第五話【神の坐す国】5
一瞬、空気が張り詰めた。
「思えば短いようで長い道のりであった。いや、わし一人の挙兵であれば一月足らずの日々でしか無かったが、わしの後ろには無念の儘に死していった遠き祖先たる光義日より累々と、虐げられたる其方等と同じ憂き目に遭いながら斃れていった血族の者達の悲惨な生涯が、二百年に渡る永き時を刻み続けてきたのだ」
狩衣でも、直垂でもない、束帯を……遥か西の人間の都、京安の女王が己以外に着る事を許していない、白の束帯を身に纏った光旭がそこにいた。
「それはわしとて、一歩違えば辿っていた道。キタノトキタロウ、サエグサヒョンウ、其方等がわしの挙兵の求めに応じてくれねば。ガニザニイシハラ、其方がニャライをわしへ遣わせねば。シャウカットオオニタ、ペイジヤマモト、お前達が義を重んじて加勢してくれねば。……わしは唯戦さ場にて落命するよりも酷い目に遭っていたやもしれぬ」
その隣にいるトキヤの着る直垂も、彼がキタノ傭兵団に属する事を示す白ではなく、そしてどの傭兵団も使っていない灰色をしていた。
「だが、其方等がおって尚、先の戦いでわしは屈辱を極めた大敗の果てに死を覚悟する羽目と陥った。……幾ら武勇と叡智に長けた其方等がおっても、このわしが愚かで非力であった為だ。然し……」
旭は、隣に控える灰色の直垂を着た男へ目を向けた。
「愚かで非力なわしを認め赦し、尚も忠義を尽くして従い、共に戦うと誓ってくれたこの男がわしにはいた。向こう見ずな挙兵を的確な助言で現のものに導き、しくじりによって敵に捕えられ死の淵に立たされた時には捨て身で救いに来てくれた……左様な男を無碍にする武士が何処にあろうか?」
徐に立ち上がった旭は、こう続けた。
「よって、キタノトキヤはこれより我が側仕えに召し上げる事とする。トキタロウ、申し訳ないがトキヤのキタノ傭兵団参謀の任はこれを以て解く事とせよ」
それを聞いたトキタロウは……意外にも不平不満の類いは何も言わず「他でもねえ旭の頼みだ、いいぜ」とだけ返した。
「わしの頼みを聞いてくれた其方の優しさ、痛み入るぞ。そして、ここからが本題よ。此度其方等を呼んだ、まさしくその理由をこれより話そう」
……暫しの沈黙の後、旭は不敵に微笑んで続けた。
「ここに我が国を打ち建て女王の座に就く事とした。カゲツに捕らえられて無力化された京安の女王陛下に代わってこのわしが人間の代表となり、カゲツ傭兵団討滅の旗頭となる事をここに宣言する為だ。故に……」
一息吸って、旭は堂々と声を張り上げる。
「この地は人々を護り導く神にも等しき女王が坐して、亜人共に睨みを利かせる場所……即ち『神坐』と名付ける!」
どよめく諸侯達を後ろに思い思いの表情を浮かべる傭兵団の面々の顔を見回しながら、旭は言葉を続ける。
「ここまでわしを奉り共に戦ってくれた其方等……キタノ、サエグサ、イシハラ、オオニタ、ヤマモトの団長には須く我が直属の臣下、将軍の任を与えようぞ!」
その言葉にシャウカットは狼狽え、チランジーヴィは悔しげに笑った。
旭は確かにシャウカットの取引に応じて、チランジーヴィに将軍の座を与えたのだ。
シャウカットの真の目的……軍事力を独占して国家の実質的な全権掌握を果たす、という部分だけを丸潰れにする形で。
「シャウカットよ、お前の団長は昨日わしに顔を見せたばかりの新参者だが、先の戦におけるお前の獅子奮迅の活躍に免じて将軍として取り立ててやろうぞ。有り難く思え」
旭の方が一枚上手だった。
その事実を目の前に突き付けられたシャウカットは、
「……承知、仕りました」
それだけ言って頭を下げる事しか出来なかった。
シャウカットの観念した様子を見届けて旭はほっと一息溜め息をつくと、
「さて、形式ばった話はこれで終わりだ。流れ者共よ、お前達とはこの後カゲツ傭兵団に再び戦いを挑む為の合議を行いたい。故に、もう少し楽な服に着替えてくるから暫し待っておれ」
それまでの厳かな雰囲気を散らすようにはんかんで見せた。
いつもの見慣れた白い狩衣姿の旭と、その少し後ろに座る見慣れない灰色の直垂姿のトキヤ。
二人の左右に並んで座る各傭兵団の面々は、久しぶりに顔を合わせた事もあり和気藹々と話し合っていた。
「あれ、ニャライも着替えてきたんだ……っていうか、その服の色……イシハラに戻るのか」
「元団長……じゃなかった、ガニザニ将軍閣下が副団長にするから戻って来て欲しいってお願いしてきてねー。それにトキヤのいないキタノ傭兵団なんて、電池の切れたオモチャと一緒で面白くないしー」
