第七話【人類の守護者】1
無間平野。
中ヒノモトに近い、東ヒノモトの西の果てにその地は有る。
若草の生い茂る丘が何処までも続くだけで、木も無ければ獣もおらず、川も池すらも無い、青々とした景色に反して、人間や亜人にとっては死の大地だ。
……そんな場所に今、10万にも届きそうな数の人間と亜人が集結していた。
『こちらティナ。ガニザニ、応答せよ。繰り返す、こちらテ』
不意にそんなくぐもった声が夜闇を劈いた。
「ん? 何か喋ったか?」
「いや、何も」
「……近くに神坐の兵がいるのやも?」
「何処に?」
「今、その辺の……そう、この辺の叢から聴こえたような……」
「うーん……しかし、人間の声っぽくなかった気がするんだが」
「ああ、それは俺も思った。……何だったんだろうな」
亜人が二人、そんな事を話し合いながら自陣へと帰っていった……、
目と鼻の先。
無間平野と周囲の森の境に生い茂る叢の中には、必死の形相で、勝手にティナが鎧の下に忍び込ませていたトランシーバーの電源を切って握り締めるガニザニの姿があった。
「閣下ー……ティナさんってこういう人なんですねー……イタズラにしてはやり過ぎじゃないですか?」
「いや……きっと善意でコレをやらかしたのだと思う。彼女はそういう女性だ」
「えぇー……それは余計に付き合いづらいですね……」
愚痴り合うイシハラ傭兵団の二人に対して、
「シッ! 誰か近付いてくるのじゃ……!」
「兄さん、声大きい……!」
今度はチランジーヴィとシャウカットが警戒を促した。
二人に言われるがままガニザニとニャライも息を潜めて、次の接近者に備える。
……聞こえてきたのは、二人分の声だった。
「ったく、ちょっとぐらい我慢とか出来ないのかよ……バレたら立場無くなるぞ?」
「だ、だったら、この手を、止めろ……っ! ようやっと、会えたからと……こ、こんな……!」
「先に俺の指を舐めてきたのはお前だろ……そういや指入れてからずっとこっちに向かって逃げてるけど、この辺ってオオニタとイシハラの人達がいたような……まさか、チランジーヴィさんに見せつけたくてこっちに来たとかじゃないだろうな?」
「……っ! うぅっ! あ、ぐ……っ!」
「図星にしたってせめて上の口で答えてくれよ……っていうかあの人達に見つかるならまだしも、亜人の奴等に見つかったら破滅だぞ」
「んひぃっ! やめ、やめろ……! 変な事、言うなぁ……っ!」
「あーヤバ……変な趣味教え込んじまってるのかなコレ……まあ、仮にバレたらその時は俺が盾になるから、ちゃんと逃げてくれよ?」
「お前が、盾に……!? 嫌だ、いやだ、いやだ……っ! そんなの、いやだ……っ!」
「嫌ならこんな事さっさとやめ……」
「も、もし見つかったら、お前の、これ……これで、私を満たして、私も、終わらせてくれ……っ!」
「ダメに決まってんだろ……! 何考えてんだ、破滅願望もいい加減にしてくれ……」
「破滅……はめつ……あ、ああ、ああああ……っ! お前と……お前と、共にゆく、滅びは……今まで積み上げてきた、全てを失いながら、堕ちてゆく色病みは……きっと、何物にも、代え難い……甘美、で、あろうなあ……? あは、あはは、あははははは痛っ! い、石……!?」
ようやく正気に戻った旭が、いの一番に見たのは……横並びにしゃがんで冷たい視線を向けてくるチランジーヴィ、シャウカット、ガニザニ、そしてニャライの姿だった。
「トキヤー……ちゃんとダメな事はダメって言わないとダメだよー?」
「ごめん……ニャライ……」
「旭姫。ワシは寛大な男じゃから、オヌシがどこの誰に抱かれようと最後にワシの許に来ればよいと思うておる。思うておるが……冗談でもそういう事を言いながら見せつけに来るのは、不愉快極まるからやめるのじゃ」
