第一話【光る姫】4
「ついて来んさい。丁度タンジンも、最近のあんたと話をしたそうだったからね」
言われるがまま、トキヤは良子の背を追うようにイタミ傭兵団の屋敷の門をくぐり、廊下を進んでゆく。
「あの……なんか、今日、皆さんバタバタしてますね」
「そうかえ? あっしとしては、皆がよう働いてくれるんは嬉しいんだけどねえ」
「あ、あは、そうですよね! ……あれ? あんな所に、鞠なんて置いてましたっけ?」
「今日はやけに喋りたがるねえ、あんた」
「え、えっ、そうですか?」
「クカカ……あっしは嬉しいけどねえ。だんだんと、あんたがあっしに夢中になっていくのは……愉しいねえ」
「……」
「おやおや、黙りこくっちまって。ま、丁度いいさねえ」
奥の間の前で立ち止まった二人。
「タンジンや、トキヤが会いに来ましたよ」
「キタノ傭兵団のトキヤです。本日は折り入って頼みが……」
「入りなさい。良子は他の者を連れて外しなさい」
無機質で低い男の声が襖の先から聞こえた。
「へえ」
良子はただそれだけ、感嘆詞のような返事を返すと「タンジン様のご所望だよ、お前達、出ていきな」と声を掛ける。
襖の奥からぞろぞろと黒服の男女が現れると、良子に引き連れられて何処かへと去っていった。
その異様な様子に目を向けていたトキヤを「呆けていないで入りなさい」と声が呼ぶ。
「す、すみません、タンジン」
呼び声に答えてトキヤは部屋に入ると、振り返り、襖を自分の手で閉じた。
「さあ、おいでなさい。ワタクシの目の前に、座りなさい」
声の男の方へと向き直る。長い黒髪、きつい顔つき、中性的な体格、青の狩衣……人間離れした彼の美貌を目の前にすると、いつもトキヤは眩暈がしてしまう。
イタミ・タンジン
東ヒノモト最大規模の傭兵団『イタミ傭兵団』の団長。力では圧倒的に有利なカゲツ傭兵団を相手に取引を成立させる程のやり手であるが、自分以外が現地人で構成されるイタミ傭兵団を守る為ならば、あらゆる手段を厭わない。
タンジンに言われるがまま、彼の目の前に吸い寄せられるように向かってその場に座ったトキヤ。
……タンジンが黙っているのは自分が話しだすのを待っているからだと気付いて、慌てて話し始める。
「あ、あの! すみません、気遣って頂いて。それで、タンジン、もう頼れる人はあなたしか……」
「トキヤ、仕事は上手くやれていますか?」
「えっ?」
「質問を変えましょうか? アナタは、ヒノモトの暮らしには慣れてきましたか?」
「あ、あぁ……はい。お陰様で、いつもアニキ共々良くして頂いて……ありがとうございます」
「そうですか。それは良かった。これからも色々と大変な事はありますが、ワタクシ達は転生者同士、いつまでも手を取り合い、助け合って生きていきたいものですね」
「ええ、はい、ありがとうございます」
「無邪気にワタクシに感謝をしてくれるアナタは、トキタロウと違って素直で賢い子ですね」
「……あの、あんまり誰かと比べられるのは、嬉しくないです。俺の事は俺として、評価して貰えないですか?」
「それは失敬。然しアナタは現にこうして、トキタロウに勝る純真無垢さと、リスク管理がしっかりしている事をワタクシに証明してくれたではありませんか」
「え゛っ?」
トキヤは、タンジンの言わんとしている事を流石に理解した。
そして……一気に血の気が引いた。
「言い方を変えましょうか。ワタクシはアナタを高く評価しているのですよ。トキタロウが旭を攫った事を、こうして莫迦真面目に伝えに来てくれたのですからね」
「ち、違……!」
身を乗り出したトキヤの首筋に、冷たく鋭い金属の感触が走った。
「良子……そのまま、決して隙を作らないように」「へえ」
「これは何のつもりですか? まさか転生者の死に戻り能力の事、ど忘れしました?」
最早そう言い返す事しか出来ないトキヤだったが、
「確かに身体は幾らでも元通りになりますね。しかし……何度も首を割かれて死ぬ、その痛みに蝕まれた心は、元通りにはならない」
タンジンの方が遥かに上手だった。
「それで、俺をどうしようっていうんですか……!」
「何、別にアナタを精神的に抹殺するつもりは毛頭ありません。ワタクシだって、可愛がっている男が人として生きていけなくなるまで心を壊し尽くすような、悪趣味な事はしたくありませんからね」
トキヤの顎を掴み下から彼の瞳を覗き込んで、タンジンは氷の微笑を浮かべる。
「旭を取り返す為の人質になりなさい」
