第四話【時や夜を明かせ】1
降りしきる雨。
朝はまだ遠い。
着込んだ鎧の重さが殊更に強く感じられる中、青年は仲間に加えて自身の兄貴分まで引き連れて歩く。
「……なあ、トキヤ」
呼ばれた青年は応えない。それでも構わず、男は続ける。
「ぶっちゃけた話、神輿になるような奴は……アイツの代わりになる奴は幾らでもいる。例えばここから少し西の『中ヒノモト』って呼ばれてる辺りにも、旭みてえに反カゲツ派の人間を募ってる『菱川真仲』っていう若い女がいて……」
「アニキ」
脚を止めないまま、トキヤはやっと返事をした。
「確かに俺達はそうするのが一番楽だと思う。っていうか、何日か前の俺ならそうしてたかもしれねえ。でもさ……」
「なあ、もしオレがここでお前について行けねえっつったら考え直してくれるか?」
トキタロウは立ち止まったが、トキヤは気にせず進んでいく。
「一旦覚悟決めちまうと意固地だよなあ、お前」
慌てて小走りで後を追ってきたトキタロウにトキヤは話を続ける。
「旭には、俺達しかいねえんだよ。俺達には旭の代わりとか、ひょっとしたら旭よりも使いやすい駒になりそうな奴がいるんだろうな。でも旭が復讐を果たして、誰にも何にも苦しめられずに生きるには、俺達しかいねえんだ。俺達が助け出さなきゃ、アイツは楽に死ぬ事すら許されねえんだよ……!」
それは切実な言葉だった。
今までのトキヤはここまで自分以外の誰かに入れ込むような事が無かっただけに、トキタロウは今、彼に対して言い知れぬ感情を抱いていた。
「根負けだ。お前の決意、オレにも伝わったぜ」
「アニキなら分かってくれるって信じてたよ」
「元はと言えばオレが始めた事だからな。途中でほっぽり出してお前にケツ拭かせるなんて、よくよく考えなくてもオレが間違ってた」
「そうと決まれば、早く行こうぜアニキ! でねえと旭がぺしゃんこになっちまう!」
「……旭の奴、オレからトキヤを奪いやがって」
土砂降りに紛れてトキタロウが最後に言ったその言葉は、誰の耳にも届かなかった。
同じ頃。
「遅い! 何をしておったのだ!」
声を荒げるカゲツに頭を踏み躙られている、妖精の一団の長……月夜見国王のケイシンは謝罪の言葉を繰り返し続ける。
その様子を遠巻きに見つめるジョージとガニザニは、思い思いの言葉を口にしていた。
「カゲツ……とかいったか。あのジジイ、いい気なもんだな。勝ち戦と思い込んでんじゃねえか?」
「あなたも同じくらいの外見年齢に見えるが……」
「あ? 何だやるかガニザニ?」
「遠慮させていただくよ。まあそれはさて置いて。旭も手中に収め、ヒョンウもこうして頭を下げに来た今、残るはキタノ傭兵団だけ。ここから負け筋を思いつく方が難しいのだから、カゲツの立ち振る舞いも納得だと僕は思うよ。君はどうだい?」
問われたのは「抜かりなくやっとけよ! いいな! ……すまねえ。何だって?」今しがた二人の許に戻って来たヒョンウだった。
「ここから旭が挽回する目があるだろうか? という話をしていたんだ」
「無えだろ。トキタロウには悪いが、オレは常に勝ち馬に乗る主義でね」
「賢明な判断だ。僕は高く評価しよう」
「まあ、本音を言えばウチの奴をわざわざ貸し付けてやってんだから、ここからどんでん返しをやって貰いてえんだがな……?」
意味深にヒョンウは自分が来た方へと視線を一瞬泳がせた。
「そうだそうだ! ペイジがいなくなっちまってから俺が毎日山のような書類仕事やってんのに何なんだよこのザマは!」
「……そうだな。ペイジとシャウカットは、何処で油売ってんだろうな……? ククク」
またもヒョンウは意味ありげな態度を取った。
