第十六話【いざ鬼討ち!】14
紅葉にとっては、初めて心が通じ合えた相手だった。
都の貴族達は同じ女王に仕える身である筈の己に対して鬼であるからと恐れ、蔑み、嫌うばかり。
だが遠く東は人の武士が治める国より現れたあの男は違った。
昼に果し合った時は、魔術も力も無いのに身一つで果敢に挑み来て、
夜に話し合った時は、小難しい言い回しも意地悪い皮肉も何一つ言わず、
己の陰気で後ろ向きなばかりの話を、嫌な顔一つせず黙って聞いてくれた。
その振舞いは鬼である己が演じる『武士の真似事』とは比べ物にならない程の、
真っ直ぐで、
優しくて、
汚れ無き高潔なる武士の鑑。
目が焼かれる思いであったのと同時に、強さや聡さ以外への憧れを初めて抱いた……。
「私は……あの者の命だけは救ってやりたい」
そんな紅葉の本心の吐露を黙って全て聞き入れた、彼女が強さと聡さに憧れる相手……白菊は、
「清四郎……お前は、わたしとは違い武勇の誉れも高く父上の信も厚い。
故に、東夷と恋仲等と謂う醜聞でも流れてみよ。味方の人心が離れ、我等は崩れ滅びゆく。
そして、この異の世の頼朝殿は女子。
男のわたしは雑に殺して終いにするであろうが、女子であるお前や清五郎は彼奴の嫉妬深く陰湿なる気性の儘に辱められ、死ぬよりも辛き目に遭わされるは火を見るより明らか。
愛しき弟の左様な末路をわたしは見とうない……。
兄を思うなれば清四郎、愚行は慎め。よいな?」
「……すまない、白菊」
紅葉を『清四郎』や『弟』と何度も呼び間違えた上で、何時もと変わらぬまるで幼子相手かの如き叱責を返事として叩き返した。
最早、紅葉は言い返す気さえも抱けなかった。
「分かればよい。では、わたしはこれより清五郎を手伝うべくアミカを連れて南の寺へ行く。
……連中は清五郎だけになるのを見計らって暴れておる様だ。
仏門の者は迂闊に殺生できぬが、父上や教経は世情の機敏に疎い。故にわたしが何とかせねばならん。
お前も抜かりなく務めを果たせ。
先ずは『都の貴族共に睨みを利かせ、女王に謀反の隙を与えぬ事』だ。
お前ならば出来る。わたしが何度後白河院に謀られようと許し、壇ノ浦に沈む迄ついて来てくれた、お前ならば」
「……」
颯爽とその場を去った白菊の背が角を曲がり消えるまで、紅葉は目を離す事が出来なかった。
その夜、紅葉は寝付けなかった。
目を瞑って、明日は何をしなければならないのか、次は何処へ戦いに行けばよいのか、身体の不調は無いか……と考えている内に眠りにつけていた今迄と違い、
今宵は妙な程に、瞼の裏で月下の逢瀬の記憶がぐるぐると巡り続けている。
然し、身体を動かし彼の許へと再び歩みを進めるべく部屋を出ようとすれば、
脳裏を過ぎるのは白菊の『あの者は魅了の呪いを使う。不用心が過ぎるぞ』と謂う言葉……。
「……違う。トキヤは、左様な男ではない」
誰に言っているのか分からない言葉を発しながら紅葉は部屋を抜け出して、
(少し夜風に当たろう……そうすれば、きっと眠れる……)
ふらふらと廊下を歩き始める。
その間も頭の中では、昼に初めて出会ってから先程までのトキヤとの記憶と、己が物心ついた時よりその背を追い続けていた白菊の記憶が、せめぎ合う様に浮かんでは消えてゆく。
『俺達はこのままだと……お前達を皆殺しにしてしまう。
旭の復讐心に従わされて、逆らえないまま、亜人を滅ぼす事になる……。
でも、俺はそんなの嫌なんだ』
そう訴えたトキヤの目は切実だった。
『前にも言った筈だ、清四郎。北条殿は魅了の呪いを使う。昼の果し合いといい、先程の逢瀬といい、不用心が過ぎるぞ』
