第十一話【奈落の果て】7
更に時は過ぎて、その日の夜。
「この部屋だったよな……居るか?」
部屋の障子を開いた者の声に、
「あ、義兄上……!? こんな夜更けに、一体……」
円は困惑したような、然しどこか喜びを馴染ませた声色で彼を迎えたが、
「案ずるな。わしもおる故、間違いは起きぬ」
屈託のない笑みを浮かべる旭を前に、
「あ……姉上……」
己の真意と、真昼間からその場の勢いでトキヤと犯した過ちには一応気付かれていない事を確認し、一旦は胸を撫で下ろした。
「御二人で来られるなんて、如何致しました? あ、ひょっとして漸く呪いを解く気に……」
「あー……それなんだけどさ……」
気まずい……というよりは、明らかに何か困ったような表情をトキヤは見せた。
「……いきなり呪いを解いて、旭から、その……超効率的なストレス発散方法を奪うのは、あんまりだから……」
「呪いを解くのではなく、操りたい。そういう事でしたら、出来ますよ」
「「は?」」
トキヤと旭は、思わず気の抜けた声が漏れ出てしまった。
「我等の母の代で、呪いを解いたり、掛け直したり出来るよう書き換えられていたのを確かめたので。あと、己の望むままに弱めたり強めたりも出来るのですが、それは呪いに罹っていながらも正気を保っていた姉上は知っておられますよね?」
「左様な事が出来たのか……全く知らなかったぞ」
きょとんとした顔で旭が繰り出した答えに、
「やはり……という事は、祖先たる義日が呪いを掛けられた理由、あれも嘘だ……」
ぼそりと何事か呟いた。
「どうした? 何か今言わなかったか?」
「いえ、別に。呪いの操り方を存じておられないのでしたら、後でお伝えいたします。それより姉上、昼に将軍の方々と話されていた事についての相談に来られたのですよね?」
「よく分かっているではないか。先ずは変身の魔術の応用について話し合うべく、良子を呼んだ。仔細話してくれるな?」
旭が空に問いを投げかけた直後、
「へえ」
「わっ!?」
中年女性の声が後ろからして、慌てて円が振り返ったそこに良子は既に立っていた。
「い、いつの間に……この部屋の屋根裏にも、天井にも、それから外の廊下にも、何者かが来れば報せる魔術を張り巡らせていたのに……」
「しかしそれらは、円様の歩かれる時には解いて御座いましたでしょう?」
「私が部屋に戻ったのは日が落ちて直ぐ辺りであったのですが……それからずっと忍んでいたのですか……!?」
「いえいえ、流石にそこまでは。ついさっき水を取りに行った、あん時ですよ」
「……もう少し、用心をしていこうと、思いました」
怯える円の姿を見て、良子は心底楽しそうな笑みをにこにこと溢れさせる。
「ほんでは、本題に入りましょうな。変身の魔術、これは魔力を持たない人間に術を刻んだ妖精の干し肝を食わせて……」
話し始めた良子の前にいた円の輪郭が、突如ぐにゃりと曲がり始めた。
「こういう事で御座いましょう?」
そして、円は旭の姿となった。
「へえ……大したもんだ。どういう原理かを話さないでも分かっちまうのかい」
「妖精の干し肝で手軽に使わせるとなれば、常に光の当たり方を考えなければならない幻術の類いは制御が難し過ぎるので候補に挙がりません。そうなると直接肉体を目的の形へと変化させる術ぐらいのものですが……魔力が切れると元に戻るとはいえ、逆にいえば食べた生き肝に魔力の残っている内は変化が効き続ける事になります。これを人間に行わせる形を考案した者はなかなかに思いきった考え方をされていますね」
得意げな旭……に扮した円は語り終わると、元の円の姿に戻った。
「まあ、思いきったというか、何処か抜け落ちたというか……そういう方ではあったですねえ」
しみじみと良子は思い出しながら「じゃ、あっしはこれで用済みさね。後は旭様、よろしゅう頼んます。おやすみなせえー」と言いながら帰っていってしまった。
……改めて旭は円と向き合うと、
「では、次だな。真仲の雷落としを封じたい。昼の将軍共との顔合わせの前にも少し話をしたが、奴は妖精の父を持つが故に魔力を宿しておるそうで、恐らくは雷落としも魔術によるものなのだろう。魔力をどうにか封じれば無力化出来るとお前は言っておったが、具体的には如何にすればよい?」
