第一話【光る姫】3
「おい! 人間が二匹で何を発情期みてえに鳴き合っておるんだニャ? うるせえんだニャ!」
豪奢な金の狩衣を着た男が馬に乗って曲がり角から現れた。
男には……猫耳が生えている。
「いやー、すみません目代さん。ちょっと知り合いがいて盛り合ってしまいました」
笑いながらジョークを飛ばしたシャウカットだったが、
「黙れニャ!」「ぐがぁっ!?」
猫の亜人は彼の横っ面をぶん殴った。
「てめえ人間のクセに何が『盛り合った』だニャ? 人間に発情期が無え事くらいおれでも知っておるニャ! そもそもてめえ等はどっちもオスだろうがニャ! 猫様ナメてんじゃニャーぞこの流れ者の死に損ない人間どもが!」
「も……申し訳、ないです……目代、様」
その場でよろめきながらも跪いて非礼を詫びるシャウカットだったが、猫族の男はシャウカットを甚振り飽きたのか頭を下げる彼へ目を向ける事は無く、今度はトキヤの顔を覗く。
「おみゃーさんにはお初にお目に掛かるニャな。おれは新しくこの東ヒノモトの目代を任される事となった刈茅っつうんだニャ。おれの先祖はカゲツ傭兵団先代頭領の側近を務め、おれも都で指折りの風流猫だったんだニャ。ま、今の頭領の爺様は蝶も花も分からねえから、こんなヒノモトの東の端っこにおれを追いやりやがったんだろうがニャ」
「は、はあ……そうですか」
「そうなんだニャ。それで悪い事は続くもんで、こっち着くなり爺様の側近の椹姐様にいきなり人間との縁談の話を無理矢理進められてて困ってるんだニャ。光旭っつー遊女の娘なんニャが……正直遊女娶るとかおれの格が落ちるから最悪ニャし、そもそもおれは猫だから人間とじゃ稚児も出来ねえから何考えてんだかさっぱりなんニャけど……まあお前に愚痴ったところで意味無いんニャけどな」
「(アイツ……遊女だったのか。まあ、あんだけ顔良くてもあの性格じゃそれでしか食ってけねえわな)あ、はい」
「まあそういう事なんで今後よろしく頼むニャ。おれが一刻も早く都に戻れるようおみゃー等は絶対ぇに! おれに逆らう事は許さんニャ。逆らったら打ち首……してもおみゃー等は死なないんだったよニャ。まあなんか適当に自分の罰は自分で考えておいて欲しいニャ。ではなー。オイ! いつまで地べた舐めてんだニャ! おめえはとっととおれを案内するニャ!」
よろよろと起き上がり、刈茅に背中を蹴られながら何処かへ歩いて行くシャウカットの背中を一瞥し、トキヤはまた行く道へと戻る。
これが異世界ヒノモトでの人間の日常だ。
カゲツ傭兵団を名乗る亜人の組織に支配されたこの世界の人間は、良くて奴隷悪ければ家畜か虫螻のような扱いをされる。人間が抵抗しようにも、亜人は多くの人間が扱えない魔術を操り、人間よりも遥かに強力な身体機能を持つ。普通に戦って勝ち目のある相手ではないのだ。
……死に戻りの力を持つ、転生者の人間を除いて。
(それでも、余計な事はしないに限る……そもそも戦ったところで何が得られる? 俺達は死なないけれど、何処か酷い場所に閉じ込める事は出来るし、それに……何回も殺され続けて、必ず無事でいられる保証も無い。だったら、今のままでもそれなりの暮らしは出来てるんだから、別に何もしなくていいじゃないか……そう俺は思うんだけどな)
思い詰めた顔でぼんやりと逡巡している内に、トキヤは丘の上の屋敷、その入り口の門前に辿り着いていた。
「あ、あれ? 良子さん……?」
良子
イタミ傭兵団の下女長を務める中年女性。素朴な容姿で客人には優しげな笑顔を絶やさないが、屋敷の雑事から戦時の兵装管理まで、傭兵団内部の裏方仕事は彼女がすべて目を通している。
「そういうあんたはキタノの坊ちゃんかえ?」
「それ以外の誰に見えるっていうんです?」
「……なに、あっしがここにいるってだけで、妙にびっくりするあんたに調子を合わせただけさ」
「そりゃまあ。だっていつも、屋敷の中で忙しそうにあっちこっちしてるじゃないですか」
「なんだい? あっしをそんなによく見ているのかい。ひょっとしてあっしに気があったりするのかい?」
「えっ? あ、いや、その……勘違いを、させてしまって、ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて……」
「カッカッカッカ……あっしはあんたが大好きさ。揶揄い甲斐があって、嘘が下手くそで、他人の好意を無碍に出来ない……なんと愛おしい男だろうねえ」
「あの……」
この人が相手だと、いつも上手く話が進まない。
今だって、トキヤは焦る気持ちを弄ばれているように感じていた。
というか、実際のところ弄ばれているのだろう。
一刻も早くタンジンに相談して、何とか穏便にトキタロウの挙兵を頓挫させたいというのに……。
「あの、今日は大事な話をしたくて……」
「タンジンに会いに来たんだろ? 分かってるよ」
「えっ? ど、どうして……」
冷汗が走る。
まさか……もう、良子は知っているのか?
彼女が知っているとなれば、当然彼も……タンジンも知っている。
自分が相談するよりも先に知れていたら、彼の機嫌を損ねるような事があっては、トキタロウはタダでは済まない……!
「なに、トキタロウが都から帰ってきた時はいつもそうじゃないかい。アイツが余計な事して、ケツ拭きをタンジンに頼みに来る……今回もそうじゃないのかい?」
彼女の問い返しに一先ず胸を撫で下ろしたトキヤだったが、次の瞬間には慌てて言い訳を考えて答え返す。
「あっ……そ、そう、そうなんですよ! いやあ、困ってしまって。それでまあ、今回はちょっと……恥ずかしい感じの事だったんで、良子さんにもお伝え出来ない、っていうか、あは、あはははは……」
……トキヤは気付いていなかったが、良子はこの時、じっと真剣な眼差しで彼の顔を見て……そして、トキヤが気付かぬ内にいつもの微笑みを顔に貼り付け直した。
「そうかえ。恥ずかしい事かえ。そら一大事だわねえ……」
良子はトキヤに背を向けると、門番に扉を開けさせた。