第九話【もう一人の光る姫】3
だが、トキヤの希望も虚しく……。
「莫迦!」
旭は彼が帰ってくるなり伝えた話を最後まで聞く事もなく横っ面を殴った。
「ど、どうして……?」
床に倒れたトキヤの前にしゃがんだ旭は、そのまま髪を引っ掴み自身へ目を向けさせる。
「お前、何処を向いて話しておる?」
「えっ……?」
困惑するトキヤの襟首を掴み、旭は中庭へと彼を引き摺って行くと、再び顔を殴って今度は石畳の上に投げ捨て、馬乗りに跨り、顔を殴り続ける。
その様子を前に、トキタロウは無感情な顔を向け、ヒョンウは意外にも目を背け、止めに入るタイミングを見失ったジョンヒは立ち尽くし、正義は長旅の疲れで眠りこけていた。
「もう一度言い方を変えて訊く。答えを間違えるな。冴えない田舎の流れ者に過ぎなかったお前を取り立ててやった慈悲深き主は誰だ? お前が命を賭して守ると誓った運命の相手とやらは誰だ? お前を心から慕い、妻となった女は誰だ? よくもぬけぬけと、私の手柄を掠め取ろうとしておった始末の悪い牝犬に、鼻の下を伸ばしおって……!」
「旭……ごめん」
旭は最後に満身創痍のトキヤを蹴り倒し、肩で息をしながら言葉にならない怒声を吐き捨てた。
「よい。連中の為人はよう分かった。お前ほど御し易く暗愚ではないが、タンジンやガニザニはおろか、私にも遠く及ばぬ浅知恵であるようだな。誰に喧嘩を売って、誰の刀に手を付けようとしたのかも分からぬ痴れ者には……必ずや似合いの末路をくれてやるわ!」
それだけ旭は叫ぶと「今日は終いだ! お前達はとっとと帰れ! トキヤ、お前は私と来い。お前の主が誰であるかを、その身体にしかと教え込んでやる」トキヤの襟首を掴んで二人で御所の奥へと消えていった。
後に張り詰めた空気と共に残された者達は、言葉を発する事すら重々しく感じて、何も言えないでいる中、
「姉上は何故に、あのような取るに足らぬ女に嫉妬をなされるのか……わたくしは分かりませぬ」
最初に口を開いたのは寝た振りをしていた正義だった。
「ま、そういうとこあるよね、あの子。あたしが何度もトキヤの彼氏じゃないって言っても今でも信じてくれてないし」
「この世の自分以外の女は全員敵だと思ってそうだよな。ああいうのと結婚すると苦労しそうだから、オレは姫様と執事の関係以上は求めねえんだ」
「執事……? 都合のいい殺し屋おじさんでしょ」
「オレはおじさんじゃねえ!」
「まあまあ……オレもああいうヤツと付き合った事は何度かあるけど、結構話せば分かる素直な子が多いぜ? そういう意味じゃあ、アイツは素直じゃない上に拗らせてるから難攻不落なんだろうな」
正義につられて他の面々も口々に話し始めるが、
「そんな悠長に話をしている場合ではないでしょう……このままではトキヤ殿が襤褸布になってしまいます。まあ、流れ者故に死にはしないのでしょうけれど」
正義が気にしていたのは旭ではなくトキヤの方だった。
翌朝、将軍達を交えての謀略の手筈を話し合う場にて。
「トキヤ、情に絆されるとは何事です。そのザマがワタクシ達を率いる立場で許されるとでも?」
氷を削った槍のような視線を向けて、タンジンは旭の隣にいつも通り居るトキヤを叱責するが、
「あのさ、その場の状況見てなかったのにそういう言い方は無いんじゃない? 逆にトキヤが上手くその場を収めなかったら、多分正義の暴走マジレスに高巴がキレて斬り合いになってたよ。それでも良かったの?」
珍しくヒョンウの横に控えたジョンヒがトキヤを庇いに入った。
「寧ろその方が良かったのではありませんか? 敵が一人減るのですから」
「はぁー……アンタさ、結構いい歳なんでしょ? そういうとこホント治しな? だからトキヤに苦手意識持たれてるんじゃない?」
「感情的な売り言葉に買い言葉はやめよう、タンジン。どう考えてもその場で殺し合いになるのは最悪手もいいところだと謂うのは、いつもの君なら分別がつく筈だ」
タンジンのあんまりな粗雑極まる言い返しを前にして、流石にガニザニが苦言を呈するも、
