第六話【時喰らう蛮勇も好き好き】8
軍評定の場にて、一人分の空席を全員が凝視しながらヒソヒソと話を始めて半刻程が過ぎた。
未だにその席を割り当てられた男……光正義は現れない。
「先にオレ達だけで決めちまおうぜ。いつまで経っても来ねえ奴が悪いだろ」
最初に声を上げたのはヒョンウだった。
「おいおい、旭のメンツもあるんだ、そういう訳にもいかねえだろ。な?」
嗜めるような物言いをするトキタロウだったが、
「かといってこれ以上悪戯に時間を浪費する事に僕は賛成できないかな」
少し呆れた様子のガニザニがヒョンウと意見を合わせてきた。
「そうか。ではヒョンウ、お前が正義を連れて来い」
流石に旭も彼等のやり方を何度も見てきた手前、素直に首を縦には振らない。
「お断りだ。あんなめんどくさいヤツ、誰が関わるかよ」
「そうか。ではトキタロウに……」
「行けばいいんだろ!? 行けば!」
ヤケクソ気味に怒鳴り散らしながら出て行ったヒョンウの背中を目で追いつつ、
「なあ、旭……その、正義くん? ってどんな人なんだ?」
「恐らくお前は一度会った事がある筈だ。……あ、来たぞ」
「ほらよ姫様、連れてきたぜ」
「も、申し訳ありません姉上! 手勢の者とその辺のきのこを焼いて食っていたら、ぼんやりしてしまっ……」
「あ」
ジョンヒに連れられて現れた正義は、旭の隣に座る男を一目見るなり明らかに落ち着かない様子になった。
「「あーっ!」」
トキヤと正義は、互いを指さして声を上げる。
「旭! どうしてこいつがここにいるんだ!? こいつはお前の王座を狙って……!」
「姉上! 此奴です! 姉上の側近を騙り、わたくしを騙し討ちにしようとした……!」
互いに旭に弁明の言葉を向けるも、
「えっ……? まさか、本当にあなたが、姉上の……側近?」
トキヤが旭の隣に座っている事から、正義が先に事実に気付いた。
「何だ? 文句あるなら表出ろ! 今度こそテメエが死ぬまで殴り合ってやらあ!」
「お、落ち着いて下さいませ! そうだ書状! これをどうか!」
そして未だ義憤に燃えるトキヤの前に自身の身分を証明するものを差し出した。
「……なるほどな。じゃ、テメエはマジで旭の弟で? 別に旭を蹴落として成り代わろうとしてた訳でも無いんだな?」
「よかった、この人は姉上と違ってちゃんと読んでくださった……じゃない! ええそうですとも! 成り代わる等と畏れ多い! それに……わたくしは手合わせや囲碁では敗け知らずですが、詩や踊りや政はからっきしなのです……左様な者に、一国の主が務まると御思いになられますか?」
脚を曲げて目を潤ませながら問い掛ける正義のあざとい姿に思わずトキヤは吐き気を催したが、
「い、いや……分かったよ。俺はトキヤっていうんだ。よろしくな……正義」
悪気はない。
それだけは確かだと確信が出来たが為に、誠意をもってその場を収めた。
「え、えへへ……わたくしの名前、覚えて頂けたのですね。恐悦至極に存じます、トキヤ殿」
少し頬を赤らめて恥ずかしげに笑う正義。
旭もその様子をほっとした表情で見守った。
「さて、そいつらが煩くしてしまいすまなかった。早速だが話を始めよう。ガニザニ?」
旭に名前を呼ばれたガニザニは得意げな微笑を湛えながら周辺の地図を広げた。
「相手は先に広範囲を押さえておきたいと考えてか、広い平野の頂上に陣を構えているようだ。東西南北何処からでも攻め放題だが、敵軍にはイタミやヤマモトの本隊がいるとの情報も掴んでいる。そうだね?」
ガニザニの問いにヒョンウがウィンクを返した。
「彼等がいる以上、考えなしに囲めば何か痛い目を見る事になるのは確実だろう。……僕達の考えたプランはこうだ。まずは東にサカガミ、南にキタノとサエグサ、北にオオニタと僕達を配置して、正面からサカガミに攻めさせる。相手は転生者を相手に正面から戦うのは不利と判断して、イタミとヤマモトを盾に迂回し囲み込もうとするだろうが、南はキタノとサエグサ、北はオオニタと僕達で抑え込んでいるから上手く展開が出来ない。亜人連中は負け戦を悟って西へと逃げていくだろうから、後はサカガミを前線で暴れさせて相手に一方的な損害を与えれば、戦闘を継続する旨味を失った敵傭兵団も帰っていかざるを得なくなる……どうだろうか?」
