第七話【人類の守護者】4
「そうですか……殺さず返したとは。旭も少しは成長したようで何よりです」
「へえ。それから、旭様は正義殿と合流なすっとったみてえです」
暗く閉めきった屋敷の奥の間で、青い狩衣を着た長い黒髪の美青年と、小袖の中年女性が話し合う。
「まあ、それは予想がついていましたよ。いつもの彼等にしては余りにも目的一点かつ手段を選ばないやり方でしたから」
「それから……ヤマモトの団長様が、もうあっし等とは手を切ると」
「合理的な判断でしょう。旭にとっても彼は助けになりますね」
「……タンジンや、ちょっとええかい?」
良子の問い掛けに、タンジンは首を横に振った。
「そうかい。そんなら、あっし等もこれでお暇を頂きてえんだが、良いかえ?」
「それには及びません。ワタクシがイタミを出ましょう」
タンジンの頑なな態度に、良子は困ったような微笑みを浮かべた。
「まだトキタロウが憎いんか? それとも、この期に及んでカゲツが勝つとでも?」
「それらを否定はしませんが……ワタクシは今、一番にしたい事があるのです」
固い決意の表情を良子に向けて……然し直ぐに眉間に皺を寄せながら俯いたタンジン。
その心を良子は汲み取って、
「ようやっと分かったわ。旭様を試してえんでしょう?」
その心を代弁した。
「然しそれは許されぬ事。悪戯にイタミの皆を危険に晒す等と、ワタクシをこの座に迎えてくれたアナタへの裏切りと謂うものでしょう?」
「いんや、構わねえ。丁度あっしらも、旭様が気に入らねえ奴等とカゲツが気に入らねえ奴等とで真っ二つだったんでさあ」
……暫しの沈黙があった。
然しタンジンにはもう結論が固まりきっていた。
「それでは、イタミ傭兵団をアナタに預けます」
「あっしに? ……あの子じゃなくてかえ? 折角手塩にかけて育ててたのに?」
団長の座から立ち上がり、背を向けてその場を去ろうとするタンジンを引き止めるように、良子は最後の問いを投げ掛けた。
「彼女は……イタミ十雪はワタクシの代わりであってアナタの代わりには成り得ません。邪魔になるなら殺しなさい」
「殺すくれえならこのまま飼い殺しにした方がましってもんだね」
「アナタが引き継いでくれるのならワタクシは何でも構いませんよ」
淡白なやりとりを交わし、良子はタンジンのいなくなった部屋の奥に飾ってあった青い直垂に手を掛けた。
その翌朝。
「と、謂う訳に御座います」
臨時団長に就任した良子は、旭へ頭を下げに神坐へ来ていた。
「今、何と言った……? わしの耳が正しければ、タンジンが、僅かな手勢を連れて団長の座を放棄した……そう言ったように聞こえたが」
「へえ」
「いや、へえじゃねえだろ良子……ヒョンウ、何か知ってるか?」
「オレの方も情報ナシだ。多分昨日の今日とかで決めたんじゃねえか?」
「ヤツがこんな見え透いた嘘をついてまで、イタミの団長の座を放り捨てる事態とは……何を企んでおる? 正直に話すのじゃ」
「彼女はそう問い詰めても答える相手ではないだろう。察するに……彼はより亜人側に接近するべくカゲツの許へ身を寄せたのではないだろうか? 以前から彼は全員が離反して全面対決になれば、最悪は人類が滅ぼされてしまうと懸念していたからね」
思い思いの事を言い合うも誰一人しっくりきた正解に行き着かない中、
「何だなんだァ? タンジンの野郎俺が降りるっつったら尻尾巻いて逃げやがったか?」
良子の手勢の後ろからふらりと現れたのは、深緑の直垂を着た金髪の老翁だ。
「ジョージ、来るなら来ると言って欲しい。でないと我々も迎えに行けない」
「おいおい、いい加減要介護ジジイ扱いはやめろ、ペイジ。俺だって転生者なんだ」
「そうは言ってもだな……はぁ」
呆れた様子のペイジを置いて、ジョージは悠々と良子の前を通り過ぎると、
「あの、ジョージさん、今は良子さんと話が……」
「気にすんなキタノの参謀、すぐ終わらせてやるから」
「俺はもうキタノでも参謀でもないんですけど……」
「ガタガタうるせえなあ! 細かい事ばっかり気にする奴はモテねえぞ?」
彼女を遮るようにその前にどっかりと胡座をかいて座った。
「プリンセス、遅くなっちまってすまねえな。俺達の方針がやっと定まったから、直々に挨拶に来させてもらったぜ?」
不敵に微笑んでジョージは一息吸い、次の言葉を繰り出した。
「これよりヤマモト傭兵団はカゲツ傭兵団との同盟関係を解消し、神坐の為に戦う事を決定した。キタノ傭兵団の雑用からでも構わない、俺達に出来る事があれば是非とも協力をさせて欲しい」