「こんなやり方をされる為に俺はここに来てねえ!」
「正直これでも分の悪い賭けだとワタクシは思っていますがね」
「どういう意味だ!?」
「それは……」
と、タンジンは話し始めようとしたのを止めた。
「ハァ……そうですか。アナタ達はキタノに与する、と」
トキヤには分からない誰かへ落胆の言葉を向けながら、
タンジンは振り向き様、近くに立て掛けてあった青龍刀を目にも留まらぬ速さで掴むと、忍び刀の一閃を弾いた。
「ヒョンウ……あの遊女のなり損ないに、今更ヒノモトの人間達が集まると本気で思いますか?」
「人を集めるのは小娘じゃねえ。アイツの役目はもっと後からだ」
サエグサ・ヒョンウ
サエグサ傭兵団の団長。年齢不詳の美男子だが暗殺稼業の傭兵団を率いる身の上である為、彼の顔を見てまともに生きている者は転生者以外ではそう多くない。キタノ傭兵団の団長トキタロウとは互いに『盟友』と言って憚らない。
青い狩衣の男と、真黒な筒袖に括り袴姿の男。
二人の間では金属のぶつかり合う音が聴こえるものの、腕の動きはトキヤにはまるで追えない。
「良子! 何をぼさっとしている、早くトキヤを……!」
タンジンはまたも言葉を途中で詰まらせた。
「けっ、転生者の間者は嫌えだ。首抑え合っても相討ちにならねえからな」
「悪く思わないで下さいな。こうでもしないと姐さんには太刀打ち出来ませんので……逃げるよ、トキヤ!」
返事をする間も与えて貰えないまま良子から解放されたトキヤは、うんざりする程聞き覚えのある声の主に抱きかかえられてイタミ傭兵団の屋敷を後にした。
「トキヤ! あたし言ったよね!? アンタは嘘がヘタクソだから何もするなって!」
キタノ傭兵団の屋敷に帰ってくるなり、トキヤは奥の座敷の手前の廊下で正座させられ、ジョンヒから説教を受けていた。
「予定よりも色々巻いていかねえとタンジンを振り切れねえぞ」
「大丈夫だ、結局やる事は決まりきってんだから、後は隠し通すつもりだったトキヤにも手伝ってもらえば何とかなるさ」
「アニキ! 本気で挙兵なんて考えてんのかよ? どうしちまったんだよ!?」「おいキタノ弟、あんまりうるさくするな」「ヒョンウ構わねえオレが話すから」
サエグサの二人を除けて、トキタロウはトキヤの正面にしゃがみ込むと彼の片手を掴み、両手で包んでトキヤに話し始める。
「ぶっちゃけ言うと……お前に相談して、真っ正面から断られるのが怖かった、それは事実だ。お前とオレはいつだって一蓮托生で、真っ二つに分かれちまうなんて事は、オレ自身辛いからさ……」
「なあ、アニキは知ってるのかよ? アイツ、本当は遊……」
「コイツはそれを知ったうえで、ゆくゆくぶち上げる王国の姫として担ぎ上げるらしいぜ」
トキタロウの代わりにヒョンウが答える。
静かに頷くトキタロウの様子を前に、得意げな表情のままヒョンウが続ける。
「それにしても、傑作だよな。異世界ヒノモトの人類最後の希望にして、転生者達を纏め上げる王国の姫が、まさか遊女……」
「わしは遊女ではない!」
奥の座敷の襖を開けて、刀を抜いた旭が声を荒げた。
「今の言葉……! 取り下げよ……! さもなくば……!」
切っ先を向けられたヒョンウは面倒臭そうにトキタロウを一瞥し、トキタロウも苦笑いを浮かべる。
……トキヤはそんな二人の態度に言い知れぬ不快感を覚えた。
「なあサエグサの団長さん、人が嫌がってる事あげつらって言うのは、あんまり良くねえんじゃねえかな。黙ってヘラヘラしてるアニキもだからな」
「へえ? 何? アンタこの子に入れ込んでるカンジ?」「お前も黙っててくれ」
旭に歩み寄るトキヤに、肩をすくめながらヒョンウは切っ先から逸れた。
「あなたを遊女と罵った彼に代わって、俺が謝ります。申し訳ありません」
「わしの挙兵に乗らぬ者に謝られても、何も嬉しくないのだが」
「ですから!」
トキヤは、旭の向ける刀を……その手で握り締め、血を伝らせる。
「教えてください。あなたが挙兵をする理由を。あなたが挙兵をして、何を成したいのかを」
トキヤの血は刀身を伝い、鍔に着けるように柄を握る彼女の左手を汚す。
旭の手が汚れたのを見てからトキヤは手を離した。
「成程、頭ごなしに拒む能無しではないか……よかろう」
刀を仕舞い、旭は自身を汚すトキヤの血を……、
己の舌で拭った。
「カゲツ傭兵団を滅ぼすのだ! ……この世を亜人共から、取り戻す為にな」
仄暗い憎悪の表情を浮かべながら、旭は言い放った。