第九話【もう一人の光る姫】4
その後、タンジンの目論見通り真仲はカゲツの本陣を討ち破った。
敗走する敵軍に雷を浴びせながら勝鬨を上げる彼女は、正に我が世の春が来たと言わんばかりであったという。
程なくして、都入りの準備をしていた彼女の勝利を神坐にて祝いたい、と旭から文が送られてきた。
高巴は旭の罠ではないかと警戒をしたが、対する真仲は誠実な対応に終始したトキヤの事を思い出すよう言いながら旭の申し出を受け入れ、都入りの前に一度神坐へ顔を見せに行く事を決めたのだった。
そして、顔見せの当日。
「面を上げよ」
旭に促され、真仲は旭と目を合わせる。
……互いに相手の麗しさに見惚れて、一瞬言葉が出ない様子だった。
しかし、
「噂通りの鮮烈な桃色の髪、私の頭の毛よりも澄んで美しい青色の瞳……流石は都で最も強く美しい武家と伝わる光家のお方だ。高貴なる武士とは、一目で分かる麗しさも備えておられる」
「え……あ、ああ。左様か。其方もまあ、背丈が有って身体つきも良いな。うむ。我等でも梃子摺る相手を退けるのも納得というものよ」
その後相手に抱いた感情はそれぞれ異なるものだった。
「此度は我等に代わってカゲツを西へと追いやってくれた事、誠に有難い。このまま都を人々の手に取り戻し、女王をお救いに向かわれる、その前に……斯様な宴を開く事と、少しばかり人を送る事しか出来ぬが、これらはわしからのほんの気持ちと思ってくれ」
「有難き幸せ。女王には旭様のお力添え有っての勝利であった事、包み隠さずお伝え致そう」
そんな言葉を交わす2人だったが、真仲は素直に喜んでいるのに対し、旭はというと作り笑いこそ上手くやっているが、拳を握る手が震えていた。
そんな旭の内なる嫉妬と怒りにも気付かないまま、真仲は夜の宴を迎えて……。
「いやー、カゲツ相手に獅子奮迅と聞いたもんじゃから、山のようなドデカいのでも来るのかも思っとったが、まさかまさか……これ程までの美人さんじゃったとは」
「美人、か。背が高過ぎてなかなかそうは言われてこなかったのだが、ここでは美人で通るのか。嬉しい限りだ」
「おい菱川、どうだ、俺と一緒にならねえか? 俺達ヤマモトは東ヒノモト最大規模の傭兵団だ、その兵力が使い放題になるのは悪くない話だろ?」
「生憎だが私にはもう心に決め合った人がいる。夫婦になる事は諦めてくれ」
「これはこれは、ワタクシの仲間がとんだ失礼を。ところで、雷の魔術を使えるそうですね。差し支えなければ、アナタの父親について教えていただけますか?」
「其方が期待しているような話は出来ないと思う。先代は母の方であったのでな」
「では君達の戦術を僕は聞かせてもらおうかな。如何にして君の範囲攻撃を活用しているか、実に興味深い」
「兵法……? 申し訳ない、その辺りは他の者に任せている」
神坐の将軍達に囲まれ、蝶よ花よと愛でられる真仲は、少し目を回している様子だった。
そんな彼女の視界に、ようやく見覚えのある男達が留まった。
「あ、確かそちらの方……」
「よっ、久しぶりだな、真仲」
「ええと……キタノトキタロウ、殿……かな?」
「ああ。で、こっちがオレのダチのサエグサヒョンウで」
「よろしくな」
「そっちで居眠りしてるのが旭の弟の光正義、あっちで旭の横に座ってるのが……」
「トキヤ殿だろう? 彼の事はよく覚えている。あなた方と少し雰囲気が違っていたから」
「そりゃ良かった。アイツは真面目過ぎるのが玉に瑕なんだ、仲良くしてやってくれよ?」
「言われなくてもそのつもりだ。私は素直な人を大事にしたいと思っているからな」
「気が合うな、オレもそういう主義なんだよ」
「旭様は良い臣下に恵まれているようだ」
「アイツに直に言ってやってくれ。きっと喜ぶから。おーい、旭!」