言い終わったジョージはペイジにウインクして見せる。
「ありがとう、ジョージ……!」
目を潤ませて喜ぶペイジだったが、
「そうか。ペイジ、さっさとこの老耄を連れて行け。して良子よ、我が軍門に下ると謂う話だが……」
自分の団長がわざわざ頭を下げたにも拘らずほぼ無視に近い応えどころか当てつけに自分の方を厚遇するような態度を返した旭を前に、
「おい! ジョージに向かってそれはどういうつもりだ旭!?」
思わず怒りを露わにして掴み掛かろうとしたが、
「やめろ。俺達が一番遅かったんだ、仕方ねえよ……ま、出来る事からやらせて貰うからよろしくな、プリンセス」
含みのある笑みを浮かべたジョージに押さえ込まれて、納得のいかないまま元の座に座らされた。
「……よいか? では話の続きだがな良子、いきなりそう言われても我等もお前達をおいそれと信用は出来ぬ。故に」
旭が首を傾けた先には、赤と黒ばかりの十二単を纏う銀髪の女……ティナが座して出番を待っていた。
「まあこういう時の常道といえば、裏切ったご主人様を相手に手を掛けさせる……それに限るねえ」
「血も涙も無駄も無いな」
「まあ、もっと信用しないならコイツ等をこの場で皆殺しにしてもいいんだがね? ひょっとするとトロイの木馬としてやって来た可能性だって否定出来ないんだからさ」
ティナの言葉のままに旭が鋭い目を向けるまでもなく、
「獅子身中の虫なんてとんでもねえ、あっし等ここで皆丸裸になったって構わねえですよ?」
良子は自分の潔白を主張して自身の直垂の襟を緩めるような仕草をして見せる。
……暫し旭と良子は睨み合い、互いの出方を探ったが、
「もうよい。婆の裸を見て楽しむ趣味などわしは持ち合わせておらぬ」
そう言い捨てて「おいヒョンウ、暫くの間お前が面倒を見てやれ」「了解だ姫様。さて、これからは同じチーム同士仲良くしようぜ? 良子姐様」「……へえ」旭は自分が折れる判断を下した。
その日の夜更け。
「少し夜風に当たる」と言って赤らめた惚けた顔で部屋を後にした旭の背を目で追いつつ、トキヤは乱れた服を直しながら数日前のシャウカットの言葉をぼんやりと思い返していた。
……確かに、最近の自分は変に見えるのだろう。
旭に求められるがまま応じてきた、その頻度が多過ぎるが故に。
初めの戦での大敗から神坐を目指して落ち延びていた間に、旭に誘われて手だけとはいえ関係を持った。
それ以降、旭は一緒にいる時に暇さえあれば自分を求めてくるようになったが、段々と回数が増えて、時と場所を選ばなくなってきている。
まるで旭の自制心が、何らかの理由で無くなりつつあるように。
初めはカゲツから受けた傷やティナとの戦いでの重症等、何らかの大怪我を負い、驚異的な回復を見せた後に求められる事から、旭は好意を持つ相手と肉体接触を持つ事で何らかの理由により回復する特殊能力を持った亜人なのだと思っていた。
だが、無間平野の戦いを前に久々に再会した時も、旭は何一つ怪我などしていないのに場所も時間も憚らずに自分の袖を引いた。
(……まさか、指だけでも呪いが少しずつ掛かり始めてる、なんて……そんな事無いよな……?)
仮にそうだとしたら、旭が次に大怪我を負った時、彼女の命と正気を天秤に掛けなければならなくなる。
……そんな事態は出来れば避けたい。
その為にも、早く呪いを解く方法を見つけなければ。
「戻ったぞトキヤ」
いつもより妙に柔らかな声色で旭が呼び掛けてきた。
「……どうしたのだ? 深刻そうな顔をしているように見えるが」
「えっ……いや、まあ、これからの事を考えてたんだ。また旭が無茶して怪我でもしたらと思うと、気が気じゃなくて」
いつも通りはぐらかして苦笑いを浮かべる。
旭はそれでコロっと騙されて『左様な些事で気を病むな。お前の今すべき事は……』と言いながら身体を預けてくる。
「嘘が下手だな。お前は左様なぼんやりとして具体性の無い悩みに延々と頭を抱える奴ではない筈だ」
「え……」
読みが外れた。
「本当は何を悩んでいた? 側近のお前に嘘や隠し事をされるよりも辛い事は無い。私に出来る事があるかもしれない、包み隠さず教えてくれ」
いつもの旭とは明らかに違う言動で目の前の旭は迫る。
「ちょっ、ちょっと待て旭、いきなりどうしたんだ? 今日のお前、何か変だって……」
「私だってたまには気の変わる日もあるさ。人間だからな」
正直、気味が悪い。
というより、目の前の相手が同じ旭とは思えない。
例えば……変身の魔術とでもいうべきものが存在して、それを使った誰かが自分から情報を引き出そうとしているのか?
