第十六話【いざ鬼討ち!】2
旭に促されて、黒地に赤色のルシネーク紋様が入った直垂を着た銀髪をツインテールに結ぶ少女は、澄ました顔で直垂の袴の裾を掴み会釈をした。
「……ボク、アリーシャ。アリーシャ・サカガミ。ホントはサカガミ傭兵団の団長になるハズだったのに……クソ! バレンティンのせいで、虐げられて……! うぅ……ッ!」
アリーシャ・サカガミ
サカガミ傭兵団の副団長。反団長派を率いて独断専行を繰り返しており、バレンティンは手を焼いていた。バレンティンが副団長の地位を授けるや否や、更に増長した彼女は自らを『真の団長』と偽って周囲に売り込み始め……。
静かに嗚咽を上げだしたアリーシャを前に、
「お、おい大丈夫かよ……バレンティンがそんなに酷い事するとは思えないけど、俺で良ければ話聞くから」
そう言ったトキヤが手を伸ばそうとした瞬間、
「触るなッ!」
「えっ」
氷の剣で貫く様な、冷え切った拒絶の絶叫がトキヤの動きを止めた。
「ボクに触るな……! ツァーリを殺した、その汚い手で、ボクまで穢すつもりか……!?」
「う……っ」
異様な気迫で睨みつけられたトキヤは後退る事しか出来なかった。
「おい! トキヤが汚いとは何事だ!?」
「あ……ち、違……ごめんなさい、ごめんなさい女王! ボク、ツァーリを……元団長を、殺した、コイツが……怖くて……! わああアア……!」
旭に怒鳴られたアリーシャは、声を上げて泣き始める。
トキヤと顔を見合わせて困惑する旭の前に、
「すまない、女王。アリーシャはかつてティナの側近を務めていたんだ。だから綱紀粛正の為とはいえ、誅殺したトキヤの事を許せないんだろう」
バレンティンが現れて、気まずそうに事情を説明した。
「お前が謝る事じゃないだろ。そういう事なら、これは俺が受けるべくして受ける報いだな」
「……本当にすまない、トキヤ。俺はティナと同じ強権的なやり方では団を率いたくないんだ。でもそれだとアリーシャの様な力の信奉者を制御出来なくて……正直に言えば、自分の能力の限界を感じている」
珍しく弱音を吐露するバレンティンだったが、
「そうか。ではお前の将軍の任をここで解く事としよう」
「ハ……?」「旭、何言って……」
旭に突然、大鉈を振るわれた。
そして唖然とした顔を見せる男2人を差し置いて旭はアリーシャの方へ向くと、
「おい、アリーシャと謂ったな」
「何……?」
「お前がこれからサカガミの将軍を務めよ。良いな?」
「女王! 戯れが過ぎるぞ! 何を言って……!」
「ハ……? マジ!? ボクが将軍!? やったあああアア!」
バレンティンには全く意図が理解出来ない采配を言い渡す。
「浮かれるなアリーシャ! 女王が考え無しにお前を気に入ったワケが無い! 何を企んでいる? ……まさか、我々をティナ時代の様に扱おうと目論んで、体良く操れそうなアリーシャを任命したのか!?」
問われた旭は冷たい視線を投げつけながら、
「だとすれば、如何にする?」
問い返した。
「……ッ! ならば、我々サカガミ傭兵団はこれ以上神坐に協力しない。アリーシャの将軍職も即刻返上する! この国との関係もこれまでだ! 帰るぞ、アリーシャ! ……アリーシャ?」
だが、バレンティンの呼び掛けに、アリーシャは応じないどころか旭と2人、可笑しそうに笑い声を上げ始め……。
「だそうだが、如何する? アリーシャよ」
「答えは勿論『Не(ニェー)』だ、女王」
すっかり旭と意気投合したつもりになっていた。
「おいバレンティン、口の利き方には気をつけろ。これからはボクが、女王のお墨付きで、お前の目上だ。
女王、バレンティンの失礼極まる抗命を許してしまった事、実に申し訳ない。
お詫びにこの良い子ちゃんのクソマヌケから団長職を取り上げて、ボクの雑用係からやり直させて再教育しようと思う。
おい聞いてるかバレンティン、まずは女王とボクに異を唱えた罰だ。
ウチの屋敷から箒取ってきて御所を隅から隅まで掃除してこい!
