第七話【人類の守護者】3
その後、旭、トキヤと5人の将軍達は無間平野の地下へ行き、虫の亜人を統べる女王へ懇切丁寧な謝罪を行い、復興に全力を注ぐ事を約束した。
女王は寛大な処置……というよりは虫の亜人の特徴としての『感情が無い』というところにより死者が出た事も特に問題にはせず、また、これも虫の亜人の特徴としての『美味しいものに目がない』というところにより物理的な復興に加えて東ヒノモト各地の名産品や野菜を幾つか献上する事を条件に、粛々と戦後処理は終わった。
そして今、トキヤと旭は神坐に戻ってくるなり捕らえた人質の裁定を行う事となり、その準備が整うのを他の転生者達と待ちながら他愛の無い話をしていた。
「しかしこうも人間の常識が通じぬ奴とばかり話していると、私が可笑しいような気がしてくるな……」
「いや正義は人間だろ」
「お前はあれが人間に思えるのか……!?」
「ずっと思ってたんだけどさ……なんか旭、正義の事を必要以上に疑って掛かってないか?」
トキヤの何気ない問いに……旭は、何か言いたげな表情を見せた。
「お前は本当に良くも悪くも素直な奴よな」
だが、そうぼやいた以上には何も打ち明ける事は無く、
「私はお前と違って、百回騙されて死んでも百回人を信じる為に甦る事は出来ぬからな」
明らかに誤魔化したような答えを返す。
「それは分かるけど……じゃあ何かあったらティナさんの時みたいに、俺が代わりに騙されてお前を守る。それでどうだ?」
そんな旭の嘘に、彼女に評された通り良くも悪くも素直なトキヤは騙されてしまい本心に辿り着けない。
「また左様に歯の浮くような事を……今宵も寝れなくなればお前のせいだぞ?」
だからこそ旭は、トキヤに安心して身も心も委ねる事が出来る。
「だったら今夜はぐっすり眠れるように、気を失うまで徹底的に激しく責めてやろうか?」
「っ!? や、やめろ、こんな真昼間から……!」
楽しげにあけすけな口喧嘩をする二人に、
「なんかさ、二人とも最近ずっとそんな話ばっかしてんの? 流石にこんな人前でそれはガチでヤバいからな?」
いい加減ウンザリを通り越して正気を疑い始めたシャウカットが止めに入った。
「え……あ、ごめん。なんか、最近の俺、変だよな……旭とこんな話してる時以外、楽しい事が何も無くて……」
苦笑いするトキヤの痛々しい表情を前にして、シャウカットは一際大きなため息をつくと、自身の身体ごと旭の方へと向いて続ける。
「あんたさ、トキヤのこと大事なんだろ? だったら、人として明らか可笑しい今の状態見て何も思わねえのダメだろ。俺元々付き合い多少あって知ってるから言わせてもらうけどさ、コイツ元々こんなんじゃなかったからな?」
「おいやめろシャウカット、俺の事はいいから……ごめん旭、コイツには後でちゃんと言って聞かせるから……旭?」
どちらの話も鼻で笑った旭は、
「えっ……な、何だよ……」
シャウカットに目を合わせると、
その真正面に顔を寄せ、
何色も帯びぬ、
氷じみた、
無の表情で、
「トキヤは渡さぬ。此奴はわしと共に生き……わしと共に死ぬのだ」
呟いた。
……シャウカットから顔を離した旭は、もうすっかりいつもの無意味に不機嫌そうな表情に戻っていた。
「それではシャウカットよ、お前がトキヤの代わりにティナの見張りをして、流れ者どもを諫め、わしの夜伽の務めを果たすか? お前にその全てが、果たして務まるとでも?」
そしていつもの何の気無さげな声色で雑にシャウカットをあしらうと、
「トキヤ、お前はどう思う? シャウカットの方がお前よりも務めを上手く果たすと思うか? 思うのならば……私はお前を捨てて、こいつに靡いてしまおうか?」
「……ッ! おいシャウカット、もう俺達の事にあんまり首突っ込まないでくれ、頼むから」
また己の掌の上でトキヤを弄んで遊び始めた。