「ワタクシだって人間です、何時でも冷静とはいきません。特に、トキヤを無思慮に甘やかすだけの悪い虫螻蛄には、情け容赦は無用と考えておりますので」
「その虫ケラよりも信用されてないのマジでウケるんだけど」
「信用? トキヤがアナタに懐いているのは身体目当てなだけですよ」
普段のタンジンからは想像もつかない異様に程度の低い罵り合いは止まらない。
「いい加減にしてくださいよタンジン! 前から思ってたんですけど、あんたホントにジョンヒが相手だとクソガキの屁理屈か悪口みたいな事言い始めますよね」
「アナタは人を信用し過ぎるのです。少しは社会と人間の勉強を真面目になさい」
「母親面するのマジでやめて貰えません?」
「なんと! 男のワタクシでは教師の立場が関の山と諦めておりましたが、まさか母と思う程に慕ってくれていたとは……! 感無量ですよ、トキヤ」
「ダメだこの人聞いちゃいねえ……」
呆れ返るトキヤだったが、
「黙れ!」
その場の空気は、今まで黙し続けていた旭が突如怒鳴り散らした事で一気にひりついた。
「……旭に言われては仕方ありませんね。この場はアナタに勝ちを譲ってあげますよ、虫螻蛄」
それでも尚ジョンヒを罵るタンジン。
「もうこの辺でこの口喧嘩は降りるわ。旭ちゃんの為にもね」
収拾のつかない様相を前に、ジョンヒは仕方なく矛を収めた。
「それでは話を戻そう。トキヤ君があまり良くない軍事的協力の安請け合いをしてきてしまったという話だけれど、寧ろこれは利用出来る事でもあると僕は思う。口約束というものは何一つ証拠が無いのだから、このまま上手く騙し続けて相手を消耗させても何も咎められはしない。真仲の手勢を擦り減らすには悪くない一手だったのではないかな?」
そしてガニザニが無理矢理話題を『トキヤが陥れる筈の相手と仲良くなってきてしまったのをどうするか』に戻し、トキヤを庇いつつ有用な作戦と解釈してみるも、
「御自身の実力で如何なる状況もどうにか出来てしまう、アナタの能力の高さは良くも悪くもありますね」
「君から褒め言葉を貰えるとは。頑張ってきた甲斐があったというものだ」
タンジンはやはり相手が誰であろうと関係無い、といった様子で構わず釘を刺したが、
「とはいえ、ガニザニの言葉にワタクシも異論はありません。そこで、この様な計画を立ててみました」
自身が助け舟を出すのは構わないらしく、いつの間にやら話題の主導権を握り始める。
「先ず、真仲に『約束通り神坐軍を向かわせるので、先にカゲツ攻めを始めておいて欲しい』と手紙を送り、本当に援軍を送ります。そうですね……最近暇そうなサカガミ傭兵団でも送るのが良いでしょうか。
但し、援軍を送りはしますが本気で戦わせる事は避けるに徹します。手を抜き、菱川軍を盾にして、連中とカゲツが膠着状態になるよう仕向けるのです。
そして、いつまで経ってもカゲツを攻めあぐねる真仲を労ってやる名目でここへ呼び、もてなしてやりましょう。それはもう盛大に、華やかに。その時、神坐の側で必ずやっておきたい事があります。それは……」
鉄扇でタンジンが指したのは……旭だ。
「旭、アナタが直々に高巴を神坐の参謀として誘いなさい。客として呼ばれた以上、相手の誘いを断る事など出来ませんからね。
さて、元々大した事のない田舎の小娘が幼馴染の男と無い知恵を振り絞ってどうにかやっていたのですから、その片割れを失えば後は凋落の一途。真仲は最後にはきっと、ヤケを起こして捨て身のカゲツ攻めをしでかす筈です。
後はアナタの気の赴くままにすればいい。ただ……高巴をそのまま側近として置いておくと、真仲が死んだ後に寝首を掻かれそうではありますね」
タンジンの計画を聞き終えて、旭は目を瞑り、じっと考え込むと、
「成程、他の者はタンジンの謀に穴は見当たらぬか? 遠慮は要らぬ」
珍しく浅慮な様子でその場の全員へ改めて問う。
「こんなえげつねえ事をマジでやるのか? ってとこぐらいじゃねえか?」
「当たり前だ! 菱川真仲をこのまま放っておけば、神坐が何の為に有るのか分からなくなるではないか!」
しかし、ジョージの半ば無理矢理な批判以外には特に何も出てこなかった。