トキヤと何事か話し合っていた旭は、真仲を連れて自身の許へと向かってくるトキタロウの方へと顔を向けた。
「お前が呼んだ客を放っといてどうすんだよ?」
「……そうだな。すまぬ」
珍しく元気の無い旭の様子を前に、トキタロウは首を傾げる仕草を見せつつその場を後にした。
「ところで其方、側近がおると聞いたが……」
「高巴の事だろうか? ……すまない、あれはこういった場に呼ばせたくないのだが、旭様はあいつに何か用でも……」
「い、いや気にするな。そうか……」
目論見が次々に失敗してゆく。
目の前の女は誰に対しても威風堂々としながらも人当たりの良さも兼ね備えている。
(何が才に劣る無能だ、寧ろこの女を前にして、惨めな思いをさせられているのは私の方ではないか……)
焦る旭を更に追い詰めるように、
「おい旭……ごめんなさい。旭の代わりに俺と話しませんか? なんか緊張しちゃってるみたいなんで」
「あはは、申し訳ない。私は無駄に背が高いせいでよく稚児等にも怖がられてしまうので……」
「無駄だなんて。むしろその身長が羨ましいですよ。俺は転生者だから、これ以上は伸びないんです」
「伸びない……といえば、トキヤ殿、兼ねてより気になっていた事が。流れ者の方々は傷を負っても立ち所に治ってしまうそうだが、それでは髪などは如何しておられるので……」
真仲はトキヤと会話を弾ませ始める。
今まで相手にしてきた魑魅魍魎のような連中に比べれば、目の前の相手は己と歳もさして変わらぬ上にそう饒舌なわけでもないというのに、何故か手も足も出ない。
全てが真仲の思うままになっている。
そんな様にすら思えてしまう。
「……少し夜風に当たりに行く」
「あ、旭……」
「待たれよ。トキヤ殿は旭様に代わって私をもてなしてくれるのだろう?」
「……ごめん、旭」
この場に有る何もかもが疎ましく感じられて、旭は逃げ出す事しか出来なかった。
部屋の障子を開けて、独り。桃色の髪を風に乗せながら、月を睨みつけていた。
思い出すのは、己に押しつけられた運命から逃げ出した日。
その日に最後に見上げた月も、このような具合であったか。
『一度抱かれたら何も悩まずに済むようになる』という言葉に、言い知れぬ許せなさを覚えた。
女衒の手から逃れ、背の高い叢の延々と続く中を只管、息を潜めながら逃げ続けた。
そうしている内に青い鎧の追手が現れ、捕らえられ……。
思い出す。
奴が……イタミタンジンが初めに問うてきた言葉を。
「アナタは何故抗うのですか?」
「カゲツを滅ぼし、人々を救う為だ。その為に、力を貸してくれ!」
「答えになっていませんね。カゲツも人類も関係ありません、アナタは何故、遊女になる事を拒んだのですか?」
その質問の意味が分からず、何も言い返せなかった。
そうしなければ己が破滅するから……と答えるのは、あまりにもあけすけで許される事ではないと考えていたが故に。
……嫌な目に遭っている時ほど、嫌な事を思い出すものだ。
何時迄も下を向いてばかりいられない。
一国の女王として、流れ者達を束ねる頭領として、人々を導く救い主として……。
如何なる手を使おうとも、菱川真仲を失脚させねばならない。
決意を固め立ち上がり、部屋を出た旭。
「……何を、しておるのだ?」
その目に映った現を、暫し頭が解る事を拒んだ。
「嗚呼……見られてしまったな? トキヤ殿」
「旭!」
その場で卒倒した旭。
「どけ!」
「あっ」
真仲を突き飛ばしてトキヤは、真っ青な顔で倒れている旭を抱き寄せた。
「……ごめん。俺、最低だ」
「さ、最低? 何を言っているんだ? 私はただ、トキヤ殿の襟が折れていたのを直しただけで……」
「あんたホントに分かんねえのかよ!? 壁際に俺を立たせて、向かい合って首後ろに腕回してたら……どんな風に見えるか」
