第五話【神の坐す国】3
トキタロウとジョンヒが先頭に、ニャライ、ガニザニ、ヒョンウが最後尾に立ち、手を繋ぐトキヤと旭を守るように穴の中を進んでゆく。
そう大きくない丘の内部に通じる横穴は直ぐに最奥へと辿り着いた。
そこには石棺があり、周りには壁画が……人型の存在が、まさにこの墓所を作っている、そんな様子の描かれた壁画があるのだが……。
「なあアニキ、この壁画……頭の部分が全部削り取られてないか?」
最初に、意図的に手を加えられている事に気付いたのはトキヤだった。
「ああ、それはオレも気にはなってたんだけど……なあ、ガニザニ。こういう事って何のためにするんだ?」
「単なる酷いイタズラ……であればまだマシな方だ。例えば敵対していた種族が、その存在を消し去る為に意図的にやったのであれば……この墓の主が撒き散らす瘴気の理由にも、説明がつくかもしれないね」
「恐ろしい話だな……そういう感情はあんまり理解出来ねえし、したくもねえ。でだ、旭。お前で何とか抑えたりはやっぱり出来なそうか? ……旭?」
問いかけるトキタロウの声が届いていない様子で、旭はずっと石棺と向き合っている。
「大丈夫か、旭?」
トキヤに声を掛けられても、彼女は応えず石棺と睨み合っている……が、
「では先ずは、信ずるに値する呪い師を探さねばな……またここに来る故、色々と相談に乗ってくれ」
そう言った瞬間、
「ん? どうしたトキヤ?」
旭はやっと意識が戻って来たようだった。
「誰かと……話してたのか?」
「俄かには信じ難いが、この墓の主を名乗る女がわしにだけ話をしたいと言ってきたのだ。して、お前達の様子から察するに……本当にわしの他には見えも聞こえもしておらんかったようだな」
「へえ、そうかい。それで姫様、その女は何て言ってたんだ?」
問われた旭は、少し悩んだ様子を見せたが程なくしてヒョンウに顔を向けた。
「己の瘴気に蝕まれぬお前達を気味悪がっておったので、わしの手勢はそういったことの通じぬ相手であるから観念せいと言ってやったわ。すると墓をこれ以上荒らさんで欲しいと乞われた故、ここに国を作る事で守ってゆくので瘴気を引っ込めよと頼んだら、そのようにすると言って消えていったぞ」
「え……? 旭、さっきまじないが何とかって、言ってなかったっけ」
トキヤに問われた旭は、
「ああ、それは月夜見の妖精共を蹴散らす手筈の相談をついでにしておっただけだ。ありきたりな答えしか得られなかったがな」
何気ない風に返し周囲も納得している様子だが、トキヤは、
「……そっか。分かったよ」
そう言いつつも、違和感を覚えていた。
「して、瘴気はもう本当に無いのか確かめねばな。ヒョンウ、さっき言っておった近くの坊主とやらを呼んで来い」
そのまま旭は何事も無かったかのように話し続け、
「ああよ、こんな暗くて狭い所さっさと出ようぜ」
「お前な……先立に敬意は示すものぞ?」
石室を出る流れになったものの、
「え……っ」
不意に旭から袖を掴まれたトキヤは促されるまま彼女の口元へ耳を寄せた。
「この後、私と二人になってから……大事な話をしたい。そのつもりでいてくれ」
作りかけの建物の縁側から、トキヤは遠くに見える海を眺めていた。
それはよく謂われる境目の融け合うような空と海ではなく、下に行くにつれて薄青色から白くなってゆく空と褪せたような青に光を散りばめた海だった。
性質がそもそも違うモノは交わらない。
ただ一時、混じり合うように見える空と海があるだけ。
一つの目的の為に、キタノトキヤと光旭は同じ運命の先の光を、たった数日追い駆けたに過ぎない……。
そう言いたげな景色を前にトキヤは絶望すら感じていた。
「然し、こっぴどく敗けたものよな」
そう声の聞こえた方へと顔を向けると、着替えた旭が立っていた。
「狩衣が……無かったって訳じゃなさそうだな」
トキヤの隣に座った旭は、その言葉を受けて満足げに微笑んだ。
「私には、光家当主としての立場がある故お前の嫁になってやる事は出来ない……だから『キタノ旭』ごっこをしてみようと思ったのだ」
白い直垂を着た白髪の男と桃髪の女が横に座って並び合い、空と海をその目に映す。
「気持ちは嬉しいよ。でも旭は暫く休んでくれ。瘴気だか何だかも無くなって他の団員も出入り出来るようになったし、俺もアニキもいるから。……まあ、俺はお前の隣にいる事ぐらいしか出来ないけど」
「何も出来ないままで許されると思っておるのか?」
「まさか。俺にさせてくれる事があるなら、何でも言ってくれよ」
「まあ色々と考えてはおる故、そう焦るな」
……二人の間に、しばしの沈黙があった後、
「さっきの話だがな」
旭がぽつりぽつりと話し始める。
「私の一族の、男と関係を持つと色病みになる、その忌まわしい運命の理由を聞かされた」
「理由……? 体質か何かじゃないって事か」
