第九話【もう一人の光る姫】1
ティナ・サカガミが処刑されてからの神坐は、がらりと雰囲気が変わった。
それまでの転生者傭兵団のやりたい放題は息を潜め、ティナが力で無理矢理支配下に置いた諸侯との風通しも良くなった。
真の団結を得た神坐軍は早速隣国の月夜見に攻め込みカゲツの本陣を誘い出す事を目論むも、カゲツが来るのを待たずしてこれにあっさり勝ち戦を収めてしまう。
何とかカゲツ傭兵団に損害を与えようと月夜見の王ケイシンを捕縛しカゲツ相手に人質交渉の手紙を持たせた使者を送るが、カゲツ側は受け取りすらせず門前払いしてきた為に目論見がばれていると判断した旭は、早々にケイシンを斬首刑に処し月夜見を滅ぼしてしまった。
こうして、東ヒノモトは名実ともに人間の支配圏となったのだった。
戦を終えて一息つく間も無く旭に呼びつけられて御所での参議に顔を出した7人の将軍達は、緊張した面持ちで旭に目を向けていた。
当の旭はというと、何やら不機嫌そうな様子で佇んでいる。
「先の戦といい、このところといい、カゲツの本軍がやけに来ぬ故可笑しいと思っておったら、何やらわしと同じような事をしとる者がおるようだ」
そう吐き捨てて、7人の前に手紙を放り投げた。
そこに書かれていた名前は『菱川真仲』。
思わずトキタロウやヒョンウ、ジョージ等、その存在を知っていた者達は顔を見合わせたり、俯いて眉間に皺を寄せたりし始める。
「向こうも月夜見を滅ぼした我等に興味を示したようで、こんなものを寄越してきおったわ。お前達はどう思う? わしより此奴の方が優れておると思うか?」
露骨に苛立った様子で将軍達へ問う旭に、
「何を弱気な。取るに足らない地方豪族でしょう。我々が死に戻りの力で擦り潰してきますよ」
想定外の答えを放ったのは、最近までこの場にはいなかった黄色の直垂を着た青年。
透き通る様な白い肌と後ろで括った長い銀髪は、ついこの前に処刑された彼女を思わせる。
バレンティン・サカガミ
サカガミ傭兵団の新たな団長。前任のティナの呪縛から嘗て同じ立場であった団員達を解き放つ為、自身がティナよりも神坐ひいては旭にとって役立つ事を証明する為に東奔西走する。
「いや……お前達は無理をするな。ただでさえ、嫌っていたとはいえ頭領を失って直ぐであったのにも関わらず、先の月夜見との戦に駆り出してしまったのだ、今はこれ以上の働きを求めぬ……」
「ご心配無く。例え俺が壊れても代わりはおりますので」
交流の浅いバレンティンを旭は上手く御せず、求めている返事を引き出せない。
「成程なあ……こんな調子の奴等をティナは率いておったのか……」
思わずそんな事を小声で呟いてしまった。
「? 何か言われましたか? すみませんが、俺はティナ程耳が良くないので……」
「ああいや、気にするな。してバレンティン……であったな?」
「はい」
「調子が狂う故、暫くは口を噤んでおってはくれぬか?」
やむを得ず、直接言って聞かせる。
「……女王の御心のままに」
当然バレンティンは不服な表情を浮かべたが、ここでは己の話の流れを大事にしたいが故に彼の好意を損ねるのはやむを得ない、そう旭は判断した。
「はぁ、やっと話の筋を戻せる……してお前達、どうなのだ? 真仲とわし、どちらがヒノモトの武士の頂に相応しいと考えておる? 忌憚なく言うてみよ。特に、わしがカゲツに捕らえられた折、この女に靡こうとした者の答えを聞かせてもらおう?」
「先ずは相手の為人を知るところから始めては如何かな?」
「答えになっておらぬなガニザニ。そして問うているのはお前ではなく……貴様等に聞いておるのだ、このすけこまし共が」
「いや、あの時はオレ達も気が動転しててさ……悪かったって思ってんだって! なあ! ヒョンウ!?」