トキヤに言われて初めて気付いたようで、真仲は己の迂闊さに頭を抱え始めた。
「そういう事か……まずいな。旭様を起こして、早く誤解を解かねば」
「あんたが言っても逆効果だと思う。旭は……あんたに嫉妬してたから」
「嫉妬……そうか。旭様ほどのお方でも、私如きに、嫉妬、する、のか……」
打つ手が無いという現実を前に、真仲はトキヤの話す言葉の意味を理解するのが精一杯になってしまった。
「とりあえず今日はもう部屋に戻って貰えますか。明日以降の予定は朝一で俺が責任持って伝えに行きますんで」
「……承知した。その、私は、あなたの事は、良い人だと、思っている、から」
そんな事をぼそぼそ言いながら、真仲はトキヤの視線で促されるまま縁側の端へと消えていった。
後に残ったトキヤは旭を抱きかかえて部屋に戻り、布団の上に寝かせて、何も言わずに気を失ったままの彼女を抱き締めて……そして離すと、部屋から出て
「待ってくれ……独りにしないで」
行く事すら許されない。
「何を言っても言い訳になるから。今日は、お前と距離を」
「真仲の所へ行く為か?」
地獄の底から追い縋るような声色が、トキヤの後ろから聞こえた。
「お前も私を捨てるのか? 宴の席で真仲の虜となって私を捨て置いた他の将軍共と同じように」
「……なあ旭。俺はこれ以上、どうしたらお前に信じて貰えるんだ?」
「私を慕っているなら何故真仲と抱き合っていたんだ!?」
「襟が折れてるって急に真仲が言い出したんだ。しかもホントに折れてた」
「大方お前があの女との世間話に花を咲かせて好い気になっている隙に襟を折られたのであろう。何処までも姑息で、陰湿で、卑怯で、頭の切れて、背格好と顔が良くて、人当たりが、良くて……相手を、立てるのが、上手くて……」
嗚咽を上げながら、旭はトキヤの背中に縋りつく。
「私には、何も、無い……威厳も、凛々しい姿も、強き力も、大らかな度量も……何も、何も無い……!」
旭は縋りついたまま、トキヤの前に回り込んで続ける。
「皆私から離れてゆく……私は、運が尽きたのであろうか? 最早これまでなのか……? それでも、お前と共に滅びるならば、私は何も悲しくなかった。……何とも愚かな思い上がりよな?」
トキヤを座らせて、旭は彼に跨ると、
「お前に捨てられて破滅する事など、考えもしなかった。お前を奪われて、生きる望みを絶たれる……左様な事が、起きる等と……私が先に破滅する事しか、有り得ないと思っていた……だがこうして、私は、今……全て失った」
不意に短刀を抜き、トキヤに無理矢理握らせる。
「お前が責を負え。責を負って、すべて終わらせろ。私はもうこれ以上苦しみたくない。お前が私の許を去る事など、耐えられない……! 頼むトキヤ、私の最期の願いだ。ここで、殺してくれ!」
刀を握らせた両手を包むように握り締めながら、旭は涙を流して頼み込む。
……トキヤは、旭の腕を振り払った。
「えっ……」
そして握らされた小刀を投げ捨てた。
「あ……」
少し微笑んだ旭だったが、
「なっ……」
次の瞬間、トキヤの下に組み敷かれた事で、その表情は凍り付いた。
「許せ。お前を殺すなんて、出来ない」
服を脱がされ、トキヤの前で生まれたままの姿を晒される。
「だけど、お前をこのまま苦しめ続ける事も……出来ない」
「嘘だ……お前、こんな事をして、どうなるか分かっているのか!?」
「少なくともこれ以上苦しまずには済むんだろ?」
「お前は……報いを受ける覚悟を、しているのか……?」
「ああ。俺の事も分からなくなって、誰に抱かれても悦ぶケダモノになったお前が、衰弱死するその日まで……責任を取る覚悟は出来てる」
トキヤに間近で目を合わせられた旭だったが……、
「い、嫌だ……嫌だ! 私は、諦めたくない……! やめろおおお……!」
「……愛してる、旭」




