第六話【時喰らう蛮勇も好き好き】7
「姉上……ですか?」
旭と同じ桃色の髪を後ろで結った青年が、そこに立っていた。
顔つきも旭とそっくりの儚げな美しさを帯びた其れで、違う事といえば背丈ぐらいのもの、これで女装でもして座っていれば誰もが女と見紛う事は間違いない、そんな容姿の青年が、目を涙で潤ませて、旭を『姉上』と呼んだ。
「其方は……その髪の色、まさか……!」
同じように、旭も驚きの表情を浮かべながら思わず立ち上がったような素振りを見せる。
「姉上!」
「弟よ!」
二人は周りにいる者達などそっちのけで、抱き合って喜び合った。
「ね、団長。誰アレ? 旭ちゃんのコト姉上って言ってるけど」
「いや、オレも知らねえぞ……っていうか誰の許しを得てここまで入ってきたんだ? おい、ガニザニ」
ヒョンウに問われたガニザニも首を横に振った。
「わたくしの事、知っておいでだったのですか?」
「いや、わしは天涯孤独の身であるとばかり……」
「でしたら……!」
青年は一度旭から離れると、膝をついて頭を下げた。
「わたくしは光家の嫡男、光正義と申します。都で生まれた後に寺へと預けられ、その後カゲツの手を逃れる為に北ヒノモトの御藤家に匿って頂いておりました」
「左様か……! 其方も、苦労の絶えぬ生き様であったのだな!」
「それから数年、カゲツ傭兵団を滅ぼさんと挙兵の手筈を進めておりましたが、姉上の挙兵の報せが入り、御藤の当代当主、秤様の許しを得て馳せ参じた次第でございます」
そう言って正義は書状を……自身が真に北ヒノモトの盟主が認める光家の武士たる証を旭の前に差し出したが、
「その心意気、気に入ったぞ!」「えっ……」
状況証拠から目の前の相手は確実に弟だと把握している旭は、差し出されたそれを手に取るなりさっさと放り捨ててしまった。
「あの、姉上、書状……」
「丁度頼りにしておった援軍が遅れて困っておったのだ、早速、わしの下でしかと務めを果たす機会が得られたというものよな!」
「そ、そうですね姉上! 丁度いいですよね! 是非に、わたくしにそのお役目を代わらせて下さいませ! 姉上の為、この身の全てを捧げましょう!」
「なんと素直で愛い奴よ! 早速此度の戦より派手に暴れるがよい!」
「有難き幸せ! この光正義、姉上の為に粉骨砕身致します!」
顔を上げて屈託のない笑みを浮かべた正義に、旭も無邪気な笑顔を返した。
「では、この後の軍評定にお前も加わるがよい。準備が整い次第再び声を掛けてやる故、それまで外で時間を潰しておれ」
旭は正義を気遣って……とは建前で、言葉の端々から感じる違和感から相手を冷静に見定めようと、そう提案した。
「えっ……? 外で、ですか?」
旭の予想通り、正義は首を傾げ、明らかに機嫌を悪くした様子を見せ始める。
「なに、遠路はるばる来たお前をここで立たせたままに等させたくないのだ、姉上の厚意、しかと受け取ってはくれぬか?」
化けの皮を剥がしてやろう、そう思って更に言葉を続けた旭だったが、
「成程……姉上は自分以外の誰も信じられないのですね」
そう問い掛けてきた正義の言葉と、全てを見透かしたつもりのような寂しげな表情を前に、一転して旭は背筋に寒気を覚えた。
「わたくしと姉上は、血を分けた姉弟です。普通であれば、寧ろ遠方より生き別れの兄弟が来れば側に置いて労りたいと考えます」
この目の前の存在が自身に歯向かい、言い返してくる理由は、
執着か?
忠誠心か?
