第十六話【いざ鬼討ち!】13
「……昼振りに御座いますな、トキヤ」
そこにいたのは、月明かりに照らされた一人の少女。
黒い束帯から覗く浅黒い肌と、束帯の上に舞う赤い長髪、そして真っ直ぐこちらを見る緑の瞳が、人ならざる美しさを感じさせる……。
「それじゃ、後はお若いの二人でどうぞ」
鈴蘭はそう言うと、
「おお! 其方がカゲツの左団長、白菊か! 私は神坐姫の側仕えをしている「鈴蘭、其方がいながら何故異の世の頼朝殿を都まで」しっ! もう少し声を小さく」「……失礼した。して、異の世の頼朝殿だが……」
何故だかトキヤが今まで座っていた場所へそそくさと行ってしまい、
「トキヤ、こちらへ」
「えっ? あっ、ああ……」
彼女に促されるまま、トキヤはその背の少し後ろまで寄って、共に廊下を進んでゆく。
(流れでついて来ちゃったけど……昼もそうだったけど、幾ら何でも強引過ぎるよなー……流石に怒った方がいいのかな)
「敵の誘いに用心もせず素直に来られるとは」
「えっ、ご、ごめん、でも断るのは失礼だと思ったからさ」
「御自分の立場よりも私を慮るを優先されるとは。都の貴族共ならば、鬼に誘われたとなれば死を恐れ、一目散に逃げ出すと謂うのに」
「……何か、都の貴族ってイヤなヤツなんだな。自分の町を守ってくれてる奴等の大将が亜人だからって、冷たくするなんて……」
「私は右団長、大将ではありませぬぞ。頭領は爺様……カゲツです」
「あっ、そうなんだ……ごめん」
「お分かりになられたのであれば構いませぬ」
「……そういえば、確か白菊さんもカゲツの事を『じさま』って呼んでた気がするんだけど、六鬼将ってアミカ以外全員あの人の孫だったり?」
「カゲツ……爺様は我等鬼の一族中興の祖。
それまでは朝敵とされ滅ぼされかけていたところを、花治の乱にて活躍なされて汚名を返上した先代の女頭領が桔梗様より受け継がれ、
その後二百年に渡って都の安寧を守り、我等鬼の一族が都の貴族共から蔑まれつつも重用されるまでに導かれた。
嘗ては人々に滅ぼされようとしていた我等が、今では人々の様に都の大通りを表立って歩けるようにして下さった……。
それ故、血の繋がりは有りませぬが、皆は親しみを込めてあの御方を『爺様』と呼ぶのです」
「そういう事か。種族単位でアットホームって感じなんだな……それはそれで、俺はちょっと窮屈な気がする」
「其方も左様に思うてくれますか……! あの浅葱の女……緑の髪の女などは私が愚痴を零しても『惚気はもう結構、そうして身内に甘いのもいい加減にしてくださいませ』等と嫌味ったらしい事しか言わぬのです」
「あー、言いそう。っていうかあの人って何? 女王の……奥さん的なヤツ?」
「単なる行き遅れの女房です。貰い手が何時迄も見つからぬからか、やれ行儀が悪いだの歌が拙いだの、牡丹を横に置いて私にばかり嫌味や悪口ばかりちくちくと言ってきて……あの女は無骨者の私が殿上を歩く事が許せぬのでしょう」
「うわー、純粋に嫌なヤツ。こっちじゃ歌も行儀も気にするヤツなんていないのに……良くも悪くも」
「故に私はトキヤが羨ましいのです。不死身の身体で自由に振舞い、自由に戦い、小難しい雑事に悩まされず、唯々猛き者が認められる国で悠々と生きる、それがとても羨ましい……。
今の私は、爺様に過ぎたる期待をされ、然し白菊の様に強くも聡くも成れず、恥ずかしながら、畿内の謀反を潰して回っていて忙しいと謂うのは半分が嘘。
真の事を言うならば、病がちでいつも牡丹に代わりを務めさせ、忙しい芍薬の数少ない暇を奪う様に度々薬を作らせて……」
小さな池を渡る橋の欄干に腰掛けて、紅葉は月に手を伸ばす。
「私は、強くなりたい……そして何者にも迷惑を掛けずに生きられる力が欲しい……」
伸ばした手は、決して月に届かない。
だが、
「……ホントに欲しいか?」
「えっ」
己の手に、隣に座ったトキヤが自らの手を重ね、握った。
「俺なら与えられる。あんたを不老不死にして、ただ力を振るうだけで役に立てる立場まで、連れて行ける」
「トキヤ……?」
彼に握られた手は、その胸元へと引き寄せられ……、
「俺は、あんたをぶち殺す為にここに来た。でも、話せば話す程に……あんたとは分かり合える、そんな気がして仕方ないんだ」
「無理でしょう。あの女が中ヒノモトの真仲に心を挫かれ臥せった折、その身を案じた爺様が夢枕に立った時の話は御存じですか?