「ち、違うわ……! わしが真に破滅願望なぞ抱いておる訳なかろうが……! そう、これは単なる戯れぞ? 故に決してお前への当て付け等ではない。というかどさくさに紛れてわしを娶ろうとするな」
「とりあえず、旭姫を連れて本陣に帰ってくれないだろうか、トキヤ君」
「あ……はい、すいません。帰ろう、旭」
「旭さん、そんなに持て余してるなら俺がトキヤの代わりになってやってもいいですよ?」
「お前はお前で大概だな、どうしてそこまで自分に自信があるのだ? 少しはトキヤと自分を比べて何が違うかとか考えたりはせんのか?」
「俺の方がハイスペじゃないですか?」
「ああもうよいよい、どうせわしは自分より劣った御し易い駄目男でなくば安心出来ぬ小心者だから、お前はもっとまともな女子でも口説きに行け」
「もういいからさー、二人とも帰ってくださーい。本陣を守るのが大将の務めでしょー?」
四人に真面目に叱られた神坐の国主と側近は、気まずそうな顔をしながら元来た道を帰り始めた。
「あ、待つのじゃ旭姫」
が、チランジーヴィが呼び止めた。
「先程の話振りからするに、オヌシは色病みの呪いを掛けられておるが故にトキヤとまわりくどい事をしておるのじゃろ?」
「……っ! そ、それは……」
しまった、という顔をしてトキヤへ目を向けた旭。
「知ってたんですね、チランジーヴィさん。なら、呪いを解く方法を教えてくれませんか?」
一方のトキヤは諦めて、むしろチランジーヴィが助けにならないか賭けてみる事にした。
「残念じゃがワシも分からんのじゃ。それは元々古代ヒノモトに巣食っておったとある危険な魔族を無力化する為に使われておった強力な呪術らしく、そんじょそこらの呪い師では解けぬようでのう」
……賭けはあえなく失敗に終わった。
だが、チランジーヴィは屈託の無い笑顔を返して続ける。
「まあワシではどうにもならぬが、そういう事はむしろワシ等にちゃんと話して欲しいのじゃ。もしもうっかりシャウカットが夜這いにでも行った日には、神坐が御破算になってしまっておったからのう」
「俺そんな事しないよ兄さん」
「……斯様な弱み、あまり知られたくなかったのだがな」
「今やワシ等はオヌシの配下じゃ、もっと頼ってくれ。さすれば、どっかの誰かが都の高名な陰陽師様でも連れて来るやもしれぬぞ?」
その温かな提案に、旭はほんの一瞬だけ表情が和らいだ。
「お前達がトキヤよりも強い忠誠の証を見せれば、考えないでもない」
しかし、光旭に情けは不要……とでも言いたげな返事を吐き捨てて、
「行くぞトキヤ、この戦が終われば……私に褒美をくれ」
トキヤの袖を掴みながら、再び森の中の神坐本陣へと帰っていった。
……その背中を目で追いながら、
「ところで、チランジーヴィ」
不意にガニザニが問い掛ける。
「亜人を憎んで国まで興した奴に全てを話すのは、流石に可哀想じゃろ」
問われるまでもなくチランジーヴィはガニザニに答えた。
「では、君はいつから気付いていた?」
「一度無理矢理迫った事があったんじゃが、その時に空間を捻じ曲げてまで逃げられてのう」
「成程……僕も引き続き調べを進めよう。彼女に伝えないにしても、僕達は知っておく義務がある」
「あの、閣下……何の話をしてるんですか?」
不意に問い掛けたニャライに、ガニザニは薄っすらと微笑み返す。
「君に黙っていた事、本当にすまない。実は僕も旭姫が色病みの呪いを掛けられている事は知っていて、呪いを解く方法を探していたんだ。それでチランジーヴィも知っていると分かったから、協力し合おう、そう話していただけだよ」
「そうだったんですね……閣下、私も何か分かった時は、話しをさせてくださいね」
「ありがとう、ニャライ」
これ以上問い詰めてもガニザニは本当の事を決して言わない。
そう察したニャライは唯々作り笑いを浮かべる事しか出来なかった。