……否、どちらでもないのは分かりきっている。
それでも、まるで自身が異常であるかのように話を進める正義の言葉は、何一つ理解したくなかった。
「失礼を承知で申し上げさせていただきますが……姉上は、わたくしの事も疑っておられるのではありませぬか? そして、その原因は……」
嫌な汗をかき続ける旭をよそに、正義は周りにいる転生者達へ明らかな反感の目をぐるりと向けて回った。
「姉上の周囲に、真の信頼を置ける者が誰一人いないからでしょう。人を疑う事が当たり前になっていて、だから弟であるわたくしの事も当たり前のように疑う……左様ではありませぬか?」
「何を言うとるんじゃ! ワシとトキタロウは本気で旭姫に惚れ込んで……!」
「チランジーヴィオオニタ。聞けばあなたには百人を越える側女がいるそうではないですか」
「いや、流石にそんなにはおらんぞ……」
「そんな男の言う『惚れた』という言葉の薄っぺらさたるや、握り潰せば粉々になる枯葉の如しでしょうね」
「そんなにはおらんのじゃがー?」
チランジーヴィのツッコミも虚しく、正義はそのまま転生者達を断罪し始める。
「それから、そこの白服と黒服……キタノトキタロウとサエグサヒョンウは、先の戦で姉上が捕まった時に中ヒノモトの菱川真仲を次の神輿に担ごうと考えて早々に見捨てていたようですが、姉上は存じておりますか?」
「おいクソガキ、何の根拠があってそんな事言ってんだ?」
「旅の途中に知り合った歩き巫女が書きかけの書状が捨ててあったのを拾ったと言っていたので、買い取りました」
そう言って正義が取り出したのは、雨風で汚れてはいるもののトキタロウの署名が入っている菱川真仲宛ての手紙だった。
それを見るなりヒョンウは血相を変えてトキタロウの襟を引っ掴んで全員から背を向けさせると、ひそひそ文句を言い始める。
「おい、どうなってんだ……!? あの手紙、焼いて捨てろっつっただろ……!」
「ああ。オレは確かに焼いて捨てたから……アレはブラフだ。大方、正義がテキトーにでっち上げたんだろうが……お前が慌てて俺に話し掛けてきたのをアイツ、目で追ってたぜ」
「なっ……」
トキタロウの言葉に、思わずヒョンウは正義の方へと顔を向けてしまった。
「図星ですか」
正義の呆れた風の言葉に、
「サイッテー……」
ジョンヒも相乗りしてヒョンウを蔑むが、
「そういうあなたも先程、何事か姉上に吹き込んでわざと怒らせようとしてましたよね? 怒りを抱かせて己の口車に乗せる、間者の常套手段ですね」
「……あたし今、一番嫌いなヤツ、アンタになったかも」
正義にとっては同じ『批判すべき悪者』だった。
「そして……」
最後に、正義はガニザニの方へと顔を向ける。
対するガニザニは余裕の見える微笑みを浮かべながら、
「さて、僕の事はどんな風に好き放題言ってくれるのかな?」
わざと正義を挑発して見せた。
その態度を前に正義は少し考え込んだ様子を見せた後、
「そこの赤服、姉上もまるで信用してないでしょう?」
「確かに。役には立つが一線は引いておるな」
「成程、僕には言い負かされると判断して攻め方を変えてきたか……悪くない」
「いや感心してる場合かよ」
搦め手で難なく攻め落として見せた。
「つまるところ斯様な具合で、姉上が人を信じれなくなってしまったのは周りに信ずるに値しない者ばかりいるせいかと。唯々死なないだけで……否、死なないからこそ無責任で狡猾な者ばかり。わたくしは斯様な者共に縋るしかなかった姉上が可哀想に思えてなりませぬ。故に……」
それとなく旭に歩み寄り、正義は彼女の手を取って目線を合わせた。
「せめてわたくしにだけは心を開いて下さいませ。わたくしは斬られれば死してはしまいますが、姉上と血の繋がった弟。他の者が皆して裏切ろうと、わたくしはこの身朽ちるまで姉上の弟です。……それに、流れ者も不滅ではないようですよ、姉上。
此処に来るまでに姉上の側近を名乗ってわたくしの命を狙ってきた不届き者がおりましたが、何度も殺し続けている内に心も折れて抜け殻となりました故」
……正義が最後に言った話を耳にした直後、旭の目の色が変わった。
それまでの気味悪がったり怯えを抱いた表情ではなく、明確な怒りの色を帯びた目つきに。
全ての答え合わせが済んだ。
旭はそう自分に言い聞かせて、
「そうか。聞き分けの悪い弟よ、よく聞け」
むしろ先程よりも柔和な態度で、相手に自身の真意を悟られぬよう話し始めた。
「わしだってそうしたい。お前のような血の繋がった実の弟の他に信じれる者なぞ、この世にあるものか。然しだ……」
正義をじっと見据えるその目は、正義を映してはいない。