「よくよく考えれば義日より前の代には左様な話が伝わっておらぬ故、何かされねばこうはならぬという事に考え至るべきであったのだが……」
俯き、髪で表情を隠しながら旭は続ける。
「呪いを掛けられておるそうだ」
「……呪い?」
呪い。
転生者であるトキヤ達は死に関わらない微細な攻撃は全く受け付けない。毒は効かず、病も即効性の強いもの以外は罹ることすらない。それは直接的に命を奪わない呪いが相手でも同じ事で、如何なる呪いを受けてもその全てを無効化してしまえる。
「一度男をその身に受け入れれば、忽ち正気を失い、男とまぐわう事以外何も考えられなくなるという『色病みの呪い』というものがあるらしい。神代の昔から存在する、単純な効果だが強力な呪いだと言っておった。……成程、そんな顔をするという事は、お前達が呪いの一切を受け付けず、それ故流れ者の陰陽師や坊主がいないという話は誠のようだな」
転生者は呪いが効かない。目の前で掛けられでもしない限り感知すら出来ない。故に学ぶ事も実践する事も出来ない。そのせいで転生者ではない人間が呪われた時、転生者には成す術が無い。
今まさにトキヤが、旭の役に立てず絶望を深めているように。
「私も呪いや魔術は詳しくないのだが、少なくとも左様な呪いがありふれておったら女衒がわし以外の女にも使いそうだがそんな素振りは無かった。故に、恐らくはおいそれと掛けられるものでもないのだろう」
旭の握る拳が震えていた。
「斯様な人を人とも思わぬ呪いのせいで、母上はわしを産むなり捨て置き、我が祖先達も若くしてろくでもない死に様を晒す羽目と陥ったのだ……決して許されるものではない……!」
「殺そう。お前をそんな目に遭わせた奴を、草の根分けてでも探して、俺がこの手で殺してやる」
トキヤは怒りに震える旭を後ろから抱き寄せた。
「お、おい待てまて、二百年も前に呪いを掛けた奴が今も生きておる訳が無かろう。お前の怒りは嬉しいが、現を見てくれ」
抱き締めるトキヤの手に自身の手を上から添えて、旭はトキヤの目に映るモノと同じものを目に映す。
「怒りはあれど私は嬉しくもあるのだ。今までは、どうあってもお前を受け入れれば最後、お前に愛されている事も分からなくなってしまう、左様な身の上で人を好きになる事に如何なる意味が有ろうかと、何処か自棄になっていたところがあった」
トキヤの腕を旭はより強く自身の方へと引き寄せる。
「だが今は違う。呪いさえ解けば、お前に抱かれる温かさを感ぜられる、お前に愛される幸せを覚えられる……そして、お前と同じ時を生きられずとも、確かに私がいた証を、お前と共にこの現世に遺し、生きている限りは育む事も出来る……呪いさえ解けば、遊女として使い潰されて死ぬ筈だった私が、その全てを手に入れられるのだ。これほど嬉しい事は無い……!」
「……旭っ!」
トキヤは感極まって旭を押し倒した。
「あはっ……気が早いな。前祝いをするか? 二日ほど前の夜に言っておったように、後ろで……」
「そんな風に誘われたら、抑えられなくなるだろ……!」
「仕方のない奴よ……」
旭はトキヤの首後ろに腕を回して、
「もしもーし」
「「わあああああ!」」
慌てて二人横並びに正座でニャライを出迎えた。
それから数日間、トキヤは旭に連れられるがまま慌しい時を過ごしていった。
都市計画、資材調達、そして周辺豪族の調略を同時並行で行ってゆく国づくりは、まさしく不老不死の転生者が指揮を取らねば成り立たないスピードで進んでいった。
しかし真に恐るべきは、その全てを把握して的確な指示を出している旭が普通の人間であるにも拘らず顔色一つ変えず務めを成せている事だろう。誰もが遊女崩れの戯れ言と侮っていた新たな人間の国が現実のものとなってゆく有様を前にして、寧ろ彼女に恭順しない理由が無い。
「この数日でよう分かった。我が祖先たる義日の最大の失敗は、まさしくお前があの日言った通り『誇りで飯は食えない』事が分からなかった、それが為であったのだろうな」
暗く曇った目を伏せながら廊下を歩いている旭は、隣で歩みを同じくするトキヤにぼやいた。
「人は正しさだけでは動かない。誇り、道理、正義なんてものは所詮勝った後からついてくる言い訳に過ぎない」
トキヤの答えは冷酷だが、そう話す彼自身どこか遠い目をしている。
「悲しい現実と思うだろうが、誰かが勝って誰かが負ける、そんな当たり前の事を悲しいと思う事がそもそも間違いなんだ」
「私とそう歳の変わらぬであろうお前が、随分と老獪な事を言うものだな?」
「……ま、元いた世界で色々あったんだよ」
「気になるところではあるが、聞かないでおいてやろう。トキタロウどころかニャライでさえも、その元いた世界とやらの話をしたがらぬ故な……ん?」
二人の前を塞ぐように、紺の直垂を着た少年が立っていた。