次の問い掛けを円に投げる。
円はその問いに、少し悪どい笑みを浮かべながら答え始めた。
「この変身の魔術を真仲様にも掛けるのです。義兄上と真仲様を斬り結ばせて、その隙に真仲様へ変身の魔術を応用した『変身の呪い』を掛けて肉体を無理矢理別の姿へと変える事で、真仲様の身体に刻まれし雷落としを繰り出す為の魔力の流れを物理的に消滅せしめて拐かします。
この呪いは身体の魔力を吸い上げる事で効き目を保ち続けますので、神坐に着いた頃には幾ら膨大な魔力を抱えていようと殆ど使いきって無くなっている筈です。その状態の、充分力を弱めて封じやすくなった真仲様へ、更にこれを使って下さい」
そう言って円が部屋の片隅から持ち出してきたのは、白い布に包まれた細長い何かだった。
「……これは何だ?」
旭は、何やら嫌な雰囲気を嗅ぎ取った。
「上物の呪具に御座います。魔力を持つ者をこれで殴れば、呪具の材料となった者の残留思念が自らに当たった相手……すなわち殴った相手に怒りを抱いて、生前の材料となった者しか扱えなかった強力な魔力封じの呪いを掛けてしまうのです」
「差し支えなかったらさ……アバウトでもいいから『材料になったヤツ』の事、教えてくれるか?」
旭の様子から呪具の正体に心当たりを感じたトキヤの問いに、円は何かを察した。
「ええと……最近、神坐軍によって罪人として処刑された高貴な血の妖精の方……ですね。それ以上詳しく、例えば何処の誰だとかは流石に分かりませんねー、ははは……。
あ、それでは呪具についてお話ししましょうか。これは材料が死んだ後に切り取って、腐らぬようによく干した右腕になります。神坐近くの河原で呪具屋が売っていました。
これを逃せば二度と手に入らない特上の呪物なので一先ず右腕はその場で買ったのですが、残りの腕脚や干し肝についても有用なのでどうしても欲しくて……。
何でもするのでお金を借りたいとタンジン様に相談したところ、今日の昼過ぎには全て神坐の予算で買い取って頂けました。そこに並んでる黒布巻きが残りの部分です」
トキヤと旭は嫌な汗を噴き出しながら互いの顔を見合ったが、旭が咳払いをしてそれ以上の互いの余計な考え事を止めた。
「成程、よう分かったが……そのおぞましいものをわしが預かるのは畏れ多い故、明日の朝に良子にでも渡しておけ」
「かしこまりました」
「それじゃ、後は呪いの制御方法を訊くだけかな」
「ああ。流石に昼の間は解いておきたい故な。円、教えてくれるか?」
そう問い掛ける旭に……、
然し円は、何か含みのあるじっとりとした笑みを浮かべて、トキヤと旭を見比べながら、何事か言い淀んでいた。
「円……?」
「……姉上。真仲様を此度の姦計の後、如何扱われる御積もりですか?」
「まあ、我が忠実なる僕として首輪を着けて飼ってやるつもりだな。殺しはせぬ。利用価値があまりにも高い故。だがそれがどうしたというのだ?」
「では……真仲様に何者か宛がうと謂う御予定は?」
「ううむ、特にそこまでは考えておらんかったな。まあ、下手な男と連まれても面倒であるし、シャウカットにでも……」
「では、姉上。私に良い案が御座いまして」
そう言っている円の言葉は旭に向けられていたが、目はトキヤに向いていた。
「真仲様を、義兄上の側女に致しませぬか?」
「それはならぬ。奴は油断ならぬ女、トキヤを騙して良からぬ事を企むであろう事は目に見えておる」
「勿論、そのまま娶ると謂う訳では御座いませぬ……有り体にいえば」
次に旭へと向け直したその顔は、得体の知れない自信に満ちた笑みを見せていた。
「色病みの呪いを用いて人の心を思うが儘に操る実験……その実験台に、真仲様を使いたいと考えております」
異様な調子で語る円の言動に、流石の旭も常軌を逸した恐怖を覚えて思わずトキヤの袖を掴んだ。