「さて、そうと決まれば昼飯を食ってから早速文を書かねばならぬがその前に……昼からは御所の修繕の話か。今の侍所では手狭が過ぎるという話であったな、チランジーヴィ」
「おー、珍しく怒り心頭でありながらもそういう話を覚えておったんじゃな? 既に増改築のアイデアは図面にまとめておるから、楽しみに待っといて欲しいのじゃ」
「武士の情けだ、先に言っておいてやろう。其れは却下だ」
「なんでじゃ!?」
「お前は隙あらば何でも変な造りの金ぴかにしようとするからだ! 何なんだお前のところの屋敷は!? 気付かぬ内に随分と丸く高く派手になっておったが!?」
「いや、アレはワシ等的には合理性と美術センスの究極のマリアージュなんじゃけど」
「兎に角、御所をあのようにされるのは堪ったものではない。そこの所をよく考えておくようにな」
終始最悪の機嫌で怒りをばら撒き続けた果てにチランジーヴィとも言い合い終わると、旭は不機嫌そうに昨日殴っていた男の腕を引きながら……「ちょっと待って! ……あたしも着いて言っちゃダメ?」「知らぬわ」更にジョンヒも加わりこの場を後にした。
後に残された者達は、旭達が見えなくなったのを確認すると、
「さて、それでは……君の本当の目的を教えて貰いたい、タンジン」
話を切り出したのはガニザニだった。
「目的、ですか? それは当然、神坐のより良い未来の為ですよ」
「カマトトぶってんじゃねえぞ。サカガミなんか向かわせたら苦戦するフリすら成立しないで圧勝しちまうに決まってんだろ」
次にタンジンに問うたのはジョージだ。
「まあ、サカガミのせいでそうなるか否かは兎も角として、正義の報告が正しければ真仲はかなり強力な雷系統の魔術が使えるそうですね。それで今までカゲツの軍を相手に渡り合えていたという事は、恐らく敵の首級に拘って勝ちを逃すような事はせず、堅実に相手の兵を雷落としで削ぎ落として人数不利の状況を作る戦術をとっていた。このやり方なら反転攻勢に出ても失敗はしません。なので旭は慌てて戦勝祝いという名目でここに真仲を呼びつける事になるでしょう」
「相変わらず性格悪いよな、お前。自分が築き上げた東ヒノモトの支配体制を崩された仕返しに、姫様をそうやってイジメるワケだ?」
ヒョンウは問い掛けるというよりは、タンジンに否定的な感想を向ける。
「私情を挟んでいる事は否定しませんが、ここからが肝要です。戦に負けて来る客人と戦に勝って来る客人ではお互いに態度も変わると謂うもの。そこで、次の失敗が旭を襲います」
「あー……お前ホントに人の心無いのう。で? そうまでして追い詰めて何をさせたいんじゃ?」
チランジーヴィも同様に、タンジンの謀略に関心はするがそれ以上の感情は持てない事を表明した。
「どうもありがとうございます。さて、真仲を陥れられず、高巴にも逃げられた旭は酷く取り乱してトキヤに八つ当たりをするでしょう。それこそ、昨夜のソレや今のコレとは比べ物にならない程に苛烈で理不尽なありったけの怒りを叩きつける……恐らくその時、トキヤはこう考える筈です。『自分が無能なせいで旭を苦しめてしまう』『だが自分は転生者、死に戻りのせいで死んで詫びる事も出来無い』『これ以上旭に失望されたくないが、己が死ぬ事も許されないのなら……最早旭を殺す他無い』と」
タンジンの明かした真の計画を前に、その場にいた全員が険しい顔をした。
「テメエ……まだ諦めてなかったのかよ」
「のう、今からお前の計画をぶち壊しに行ってもいいか?」
「やめろ。今俺達がバラバラになるのは絶対ェにダメだろうがよ」
「恐れ入ったよ。やはり君が味方になってくれて、本当に良かった」
最後にタンジンと目を合わせたトキタロウは……笑っていた。
「で、その後は……旭を殺してイカれちまったトキヤを、お前が操るって腹積りか?」
「操る等と人聞きの悪い。それに、彼がそんな程度の事で挫ける事をワタクシは許しません。アナタ方と同じように、この国を統べる者……神坐国の王と成る光トキヤの為に全てを捧げる覚悟ですよ?」
「その言葉、オレは忘れないぜ」




