第十話【堕ちた姫】3
「執権様……♥ この格好でここまで来させるなんて、あんまりです……♥」
「あ、え……これ、旭ちゃん、なの……?」
「ああ……何て事を……」
「ちょっ、何その服!? ギャハハハハハ! ヒヒヒヒヒヒ! 変なの! アハハハハハ!」
ジョンヒとペイジは変わり果てた旭の姿を前にショックを隠せず、ニャライは何かがツボにハマったのか只管爆笑し続け、シャウカットに至っては真っ青な顔色で絶句していた。
「上着も何も羽織らずに、それでここまで来たのか?」
「それより、何故あの者はわたしを見るなり笑い始めたのですか?」
「さあ……ごめん旭、俺も分からない」
「それで、執権様……この格好で外を歩くのは、生きた心地がしませんでした……誰かに見られてたらと思うと、わたし……わたし……っ!」
トキヤに駆け寄った旭。
今までの彼女であればそのまま『斯様な辱めを強いるとは何事だ!?』とでも言って彼をぶん殴っていただろう。
「怖い思いをさせてしまったみたいだな……ごめんな、旭」
「執権様……♥」
しかし今の旭は、唯々さめざめとあざとく涙を流してトキヤの腕に抱かれるだけだった。
「けど、そんな事を言う割には、これはどういう事だ?」
「ひゃうぅんっ♥ だ、駄目です執権様♥」
「ちょっ、ちょっとトキヤ! アンタ何してんの!?」
「イヒ、イヒヒヒヒヒ! もう、もうやめない!? お腹よじれる! アヒャヒャヒャヒャヒャ!」
更には、人目も憚らずにトキヤに身体をまさぐられても、旭は怒るどころか寧ろ悦んでいる。自身に変装してならず者の転生者を相手に大立ち回りを見せた武人の見る影もない無惨な様子に、ペイジもシャウカットに続いて言葉を失った。
「奴隷がご主人様に向かってダメとは何事だ? お仕置きが必要だな」
「あっ……♥ ああぁ……♥ み、見られてるのに、わたし、みんなに見られてるのにいぃ……♥」
「ご主人様が手伝ってやる。ここで俺の事をどれだけ慕っているか、その身を以てコイツ等に証明して見せ……」
ジョンヒは、無言でトキヤを殴り倒した。
「アンタ……自分が何やったか分かってんの!? アンタとあたしで旭ちゃんを守るんじゃなかったの!? どうして、アンタが……旭ちゃんを壊しちゃったの……!?」
そのまま泣き崩れてしまったジョンヒを前に、流石のニャライも笑うのをやめて背中をさする。
「状況は……状況は、把握した……この症状からして間違いなくそういう事か。旭がトキヤに好意を寄せていたにも拘らず肉体接触を異常なまでに避けていた理由は呪いを掛けられていたから。異性との性行為を行うと自我が崩壊する呪い、通称色病みの呪いを掛けられていた。その発動を避けたいと考えて男性を極力近付かせないようにしながら余程の事でもない限り命令・頼み事を守り裏切る事の無いトキヤと常に行動を共にする事で他の男性からのアプローチを回避していたというワケか。にも拘らず……トキヤ。いかなる理由があろうと、お前は旭を……ひいてはこの国を終わらせてしまったのだな」
ペイジは凄まじい早口で状況を言葉として出力する事で把握した後、最後にトキヤの行った取り返しのつかない愚行を責めた。
「終わらせるかよ! 今のお前の話が正しいなら、コレは呪いのせいなんだろ!? だったらそれを解けば、きっと旭さんは戻る筈だ! ペイジ! ヤマモト傭兵団の規模なら都にいる凄腕の陰陽師の一人や二人ぐらい直ぐに連れて来れるだろ!? 頼むって! ガチで!」
シャウカットは現実を拒絶した。
「いや……それは無駄な徒労に終わるだけだ」
シャウカットに縋られたペイジは、あくまで淡々とした態度に努めて話し始める。
「色病みの呪いはな、失伝した呪いなんだ。私も古い文献……それも謂わばオカルト本のようなものに目を通した時に偶然知った程度で、こうして実物を見るまではこんなバカげた呪いが実在するとも思っていなかった。掛け方が分からない呪いというのは解き方を探すのに何十年……下手をすれば何百年と掛かるらしい。だから幾ら凄腕の僧侶や術師を呼んだところで、それらは全く無意味に等しいんだ」
「そ……そんな……じゃあ、もう、旭さんは……」
「このまま死ぬまでトキヤの性処理道具だろうな」
「……俺は認めない。何か方法がある筈だ、必ず旭さんを元に戻す! だからトキヤ! 首洗って待っとけ! 旭さんが元に戻ったら、お前のやりたい放題のツケは必ず払わせてやる! いいな!?」
トキヤの返事をまたずしてシャウカットは部屋を飛び出して行った。
「あのシャウカットがこれ程までに冷静さを失うとは……あいつ、本当に旭の事が好きだったんだな」
いつものチャラいノリからは想像出来ない彼の本気の好意を前に、ペイジは驚きを隠せない様子だ。
「か、考え方を変えよー! 今まで散々うるさくしてくれて迷惑千万だった旭さんが、これで大人しくなったと思えば! そんなに悪くないかもー……なんて……」
