第一話【光る姫】1
上を向くほどに濃くなってゆく青空。
その美しさに霞を掛ける白雲。
目を下に向ければ、青々とした稲の苗がそよ風に吹かれていて、
自分がどこから来たのかなんて、もう薄っすらも思い出したく無くなる。
白い直垂を着ている傷んだ白髪の青年は、袖で眼鏡を拭きながら「そろそろか……? いや、まだか……」とぼやきながら遠い地平線の先へ目を凝らしていた。
たまに行き交うのは農作業をしている男女で「トキヤくんも飽きないねえ」「仕事ですから」「あんないい加減な男の何がいいんだい?」「だからこそのアニキです」「まーた待ってる間に日が暮れて昇っちまうぞ」「それも悪くないですね」と言葉を交わしながらも、じっと待ち続けていた。
そのうち……馬の蹄の音がして、思わず走り出しそうになった青年だったが、馬に乗っていたのは待ち人ではなく……。
「いや待て、それはおかしいだろ」
「よっ! 誰待ってんだ?」
明るい男の声が後ろから聞こえた。
『バレバレでしょうもない事すんなよ』
『都はどうだった? 相変わらず空気冷えてた?』
『今回の土産は何買ったんだ?みんな楽しみにしてる』
そんな他愛のない言葉を全て押し除けて、青年はただ一言。
「アニキ!」
そう彼を呼んで抱きつく。
「ただいま、トキヤ」
気恥ずかしそうに、彼と同じ白の直垂を着た古風な美形の男が笑う。
「それはそうとしてさ……バレバレでしょうもない事してねえでさっさと帰ろうぜアニキ。どうせ都は相変わらずで疲れてんだろ? っていうかそうだ、今日はいつものサエグサの奴等だけじゃなくてヤマモトさんとかイシハラさんとこの団長もアニキの土産をつつきに来てんだよ」
「分かったわかった、一つずつ聞くから一旦落ち着かせてくれ、な?」
トキヤの肩を抱いて、男は足取り軽く二人で田んぼの畦道を歩いてゆく。「団長ぉー、あっしがこのまま馬乗って帰っちまっていいんですかぁー?」と後ろから声を掛ける団員達を背中に、悠々と、楽しげに。
米の味がきつい酒と、淡い色の菱形や丸形の菓子と、質素ながらも派手に見える料理……それらを囲んでいるのは、様々な人種の男達だ。
「これ美味えなトキタロウ、フライド……何だ? フライド饅頭みたいな感じか?」
「ナントカ果物って言ってたぜ、ジョージ」
ジョージ・ヤマモト。
ヤマモト傭兵団を率いる老人。
少々口が悪く気さくで楽天的な態度をとるが、老獪で堅実な面も見え隠れする。
ヤマモト傭兵団は人の出入りが多く、トキヤの属するキタノ傭兵団に孫請け依頼が来る事も少なくない。
「ふむ……僕達の元いた世界にも、似たような和菓子があった気がするね。確か京都駅で売っていたような……」
「日本人の俺より和菓子に詳しいなんて、やっぱガニザニには敵わねえな」
ガニザニ・イシハラ。
参謀を各地へ派遣して生計を立てているイシハラ傭兵団の団長。
眼鏡を掛けた物腰柔らかな中年の男だが、本心は全く表に出さない油断のならない人物。
そんな事を話し合いながら和気藹々と迷彩柄、白、紅色の直垂姿の三人の男が酒を酌み交わしている様子を横目に、トキヤは膳を下げたり台所を手伝ったりしている。
「おい、キタノの参謀。酒切れちまったぞ」「はい、唯今」「おい、トキヤはお前の家来じゃねえ。もっと言い方あんだろ」「別にいいよアニキ。ジョージさんはいつもこんなんだろ」「すまないね、トキヤくん」「気にしないでくださいガニザニさん。それよりも、今後とも俺達キタノをどうぞ御贔屓に」「当たり前ぇよ! おいトキタロウ、テメエよりこのケツの青いガキの方がよっぽど素直だなあオイ」「アンタはホントにしょうがねえ爺さんだよ、ったく」