「実は誠に勝手ながら、夕刻に姉上が来る前、義兄上に施された色病みの呪いを色々と弄って試しておりました。この呪い、強力である割にかなり単純な作りとなっておりまして、唯々掛けられた者の性欲を高めるだけに使うのはあまりにも勿体ない。そこで、義兄上の色病みの呪いを改造し、抱かれた者の心根の全てを蝕み、忘れられなくなる、離れられなくなる、そして慕う他無くなる、左様な快楽を与えるようにしてしまおうと思うのです。……今朝、義兄上に突然別れを告げられた時、泣き付いて引き止めようとする程に快楽の虜となっていた姉上の様に」
「待て、その状態のトキヤとわしがまぐわったならば……どうなる? 気が触れたりはせぬか?」
「既に元々の色病みの呪いがありますので、二重には罹りませぬ」
旭は暫し黙して考えた。
確かに、力によって押さえつけ、言葉巧みに騙したとしても、心変わりをされる懸念は拭えない。
確実な忠誠心と謂う物は、普通ならばトキヤの様に偶然が重なるか、或いは長い年月を掛ける事でしか成し得ない。
「成程? 即ち……今後、わしが意のままに操りたい女が現れた時に、トキヤに抱かせる事でそれを成すと謂う訳か。少々回りくどい気もするが、悪くはないな」
「女性だけでは御座りませぬ。研究が進めば、男性も……一度義兄上に抱かれれば、奴婢とさせられましょう」
「おい、ちょっと待ってくれよ、やっと話がまとまってよりを戻せたと思ったら、今度は男も女も関係無く浮気させられるのかよ。俺はそんなの……」
「黙れ」
旭は彼の胸倉を掴んで言葉を止めさせた。
「よいか。この先のお前は、神坐に、ひいては私に楯突くあらゆる者どもと戦わねばならぬ。だが死に戻りしか持たぬ、非力で、か弱いお前が、左様に考え無しであっては私の運命も風前の灯。力が無く、頭も悪いお前が私を守り抜く、その為には……」
じっと目を合わせて、旭は言い放った。
「私の為に、凡ゆる卑怯、狡猾、残忍の限りを尽くせ。男は殺し、女は犯せ。お前が罪を背負い、悪逆を為す程に、私の威光が輝き、遍くの人々を導く証を示せると思え。お前が真に私を愛しているのであれば……私の為に、全てを敵に回して死ね」
その言葉はトキヤが死なないが故の甘えた願いだった。
ここまで酷い仕打ちをしても絶対に裏切らないであろう彼への信頼の言葉でもあった。
漸く旭は、トキヤと謂う一人の男の為人を掴み始めていた。
「……俺は死なない。お前の全ての罪を背負って、永遠の時を生き続けて、この国を守り続けていく。……全ては神坐の為に」
「よい……それでよいぞ。私に身も心も全て捧げろ」
旭の期待通り、トキヤは願いを聞き入れた。
彼は労わって重荷を軽くすればする程、信頼が薄くなったと思い込み、その気持ちが離れてゆく。
逆に重く厳しい頼み事を任せれば、それに応じて深い忠誠を誓い、強く慕うようになる。
「さて、全て私のものとなってくれるのであれば……己が殺そうとした者を手籠めにする事も、容易かろう?」
「悲しいよ……お前の為に生きようとしても、お前だけを愛する事は出来ないんだな」
諦めきった様子で吐き捨てたトキヤへ満足げに旭は頷いて、改めて円を見やる。
「では円よ、お前に命を下す。トキヤの色病みの呪いを書き換え、真仲を確実に我が手に収められるよう手筈を整えよ。その為ならば、トキヤとどれだけ身体を重ねても構わぬ。どうだ、やるか? やるよな? お前はトキヤの事を、好いておるようだからな……?」
初めから旭に自身の心中を全て見抜かれていた事に気付かず、面と向かって全てが掌の上であったと伝えられた円は、慄いた顔を思わずトキヤに向けた。
そのトキヤは、もう諦めきって旭に従うつもりである事を態度と表情で示していた。
「円……こんな俺でもよければ、付き合ってくれるか?」
憂いを帯びた彼の問い掛けが、
「は……はい、是非に、私にさせて下さいませ、義兄上……!」
円の最後の良識を踏み抜いた。
「姉上……申し訳ありませぬ。私は、義兄上と……義兄上と……」
彼の袖を引きながら押し倒させようと立膝をついた円だったが、
「……前言撤回だ、わしにも手伝わせよ」
「えぇー、結局そうなるのですかー?」
「正直ホッとしたよ。有難うな、旭」
2人だけの世界で一夜を過ごす事は、流石に許されなかった。