「旭さん……ひょっとして、あんたは」
2人の様子を近くにいるのに遠巻きに見ているシャウカットは、
「転生者を殺す方法を、探してるのか?」
何となくそう感じて、ぼそりと言い捨てた。
その直後に、フッ、と一瞬で場が静まり返った。
「姉上、連れてまいりました」
転生者達の視線の先、縛られた状態で連れて来られ、石畳に座らされているのは妖精族の若い男。
服は襤褸襤褸に裂かれ、肌の見える所全てに生傷を負った痛ましい姿の彼は、黙して俯き何も言わない。
そんな彼の後ろに立つのは、旭と同じ桃色の髪の美青年。
「亜人の国、月夜見の王ケイシンです」
正義はそれだけ言うとケイシンを置いてすたすた歩いていき、
「姉上……何やら流れ者どもは良からぬ事を企んでいるご様子ですが、どうか姉上と、流れ者どもと、それから敵将にも恥をかかせぬ御沙汰を。……此奴、トキヤ殿と因縁があるので御座いましょう?」
神妙な面持ちで言いながら、トキヤとは反対側の旭の隣に用意された空座に落ち着いた。
旭はというと……そんな正義には全く目を合わせないまま、
「それでは、この者の……月夜見のケイシン王の処遇を決めたい」
ケイシンへの裁きを始めた。
「そうだな……こういった事が得意なのはお前だろう、ティナ。是非話を聞かせてくれ」
旭に頼まれたティナは気分良さげにニタニタ笑いながら「ご指名いただき光栄だねえ」と応えると、悠々と語り始める。
「そうさねえ……折角の人質だ、金目の物と交換で取引をするのが良いだろうねえ。ただ、カゲツに吹っ掛けても素っ気ない返事しか帰ってこないだろうから、まあ強請るなら月夜見の連中だろうね」
「取引の道具以外の価値を見出さず、生きたまま返すのですね……? 折角の敵将、それもわたくしの手柄であるにも拘らず」
ティナの意見に何やら文句をつけているような事を言う正義だったが、
「だったら逆にどうしてあんたは生かしてここに連れてきたんだい?」
問いに問いで返してティナは正義を煙に巻く。
「それは……」
「大方、疑り深い旭様に自分の手柄って納得させる為に生かしといて、ソイツの口から喋らせるつもりだった。そうだろ?」
「成程。其方は人質を左様に扱われるのですね……これでは姉上が人を信じれなくなるのも納得です」
「話を逸らすんじゃないよ。アタシは、あんたが首から下まで持ってきて何をするつもりだったのかって聞いてんだよ」
ティナに問い詰められた正義は……、
「さ……流石にティナ様のような姑息な真似は考えておりませんでしたが、まあ、酒でも飲ませて、知っている事を洗いざらい吐かせるつもりでした。敵の総大将ですから」
観念して、あまり正道とはいえない手段の腹積りがあった事を白状した。
「酒……? そんな程度のもので此奴の口が軽くなるとはお前も思ってはおらんだろう。もっとましな嘘をつけ。大方、顔の形が変わるまで殴りつけてでも此奴の知る事全てを引き出すつもりであったのだろう?」
そんな正義の杜撰な企みを鼻で笑う旭だったが、
「なるほどねえ、拷問か。そりゃいい、返す前に痛い目見させてやって二度とアタシ等に喧嘩売りたく無くならせてやろう」
ティナはその旭の何気ない一言からベストなアイデアを提案した。
「やはり流れ者の道理は分からない……ならず者の所業もいいところではないか……」
そして正義の反感は完全に無視したまま、トキヤの方へと顔を向ける。
「トキヤ、あんた確かコイツに酷い目に遭わされたんだっけ? どうだい? 殺すのはやめて欲しいが、それ以外なら何やっても良いよ」
「いや、俺はそういうのいいです。もう、関わりたくもないんで」
素っ気ないトキヤの返事に、旭はまた機嫌を損ね、ティナもイライラした様子で溜め息をついた中、正義だけは何か察した表情をしていた。
ティナは「分かってるよ、旭様」とだけ言って席を立つと、ケイシンの方へと歩きだしながら、