ガニザニ率いるイシハラ傭兵団の提案する作戦に、まずはその場にいる誰も文句一つ付けなかった……。
「敵の搦手が両翼を狙いに来る事は無いのか?」
疑り深く、他者を信用しない旭を除いて。
「相手の数は3万と聞いている。オオニタだけでも2万、キタノ・サエグサ連合は1万5千は確保が出来ているから、数的不利に陥る事は無い以上不意打ちにさえ気をつけていれば返り討ちに出来ると考えているよ」
そんな旭に対して、ガニザニは一切の妥協なく答えて旭の疑念を丁寧に晴らして見せた。
「成程……他に何か話す事がある者がいれば聞こう。些細な事でも構わぬ」
それでも旭は些細な失態からの破滅を恐れ、石橋を叩く。
「それじゃ、ちょっといいかねえ?」
声を掛けたのはティナだった。
「構わぬ。言ってみろ」
「無間平野の地下には虫の亜人が住んでるってのは、知ってるかい?」
「虫……? そうなのか?」
「ああ、その話だけど……」
「ガニザニ、まずはティナの話を最後まで聞かせてくれ。続けよ」
「うん? ガニザニが知らない訳ないとは思っていたが……まあいいか。それで、あのだだっ広い草原の地下には、奴等の根城が複雑な構造の立体迷宮じみて出来上がってるのさ。連中、亜人なんだろ? 一応虫の亜人どもはカゲツに与せず中立だって言い張ってるらしいが、仮に相手と繋がっていたら……アタシ等はどこから不意打ちが来るか分からないような、おぞましい戦場に脚を突っ込む事になるよ」
「何だと……? ガニザニ、それは真の話か?」
問われたガニザニは微笑みながらため息をついた。
「彼女の言っている事は、半分正解で半分間違いだ。ケイシンは虫とは絶対に手を組まない。何故なら彼は、大の虫嫌いだからね」
「虫嫌い? それだけでか?」
ガニザニの答えに目を丸くする旭だったが、
「ああ、そういう事か。納得だ。旭様、今のアタシの話は忘れてくれ」
「どういう事だ?」
誰もまともな説明をしない事に苛立ちながら、旭は隣に座るトキヤへと顔を向けた。
「妖精の亜人と人間だけにある事らしいんだけどさ、たまーに虫の亜人を一目見ただけでパニックを起こして逃げ出す程の虫嫌いがいるんだ。ほら、あのアレとか夜に出てきたら悲鳴上げて逃げ出す奴がいるだろ? そういう奴は虫の亜人もダメみたいでさ……」
「あー……大体分かったぞ。夜によく出てくるあのあれな。わしもイタミに捕まっておった時に下女に頼まれて素手で叩き潰した事があったが……そういう事か」
トキヤのかなり雑な説明にも拘らず、旭は瞬時に言わんとしている事を理解した。
「さて、大方話は纏まったところで……正義は特に言う事は無いか?」
旭に問い掛けられるも、正義は何も応えない。
「……正義?」
トキヤが問い掛けて肩を揺らすと、そのまま正義はいびきをかきながら倒れてしまった。
「そういえば、さっきキノコを食べたと言っていたね……この辺に群生しているのはネムリタケだったような……」
「ああー……仕方のない奴よ」
旭はそのまま立ち上がって背を向けると、足を進めて軍評定の場の外へと出た。
旭と彼女に付き従う転生者達へ、他の諸侯や彼等の率いる兵達の目が向けられる。
「皆の者よ、聞くが良い!」
拳を握り締めて旭は声を張り上げる。
「今宵、神坐を興して初めての大きな危機が訪れようとしている! 相手は三万の軍勢、幾ら知略に長けたイシハラの計略があろうと、気を抜けば足元を掬われるは必定! 者ども! 慌てず、然し抜かりなく敵を討て!」
雄叫びを上げて応える面々の中、旭とトキヤは隣同士、固く手を握り合っていた。