そう……ここにいる団長格の転生者は三人だけだった。
宴の準備をしていたトキヤの前に姿を現した男は四人であったのに。
(サエグサの団長、どこ行っちゃったんだろ……)そんな風に考え事をしていたトキヤは、
「あぁっ!?」
何かに躓いてすっ転んでしまった。が……。
「ハイ、どうぞ。次からは上の空で物運んじゃダメだよ?」
そう声を掛けて、すっ転んだ時に落とした食器と膳を傷一つ付けず拾って渡したのは、黒い直垂を着て黒髪を長く伸ばした女だった。
「お前が転ばしといてその言い草は何なんだよ、ジョンヒ」
サエグサ・ジョンヒ
暗殺や偵察を得意とするサエグサ傭兵団の若き副団長。高飛車だが風見鶏な所もあり、何を考えているのか分からない。
「流石にバレたか」「どこまでバカだって見くびってんだよ」「うーん……地の果て?」「おい!」「っていうかさ、そんなのどうでもよくて。ちょっといい?」
通りかかった下女に膳を頼んで、トキヤはジョンヒと真面目な顔で向かい合う。どうでもいい意地悪をしてくる時のジョンヒはいつも、何か深刻な問題が起きていてその話を聞いて欲しい時だからだ。
「お前んとこの団長さんがいつの間にかどっか行ったのと関係ある話か?」
「あたしから話したいんだけど?」
「……分かったよ。で、何なんだ?」
ジョンヒはトキヤの耳元に近付くと「ウチの団長がトキタロウ……アンタの兄さんの周りを嗅ぎ回ってる。何かまた余計な事してない?」と囁く。
それを聞いたトキヤは戸惑った顔で静かに首を横に振ると、未だにゲラゲラ笑い合っている三人に目を向けた。
「アンタは嘘がヘタクソだから何もしないで。何か分かったら直ぐに教えるからね。それじゃ」
言うや否や、ジョンヒは足音も立てず消え去るようにその場を後にする。
「……ど、どうせまた、都のややこしいモン売り捌こうとしてるだけだろ」
そう自分に言い聞かせながらも、トキヤは屋敷の中をふらつき始めた。廊下を適当に歩いては、手当たり次第に左の襖、右の障子を開けて、部屋を見て回る。特に異常は無いし、変な物が積み上げられているなんて事も無い。
何か不審な物事は無いかと歩き回りながら、トキヤは今までの『余計な事』を思い返す。
アニキ……即ち、キタノトキタロウ。キタノ傭兵団の団長を務める彼は都への大番役によく行くのだが、その時十中八九『余計な事』をする。
この世界に流れ着いた名も無き青年が『トキヤ』の名を授かってすぐ後の大番役帰りの時は、何処から手に入れたのかトマトを『なんか元気が出る果物』と言い張って団員を通じ高値で現地人に売り捌いていた。
やる事がセコ過ぎると思ったトキヤはトキタロウをほぼ叱りつけるような調子で説得するも「この世界じゃレアもんだから適正価格なんだ、信じてくれ」と言って憚らず、結局最後はどこかの傭兵団が箱買いして栽培を始めた結果値段が暴落して事なきを得た。
その後も盗賊を騙して賭けで金を巻き上げる、喧嘩を売ってきた坊主を返り討ちにして強訴を起こされる、こっちで女性と付き合い始めた同時期に都で貴族の娘に押し掛けられて二股状態になってしまった等々、トラブルは枚挙に暇がない。
(逆にここまで何も無いと……いよいよマジのヤバい話かもしれねえ)
嫌な予感を覚えながら奥の座敷を何の気無しに開けたトキヤの視界に、