……バレンティン?」
だが、今度はアリーシャの呼び掛けにバレンティンが応じない。更には旭まで呆れた様子で溜息をついた。
「アリーシャよ、もういちどよくわしの話を思い出せ。お前は将軍ではあるが、団長ではないのだ」
「え……? ハ? だから何?」
きょとんとした目をアリーシャに向けられて、漸く旭の真意を理解したらしいバレンティンが語り始める。
「アリーシャ、お前が新たに持つ権限は女王の指示に従うか否かを決める部分だけで、他は今まで通り副団長としての範囲を越えない。
つまり、副団長のお前は団長の俺を雑用係に降格する権限は無いんだ。
そう謂う事だな? 女王」
「流石にお前は物分かりが良いな」
「……ついでにだな。
女王、このまま彼女を将軍として西ヒノモト進行作戦に駆り出せば周囲に迷惑を掛ける事は火を見るより明らかだ。
少し教育が必要と考えている。
よって、今のアリーシャが発した出過ぎた言葉の責任を取らせる為に、今日一日御所の掃除をさせようと思うが、構わないか?」
「ハ!? 何勝手な事言ってんだよ!? おい女王! こんなクソボケの言う事聞く必要はビタ一文無いからな!」
「お前、将軍の分際で主であるわしに口答えをするとは何事だ?」
「え……ッ、あ、いや、でも……!」
「バレンティン、これはお前の家人故、処遇については出来得る限りお前の意見を聞き入れようと思う。しかと躾けよ」
「女王の御心のままに……おい、女王からの承認も得たのだ、観念して早く箒を取りに行け」
バレンティンの意趣返しを喰らったアリーシャは、
「うお……お、おいバレンティン、此奴今晩にでもわしを殺しに来たりせんだろうな?」
「その前に俺が止める。彼女はプライドだけは一丁前だが、それ以外の何もかもが伴っていない……だから将軍など務まらないと言っている」
旭が思わず後退る程の憎悪の形相をひと時見せると、何も言わないでその場から退いた。
「然しな、バレンティンよ。お前はここぞと謂う時の勢いがいまいち足りぬではないか」
「アリーシャは暴走特急だ。いずれ取り返しのつかない事態を引き起こすぞ」
「ううむ……と、兎に角、アリーシャはこれより将軍としてわしと共に西ヒノモト攻めに向かい、その代わりにお前にはこの神坐の守りを固めて貰いたい。頼んだぞ」
「そう事が上手く回れば良いんだがな……まあ、女王の御心のままに」
「……では、次だな」
アリーシャを追わない様に少し遅れて帰っていったバレンティンの背中を見送った旭が、次に目を向けた先にいるのは、
自信満々の笑顔を見せる、深緑の直垂を着て金髪を雑に長く伸ばしている筋骨隆々とした女。
しかも、
「というか、お前何だその仮面は」
「うん? ああ、コレか。団員達から『お前の眼光は鋭すぎて人々を震え上がらせてしまうから隠した方が良い』と言われてな。どうだ? しゃらくさいが、インテリっぽく見えて悪くないだろう?」
今回は目元を隠す仮面を被っている。
その女の隣では、
「ペイジ……あの」
「何も言わないでくれ……私は副団長だ……上官には盾突かない……」
「さ、左様か……とはいえペイジよ、何故斯様な事と相成った?」
不貞腐れた様子で、迷彩柄の直垂を着て赤毛をポニーテールに結ぶ眼鏡の女が立っていた。
「すまない、旭……公平性を重んじる為に、団内で選挙を行ったのだが……私は、0票だった。そして、最も票を多く集めたのが……」
ペイジの辛気臭い雰囲気は、
「こればっかりは真剣な話をさせてもらうがな、お前の様な口先ばかりの木っ端に暴力装置のリーダーは務まらん。本気で人望を得たいならば、もっと身体を張って戦い、強さを示せ」
隣から意外にも冷静な返事を寄越したセージによって塗り潰された。
「何をバカな……お前は唯のバトルジャンキーじゃないか……」