ニャライは気が動転しているのか、フォローに全くなってないフォローをトキヤに言ってのけてしまうが、
「あの……あなた様方の知るかつてのわたしは、左様に、うるさくて迷惑であったのでしょうか。なれば、この場で謹んで、今のわたしからお詫びを申し上げます」
「ぶはっ! ダハハハハハ! それ、ホントウケるからやめて! えへっ! エヘハハハ! お、面白いけど怖い! イヒ、イヒ、イヒッ! もう、もう前の旭さんカケラも残ってないじゃん!」
逆ギレでもすればまだ旭の片鱗が残って見えて安心出来たところを素直に謝られてしまい、最早光旭は跡形も無く消えてしまった事実を思い知って、流石に怯えを覚えた……それはそれとしてやはりツボにハマって抜け出せない様子ではあったが。
「謝るな旭。こいつ等は少し口が悪いのと、俺を独り占めしてるお前に嫉妬してるだけだ。お前は何も悪くない。唯俺に愛でられて、幸せで有ってくれ。な?」
「あ……んぅっ♥ 執権様ぁ……♥」
「ギャハハハハハ! トキヤもやめて! 息、息出来ない、苦しい、ヒーヒヒヒヒヒ!」
「……あたしもシャウカット見習わないとね。嘆いてるだけじゃどうにもなんないから」
不意にそう言い始めて、爆笑収まらぬニャライを置いてジョンヒもふらりと夜の闇へと消えていく。
「なあ、本当に何があったんだ? 旭だって、こうなる事を避ける為にずっと頑張ってきていたんじゃないのか?」
「アハ、アハ……はぁー。っていうか、旭さんが血迷ってもトキヤがいるから大丈夫だって思ってたんだけどねー。まさかトキヤまでこうなっちゃうなんてねー……」
残されたペイジとニャライは、改めて2人に問う。
「過ぎた事はもうどうにもならない。俺は旭の精神を破壊した罪を背負い続ける覚悟をもう決めている」
旭を抱き寄せて頭を撫でながら、トキヤは淡々と答えた。
「あのな、別にお前の決意表明が聞きたくて質問している訳じゃないんだ。そっちから言う気がないならこちらから質問をさせてもらうぞ。時系列を整理して考えていたんだが、こうなる前に起きた出来事といえば、確か中ヒノモトの……」
「旭の前でそいつの名前を出すのはやめてくれ。お前の言ってる事が正解だから」
あっさりと真仲の存在が原因となった事を明かしてきたトキヤに、少しペイジはたじろぐ。
「そっかー……大体分かったかも。自信無くしちゃったんだ。多分、その……色々目の前で比べちゃって。でもその結果が……コレ……ぐふ、フフフフフヒ! ヒャヒャヒャ! ダメ、やっぱりなんかウケる! アハハハハハ!」
ニャライは故人を偲ぶように語っていたが、結局途中で旭の姿を直視してしまい、また爆笑の渦の彼方に流されていった……が。
「笑うな! 貴様、わしが真仲のせいで心を折られた事の何が可笑しいというのだ!?」
真仲に心で負けた事を笑われたと勘違いしたのか、突如旭が元の話振りでニャライを怒鳴りつけた。
「えっ……? 旭、さん?」
「あ……」
完全に正気が……今までの旭の全てが失われたものと思っていたペイジとニャライは、我を忘れた怒りをぶちまけた旭を前に、混乱して呆然と彼女へ目を向ける事しか出来ない。
対する旭は……。
「いや、あのこれは違……ええと……う、うぅっ! 執権様、頭が、痛う御座います……! 今、わたしは何を……?」
信じられない程雑で白々しいすっとぼけ方をやってのけた。
そんな旭に冷たい視線を向けるペイジとニャライだったが、
「まだ過去の旭が、お前の中に残って苦しめているようだな……きっと時を重ねれば、いつかは今のお前で上書きされて、消えてくれるだろう。それまでは俺が幾らでも愛して、塗り潰してやるからな」
「え、えへへ……♥ 執権様、好きぃ……♥」
トキヤはすっかり騙されているようで、そんな彼を前にしてヒソヒソとペイジとニャライは話し合い始める。
「なあ、ニャライ……これが俗に言う『恋は盲目』というヤツか?」「ねー。ホンットに、トキヤはチョロ過ぎるんだから……」「とはいえ、旭は精神に何らかの変調を来しているのは確かだ、解けるなら早めに呪いを解きたいところだな」「だねー」
「おい、何か言いたい事あるならはっきり言ってくれよ」
トキヤに文句を言われた2人は、彼の後ろで顔を真っ赤にして唯々俯く旭に呆れた顔を向けながら、
「だったら単刀直入に言うが……まあ、人というのは誰しも、後ろ暗い性癖を持っているものだから、ヘタな別人格のフリなんてせず、素直になった方がトキヤも嬉しいと思うぞ。あと満足したら早く帰ってきてくれ。トキヤは国主の器ではない」
「まあ、メンブレしちゃって逃げ出しちゃうぐらい辛かったのは分かってあげたいけどー、そんなアホみたいなカッコしてバカみたいな迷走っぷりを晒すぐらいなら、もっと私達を信用して相談して欲しかったなーって感じ」
「ハ……? それは誰に言ってるんだ?」
それでも何処か安心した様子で、安心しているからこそのあけすけで辛辣な言葉を投げつけた。