「何の話だ? オレはあの時カゲツに与するフリをしながら月夜見軍の備蓄を破壊して回っていた。最初から今まで、ずっと姫様をお慕い申し上げてるつもりだぜ?」
「ヒョンウ、テメエ……!」
「ああもうやめよ、同じ穴の狢二匹の醜い言い争いなぞ見とうない……ったく、ならばお前はどうだ? タンジン」
話を振られたタンジンは、待っていましたと言わんばかりに何時もにも増して芝居掛かった様子で手に持った鉄扇を2、3度扇ぐとカシャリと閉じ、目を閉じながら朗々と語り始めた。
「菱川真仲ですか……素直な感想を言わせていただきますと、彼女は人の上に立つ者としては不適格だ。裏表の無く筋を通す性格に惹かれた中ヒノモトの豪族達から人気を集めているようですが、所詮そんなものは所謂アイドル的な人気に過ぎない……突き崩す手段は幾らでもありますし、時を待てないのでしたら力業でさっさと良子を向かわせます。いずれにせよ、真仲の首をここへ持ってくる事は容易いですよ」
「待てまて、お前はお前で結論が早過ぎる! 何が首を刎ねるだ、いきなり物騒な奴だな……」
「そうですか? 禍根が芽吹いてしまっている以上、あまり悠長にはしていられないとワタクシは思いますが……」
やれやれだ、といった様子で溜め息をつくタンジンにおぞましさを覚えながらも、旭は次にチランジーヴィに目を向けた。
「うん? そうじゃな……ワシとしては、そこまで人に好かれる女とあらば殺すのは忍びない故に、調略して神坐に引き込んでしまいたのう。裏表のない奴ならば口説くのにもそんなに苦労もせんじゃろうし。そういう訳で、ワシの魅力でイチコロ作戦を提案するのじゃ!」
「却下だ。それでは神坐ではなくお前の配下になってしまうではないか」
「確かにそうじゃな! では、理屈っぽい男には重荷かもしれんが、トキヤに口説かせてはどうじゃろう?」
チランジーヴィに調子良く問われたトキヤだったが、
「嫌です。人を騙すために仲良くするなんて、そんな事したくない」
即答で拒絶した。しかし、
「何を甘えた事を。これも一種の帝王学です、我々転生者の頂に立ち旭の為に働くつもりがあるのなら、受け入れなさい。それにアナタ、そう言いつつもこの前処刑したティナと随分仲良くしていたではないですか」
タンジンの無慈悲な叱責と心無い煽りに、彼は目を瞑り俯いて……暫く考え込んだ末に、
「そうだな……もう、俺はそういう人間になっちまってた。分かりました、引き受けます。全ては神坐の為に」
ティナを殺して引き摺ってきた時のような昏い目をしながら、言葉を並べ始める。
「おいタンジン! もう少し言い方というものがあろう、考えよ! トキヤも左様な顔をしてまで無理に引き受けるでない!」
その様子に慌てた様子で旭はタンジンを窘めながら二人の間に割って入り、
「ちょっ、旭やめろ! どういうつもりだ!?」
「ああもう本当にお前はどうしようもない奴よなあ、ほれほれ落ち着け、私はお前にそんな顔をして欲しくないのだ、よいか? ん?」
今までの旭のやり方としては異質なやり方を……トキヤを無理矢理抱き寄せて頭を雑に撫で回しながら宥めるやり方を以て、どうにかトキヤの気を紛らわせようとしているような素振りを見せた。
対するトキヤは自分の意思を茶化されたように感じて不快感を露わにしながらも、旭の気持ちを尊重したくもあり、複雑な心境で何も言えなくなって只管立ち尽くして頭を撫でられる状況に甘んじる事しか出来ない中、
「落ち着いたか? ……落ち着いたなら聞け」
不意に、旭は小声でトキヤに囁き始める。
「私としてはな、この生意気な人真似女を痛い目に遭わせたうえで、従えたいのだ……格の違いというものを見せつけ、我が僕とするあたって、何かお前に良い案はあるか?」
「普通に仲良くする気は無いんだな……だったら、お前が一番されたら嫌なやり方で屈服させたらどうだ?」
