第七話【人類の守護者】6
広い板間の上座に、一人。
青い狩衣を着た長い黒髪の男が佇んでいた。
誰かを待つように。
強過ぎる決意か自棄の感情を据わった目に湛えて。
「トキヤなら来ないぜ」
爽やかで無慈悲な男の声が、青い狩衣の男……イタミ・タンジンに浴びせられた。
タンジンに声は聞こえているようだが……その声の主に興味を示す様子は無い。
「おい、無視するのはあんまりだろ」
足音が近付き、姿を見せたのは……。
「成程。どれが本物の旭か分からなければ、どれも殺さなければ良い……アナタにしては賢明な判断だ、トキタロウ」
背中には何本も矢が刺さり、己の血で白の直垂に幾つも紅い染みを作って、肩で息をしながら身体を引きずるように歩くトキタロウだった。
「テメエ……わざと死なねえようにさせてるな?」
「ワタクシが彼女達に命じた内容は二つ。旭を殺せ。そして、殺そうとしてくる者以外は無理に殺すな。……ワタクシの読み通り、不死の力で強行突破をしてくるアナタのような者を虫の息にして誘い込む事に成功したようですね。それより、他の者達はいない……という事は、アナタは周囲の反対を押し切ってここまで来た。そうですね?」
「ったく、酷い奴等だよなあ。自分達の国の女王様が命狙われてるってのに、ヘタに手ェ出すと混乱するからって皆様子見だ」
「アナタがそうまでしてここに来た理由。ズバリ、ワタクシがトキヤに取り入る事を恐れたから……そうですね?」
「へッ、トキヤはオレのだ。今更テメエに取り返されてたまるかよ」
「おやおや。アナタにしては随分と自信の無い物言いだ」
「それは、まあ……最早オレのですらなくなっちまってるからかもな」
「そういう事ですか。それで、何故トキヤは此処に来ないのです?」
「それは、なあッ!」
一思いにトキタロウは自身の首を切り裂いた。
崩れ落ちたトキタロウは……暫くして、手を床につき、脚を膝から立ち上げて、元通りの真白な直垂姿で再びタンジンの前に立ちはだかる。
「ここでオレが止めるからだ」
不敵に笑うトキタロウ。
だが、その言葉には何一つ真実が無い事をタンジンは理解している。
トキヤは必ずここに来る。
ならば何故トキタロウは戦いを……それも転生者同士、死に戻り続けて終わらない戦いを挑みに来たのか。
その目論見を推測しながらも、それでいて自身には打つ手が無い事も理解しているタンジンは、唯々己を自嘲した。
「アナタは本当に、厄介な男だ」
桃色の髪と、白銀の刃と、明紅の鮮血。
それらが入り乱れる宵闇の中を、旭とトキヤと正義は斬り進む。
幾つもの、黒い骸を捨て置いて。
「タンジン! いるんですよね!? 隠れてねえで早く出てきてください!」
御所の部屋という部屋を開け放って、トキヤは呼び掛けて回る。
「タンジン! 俺と話しましょう! タンジン!」
「トキヤよ、何故お前は、奴に、手を! ……差し伸べる? 彼奴は私を猫に嫁がせようとした様な奴だぞ」
「姉上、多分トキヤ殿は! ……負い目があるのではないかと」
正義の言葉に、偽旭をまた一人斃し終えたトキヤはぎょっとした様子を見せた。
「正義お前……人の心の中身でも見えてんのか?」
「え、まさか、当ててしまいましたか? いやー、わたくしの悪い癖です、あはは……」
「お前の異常な直感力の強さ、マジで敵に回したくないよ……旭はタンジンに酷い目に遭わされたみたいだから、言いだせなかったんだけどさ」
そう言ってトキヤは、旭から正義の方へと顔を背けて続ける。
「ホントは俺、キタノトキヤじゃなかったんだ」
「……どういう意味だ?」
「俺達転生者がこの世界へ最初に来た時、どの傭兵団に入るかを決めるルールがあるんだ。最初はざっくり文化の違いで。それから細かく、どの傭兵団が性格的に馴染むかで。とはいっても、大体近しい性質の人達が集まってる傭兵団の領地に出現するモンなんだけど、俺はちょっと特殊だったんだ」
「本来キタノ傭兵団の所領に流れ着く筈が、イタミ傭兵団の土地に現れてしまったのですね?」
「俺はそう思った。正直、最初に拾ってくれたタンジンの事は胡散臭すぎて信用出来なかったし、逆にイタミの屋敷に殴り込んでまで連れ出してくれたアニキの言葉は、全部すんなり入って聞き入れられたから……幻滅したか? 俺の事、軽蔑するならしてくれていいよ」
「いや、別に幻滅なぞせぬが……それは私の話をしているのか? 女衒から逃げている最中にタンジンに捕らえられて、屋敷に閉じ込められていたところをトキタロウに助け出されたのだが……」
トキヤと旭は互いにきょとんとした顔を合わせ……、
「嗚呼……分かったぞ。奴の手際がやけに良かったのは……」
旭はその場にいないトキタロウへ疎ましげに思いを向けながら言い始めたが、
「旭もそうだったんだな……やっぱり俺と旭は、アニキを通じて何か不思議な運命で繋がってるのかもしれないな」「あ、ああそうだな! 誠に、私とトキヤは同じトキタロウに救われた、全く数奇な運命の星の下に生まれたものよ!」
盲目的で能天気なトキヤの調子に慌てて合わせて格好をつけた笑みを向けた。
そんな二人の様子を前に、正義は流石に姉を案じて、
「あの……姉上、トキヤ殿は斯様な具合で、本当にキタノの参謀をされていたのですか?」
小声でトキヤの正気を問うてみたが、
「心配せずとも、体面ばかり気にして嘘をつきまくるお前よりはよっぽど信用の置ける男だ。まあ然し……わしの色仕掛けが効き過ぎて、最近はちと惚けておるのやもしれぬな」
相変わらず自分への態度が冷たい事すらどうでもよくなる程、更に血迷った訳の分からない事を言い始めた目の前の女を前に思わず正義は姉を姉と思えなくなり、胡乱な者を見るような目つきを向けてしまった。
「何だ? お前にしては珍しく目だけで思うた事を伝えようとしおって。言いたい事があるなら言え」
「いえ……その、まあ、この騒ぎを収めた後にでも、また」
「なあ、さっきから二人で何ヒソヒソ話し合ってんだ?」
そんな二人の仲睦まじい姉弟愛のような何かに少し羨ましさを滲ませたトキヤが割って入るも、
「最早我々が目を通していない部屋も少ないので、そのタンジン殿とやらから不意打ちを仕掛けられた時の算段を話し合っておりました」
「ま、お前を盾にする他ないだろうと話がまとまったので正義が言い辛かった、ただそれだけだ」
二人のあまりにも自然な流れの嘘を前に、違和感を感じつつ納得せざるを得なかった。




