第八話【無用のならず者】4
朝が来て、夜が来て……その度に無邪気な友人達が計画を進め、無慈悲な先達共が計画を利用する算段を進める。
そんな事は露程も知らず、生け贄に選ばれた男……イタミタンジンは今日も呑気に詩を認めている。
男の隣には、呼び出されたトキヤが座っていた。
「噂をなかなか上手く立ち消えに出来ないようです。良子が珍しく焦っていましたよ」
「そうなんですね」
「アナタの方はどうですか? 何とか旭を説得して欲しいところですが」
「あいつは一度決めたらなかなか折れない奴ですから」
「トキヤ」
浜辺で話し合った時と同じように、タンジンは妙な区切り方をしてトキヤが目を合わせてくるのを待ち始めた。
「トキヤ」
……意を決して、彼と目を合わせた。
「アナタにとって、旭以外に大事なモノはありますか?」
想像していた詰問ではない、まるで己の死期を悟ったような質問を前に、トキヤは一瞬頭が真っ白になった。
「……今の俺には、無い、かも、しれませんね」
嘘をつく余裕も無ければ、深く考える余裕も無かった。
そんな様子のトキヤを、タンジンはくすくすと可笑しそうに笑って続けた。
「それでは、トキタロウに問われても同じ答えを言えますか?」
「やめましょうよ。そんなの俺、答えられないです」
「今はそれでも構いませんが、いずれ答えを出さなければ、苦しむのはアナタですよ」
「……じゃあ今は、アニキって事にしといて下さい」
「そうですか。アナタはトキタロウの為ならば、己を頼ってくれて、己を信じてくれて、己を愛してくれている者すらも裏切って殺してしまえる、と?」
「なんか回りくどい言い方ずっとしてますけど、要するにアニキを捨てて旭に乗り換えろって言いたいんですね? あんた、旭の事嫌いじゃなかったのかよ」
「嫌いでしたよ。ワタクシが拾った時の彼女は、唯々血筋以外に何も使えるモノを持たない、にも拘らず危ない事を放言して回る、おまけに遊女のなり損ない……そんな小娘でしたから」
トキヤの問いに、タンジンは遠い目をしながら語り始めた。
「それでも、いずれ機を見てカゲツを裏切る時に錦の御旗として人を集めるぐらいの役には立つかもしれない、そう思って手中に収めましたが……まさか、道具として利用するのではなく人として救おうとアナタが奔走した結果、東ヒノモトのカゲツの支配が崩れる事になるとは……運命とは数奇なものですね」
タンジンは寂しげにトキヤへ微笑み掛ける。
「俺一人でやった事じゃないです。それに、俺はあなたの判断が間違ってたとは思いません。アニキや旭がこの世界の人間を救おうとしてるのと同じように、この世界の人間を守る為に最善を尽くした。俺はそう思ってます」
それがトキヤに出来る精一杯の返事だった。
これ以上何か言えば、耐えられなくなってアニキ達の計画をぶち壊してしまう。
「……ああ、もうこんな時間ですね。あんまりここにいると、旭がまた勘繰ってしまいますんで」
早口に言い捨てて、トキヤは逃げるように彼の許から逃げ出した。
……トキヤが見えなくなった後、
「口の固さは合格点ですね」
タンジンは独り言を呟く。
「しかし、そうも言ってられねえでしょうよ」
ぬっ、と何処からともなく現れた良子が、タンジンの言葉に応えたが、
「いえいえ。きっとこの先は、ワタクシが手を下すまでもないですよ
それでもタンジンは、余裕のある態度を崩さず、意味深な笑みを浮かべていた。
旭の部屋に近付くにつれて、幾つものぎゃあぎゃあと喧しい声が大きくなってゆく。
こちらも呑気なものだ……自分達の計画が乗っ取られようとしているのに。
そう心中で呆れながら部屋に入るなり、
「やけに早かったな……まさか、全てぶちまけてきたのではなかろうな?」
予想通り、尋問が始まった。
「そうなりそうだったからさっさと帰ってきたんだよ」
「ふーん……嘘言っても後から分かるからね」
「幾らでもやれよ。気が済むまで調べていいから」
「タンジンから何か言ってきた事はあったか? 何でもいい、些細な事でも」
「いや、特には無かったな。だからホントに知らないんだと思う」
「つってもこれから先どこまで隠し通せるかは全然分かんねえからな。タンジンから隠せても、目も耳も鋭い奴があと2人はいるんだ」
2人ってヒョンウとガニザニの事なんだろうけど全員タンジンがバラすまでもなく知ってたぞ……という言葉は流石に引っ込めたが、
「なあ、何でお前らはそこまでしてこんな危ねえ橋渡ってんだよ。バレたら全員タダじゃ済まねえんだから、もう俺とニャライと旭だけの話にしれっと戻してもいいんだぞ?」
苦言を呈する事だけは止められなかった。
そんなトキヤの気遣いにも3人は気付かず、
「ハイハイ、もうそういうのやめろ。お前にばっかり旭さんに良い顔させたくねえの、分かる?」
「シャウカットと同意見だ。私だってもっと旭の役に立ちたい」
「っていうかそもそも旭ちゃんよりアンタが心配だからいるの。いい加減自覚しよ?」
好き勝手の言いたい放題をぶつけてくる。
「ちょっとちょっとー! 誰も私の心配はしてくれないのー!?」
「お前は最悪どうなっても何とかなりそうだし……」「俺もペイジと同意見かなー」「それ以前にコレ始めたのアンタなんだからそこは自分で何とかするのがスジでしょ?」「えーん! みんなひどいよトキヤー!」「せめてこういう時ぐらい仲良くしようや、お前ら……」
そこにニャライも横から飛び入り参加してきて、いよいよ会話の主題は遠く彼方に見えなくなってしまった。
日が落ちて、夜。
再び二人だけになった部屋の中で、トキヤは旭の背中を見つめながら考え事をしていた。
……あと数日で、本当にタンジンを追放してしまうのか。
正直なところ、建前で謀殺される事になる正義よりも、全てを奪われ野に捨てられるタンジンの事で頭が一杯になっている自分に対して自己嫌悪を禁じ得なくはあるが、それすらもタンジンを騙している現状への憂いが勝ってしまい朧げになっていた。
彼を救う方法はあるのか。
あるとして、それは何を意味するのか。
そもそも、旭のワガママとニャライの嫉妬が原因なのに、何故それにタンジンが巻き込まれなければならない?
……それでも、トキヤは目の前の白く儚い背中を刺すような真似は出来なかった。
己の運命を呪い、己の非力さを呪い、周りの全ての人間を呪い……何も希望が無かった彼女の、たった一つにして最後の希望。
そんなモノになるつもりは無かった。
ただ単に困っている人を助けた、それだけのつもりだった。
だが、彼女はそれで終わらせる事を許してはくれなかった。
口を開けば一蓮托生だと脅してくる切実な願いを前に、トキヤは彼女に言われるがまま身の丈に合わない国主の側近にまで成ってしまった。
……そこまでしてやった相手に裏切られて死にゆく絶望の重さたるや、考える事すら憚られる。
誰も裏切れないが故に、誰かを裏切ろうとしている。
誰も取り溢さずに救う事は、最早絶対に出来ないところまで来てしまった。
しかし……本当に失って良いモノは、別に居るのではないか?
タンジンよりも大事ではない存在。
そして、失ったところで痛手を負わない存在。
「……俺は、何を、考えている?」
ふらふらと寝床から抜け出して歩き始めたトキヤは、夜闇に吸い込まれ……そして、消えた。