「ほお……? それはいいな。武士として完膚なきまでに打ちのめした後、仲間や臣下の尽くの前で私への恭順を誓わせる……そうと決まれば……!」
旭の頭の中で、最高にして最悪の計画が出来上がったようだ。
「おあっ」
唐突にトキヤと肩を組んだまま将軍達の前に躍り出た旭は、
「皆の者、わしは菱川真仲への処遇を如何にするかを決めたぞ?」
心底愉しそうな笑みを浮かべて、こう続けた。
「先ずは、これまでわしの代わりにカゲツと戦ってくれた事に感謝の意を伝えるべく、使者を送ろうと思う。トキタロウ、ヒョンウ、お前達は何やら向こうを知っておるようだな? 故に行ってこい」
「いいぜ」
「ま、程々に仲良しゴッコしてきてやるよ、姫様」
「だが、お前達だけではわしの誠意が伝わりきらぬと思う故、更に特別な立場の者を向かわせたい。とはいえお前達将軍共より上の者など、今のこの国にはおらぬ。そこでだ……」
旭は徐にトキヤの顔を撫でて見せた。
「わしはトキヤを夫として迎える事とする」
「え?」
トキヤは頭が真っ白になって、呆然とした声が漏れた。
「えっ?」
トキタロウが嬉し泣き、ヒョンウが爆笑し、チランジーヴィが悔しそうに慟哭する中、束帯を着た旭の横で白無垢を着せられたトキヤは『俺がこっち着るの?』という困惑の感嘆詞が転がり落ちた。
「えぇーーーッ!?」
盛大な宴を催され、旭はガハガハ楽しそうに笑い、ジョンヒの席には『欠席』と書かれた立て看板が置かれ、ニャライが遠い目をしながら引き出物のバウムクーヘンをその場で開けて食べている中、やはり悔しそうに慟哭しているシャウカットを横目に、トキヤは唯々素っ頓狂な声を上げる事しか出来なかった。
トキヤとの婚姻の儀が終わり、彼等が足早に中ヒノモトを訪ねる準備を行っている様子をぼんやりと眺める旭だったが、その心の中では言葉にならない禍々しい思いが犇めき合っていた。
流れ者は心を壊せば死に至る。
神坐の主となって以降、タンジンやトキタロウがそれとなく言っていたその話を信じて、ずっと遠回しにトキヤを虐げ、苦しめ続けてきた。
能力に見合わない大役を押し付け、ならず者を嗾け、他の男に靡くような素振りを見せた。敵陣のど真ん中で敢えて色仕掛けに興じた事さえあった。
その度にトキヤは思い悩み、心を痛め、魂を擦り減らした様子だったが、厄介な事に自身への愛情と忠誠心が心の柱となって持ち堪え続けた。
それでも、いずれは苦痛が限界を迎えて覚めない眠りに陥り、そうなったトキヤを抱いて慈しめるものと考えていた……。
ティナの死体と謂う他無い無惨な末路を目の前にして、旭は内なる考えが変わった。
己の愛する者と共に死にたい、その願いは果たして正しいのか? とすら感じた。
目の前の現から目を瞑るように一先ず契りを結びはしたが、己の求める結実の形へ進んだ先のトキヤは、果たして己の求めた姿をしているのか?
あるいは己の求めた形の愛を諦めて尚、この素直なだけが取り柄の能無しを慕い続けられるのか?
然し……選択肢はその二つだけではなかった。
自身の繰り出した正義誅殺の謀略を利用してタンジンの謀殺を企んだ将軍達を止める為にティナを処刑する事を選んだ、人が変わった様子のトキヤ。
あの時の彼は、こちらの想いを知ってか知らずか逆に色病みの呪いを使って心を壊そうとしてきた。
そして己自身、これは因果応報であると思えてしまい……。
邪魔が入らなければ、きっとそのままトキヤの遊女となる事を選んでいたのだろう。
あまりにも恐ろしい……然し恐ろしい筈なのに、あの時のことを思い出した自身の中には、そうならなかった事への激しい悔しさもある。
何時ぞやに口先三寸で適当に放った言葉を思い出す。
トキヤと共にゆく滅びは、きっと何物にも代え難い甘美だろう……という言葉。
もしも、仮に、よしんば、トキヤが素直なだけが取り柄の能無しを脱せたとしたら?
