、ただでさえ姉上は義兄上との時間を目一杯取るのに、ここに兄上まで入ってきたら、私の番が……! 義兄上ぇ……!」
三者三様に身勝手な意見をぶつけている所へ、
「皆様方! 痴話喧嘩はその辺にしなさいな! トキヤ、早く着替えなさい。アナタの為に新しい鎧を誂えておきましたので、是非ともその身に纏っていただきたいのです」
痺れを切らせたタンジンがやってきて、トキヤの背中を押してゆく。
「あっ、ご、ごめん! また後でな、円、正義!」
「円、アナタの為の装備は良子が用意していますので、どうぞそちらへ。良子!」
「へえ。それじゃあ、あっしと来て下せえ、円様」「あっはい……あの、背中から血の匂いがしますが……」「タンジンは人使いが荒えんですわ。いっつも何かあったら怪我してても病気しててもあっしを頼ってきて。困っちまうったらありゃしねえですよー」
そのままトキヤは円と別れ、
「御二方、お気をつけてー! ……さてと。それじゃあおれも駄目元で搦手の手筈を整えるかな」
何か自棄っぽい雰囲気を漂わせた正義を置いてその場を後にした。