光旭は……爺様に有らん限りの罵詈雑言をぶちまけて追い返したと聞き及んでいます」
「え、何それ知らないんだけど……面白」
「面白がらないでいただけますか」
「ごめん……」
「分かれば構いませぬ。して、私は其方の真意を知りたい。何故私を連れて行こうと?」
問われたトキヤは、微笑を浮かべた。
微笑んで、握っている紅葉の手を更に引き寄せ始めた。
「と……トキヤ?」
思わず紅葉は身を引こうとしたが、既に首後ろにはトキヤのもう片腕が回り込んでいた。
そちらに気を引かれている内に、
「紅葉……」
「ひゃうっ!?」
もうトキヤの顔が耳元にまで近付いていた。
「俺達はこのままだと……お前達を皆殺しにしてしまう。
旭の復讐心に従わされて、逆らえないまま、亜人を滅ぼす事になる……。
でも、俺はそんなの嫌なんだ。
俺の事を悪人じゃないってお前が考え直してくれたのと同じように、
お前と一緒の未来を俺は見たい……お前を失いたくないって、そう思った。
俺のところに来てくれる、それだけでいい。
お前の力は俺達が傷つけあう為じゃなく、
俺達の平和を邪魔するヤツを焼き払う為に、使えるようにしたい……」
後退ってもトキヤは離れる事を許さない。
そうしている内に腰が欄干へと当たって、これ以上答えを選ぶ事から逃げられないと理解させられた。
「だから……紅葉……!」
トキヤの誘いを受ける。
其れは即ち、白菊を裏切ると謂う事。
己の望む全てを手に入れるために、
己の生まれついての憧れを裏切る。
万に一つも手に入らない男の背を追い続けて、その背に追いつく事を、隣に立つ事を諦めて……、
諦めて……。
「……すまない、トキヤ」
紅葉は声を絞り出して、トキヤを押し退けた。
紅葉は、目の前の男の顔を覗くのが、怖くて仕方がなかった。
己の立場を懸けてでも、誰も傷付かない道を探そうとした男を拒んだ、
その己の行いの報いを受ける事が……。
「そうですか……俺は、白菊さんには勝てないんですね」
思っていたよりも柔らかな声がして、紅葉は恐るおそる目を開けた。
トキヤは……悲しげな目をして、必死に笑顔を作ろうとしていた様子だ。
「悔しいなあ……俺じゃあんたを、助けられないのか……」
そう言いながらトキヤは、
「あっ……トキヤ……」
紅葉の手を離し、反対側の欄干に腰掛ける。
「……許してくれ、トキヤ」
紅葉はそれ以外の言葉が紡げなかった。
「いえ、大丈夫です。でもこうなってしまった以上、もう……覚悟を決めないと」
俯く彼の表情は、痛々しい笑顔だった。
その悲愴な笑顔を見て、
「……もしも。もしもです、執権殿。
もし、我等のうちどちらかが相手を滅ぼすまで戦が続いた時。
私は少なくとも、其方の命だけは救いましょう」
今度は紅葉の覚悟が揺らいだ。
「神坐を失った俺は、正気でいられるかな……」
寂しい微笑を向けるトキヤを見兼ねて、
「そんな顔を……」
「えっ」
「私に見せるな」
紅葉は思わず、彼を押し倒した。
「トキヤ……例え其方が全てを失い、心が壊れてしまったとしても……。
私が責を負う、其方は私が守り抜く。
私と共に、生き続けよう」
真剣な眼差しで、紅葉はトキヤの顔を覗き込んだ。
驚き戸惑う彼の顔を、真剣に。
これはきっと好意や憐憫が為ではなく、
人ならざる者の武士の真似事ではなく、
武士の国の貴き武人を相手に、一人の武士として誓いを交わしたいのだ。
……そう信じながら。
「……では」
やりたい事をやった紅葉は、彼を捨てる様にそそくさと去っていった。
「えっ……?(な、何で最後急に詰めてきたんだ……? 何も分からないまま終わっちゃった……)」
想像だにしていなかった尻切れ蜻蛉の様な終わりに、思わず起き上がってその背を追う事しか出来なかったトキヤの視線を感じながら……。
廊下の角を曲がったところで、紅葉は立ち止まった。
「前にも言った筈だ、清四郎。北条殿は魅了の呪いを使う。昼の果し合いといい、先程の逢瀬といい、不用心が過ぎるぞ」
影に潜むが如く立っていた白菊は、目も合わせずに紅葉の肩へと手を置いた。
「白菊、思うのだが……トキヤは左様に卑怯狡猾な男ではない。
浅葱の女や他の貴族共とは違い、私が名前で呼んでも嫌がらず、寧ろ私の話を真剣に聞いてくれた。
それに、見ていたのだろう? 私をあれ程までに強く想って、私が欲しいと、そう言ってのけた……。
あの者の心が神坐姫の許に有れば、憎むべき鬼である私に、左様な事は口が裂けても言わぬ筈だ。
……真のトキヤは、あの女から解き放たれたいのではないだろうか?
今の立場にいるのも、お人好しが為にあの遊び女崩れに言い寄られて、無理矢理契りを交わされたのでは?
故に私と刃を交え、言葉を交えて真の情愛を知った今、あの女を退ける力を持つ私と共に、神坐の頂に立ちたい、左様に考えたのではないか?
……白菊。
お前を裏切るつもりは無い。
然し今は、あの者が悲しみの内で死に逝く姿こそ最も見たくない。
私は……あの者の命だけは救ってやりたい」
紅葉は珍しく白菊の言葉に抗った。
それ程までにトキヤとは心が通じ合ったと思えた為に。
そんな紅葉の本心の吐露を聞かされた白菊は……。