そう窘めた白菊は、こちらに目も向けず疎ましげだった。
『俺の事を悪人じゃないってお前が考え直してくれたのと同じように、
お前と一緒の未来を俺は見たい……お前を失いたくない』
その言葉は人の身でありながら亜人の傭兵団を打ち破れる気でいる随分と驕り高ぶった言い草ではあったが、それでもこちらを想ってくれる意気の強さを前に胸が高鳴った。
『清四郎……お前は、わたしとは違い武勇の誉れも高く父上の信も厚い』
『愛しき弟の左様な末路をわたしは見とうない……。
兄を思うなれば清四郎、愚行は慎め』
何度違うと正しても、白菊は気が昂ればこちらを『清四郎』と呼び『弟』として扱う。……他の誰かを重ねているのなら、もっとましな代わりが見つかれば捨てられるのだろうか……。
『俺のところに来てくれる、それだけでいい。
お前の力は俺達が傷つけあう為じゃなく、
俺達の平和を邪魔するヤツを焼き払う為に、使えるようにしたい』
アミカの様に身寄りが無ければ、迷いなくその胸に飛び込んで、その腕に抱かれて……。
『お前も抜かりなく務めを果たせ』
トキヤの腕に、抱かれて……。
『お前ならば出来る』
……だが、そうはならない。
己の身体は、魂は、その全ては同族たる鬼の……ひいてはカゲツ傭兵団の為に有る。
勝手に気に入った男について行く……それは即ち、一族の長たる爺様を、無二の友である牡丹を、そして何より、
己の生き甲斐、カゲツ傭兵団の武士として生きると己に決めさせた男、白菊を裏切る事を意味する。
……紅葉には、それ等全てを捨て去る程の思いきった覚悟は無い。
(許せトキヤ。私は、其方の想いに応えられぬ……だが其方をみすみす殺してしまう程諦めきる事も出来ぬ……。
故に、神坐を滅ぼし其方を拐す。
其方が後生大事とする全てを壊して、全てを奪われた其方を我が物とする……。
それが為に其方の心が壊れてしまったならば……私はこの生涯を懸けて償う。
其方を私の隣に置き続け、何れ私を認めてくれる迄寄り添おうぞ)
己自身の心が凍てつきそうになる決意を固めようとした、その時だった。
「おいテメエ! 何やってんだ!?」
少女の怒鳴り声が聞こえて、思わず身が竦んだ。
「ボクを相手にイカサマしやがるなんていい度胸だな!? ボクは神坐の将軍だぞ! 将軍! 分かってんのか!?」
……己を咎める声ではなく、神坐の誰かが客を呼んで手慰みで大盛り上がりしている声の様だ。
何時の間にか紅葉は、無意識に神坐の高官達が寝泊まりしている場所へと歩みを進めていたらしい。
(き……来てしまったのなら、顔ぐらい合わさねばなるまい……よな?)
まるで身体が勝手に動いて、思考は後から取り繕うだけだった。
紅葉は気になってしまうがまま、彼の寝姿を探し始める。
「ぐがー……ワタシこそが……この世で1番の……すぴー……軍師……」
あちらでは誰かのいびきが聴こえ、
「……成程。という事は、キタノ時宮は間違いなくトキタロウの実子である、と」
「ああ。でも、どうして転生者なのにデキちまったのかはアイツ自身も分からねえみてえだ。それがオレ達に隠してる理由なんだろう」
こちらでは誰かが何事かひそひそと話し合い、
「……ふむ。これは興味深い」
また別の場所からぱちり、ぱちりと独り碁を打つ音が……、
「……行っただろうか。
それにしても、まともに触れてすらいない相手まで魅了し始めるとは。
これも旭姫の力がトキヤ君に流れ込み、強まり続けた結果なのだろうか……と謂う事は、常々彼女の近くにいる僕達も、何らかの影響を受けない様に気をつけなければ」
静かに響く中……。