「そうやってお前までジョンヒみたいに俺を揶揄い続けるなら、女王の側近の立場としては仕えている主の沽券に関わるから、考えがあるけどな」
「へーえ。でもさトキヤ、側近って正式な役職なの? 単なる雑用でしょ? 何の権限があってあたし等将軍配下の傭兵団に属する副団長達に文句言うっていうの?」
「えっ……あ、旭」
「ん? ジョンヒの言っておる事に間違いは無いぞ? お前はわしとの距離は近くなったが地位は前より下がったのだ、しっかりと頭を下げて回ってわしの役に立てよ?」
「とほほ……あんまりだよぉー、アニキたすけてくれぇー」
女三人に寄ってたかって苛められたトキヤはトキタロウに助けを求めるも、
「方々に色目使って回ってたお前には良い薬だろ。チランジーヴィに聞いたぜ? 昨日旭を押し退けてまで鼻息荒くしてアイツの手を握りに行ってたんだってな?」
トキタロウは珍しく冷淡な態度でトキヤを問い詰めた。
「い、いやそれはチランジーヴィさんが旭を調略しようとしたから止めようとして……あんた、もっと言い方あるでしょう!?」
トキタロウにされたようにトキヤはチランジーヴィへ問い詰めるも、
「ワシは事実しか言っとらんがー?」
流石に相手が悪く、のらりくらりと躱されながらも反撃に遭ってしまうばかりだった。
「ホンット顔以外最悪だよあんた……」
トキヤが誰にでも思わせ振りな態度を取る報いを受けてしょぼくれた様子でいる事に、トキタロウは少し気が晴れたような顔を見せた。
「ま、この浮気者はさておいてだ。チランジーヴィが仲間になってくれて嬉しいぜ!」
「うむ、ワシもお前等が温かく迎えてくれた事に感謝感激雨あられなのじゃ! が……トキタロウ、お前トキヤを随分あっさり手放したのう? これはどういう風の吹き回しじゃ?」
「さっき言った通りだ。他でもねえ旭の頼み事なら聞くしかねえ。でもそれはお前だって一緒だろ? ホントはアイツの夫になりたかったけど、惚れちまった相手……旭の頼みなら五人の将軍の一角って立場でも聞き入れるしかねえ。そうなんだろ?」
その問いは単なるトキタロウの無邪気さの発露等ではない。
「……ニッヒッヒッヒ! お前に隠し事は出来ぬのう! そうじゃ、ワシは旭姫を一目見た時からその気高く高潔な姿に心を奪われてしまったのじゃ!」
真意を汲み取った上で、チランジーヴィはわざと話を合わせた。
「お互い好きな女の為に全力を尽くしていきてえもんだな。ってワケでさ旭」
「もうよいか? 皆して楽しそうに話をしていた故、少し気を利かせて世間話の時間を作ったつもりであったが」
「旭姫のお気遣い、とても嬉しかったのじゃ。して、本題はこれからのカゲツとの戦いの話であったな? 案ずるな、ワシがいるからにはこれから先の戦、何一つ困る事は……」
「そういった浮ついて実の無い話はもうトキタロウから散々されて裏切られた故に通じぬぞ。寧ろお前が入って何が悪くなったかを知りたいところだ」
「ウーム……シャウカット、何かあるかのう?」
「意外と自分事って分かんないもんですね、旭さん」
「いや、もう旭姫とは身内じゃからはぐらかすのはナシで言って欲しいんじゃが」
チランジーヴィに促されて作り笑いをやめたシャウカットは、真面目な表情で話し始める。
「あー……あ、一つあるとすれば、確かにウチは数こそ多いしみんな戦が強いけど、参謀やれる人材が少なくていつも大軍動かす時はイシハラさんにお金積んでますね。あとは、ヤマモト以外はどこもそうだけど団員がほとんど全員人間だから、真正面から妖精の軍と戦うのはちょっと消耗キツいかもです」
「そこでだ。オレとトキタロウには秘策がある。聞いてくれるか? 姫様」
しゃしゃり出てきたのはヒョンウだ。彼はトキタロウと目配せし合いながら旭にいつもの捻くれた笑みを向けるが……。
「一応先に言っておくけれども、僕は最初に聞かされた時に反対だと言ったからね」
すかさずガニザニが前置きをした。彼の言葉で何かを察したチランジーヴィは目を見開いて口をへの字に曲げ、明らかな嫌悪と拒絶の意思を露わにしながら皆の様子を窺い始める。
「……? どういった内容の話なのか教えて欲しい、ニャライ。私はヤマモト傭兵団の代表として理解しておく義務がある」
察しの悪いペイジに問われたニャライもその内容に理解が至っている様子だったが、
「まあー、まあ……このまま聞いてたら分かると思うよー」