「トキヤ? 大事な事を教えてやろう。旭様もついでに聞いておきな。あのな、トラウマってのは植え付けてきた相手に面と向かって復讐を果たすまで癒えないモンなんだ。だから……」
ケイシンの後ろから、その髪を引っ掴んで頬に爪を立てながら撫でるように引っ搔く。
「お前がされた事、そっくりそのまま返してやれ」
「多分それはソイツにとって苦痛にならないから真っ平御免だって言ってんですよ」
全く以て尤もなトキヤの答えを前に、ティナも旭も納得をしながら納得がいかない。
ティナと旭……お互いの矜持と命を懸けて刃を交えた二人は、ならず者と武士という相反する立場でありながらも、互いの目的とする一点においては分かり合える事が少なからずあった。
今もまさに、互いの思惑こそ判然としないが『トキヤに復讐をさせたい』という目的だけは一致していた。
ティナはただ面白がって。
旭は……。
「確かに、其れはお前に辱められても寧ろ喜んで、全く復讐とはならぬだろうな。然しだトキヤ……私は、お前の心の一片にでも、この穢らわしい者が残り続ける事が赦せぬ。故に復讐を成し遂げ、この人でなしを忘却の彼方へ捨て去ってくれぬか?」
それが理由だと言ってのけた。
「……そりゃ、俺と同じ苦しみを味わって貰いたいけどさ。俺が何やってもダメだろうからどうしようもないだろ」
「ううむ……トキヤが何をしても、駄目……ならば、他の者にさせるか?」
「姉上、よろしいですか」
「とはいってもよ姫様、ここにいる誰がやってもご褒美になっちまうんじゃねえか? オレ達全員美男美女だからな?」
「その言い方は鼻につくが何が言いたいかは分かった……ティナよ、この人でなしは何をされるのが一番嫌だと考える?」
「姉上、聞いて下さいませ」
「さあねえ……コイツ立場の割に失う物の無い奴だからね。そんな奴からは何も奪えないから、こっちが好き放題させてもらえばいいじゃないかと思っていたのだが……」
「然し、このまま手も足も出ずに金だけ払わせて月夜見に返す等と、わしは絶対に許せぬぞ」
「姉上!」
「……おい、トキヤ聞いておるか」
「旭……正義の話、聞いてやれよ」
トキヤに促されて漸く、渋々、重い溜息をつきながら、旭は正義に顔を向けた。
「もう姉上もお分かりでしょう。この者を月夜見に返す、そこを曲げぬ限りはトキヤ殿の復讐を果たす事は罷り通りませぬ」
「流石にわしも人の子故な、命だけは助けてやろうと思うておるのだ。故にこれは其方の手柄とはならぬ」
「それは建前で御座いましょう。本当のところは金目のものすらどうでもよく、ただ無能な将を敵に押し付け続けて、楽に戦をしたいから……ではありませぬか?」
「わしを見くびるのも大概にせよ!」
「見くびる等と滅相もございませぬ! トキヤ殿に復讐をさせたくばこの者をここで死なせる他に手筈は無いと申しております!」
「話にならぬな! 其奴は人質ぞ! 殺すなど以ての外だ!」
「姉上ならば気付いておりましょう!? 斯様な奴から奪えるものは、命の他に何も無いと……! 故にです姉上、殺さぬのであれば、何かをするだけ無駄に御座います……!」
正義の言っている事は、恐らく何一つ間違ってはいない。
それは旭も理解していた。
だが、それでも……それでも旭は、正義の意見を鵜呑みには、どうしてもしたくなかった。
「……ティナよ、此奴の腕脚をあらぬ方向へ折り曲げた後、入りそうな適当な箱にでも詰めて送り返してやれ」
旭はそう言い捨てると、
「……分かった、旭」
トキヤの袖を握り締め、二人でその場を後にした。
「……あんたはいいのかい? 殺さないでさ」
後味悪そうに問い掛けるティナに、正義は素直な微笑みを返す。
「別にわたくしの手柄など幾ら無くなっても構いませぬ。トキヤ殿も、望まぬ復讐なぞさせられたくはないでしょう」