尚もブツブツと愚痴るペイジを放っておいて、セージは目元を隠す仮面を着けた顔を旭の方へと向けると、
「プリンセスよ、何の運命の悪戯かジョージが斃れてしまい、俺の部下どころか団内連中もペイジより俺が団長になるべきだと判断した。
団長は将軍を兼任するのがルールだと聞いているので、これからは他の傭兵団のリーダー共の輪に俺も加わる。
だが俺の本分は戦いだ。
強者に立ち向かい、打ち倒す事、それだけが俺の取り柄だ。
どうか使い方を誤らないでくれよ」
妙な謙虚さのある言動を示して、更には軽く頭を下げてカジュアルではあるが臣下の礼までして見せた。
「殊勝なりセージよ。戦に長けるお前の事はわしも手厚く面倒を見てやりたいと思うている。何か分からぬ事があれば、わしだけでなく執権のトキヤも頼るがよいぞ」
「前から俺と付き合い持ってくれてたペイジが団長にならなかったのは残念でしたけど、だからといって私情を挟むつもりはないんで。これからよろしくお願いします、セージさん」
気を良くした旭はそんな事を言って、トキヤも軽く挨拶をしたが……セージは、仮面越しでも分かる怪訝そうな目つきを2人へ返してきた。
「な、何だその顔は」
「あ、あれ……なんかまた俺、変な事、言っちゃいました……?」
「いや……ペイジから、聞いていたのだ。あまり執権と仲良くすると、冷や飯を食わされる「わああああ! 何でもない! 知らん! 知らん知らん知らん知らん! 知らん! 私もしばらくは同席するから! それでいいだろう旭!?」「え? ああ……ああ……?」「旭も良いって言ってるんだ! その話はしなくていい! 分かったかセージ!」……ハァ。成程な。見下げ果てたぞ、木っ端」
一連のやり取りに、ウンザリした様子で何かを察したセージは、
「おい、執権」
徐に彼の方へと向いて、
「えっ……? え、あの、ちょっ」
「セージよ、何を!?」
ずかずかと一気にトキヤへと詰め寄り、
「ん……っ、ふ……っ、ぐ」
「うぇっ!? う、ぎゅ……っ!」
「ん゛ん゛っ!」
「おぇ……っ! ぶはぁっ! ゲホッ! カハッ……!?」
トキヤの口を塞ぎ、無理やり捩じ込んだ舌を粗雑極まる投げやりに暴れ回らせるだけ暴れ回らせて、捨てる様に口を離すと、彼の耳元へと口を寄せて……、
「……お前の様な弱い木っ端は、正直好かん。
だが、小賢しい嘘を吐いたそこの木っ端はもっと好かんのだ。
巻き込んだ事は謝るが、奴の『教育』の為、これからも付き合って貰うからな、執権……」
伝え終えたセージの目が、仮面の目の部分に填まったアクリル越しに薄っすらと見えた。
その目は野生味に溢れながらも、彼女なりの理知を湛えていた。
「プリンセスよ。お前も『英雄色を好む』と謂う諺は分かるな?」
「……程々にせよ。わしも己の夫を良い様に使われて良い思いはせぬ」
「それはそうだな。であれば文句はペイジに言え。おい木っ端! これはお前の招いた舌禍だ。お前が力を示して俺を退けられる様になるその日まで、目の前で好いた男が嫌った女に好き放題弄ばれる有様を、無力に唯々見せつけられておけ!」
言葉を投げつけられたペイジは、過呼吸を起こしながら胸の辺りの襟を両手で握り締めて、セージを今直ぐにでもぶち殺しそうな目つきで睨みつけていたが……それ以上何も出来ない様子でもあった。
「ではプリンセス、今後ともよろしく頼む。帰るぞ木っ端!」
「……ああ。わしの役に立て。それから、ペイジよ。辛い事があればわしが話を聞く故……あまり抱え込むでないぞ」
旭の言葉も虚しく、一触即発の雰囲気に満ち溢れた2人は全く口も利かずに連れ帰った。
「……トキヤよ、この先我等は大丈夫なのだろうか」
「俺も手伝うから、上手い事付き合っていくしかないよ」
どっと疲れた様子の2人はお互いに苦笑を見せ合う事しか出来なかった。