引っ掛かりのある返事だけをしてはぐらかす。
「ズバリ! サカガミ傭兵団を調略する!」
自信満々に答えたトキタロウだったが、その答えを聞いた瞬間、
「トキタロウ、ワシやっぱり神坐から手を引いても良いか?」
「ヤマモト傭兵団としては反対を表明する。無法者を味方に引き入れたところで極端に短期的なメリットを上回る長期的なデメリットしか生じないと判断されるからだ」
「僕も君達と同じ意見だよ……」
「けっ、腰抜け野郎が。テメエの見掛け倒しの金ピカ鎧はトキタロウに譲ったらどうだ?」
「や、ワシはリスクマネジメントはしっかりしておきたいのじゃ。あんな連中を味方に引き入れたら神坐の評判が地に落ちるぞ」
「かといって他にどんな手があるんだ? 普通の人間をかき集めて妖精にぶつけたら、またバカにならねえ死傷者の数を叩き出しちまうぜ?」
「ウーム……責任の所在をハッキリとさせれば、或いは……かのう?」
「……成程な。じゃ、そこを落とし所にするか」
勝手に話がまとまり始めた事を旭は察して、
「待て待てまて! 一から説明せよ! まずはそのサカガミ傭兵団とは何者なのだ!?」
慌てて五人を止めに入った。
旭の問い掛けにガニザニは天を仰いで大きな溜め息をついてから、説明し始めた。
「サカガミ傭兵団……下っ端の団員から団長まで全員転生者の傭兵団だ。僕達と違って、元の世界にいた頃の文化や技術を色濃く残した連中でね。僕が『この世界の正常な技術文化の進歩に悪影響を与えてはいけない』と言っても無視して銃火器……まだこの世界では発明されていない武具を製造していたりする。ハッキリ言ってペイジの言葉通りの無法者集団だ」
忌々しげに語るガニザニの様子に反して、旭は目を輝かせて聞き入っている。
彼女のその様子に、ガニザニとニャライは余計にウンザリした表情になった。
「成程……然しお前達がたったそれだけの理由で人を嫌うとは思えぬ。そうだな、団長は如何なる奴だ? 無法者となれば、トキタロウやチランジーヴィをもっと酷くしたような男なのであろうな」
「女だぜ」
「ふむ、女なのか……女なのか!? では何故チランジーヴィは調略に行かぬのだ?」
「それこそワシやトキタロウをもっと酷くしたような女だからじゃ」
「そ、そういう事か……女とはいえお前達のような奴が更にもう一人増えるのは……あけすけな言い方をするが、単純に嫌だな」
「けどよ姫様、今のオレ達はまだこの前のボロ敗けの穴埋め中だぜ? これで更にオレ達を駆り出そうってんなら、流石について行けねえよ」
ヒョンウの意見に言い返せない旭は少しの間悩む素振りを見せたが、答えはもう決まりきっていた。
「よし、分かった。仲間にする他道は無いが誰もその後の責を負いたくない、然ればわしが責を負うとして……わしの許から離すつもりは無かったが、適任者を遣わす他無いか」
言うや否や旭は『適任者』へと目を向けた。
そこにいる全員が彼女の視線を追い……納得した。
「へ……? 俺!?」
畑であったと思しき荒れ地を馬に乗って進む一人の青年がいた。
彼は緊張と不安でしきりに眼鏡を袖で拭きながら、いよいよ着いてしまった目的地……サカガミ傭兵団の屋敷を前に堅い面持ちで馬を降りる。
「誰だ」
「神坐国の女王、光旭の使いの者です。サカガミ傭兵団の団長、ティナ・サカガミにお会いしたく参りました」
「神坐……ああ、その節はどうも。また工事がご入用なら是非ともウチをご贔屓に。それで、ツァーリ……ティナに用があるんだな? ちょっと待っておけ」
門番と思しき、緑を基調とした迷彩柄の戦闘服……そう、直垂どころか完全な洋装を着た男は、トキヤを待たせて屋敷の中へと入ってゆく。
残されたトキヤはぼんやりと門番の帰りを待ちながら、出立前に旭と交わした言葉を思い出していた。
「神坐国の主として責任を負う……とは言ったが、まさかそれが誠の言葉とは思っておらぬな?」
「失敗すれば切り捨て……だろ? 俺だってそうするよ」
「分かっておるなら必ずしくじるな。絶対にサカガミ傭兵団を仲間に引き入れよ。……私に、お前を捨てさせるな」
「そうあっさりと捨てられるつもりは無いな」
……ティナ・サカガミ。果たして如何なる女傑なのか。
チランジーヴィに頭を下げて女の口説き方を教えて貰ったが、それで上手くいく相手とは到底思えない。
あれこれ考えていたトキヤだったが「入れ。謁見の許可が出た。くれぐれも失礼のないようにな」そんな言葉が投げ掛けられて現実に引き戻された。