「そういえばオオニタ傭兵団の団長が来ていないようだけれど……」「あそこはいつもそんなんだろ。リスキーな事にはシャウカットを走らせて、アイツ自身は風見鶏だ」「まあ、何処かの誰かよりは慎重派なのだろうね」「あ? 何だやるのかガニザニ? ってのはまあ置いといてよ……」
雑談よりも興味を引かれた方へ……目を背けたくなる凄惨な『躾け』の現場の方へとヒョンウは顔を向ける。
「それにしてもあのダークエルフ野郎、あんな目に遭ってるが……隣の婆さんに目が泳いでやがるな。とんでもねえ肝の据わった野郎だ。どういう育ちしたらああなるんだ?」
疑問を口にしたヒョンウに、
「アナタの思っているような育ちではないですよ」
そう答えながらタンジンも帰って来た。
「予定よりも随分早く帰って来たね、タンジン。という事は、旭は……」
「この先はどうあってもケイシンに交代させるそうです。恐らく見せしめとして彼に好き放題辱めさせてから殺すのでしょう。良かったですねガニザニ、あなたの勝ちです」
皮肉たっぷりにタンジンはガニザニを睨みつけた。
「そうか……彼等は間に合わなかったか。まあ、それも運命なのかもしれない」「何が間に合わなかったのですか?」
地獄耳のタンジンに問われたガニザニは貼り付いた笑みを返す。
「いや、何も。それよりヒョンウに話の続きをしてあげたらどうだろうか? 他の皆も暇しているようだから」
「ええ、そうですね。折角ですから」
罵詈雑言と暴力を一心に受けながらも、そんな自分自身を何処か他人事のように扱っている様子のケイシンを横目に、タンジンは彼の過去を語り始める。
「これは私がこの地に来て間もない頃の、月夜見の国で起きた出来事です」
ケイシン……彼は月夜見王族の末弟として生まれて来たそうです。元々王位継承権が無いに等しい上に、彼が得意とする魔術は色恋絡みの占術やそれに関連した惚れ薬の調合等であったそうで、当時の王国を束ねていた血の気の多い御両親からはロクに戦う力を持たない彼は忌み嫌われ、兄弟からも蔑まれていたのだとか。
そんな扱いであったにも拘らず彼自身は王位を望んでおらず、せめて自身の得意とする事を世の中の為に役立てたいと願っていたそうです。ここで終われば単なる涙ぐましく健気な話であったのですが……。
ある時、彼は一組の亜人の夫婦から占いを頼まれたそうです。背丈の高く体格の良い男性と、男性より少し年上に見える美しい魚族の女性。その結果を「夫婦円満でいつまでも末永く暮らしていける事でしょう」と無難に伝えたのですが、本当の結果は「自身が魚族の女性に身を売る勇気があれば、王国をより豊かに、幸福に導く事が出来て、両親や兄弟にも認められる」といった、少々公言しにくいものであったそうです。……この占いの結果も、何らかの細工を施されていたのでしょうね。
彼は、その誘惑に乗ってしまったそうです。
そして魚族の女性……椹に言われるがまま惚れ薬を作り、金払いは良いものの身分を明かさない怪しげな男女の客を何組も占っていたそうなのですが……。
気が付けば王家には近親相姦が蔓延り、毎日のように彼の許へ醜聞が届くような事態となっていた。
自分の薬学と占術を悪用されたと気付いた時にはもう遅く、亜人の夫婦の夫……カゲツが正体を現して軍勢を寄越し、ケイシン以外の王族を『非道徳なる蛮族』として尽く処刑してしまった。
その後、カゲツ傭兵団に担がれた傀儡として王に就任させられた彼は、国が玩具にされて滅茶苦茶になってゆく様を見ている事しか出来ず、認めて欲しかった相手も好いてくれていた民も失った事で、その心は完全に壊れてしまった。
今の彼は目についた魅力的な男女に手当たり次第手を出しては辱め、そんな自分への自己嫌悪で取り乱す日々を繰り返す、元のケイシンの姿をしているだけの精神的残骸になってしまっているのでしょう。