「国とは、わしとお前だけでは成り立たぬものだ。お前とわしだけでは、この地に生きとし生けるもの全てを見渡せはせぬ。何処かで誰ぞに責を預け、任を与えなければならない時が必ず訪れる。今まさに、ここにおる皆はわしを守る為……否、神坐を守る為、ひいては人々の世を取り戻す為に、己の出来る事に不死の身体で死力を尽くしておるのだ」
トキタロウ達に背中を預けながら、旭はゆっくりと正義に詰め寄る。
「お前は信用に値しないとのたまったが、その言葉が一体、どれ程の人々の志を踏み躙っておるかを……本当に分かって言っておるのだな? 此奴等はヒノモトの人々の虐げられたる窮状に何の怒りも悲しみも抱かず、わしは唯々流れ者どもの口車に乗せられ、担ぎ上げられただけでしかない遊女の成り損ないの小娘だと、そうお前は見くびっておると考えて……よいのだな?」
「い、いえ、違……」
何事か弁明を果たそうとする正義だったが、旭の凄みに言葉が詰まった。
「……一度だけ情けをくれてやる。お前はまだここでは新参者であると心得よ。故に今は一旦下がれ。そしてこの先、其方自身の働きで、わしの隣に座せるようになれ。分かってくれるか?」
旭の言葉に……正義は改めてきょろきょろと周りへ目を配せる。
ガニザニ以外の全員から睨みつけられている事に気付いた正義は、俯いて悲しげに振舞いながら「申し訳、ありませぬ」とだけ言葉を零してようやくこの場から退いた。
……そして、正義の姿が見えなくなった直後、ヒョンウを手招きで呼びつけると「ここに耳を聳てて来たら体よく払い続けよ」と指示を出した。
「……とんでもないのが来ちゃったね」
「ま、旭の弟っていう話の説得力はあったな」
「まるでティナがもう一人増えたかのようだ……」
「いや、もっと酷い奴じゃぞアレは」
口々に正義を罵る転生者達だったが、
「嗚呼……早う帰ってきてくれー、トキヤぁー……」
この場で最も正義にうんざりしていたのは旭だった。
そして彼女の心が天に届いたのか否かは定かでないが、
「よっ! 久し振りだねえ、旭様!」
「遅い! しかも何やら道草を食っていたと聞いたぞ!?」
トキヤを背負ってティナが姿を現した。
「まあ結局間に合ったから良いじゃないか。おいトキヤ、あんたの大好きな旭様だ。いい加減シャキッとしな!」
ティナに叱咤されながら背中から降ろされ、地べたに転がされたトキヤ。
呻きながらよろよろと立ち上がり、旭の顔を一目見るなり、彼は静かに涙を流し始めた。
「よい、何も語るな。ここには私がいる故、何にも怯える必要は無いぞ」
「あ、あさひ……旭……!」
倒れるように縋りつくトキヤを、旭は全身で受け止めた。
「随分と酷い目に遭ってきたようだな」
「俺は……俺は無力だ。ティナさんのやった事全部、俺は、止められなかった……」
「構わぬ……きっと私であってもティナと同じ事をして、お前を傷つけていたであろうからな」
「こんな、俺は……俺は、お前の役に立てない……!」
「案ずるな、私はこれから先どれだけお前が音を上げても捨て置くつもりは無い。襤褸切れになっても私の隣に立たせてやる」
「旭……! 俺、頑張るよ……!」
「その意気ぞ。頼りにしておるからな、トキヤ」
周囲の目も憚らずに抱き合う二人に、トキタロウは暑そうな仕草をして、ティナは鼻で笑い、ガニザニは意図の読み取れない微笑みを浮かべ、チランジーヴィはわざとらしく懐から取り出したハンカチを噛んでしかめっ面で引っ張る。
「ハイハイ、おじさん達が年甲斐もなく嫉妬してるから、その辺で終わりにしてくれる?」
「オレ達はおじさんじゃねぇー!」
「ワシ等はおじさんじゃないのじゃー!」
「うっさい! あたしより年上の男なんて全員おっさんなの!」
「何だ? ジョンヒ、お前もわしに抱かれたいのか? 構わぬぞ? ほれ、来るがよい。ほれ、ほれ」
「いやあたしセクシャリティはヘテロだから。っていうかそういう話がしたいんじゃなくてさ……」
「そうか? つまらん奴よ……お前は遠慮するなよ、トキヤ?」
「なんかジョンヒに言われると恥ずかしくなってきたな……」
「あっこら! 勝手に私の腕から抜けようとするな! おのれ女狐! トキヤが逃げてしまったではないか!」
「えー、それあたしのせいなの?」
「みんなー、作戦会議の準備出来たよー」
久々に再会した面々は、二人を中心に続々と集まってくる。
「旭さん、ちゃんと正義くんの席も用意しときましたからね」
「私は辞退させてもらう。どうもジョージがカゲツ側にいるらしいから、スパイと疑われるようなややこしい事はしたくない」
「なあ旭、正義くんって誰だ?」
「あー……うーむ……まあ、一目見て怖くなったら席を外してよいぞ」
目の前に危機が迫っているからこその妙な高揚感が彼等を包んでいた。