現にタンジンはそれを望み、トキヤを流れ者達の頂きの座に相応しい男となるよう育て始めている。
もしもそうなれば……きっとトキヤは己を遊女にするどころか、見限り切り捨てて神坐を奪う事だろう。
無能を愛し続けられるだけの胆力は無い。
だが、有能なる者に愛されるだけの能力も愛嬌も己には無い。
カゲツを殺し、光家の汚名を雪ぎ、人々の世を取り戻す……それを望むには、己はあまりにも無力で至らぬ存在であった。
それ故に流れ者の力を頼ったが……そもそもの振り出しが誤りであったのかもしれない。
その点を考えれば、ヒノモトの人々だけを率いてカゲツと対等に渡り合えている菱川真仲と謂う女は、邪魔を通り越して脅威でしかない。
早急に取り除くにあたってはタンジンの言っていた通り、間者を潜り込ませて殺すのが最良だろう。
だが……それでは納得がいかない。
己の方が上であると分からせて、あわよくば殺さずに従えてやりたい。
『お前が一番されたら嫌なやり方で屈服させたらどうだ?』
トキヤのそんな言葉を聞いて、真っ先に浮かんだのは、己の遠い祖先と同じ目に遭わせる事だった。
人の身でありながら人でなしの望みを抱いた己の心にぞくぞくしたのと同時に、それを望んだ理由は『如何なる武士の女であろうとも、絶望を味わえば同じ穴の貉となって欲しい』という願いが何処かに有ったが故なのだろう。
そして、政争の果てにトキヤに下された己がどうなるのかを、屈服させた菱川真仲を通じて見ておきたいという考えも、己の気付かぬ内にあったのかもしれない……。
「嗚呼……お前は何故、私をこうまで悩ませる?」
誰に言うでもなく、旭は呟いたつもりであったが、
「ねえ、さっきトキヤがヘラった時にあたしが教えたアレ、やったんだって?」
どうやら地獄耳の女狐が耳を欹てていたらしい。
いつの間にかジョンヒが隣に座っていた。
「ああ……たちどころに良くなった故、とても役に立ったぞ」
「でしょ? ああいうウジウジした男って好きな女に甘やかされるとすぐ機嫌直すから、ホント、チョロいよね」
「御しやすく愚かな男しか好きになれぬという意味では、わしとお前は似た者同士なのやもしれぬな」
「そんな嫌そうに言わなくても、あたしは色んな男をとっかえひっかえしてきた結果ああいうのが一番楽って思っただけで、人間不信の誰かさんとは違う理由だからね?」
「わしだって斯様な身体で生まれてきておらんかったら同じ理由で好いておったわ」
……不意に、二人の間に沈黙が横たわった。
「此度のトキヤの婿入りはな、中ヒノモトの菱川真仲征伐において必要な事であったのだ」
「別に」
無理矢理話を続けようとしたが、ジョンヒは素っ気ない返事で終わらせた。
「で、では、トキヤの側女になるというのはどうだ? 此度の事も、真仲を調略する為に止むを得ず……」
「あたしが下は嫌なの」
「は……?」
旭に顔を向けないまま、ジョンヒは続ける。
「側女って要するに、トキヤの愛人になれってコトでしょ? トキヤにとって、アンタの次。二番目の女。そんなの嫌だから」
「……すまぬ」
「いいじゃん。もう女狐はトキヤにちょっかい出さないから。良かったね、トキヤの正妻の旭ちゃん」
そんな事を言いながらも、ジョンヒはその場から立ち去ろうとしない。
ずっと旭の隣で、恨めしそうに座り続けている。
その背中を前に、旭は罪悪感を掻き立てられて仕方がない。
流石に本人が幾ら否定しようと、ジョンヒのトキヤに対する想いは旭の目にも明らかで、己がいなければ2人はいつまでも仲睦まじくいられた事も分かっていた。
それでも……それでも、旭にとって、トキヤは何者にも代え難く必要な存在だった。
彼がいたから流れ者を手早く味方に付けられた。
彼がいたから戦に敗け死の淵を彷徨っても脱する事が出来た。
彼がいたから如何なる曲者に物怖じせず、信用に値しない魔物が如き不死の連中に囲まれて尚、己の軸を失わずに渡り合えた。
素直なだけが取り柄の能無しがいなければ、ここまで残酷な為人を演じる事は出来なかった。
「……そうよな。ここでわしが頭を下げれば、お前は益々惨めになるばかりよな」
立ち上がり、ジョンヒの前に回り込んで……旭は険しい思いを隠すように不敵に笑った。
「改めて言っておいてやろう。お前はわしに負けたのだ、女狐。お前が長い時を掛けて奴から得た信用も、積み重ねてきた情愛も、全てわしが瞬く間に奪い取った。それは単に、女としてのわしの魅力によるものであろう。そうやって惨めに座っているが良い。わしがお前の代わりに、お前がトキヤとしたかった事の全てを為してやる故、指を咥えてしかと眺めておれ」
……全て聞き終えたジョンヒはふらりと立ち上がると、
旭の横っ面をぶん殴った。
「おい! 何やってんだジョンヒ!?」
流石のトキヤも中ヒノモト行きの準備を中断して駆け寄るが、
「折角引き際かなって思って諦めてあげてたのに……良いよ。そっちがそのつもりなら、まだまだ遊ぼっか」
目を白黒させるトキヤと旭を嘲るように、ジョンヒはいつもの何を考えているのか全く分からない微笑みを向けた。