「そ、そうか。まあ、でもホントに気にしないでくれ。っていうか、あんまりしつこく聞かれても、その……困る」
話を合わせるフリをしつつ、枕元の小刀へ、ゆっくりと、手を……。
「それはすまなかった。私とした事が、お前を余計に不安にさせてしまったようだな」
伸ばしたが、知ってか知らずか相手の旭は指を絡ませてきてその手を止めた。
……こういった言葉面ばかり綺麗でその実狡猾なやり方を繰り出す相手に、トキヤは心当たりがあった。
「もういいだろ。あんまり焦らさないでくれよ」
それが為にトキヤは、
「今日は寝かさねえからな……」
そう言って旭の形をしたナニカを押し倒し、股を開かせてみた。
「全く、強引な奴だな……いいぞ。来てくれ、トキヤ」
案の定拒まない。
本物の旭であれば、何が何でも拒絶しなければならない理由がある。
だが目の前の旭のフリをした彼はそれを知らない。
「そうか。それじゃあ、遠慮なく……」
そう言いつつ、偽者の旭に覆い被さるフリをしながら、
「お仕置きしてやるよ、正義」
耳元に脅すように囁く。
「流石に気付いておいででしたか、トキヤ殿!」
「うあっ!」
旭に変身した正義に下から突き飛ばされたトキヤは慌てて立ち上がると、もう旭ではない事が全く以て明らかな、悪意の無い悪戯っぽい笑みを浮かべた旭と向かい合う。
「どういうつもりだ、お前」
「実はケイシンを送り返す前に、人間でも使える簡単な魔術を最近発明したと聞かされまして。成程、今の御様子からすると、見た目は完全に真似られても心根の違いで見破られてしまいますね」
「俺で試したって事で良いんだよな? 人をナメるのもいい加減にしろよ」
「滅相もない。ただ、折角教わった魔術ですから、素直でお人好しなトキヤ殿で先ずは試そうと思っただけで……」
話が通じているようで通じていない。
そんな気がしたトキヤはいい加減ウンザリしてきて、
「えっ、あの、トキヤ殿?」
正義に詰め寄るとその両肩を掴んだ。
「お前さ、そういうとこ治さねえと、いつか誰かに背中刺されるぞ」
「トキヤ殿、わたくしの話はまだ……!」
あたふたする正義をそのまま部屋の外まで押し出して、
「二度とこんな倫理観の無えことすんな!」
追い返した背中に罵声を浴びせた。
どっと精神的に疲れたトキヤは肩を落としながらため息をついて、部屋に戻ろうと振り向いたそこに、
旭が立っていた。
何やら得意げというか、嬉しそうというか……何らかの優越感を覚えて、ニヤニヤと悪どい笑みが溢れたその様子は……恐らく本物の旭の所作だろう。
「見てたなら、お前からも何とか言ってくれよ」
「わしから何か言うまでもなくお前は看破したではないか。それも、あそこまで露骨な誘惑をされて尚、身体を重ねるのを拒んでな?」
「……そりゃそうだろ、本物のお前とヤっちまったら一大事だし、偽者ならもっと得体が知れないし」
言い返したトキヤの言葉に、ほんの一瞬旭は真顔になった。
「そうだな。まあ、今宵も深けてきた事だ、さっさと寝て明日に備えるか」
だが、いつも通りの話振りで続けられて腕を引かれたトキヤは、その一瞬の違和感に首を傾げつつも、彼女と共に部屋へ……、
「止まれ!」
「ぐあっ……! き、貴様……!」
入る事は適わなかった。
「え……っ?」
「気をつけろ、トキヤ……! 御所中私の姿をした、刺客、だらけだ……!」
先程の正義の悪戯がなければ、トキヤは目の前で起きている事を理解出来ず取り乱していただろう。
背中に矢の刺さった旭が、自分の腕を掴んでいる旭を刺し殺している、そんな目の前の事態を前に。




