第十六話【いざ鬼討ち!】4
夜の御所に突如として飛び込んできたのは、物騒な鎧姿の女武者。
その後ろから追ってきた門番が息を切らしているのにも拘らず、女武者は余裕綽々といった様子だ。
「曲者……といった御様子ではないな。旭様の縁者と見えるが……」
冷静に相手を見やる真仲と、
「そ、そうか……? おい、何の用で旭に会いに来たんだ? 先ずは執権の俺が話聞いてやるよ」
恐るおそる話し掛けるトキヤ。
だが女武者は二人を完全に無視してずかずかと旭に詰め寄ると、
「姫えええええ!」「おい、やめろ! むさ苦しい!」
黄色の瞳を爛々と輝かせ、藍色の髪を振り乱しながら、問答無用で旭に抱きついた。
「何処へ行っておられたのですか!? 突然女衒の許から逃げ出して! 今の今まで、私はずっとずっとずーーーーーっと姫を探していたのですぞ!?」
「は、はあ? ではまさか、わしが流れ者と手を組んで挙兵した事も、国を築いて東ヒノモトを平定した事も、果ては菱川を成敗しその娘を娶った事も知らぬのか……?」
「なっ!? なんですとっ!? ……それは真で? ……ち、ちと探すのが悠長に過ぎましたな!」
「ああそうだな。少しでも負い目を感じているなら、もうひとっ走りして頭を冷やしてきてもよいぞ」
「滅相も無い! これよりは私、姫の側を片時も離れず御守り通す覚悟に御座いまするぞ!」
「あーあー、そうかそうか、うーれしーいなー……あー最悪だ……」
旭の気も知らず、二人だけの世界を始めようとしていた女武者を無視しながら、
「……旭、誰? コレ」
「女衒に囚われておった頃に私の世話をしていた者だ。
何やら東に落ち延びた我等一族に代々仕えていたそうでな、いつか必ずカゲツに抗うべく立ち上がるのだと毎日の様に言われていたが……」
旭とトキヤはぼそぼそと話し始めようとしたが、
「応! 耳かっぽじってよく聞け流れ者よ! 我が名は安田鈴蘭と申す!」「うるさっ」「始終この調子で手筈すら整えぬ故、上手い事煙に巻いてお前達を頼ったのだ。が……遂に見つかってしまったか」
変なところで鈴蘭は耳聡かった。
「姫こと光旭様から遡る事二百余年!
光義日様と共にこの野蛮の地東ヒノモトに落ち延び!
呪いに毒され遊女に身を窶した子々孫々にも尚仕え続け!
いつか必ずや人でなし共を根絶やしせんと誓い!
血を脈々と繋ぎ続けたるは我等一族!
然し……!
私を置いて、既に中ヒノモトの菱川まで征伐されていたとは。
正直な所……呆然と落ち込んでおりまするぞ、姫」
「いや左様な事言われても……」
やっと旭にあまり歓迎されていない事を察した鈴蘭は、彼女から離れ、物憂げな表情で誰を見るでもなく俯いた。
……その痛ましい様子を前にトキヤは堪りかねて、
「つまり、旭の本来の側近はこの人なんだな? じゃあ……俺、キタノに戻るよ。だから鈴蘭さんを執権に「やめろ! 冗談でも左様な事言うな!」え、ええ……?」
自身が身を引く判断を言い出しかけたが、即刻断られた。
トキヤはもう一度鈴蘭へと目を向けた。
……俯き、何も言わぬ彼女を前に、やはり堪りかねて、
「でも、筋は通しときたい「冷静に考えてくださいませ義兄上、代わりがこの猪武者に務まるとでも?」ご、ごめん円、そんなに怒らなくても……」
食い下がろうとしたが、今度は円からきつめに窘められた。
改めて、鈴蘭を見てみれば。
……何も言わず、最早背中を向けていたのを見て、流石に放っておけないトキヤは、
「……あの「私は構わないが、そうだな……旭様、最近働き詰めで少し肩が凝った故、一月ばかりトキヤを連れて中ヒノモトに」あーダメだなコレ。悪いんですけど、俺の座を譲るのは無理そうです、鈴蘭さん」
真仲を味方につけようとしたが、逆に何か良からぬ事を企んで目をぎらつかせ始めた彼女を見て考えを改めた。
「左様か、流れ者……私はもう、御役御免か……では、私はこれにて……今まで奉公させていただいたこと誠に忝く存じまするぞ、姫……」
がっくりと項垂れたまま立ち上がり、とぼとぼその場を離れようとし始めた鈴蘭だったが、
「ああッ! 待って、そんな顔しないで下さいよ! 旭、この人は俺達と違ってこの世界のちゃんとした武家の人なんだろ? しかも後から力で従えた奴等と違って旭とも仲良いんだし、あんまり邪険にする事無いんじゃないか?」
流石に手放したくないあまり、腹の内で考えていた事を全てぶっちゃけてまで二人の間を取り持とうとし始めた。
「その『まともな武家』とやらが挙兵から今まで碌に役に立たぬ連中ばかりであったから要らぬと言っているのだが?」
「では、私は役に立たぬと仰るのか? 旭様」
「お前はすぐ左様な意地の悪い口の利き方をするな? 此奴とお前の違いを、お前自身分かっておらぬ訳がなかろう」
「姉上を今まで支えていた御方なのでしょう?」
「そうだよ、役に立たないからって捨てちまうなんて……」
「義姉上さまは、それでええんどすか? 後から後悔しても知りまへんえ?」
「ううむ……然しなあ……」
亀の歩みで少しずつ離れてゆく鈴蘭の背中をぼんやり眺めながら、旭は皆の説得を以てしても感情的な拒絶を強く拭えず、何とも言えない言葉を漏らす事しか出来なかった……。
が。
「む!?」
「何っ!?」
突如鈴蘭は刀を抜くと、桃色の風が一迅、自身の首を狙った太刀筋を見事に捉え、気付かれた事に驚いた様子を見せる水色の水干を着た桃色の髪の青年の繰り出した斬撃を、己の刃で防いだ。
「何奴!? 名を名乗れ!」
「お前の方こそ。客人の振りをしておれの姉上の寝床まで乗り込んで、何を企んでいた?」
「姉上だと……? その髪の色、まさか……!」
鍔迫り合い、少ない言葉を交わした鈴蘭と桃色の髪の青年だったが、
「やめよ正義! 其奴はわしの家人ぞ!」
「それは真に御座いますか!? これほどまでに殺気を漲らせているのに!」
「……! 成程な。お前そういった事が分かるのか」
「えっ?」
「どわーっ!?」
「あ……え?」
正義と呼ばれた青年は『姉上』から叱咤された事で手元を誤ったのか、鈴蘭を廊下の端まで弾き飛ばしてしまった。
「殺気だと? 鈴蘭が? ……お前こそ、それは真か?」
詰め寄ってきた旭に問われるがまま、正義はもう一度鈴蘭の方へと目を向けた。
二人の目には、廊下の端で仰向けにぶっ倒れて目を回した鈴蘭がいた。
「あれ……? うーん……わたくしの勘違い、であったのやも、しれませぬ……」
「猿も木から落ちるとはこの事よな。それはそうとしてだ」
正義に呆れつつも旭は鈴蘭の許へと歩み寄り、
「今思いついたのだがな、鈴蘭よ。わしの手伝いをしてくれぬか?」
改めて手を差し伸べた。
「は……? と、申しますと、やはり私を執権に!?」
慌てて起き上がり、その手を両手で強く握り締めた鈴蘭だったが、
「否。そうではない。お前に官位をくれてやる事は出来ぬが、わしはお前を手放したくも無い。それ故、政ではわしが読む書や字を書く為の硯を持ち、戦ではわしの最も近くでこの身を守って欲しいのだ」
「成程……ま、今まで通りと謂う事ですな」
旭の話を落ち着いて聞き、喜びも悲しみも無い調子で返した。
「ところがそうもいかぬ。今のわしには執権がいて、妻がいて、妹が二人もおり、更に七人の将軍が仕えている。今までもわしと執権で雑事をしていたが、それではやはり手が回りきらぬのだ。頼まれてくれるな?」
「あれ? 姉上? わたくしは……?「あっすまん、弟もおったな」姉上ぇ……」
「いやー……やるとは言っておりませぬが、まあ、そこしか居場所が無いのであれば、致し方ありませぬなー……たはは」
「流石は我が一番の家人よ」
旭の屈託のない笑顔を見た鈴蘭も、うっかりつられて微笑んでしまう。
そんな二人の前にがやがやとその場の全員が寄ってきて、
「まあ俺より旭の事をよく知ってるっていうのはちょっと悔しいですけど? 旭の初めての家来なんですから、旭の一番の家来の俺は筋を通して敬意を示しますよ、鈴蘭さん」
「強そうな御方が側に増えるのは頼もしいですね、姉上」
「やっと私も肩の荷が下りると謂うものだな、旭様」
「そういえば、あんさんが正義はん? 初めまして、この度妻となりました条火と申します、以後よろしゅう」
「は? おれの妻? えらくすっとんだ冗談を言うな……姉上、この者は?」
「お前の妻だ。これから仲良くせよ」
「は!? わたくしの妻!? そ、そんないきなりに御座いますかあ!?」
「これからよろしくねー。トキヤも二人の仲取り持ってやってね」
「あー、うん……まあ、善処しますね」




